第20話

 開かれたドアの先には、確かにお父さんと、そのすぐ後ろにお母さんも居た。


 僕の行動に驚いて、すっ飛んできたのだろう。


 二人とも抑えようとしているが息が上がっていて、

 ソワソワと落ち着かない様子だ。


 いつもなら美容院でセットしたようなお母さんの髪はカールが取れ気味だし、

 お父さんも外に出る時には、絶対にしないTシャツ姿でいる。


「どうも、うちの子が本当に申し訳ありません」


「いえいえ。さ、ここではなんですし、お上がりください」


 平謝りのお父さんとお母さんに、おじさんが言う。


 お父さんたちがリビングの方へ案内される途中で、

 そっとお母さんの後ろについて、「ごめんなさい……」と話しかけた。


「もう……!」


 サッとお母さんの手が上がったので、叩かれる、と身構えた。


 しかしその手は、乱れていたのか僕の前髪をそっと梳かし、

 そのまま肩へと置かれただけだった。


「心配したのよ……!」


「そうだぞ、ユキノリ」


 ソファにどっかりと腰掛けながら、お父さんが続いて言った。


 お父さんの隣に座れということなのか、お母さんが背中を押してくるので、

 それにしたがって座ることにした。


「あ、それで、その……、ケンスケくんは何事も……?」


 勝手知ったる別荘に緩んでいたらしい居住まいを正して、

 お父さんが、向かいに座るおじさんに言いづらそうに尋ねた。


「ええ、ええ。ほら、ケンスケもこっちへおいで」


「あの! 今回は、本当にすみませんでした!」


 おじさんに声を掛けられると、

 ケンスケはその場で大きな声で謝って、

 勢いがつきすぎた水飲み鳥のように深く深く頭を下げた。


 それを見て、お父さんもお母さんも慌てて立ち上がり、口々に言った。


「ケンスケくん、そんな、いいんですよ」


「そうです、そうです。身体にも障るといけないですし。

 さぁさぁ座ってください」


 お母さんたちの言葉にそれでも申し訳なさそうにしながら、

 ケンスケもソファへと腰掛けた。


 一息ついてから、おじさんが声を潜めて言う。


「タカヤマさん、実はもう私たちは先に話を聞いたところでして……」


「あ、それじゃあ……」


「はい。是非聞いてやってください」


 その会話で、僕はピンときてしまった。


 両家でいつの間にか、ある程度示しが合わされていたんだ。


 思わず、おじさんとお父さんの顔を交互に見つめていたら、

 お父さんが「そうなんだ」と言い、

「フジタさんから、いつかユキノリかケンスケくん、どちらかが行動に出たりして、

 こういう時が来るだろうって提案されててね」


「親同士だけで、こっそり会議してたの」


 お母さんが、お父さんの言葉のあとにテンポよく続いて言った。


 つまり、どちらかが暴走することも予期して、

 更に僕たちがどういう事を言い出すのかも予想して、

 話し合いをしていたということか。


 さっき僕が、別荘にいると連絡した時点で、

 お母さんもお父さんもホレきたとばかりに

 勇んでここに来たんだな。


 道理で、二人とも慌てていたものの、動揺はそこまで酷くなかったワケだ。


 おじさんとおばさんの洞察や予見力の高さは知っていたつもりだったけれど、

 ここまでだったとは。


 予想外のことに舌を巻いたまま、ケンスケの様子を見てみたら、

 見事なくらいに眉は波形を描いていて、口を尖らせ、

 永久機関であるかのように顔を左右に振っていた。


「ケンスケ、一緒に言おうよ」


 そう声を掛けて、二人で手を取って立ち上がり、

 両親たちの前で、さっきのように話をした。


 ケンスケはまだ分かっていないようだけれど、

 お父さん、お母さんの纏う空気は温かく、

 ケンスケの必死のスピーチを見る目は、

 まるで我が子の学芸会でも見ているような眼差しだった。


「お父さん、お母さん、……ありがとう。

 いっぱい心配かけてごめんなさい。

 これからまだ、色々あるかもしれないけど、

 頑張るから……、どうぞよろしくお願いします」


 再びケンスケと二人、一緒に頭を下げた。


 言い終えると、お父さんも立ち上がって、

「分かった、分かったぞ。一緒に頑張っていこうな」と涙ながらに言ってくれた。


