第21話
――このままじゃ、ダメな気がする。
そんな漠然とした思いは、いつだって俺の中にあった。
適当に高校を選び、適当に遊んで、なんとなく大学に進学。
――将来の夢や目標は?
幼稚園や小学生の時はともかく、
歳を重ねるごとに、これを聞かれるのが苦痛になっていった。
俺には何もなかったから。
勉強は、やらないといけない空気感だったので
ある程度やってきただけで、興味の湧く分野もこれといってなかった。
運動は、どちらかと言えば得意ではあったけど、
周りの真剣な人間ほど、熱心にはなれなかった。
――十年後の自分をイメージして、キャリアプランを作るように。
大人ってやつは時々、本当に無茶を言う。
二十年くらい生きてるけど、予想外の出来事もたくさんあった。
自分の力や思いばかりじゃ、どうにもならないことが起こるのが人生だって、
さすがに俺でも分かってる。
そんな計画をたてて、その通りに生きられた人って、どのくらいいるんだろう?
わかってるよ。
別に本気で、その通りに生きろって言われてるわけじゃないことくらい。
どれだけ筋道立てて物事を考え、人に伝えられるのかのテスト、
目標に対しての実現力や行動力、計画性を計るため、
自社の理念と、どこまで合う人物なのか知っておくため、
とか、そんなことなんだろう。
だとしても、よくそんな意地の悪い質問を投げかけてくるなって言いたくなる。
自分がなりたい“自分”になれる、能力や資質があるヤツはいいさ。
なりたい自分になるための能力も資質もない人間は、どうしたらいいんだ。
なりたい自分になれないヤツは身の程を弁えて、なりたくもない自分を空想して、
あるいは、実現出来ないと分かっている虚しい架空の未来を空想して、
したり顔の偉そうな大人たちの前で、自信満々、朗々と語れって言うのか。
――そういうのはいいから、企業の人に気に入られるように適当に考えればいい。
おためごかしはお互い様。
キツネのタヌキの化かし合いを、これからずっと見続けることになるんだ。
それが大人になるってことなのか。
――今が社会に出るまでの最後のモラトリアム。
そんな周囲の声に影響されて、兎にも角にも遊びまわっていた。
ただそれは自由の謳歌のためじゃない。
待ち受ける現実からの逃避だった。
やたらと優秀な幼なじみと常に一緒にいることで、
なんとなく俺自身も優秀になったような気持ちになって、
大丈夫だ、なんて思っていたところもあったかもしれない。
「僕は、ケンスケに依存してるのかなって」
ユキの言葉に、正直ぎくりとしていた。
俺にも心当たりがあったから。
あの時、ユキに言えなかったもうひとつの真実。
いつからかユキを守ることで、
からっぽで劣等な自分に価値を見出していた俺がいた。
だけどこれ以上、浅ましく情けなく惨めな俺をユキに知られるのが怖くて、
伝えることを躊躇った。
そんな自分も、情けなくなった。
「大切な人ができたなら、その人と同じくらい自分のことも大切に」
母さんの言葉が、俺が長年見ないふりをしてきた漠然とした思いを
バットでフルスイング。
かっ飛ばされて無視できないほど目の前に飛び出たそれは、
『それでお前はどうするんだ』
そんな詰問と叱責が集合し結合した刃となって、
俺の眼球のただ前にビタリとその切っ先を突きつけてきた。
どう理屈をこねたって、不条理を嘆いたって、
俺はこの俺として生きていくしかないし、
俺はこの俺として、生きていきたいと思ってる。
だったらもう、ガムシャラでも、出来ることをやっていくしかないだろう。
結果も成果も関係ない。
満足するまで、もがいてあがいて苦しんで悩んで、それすらも楽しんでやるよ。
海外に行って自分を磨きもいいかもな。
外国、行ったことなかったから、行ってみたかったし。
何にもならないかもしれない。
でも、何かになるかも。
分からないけど、このまま“何もしない”よりは
いいだろうって思ってる。
参加することに意義がある、のノリだ。
一番の目的は、ユキから一度離れてみることだったりする。
依存がどういうものかなんて正直良く分かってないけど、
何においてもユキファーストの生活しかしてこなかったのは確かだ。
そういう生き方や考え方が、
ユキとずっと一緒にいる未来の障害になるんだったら、
今は離れる決断をしてみたい。
それが今の俺にできる、精一杯なんだ。
「――じゃあ、向こうに着いたら電話なりメールなりするのよ」
「忘れ物ないか?」
母さんと父さんが、不安そうな顔で言う。
ザワザワと、何を話しているのかは聞き取れないほど多くの人の声、
それらの人々を歓迎、誘導する上品なアナウンスが流れる空港のターミナルで、
俺はいよいよ出発の日を迎えていた。
携帯片手に、忙しない様子で通話しながら靴音高く歩くスーツ姿の男性や、
搭乗する飛行機を待っているのか、思い思いの姿勢で
退屈そうにスマホをいじり続ける若者たち。
街中でもよく見かける風景だが、空港という特殊な場所だからか、
それらの人たちにも、少なからずドラマを感じる。
「父さんも母さんも、今日まで慌ただしかったけど、本当にありがとう。
ちょっと行ってくるよ」
俺が言い出したワガママのせいで、両親にもまた沢山手間をかけさせてしまった。
でも、文句や愚痴ひとつ言わず、見送りまでしてくれる親の無償の愛に、
俺は一生、頭が上がらないだろう。
行き先はワーキングホリデービザを利用してオーストラリア――ではなく、長野。
あの日のロッジ。
海外に行きたいと切り出した時の、あの空気感。
あれも、今や忘れられない思い出の一つだ。
父さんと母さんは、笑顔を引き攣らせて硬直していたし、
おじさんとおばさんも真顔で手を繋いだまま、見事な夫婦の彫像になっていた。
隣にいたユキの表情を形容するに足る充分な語彙を、俺は持ち合わせていない。
あれはなんだろう、
青汁とノニジュースとデスソースとシュールストレミングをミキサーしたものを、
無理矢理に飲まされたような表情でもあり……。
全裸かつ全身白塗り、頭髪は七色モヒカン、扇子ひとつで局部を隠したまま、
行き交う人が波のように押し寄せ合う駅前の交差点、その真っ只中で踊り狂う、
奇人を目撃した時のような表情でもあり……。
とにかく、愛する人にあまりさせてはいけない顔だった。
――いきなり海外はさすがに……。
――精神科の先生にも相談が必要なんじゃないか。
――あんた、パスポートないわよ。
――費用はどのくらいの予定で……?
