火と蜜は幸に交わらず

「"また"酷い有様で、ここに戻ってきたんですか。物好きだな貴方も」


 培養液の中で見る姿、そいつはいつも嗤っていた。

 白衣ならぬ黒衣を着た、紫の眼を持つ男だ。影に入れば赤に変わる、その眼で僕を見て、愉し気に口元を歪め、"よーか"の名を呼んだ。好意の目じゃなくて、僕を利用しようとする、好奇の目だった。


「私の事が嫌いですか? 私はお前が好きだよ、とっても可笑しいから。望むんだろ、何度だって活かしてやるよ」

「……そーだよ、僕は生きたい。行かせてよ、こんな所で燻りたくない」


 "よーか"を欲しながら、顔から語っていた、"他人の不幸は蜜の味だ"って。

 僕が戻るためじゃなきゃ、こんな奴、誰が相手にするもんか。


「怪我を治して、診察を受けてくれたらいいですよ」


 余蜜改よみつあらた、こいつも嫌いだ。



 ● ● ●




 医務室で窓を見たまま黙り続ける。久しぶりに見た外は、あいにくと月の見えない雨夜だ。

 全てに気力が出てこない、僕から常日頃の明るさは完全に消え失せてしまっている。

 試しに口を開いてみると、いつもより少し低めの声が出た。


「……生きることに価値ってあると思う?」


 目の前でカルテを構える改から、ペンを走らせる音だけが聞こえてくる。


「陽花には生きる意味がある。でも、価値は分からない。お前は人類に生きる価値があると思う?」


 答えを待つように、再び口を閉ざした。身体や目は、窓に向けたまま動かさない。

 外は相変わらず、量の多い小雨が地面を叩いている。

 でも、待っても、改は答えをくれなかった。

 自分の右手の甲に触れてみる、そこには『八』の焼印が刻まれていた。反対側には『日』と書かれている。


「……『八日』は嫌い。だから、よーかも微妙。面白くていいけど」


 少しだけ、また沈黙が流れた。


「……かやねと実験体になる取引をしたら、事件と本名から『八日』と書いてよーかって読む名前をくれた。それから、色んなことを教えてもらった。陽花は色んな人に生かされていて、あの男も陽花を生かしてよーかを活かした。でも、陽花はあの男のものになった覚えはない、あの男は『八日』にしか干渉してなかった」


 身体も目も、改に向ける。きっと僕は暗い顔をしているのだろう。


「……ね、人間って要るの?」


 声が低いというより、暗い。


「消え失せればいいって思ったことない?」


 視線が段々下がっていく。


「皆と一緒に死ねたらいいのに、いつまで戦争なんていう面白いことが続くんだろう」


「八日さん」


 ようやく声が聞こえて、僕は喋るのをやめる。


「雨で気分が落ちているようですね。薬を出しておきます」


 でも、それだけ言って、改は出ていってしまった。


「……いつも通りだよ」


 僕はいつも、隠しているだけだ。

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