④ ある王様との別れー2

 これが僕とゼファニアの出会いだった。


 地下研究施設、トライアングルラボラトリーへ来たゼフへ、驚きの連続が降り注ぐ。建物の建材、研究機器、医療器材、見たことが無いものであふれていて、現実とは思えないらしい。

 でも、そこはさすが10歳の子ども。すぐに適応して楽しそうに探検しだした。


 一番喜んでいたのは広大な植物園ビオトープ

 人工の風に乗せられて届く樹木の香り、草が生えたフワフワの地面、視界一面に広がる緑。

 おとぎ話だと思っていた世界を前に、ゼフは大喜びで駆け回った。


「うわぁ! 龍人、お前は魔法使いなのか? こんな素晴らしい場所を作るなんて!」

「喜んでもらえて光栄だよ。これは魔法じゃなくて科学って言うんだ。ゼフが生まれるずっと前にあった文明だよ」

「そうか、科学というのか。でも私にとっては、科学も魔法のようなものだ。エルディグタールの土地も、いつかこうなればいいな」

「ゼフがそうすればいいじゃない」


 自分の家の周りくらいならできるだろう。

 そう思った僕は、寂しそうにうつむくゼフに提案した。


 僕の言葉に、ハッと目を見開いて顔を上げたゼフは、屈託のない笑顔を向けて言った。


「……そうだな! 強くて優秀なモメンヅルのように、私も頑張ってみよう!」





 それから、ゼフの姿は見えなくなった。


 あの日、遅くならないうちにと希望の場所へと送って行ったが、もしかしたら家族に一人で外に出ることを禁じられたのかもしれない。


 可愛らしいマッシュルームヘアの少年が記憶に残ったが、僕の興味はすぐに他の研究対象へと移り変わって行った。


 そして、10年の歳月が流れ、モメンヅルの紫色の花が彩を増した頃。


 ガーネットの青年がラボに訪れた。

 後ろで一つにまとめた純白の髪、白の正装。

 両脇には鎧を身にまとう屈強な男を従えている。

 青年の赤い瞳が、僕を見てキラキラと光を増した。


「龍人!」


 たくましく育ったゼフが、両腕を広げて歩み寄ってきた。

 普通ならここで感動の再会となるのだろうが、色々あって不老不死を手に入れ1万年生きている僕にとって、10年はそれほど長い期間じゃない。

 しかし、ゼフの好意を摘み取ってしまわないように、僕も同じように腕を広げて友人と感動の再会を果たした。


「ゼフ。君のその恰好、もしかして……」

「ああ、一応僕はエルディグタールの国王になったんだ」


 ゼフが恥ずかしそうに肩を竦める。

 国王の名とは裏腹に、その仕草はごく普通の好青年のようだ。

 一般的なガーネットは、高い地位にあぐらをかいて高慢な人間が多かったので、人間味を感じさせる新国王の姿を見た僕は、心のどこかで暖かい気持ちを感じていた。


「ははっ。随分育ちのいい子どもだと思ってたけど、まさか王様の原石だったとはね。ようこそお越しくださいました、国王陛下」


 僕がうやうやしくこうべを垂れると、ゼフはあわてて手を振った。


「やめてくれ。やっとここに来ることができたんだ。前のように友人として接してくれないか」

「ふふふ。分かってるよ。早速見に行くかい?」

「頼む!」





 植物園ビオトープに足を踏み入れたゼフは、側近たちが目の前の光景に驚いているのを無視し、喜びの声を上げた。


「やはりすごいな、龍人の科学は! 10年前と変わっていない。まるで楽園のようだ」

「まあね。10年どころか、1万年変わってないよ」


 僕の不老不死ジョークにゼフが笑った。

 そして、大きく息を吸い込み樹木の香りを堪能したゼフが、真剣な面持ちで僕を見た。


「折り入って、龍人に頼みがある」

「なあに?」

「僕と一緒に国を再建してくれないか」

「……いいよ」


 笑顔のゼフには、真っ白い歯が並んでいた。


 正直僕は、国がどうなるかなんてどうでも良い。

 ただ、国を再建する、という難問には興味があった。それと、一風変わったゼフが、これからどんな王様になるのかにも。


 僕の予想通り、ゼフは思いやりにあふれる良い王様で、家族にも家臣にも慕われていた。今までのガーネットとは違う。


 僕の役割はと言うと、困った時の相談役や、病人の治療。

 そして、内戦で荒れ果てた大地の復興の指揮。


 土地は自然と草が生えているところもあったが、ゼフはもっと緑でいっぱいにしたかったらしい。


 土の固定と土質改善、灌漑かんがいに苗木の植栽。乾燥した土地には、砂漠緑化の知識が役に立つ。

 たくさんの作業員に混ざって、僕にできることは全てやった。


 城でゼフと他愛のない会話を繰り返しつつ、こんなことを続けて5年。




 やっと国内に緑が増えてきた。




 天気の良いある日、エルディグタール城の最上階。

 王の居室にいる僕とゼフは、テラスから国を一望した。

 柔らかな風が、ゼフのきれいな純白の髪を撫でる。


「龍人、ここまでこれたのは君のおかげだ。協力してくれて、本当にありがとう」


 この時ゼフは25歳。

 かなり植物が生い茂ってきたが、樹木の背はまだ低く、お世辞にも緑でいっぱいとは言えない状況だ。

 しかし、僕と二人で作り上げた大地を見て、ゼフがしみじみと感謝を伝えてきた。


「礼には及ばないよ。僕にとってはこれも、良い研究材料の一つだからね」

「相変わらず変わったやつだな。しかし、私の功績があるのは、あの時龍人が私を見つけてくれたおかげだ。……是非、お礼をさせてくれないか」