――そもそも英語できたっけ?
困惑を含みつつも温かく、核心をつき降り注いだ言葉の数々。
それらに触れ、俺は思ったんだ。
よし、考え直そう、って。
人に相談するって、本当に大切なんだなって心に沁みた。
口内炎に、よく熱したスパイスカレーを塗り込むように、すごく沁みた。
それでも、とにかく何かを変えてみたい、挑戦してみたい、という
俺のふわっとした意欲は皆になんとか理解してもらえて、
母さんの昔からの知り合いである職人さんの家にアシスタント兼、
住み込みでお世話になる話が進み、今に至る。
オルゴールの制作から販売、修理も請負う、業界では有名な工房らしい。
子供の頃、俺が壊してしまった母さんのお気に入りのオルゴールを
直してくれた職人さんがいるところで、
単純な興味と、不思議と惹かれるような縁を感じて、訪ねてみることを決めた。
ユキと心を通わせたあの日から、記憶の欠落なんかもなくなって、
病院の先生からも何か異変があるようなら来てください、と言われて
治療から解放された。
元々、ストレスの原因さえなくなってしまえば、数日でも治る病なのだらしく、
人間の精神ってのは不思議なものだなとつくづく思う。
「ケンスケ」
「ユキ」
両親が気を利かせて、背を向けて少し離れたところへ移動していった。
「向こうでも身体……、気をつけてね」
うつむき加減のまま、ユキは言った。
「ユキもな……。手紙、書くから。返事、くれよ」
「うん……、待ってる」
もじもじと、靴先を見るようにしながら、ユキが言った。
「ユキ、こっち向いて」
目を合わせてもらえないことに焦れて、ユキの頬に手をやった。
指先をツルリと何かが滑り落ちる。
涙。
「バカ、たった3ヶ月だぞ」
「分かってるよ。それでも……、さみしい……」
消えてしまいそうなユキの涙声を聞き取った瞬間、
足元が抜けるような感覚がして、
チョコレートファウンテンからチョコが溢れ、包まれていくように、
周囲の景色が白で塗られていった。
「おっと」
一面、白だけの世界で、ユキが勢いよく俺の身体にしがみついてきた。
「ユキ?」
髪を撫でて、名前を呼ぶけれど、
俺の胸に顔をうずめたまま、ユキは離れる様子がない。
「……時間止めてる。あと少し、少しだけこうさせて……」
ユキに応えるようにして、俺もユキの身体を強く抱きしめた。
ユキの匂い、肌の温もりに、身体の感触。
あれから幾度か身体を重ねるうちに、抗えないような熱さとは別に、
それらに安らぎを覚え始めた自分がいる。
過去、女性たちと付き合っていた時にはなかった感覚。
これも、愛あるがゆえに芽生えているものなのだろうか。
「ユキ……」
ユキの唇に軽くキスを落とす。
二度、三度と繰り返すうちに、どちらからともなく、
貪り合うような口付けになってゆく。
ユキの身体を優しく寝かせ、激しいばかりではない、
優しさも帯びた熱に身を任せて、互いに全身を愛撫した。
俺の指に絡みつくように吸い付くユキの中を、じっくりと優しく広げていく。
「ケンスケ……、もう……大丈夫だから……、早くっ……」
よがる声混じりに、目を潤ませ、自分の手で広げるように引っ張りながら
ユキがせがんできた。
ホントはもっとしてから、と思っていたのに、
ユキのおねだりに堪らなくなり、すぐに抽挿を始めた。
「アァ……」
ずぐりと入りこんでいく俺の動きに合わせて、
ユキが、切なさと悦びが混じりあった色っぽい声をあげる。
白い空間に、二人の荒い吐息がひとつになって溶けて、また生まれてゆく。
俺はユキに。
ユキは俺に。
その存在を身体に刻みつけるような時間だった。
「愛してるよ、ユキ」
「僕も、愛してるよ、ケンスケ」
このやりとりを最後に、俺たちは出逢ってから初めて、
最愛の人がいない生活へと足を踏み入れた。
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