 ゼフの命の終わりが近いことを知っている僕たちは、お礼が示す意味を口にせずとも、自然と最期の別れを意識した。


 黙って頷く僕に、無言で笑顔を送るゼフ。

 この時に交わした無言の笑顔は、僕に二人の信頼感を感じさせた。



 翌日。



 太陽が高く上り、温かい日差しが降り注ぐ城の屋上。

 緑色が増え始めた大地を見下ろしながら、大規模なパーティーが催された。


 ゼフの沢山の子どもはもちろん、愛する妻、家臣、料理人から使用人まで、可能な限り沢山の人が集められ、ごちそうが振舞われる。


 宴もたけなわ、満腹の人々が幸せに満たされた時、ゼフの演説が始まろうとしていた。

 若い大地を背に、正装に身を包んだゼフが参加者と向き合うと、太陽の光を浴びた純白の髪がその心を表すかのように美しく光った。

 参加者の注目が一点に集まり、会場に静けさが訪れる。


 大事そうに一人一人の顔を見渡したゼフが、穏やかな笑顔で話し出した。


「今私がここにあるのは、私を支えてくれた沢山の人々のおかげだ。皆のおかげで内戦で荒れ果てた国が復興し、ここまで繁栄した。王になってから5年。短い歳月だったが、ここにいる全員、そして国民に感謝の意を述べたい。どうもありがとう」


 ゼフが一礼すると、参加者から割れんばかりの拍手がおこった。

 そして、次期国王となる息子の紹介、長年使えてくれた家臣たちへの勲章授与、生活を支えてくれた物たちへの賞与。


「そして、龍人」


 全員へ感謝を伝え終えたゼフが、僕を見た。

 驚きと喜びで心臓が小さく跳ねるのを感じながら、僕もゼフを見つめ返す。


「僕の夢の実現を支えてくれた君には、エルディグタール城の北の大地を与える。今後、トライアングルラボラトリーがある地区は、全て龍人のものだ」

「……ありがたき……幸せ」


 他者から感動という気持ちを味わったのは、これが初めてだったかもしれない。

 土地を貰ったことよりも、僕のことを想ってくれた言葉が嬉しかったんだ。


 僕は胸に手をあて、曇りのない気持ちで素直にひざまずいた。

 初めて経験する気持ちに動揺しつつ、再び顔を上げた時。

 ゼフは子どもの頃と同じ、純粋で温かなガーネット色の瞳で、優しく僕を包んでいた。

 絆を確かめるように視線を交わした後、ゼフは再び参加者を視界に収め、一言一言を大事にするようにゆっくり言葉を紡いだ。


「そして、これが私にできる皆への最期のプレゼント」


 振り向いたゼフは、僕たちに背を向け大地を見下ろし、大きく手を広げた。

 ちらりと見える幸せそうな横顔。

 今までの思い出を味わうように目を閉じたゼフが、一言呟いた。


植物園ビオトープ


 ゼフが唱えると、城を囲んでいる樹木に変化が起きた。

 膝丈だった木がぐんぐん伸び、大人の身長を越え、建物の屋根へ届く大木へ。その変化が波のように広がり、あっという間に見渡す限りの木が育っていく。

 かつての乾燥した地面は、最早見る影もない。

 突然の出来事に、宴会開場からどよめきがおきた。


 魔力を持つ者は、その者の魔力量と望みに応じて、一つだけ特別な力を授かる。魔法を使うと寿命が短くなるので、ガーネットは滅多に魔法を使わないが。


 しかし、これは明らかにゼフの仕業。


 最期の力を振り絞り、ゼフは未熟な大地を緑の海にした。


 木が成長しきった時、僕はすかさずゼフへ駆け寄り、ふらつく体を両手で受け止めた。


 ゼフは、残り少ない寿命をさらに縮めてしまっただろう。


 体を支える僕の手が震え、喉の奥が収縮し痛みを感じる。


「ゼフ……なんてことを」

「龍人、悪いが僕に地上をみせてくれないか」


 珍しく動揺を見せる僕に、ゼフはいつも通り屈託のない笑顔を浮かべた。


 無力な僕にできることは一つしかない。

 気を取り直した僕はゼフの腕を肩に回し、足元のおぼつかない親友の望みを叶えた。

 幼い頃からの夢を現実にしたゼフは、エルディグタールの緑の大地を見下ろし、無邪気に笑った。


「わぁ……じいやの言っていた通りだ! なんて美しいんだろう」


 子どもの時と同じ、希望に溢れた笑顔のゼフ。その周りには、妻、子どもを先頭に、たくさんの人が近くに集まっていた。

 自分たちを大切にしてくれた国王の悲願が叶ったことに、ここにいる全員が喜びと、近いうちに訪れる別れを思い涙を流していた。


「きっと、私の子孫たちが、この青々とした豊かな大地を守ってくれるだろう」


 ゼフの視線の先には、可愛らしい子どもたちがいた。

 無邪気な子どもたちは「パパすごい!」「もう一回やって!」などと大はしゃぎしている。そんな子どもたちに「あれは一回だけです」と、泣き笑いして答える母。

 ゼフの周りには沢山の幸せが芽吹いているみたいだ。


「あれ……」


 ゼフと家族を見ていると、ポタンと雨が降った。


 いや、違う。

 雨粒だと思ったものは、ぼくの顎を伝って落ちている。

 もしかして、これが涙だろうか。


 またしても初めての経験に驚いていると、滝のような涙を流すゼフが、僕を見て苦笑した。


「……龍人、ひどい顔だな」

「……君には負けるよ、ゼフ」


 この時、僕はどんな顔をしていたんだろう。


 植物園ビオトープがもたらした変化は、どうやらゼフだけではなかったらしい。

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