 冷淡だと思っていたお父さんは、母と同じかそれ以上に、

 感情の起伏が激しい人なんだと、この騒ぎを通じて理解することができた。


「応援するからね」


 短く言ったお母さんは、嬉しそうにニコニコとしていた。


 愛情なんか持ち合わせていないんだと思っていた母は、

 彼女なりに、意外と愛情深かったのだと知れた。


 目に見えていたものだけが全てではないんだ。


 人は、なまじ言葉で意思疎通ができるだけに、

 言葉以上のものを感じ取ることに鈍感になっているのかもしれない。


 夢のような大団円の空気だけれど、

 僕は不安を言葉にしてみることにした。


 話さなきゃ分からないこともあるのだと、学んだから。


「ごめんね、一つ聞いておきたんだけど」前置きをしてから言った。


「お父さん、会社や親戚の人たちは大丈夫なの?

 その……、僕が同性と付き合ったりすること……」


 誰のものとも分からない息を飲むような音がして、僕の両親へと視線が集まった。


「……」


 黙ってしまったお父さんの手を、お母さんそっと握った。


 感動。


 あの父母が、手を取り合うなんて。


「……会社も親戚も、まぁ分からん、としか言えないなぁ」


 お父さんがボソリと呟いた。


「自分語りになりますが」とおじさんたちに向き直って恥ずかしそうに言い、

「私の家は、妻の家に大変お世話になっていたんです。

 お義父さんの支援がなければ、良くて一家離散。

 悪ければ、一家全員、天井からぶら下がっていたかもしれない。

 どうにしろ私は今ここにはいなかったかもしれません……」


 その言葉に、お母さんはそうなの?と目を丸くしていた。


 僕ももちろん初耳だった。


「しかし妻の家が倒れかけた時、

 私の父と母は、手のひらを返してお義父さんを見捨てました。

 妻との縁談も……親から反対されていて、本当は受けないはずでした。

 彼女と結婚したのは、私の独断だったんです。

 そんな感じで、両親とは結婚以降、絶縁状態になっているんです……」


 衝撃的だった。


 祖母からも、こんな話は聞いたことがなかった。


 いや、恐らく祖母も知らなかったことなのだろう。


「だから、どういう反応が返ってくるのか、

 そもそも反応が返ってくるのかも分からないって言うのが答えかな……。

 ゴメンな、ユキノリ……」


 言葉が出ずに、首を横に振るしか出来なかった。


「会社は」お父さんは更に話してくれた。


「最近は結構、ジェンダー問題に対しておおらか、というよりは、

 排除することで世間に悪印象を与えるのを恐れているきらいがある。

 嫌な話だが、企業のイメージアップのために

 LGTBQに対して理解がある風に振る舞っているようなところもある。

 だからまぁ、体制に影響はないだろうと踏んでいるよ。

 ……陰口くらいは言われるかもしれないけどね」


 肩をすくめて、そう言ったお父さんの言葉に、

 おじさんが大きく頷くと、


「まぁ、こちらからわざわざ言いふらす必要はないことだしね。

 どこからか知られているようであっても、普通にしていようと思っているよ。

 悪いことは何もしていないんだから」


 他人に興味がないように見えて、意外と他人のことを見ている人は多い、


 ゴシップとして成立するようなことなら、なおさらに。


 少しの沈黙を破って、「ご近所でもね」と、おばさんが話し出した。


「誰々さんは同性愛の人らしいよ、なんて噂話が出たりもするんだけど、

 昔と比べたら嫌悪感とか、そういうのが少なくなったなぁって思うのよ。

 テレビなんかで特集されたりして、理解は広がってるのかもね……」


「……私……」


 お母さんが小さな声でつぶやいた。


 表情がどこか呆然としていて、視線が空を見つめていて、

 焦点があっているのか怪しい。


「ど、どうしたんだ?」


 お父さんも様子がおかしいと気づいたのか、

 お母さんの手を引くようにして聞いた。


「私、学生の時、とっても仲の良いお友達がいたの……。

 レイコさんっていって、美人でね、明るくてね、

 私といつも一緒にいてくれて……、一番の友達だったんだけど……」


 お母さんがゆっくり、ゆっくりと話すので、

 どういう話なのか、なんとなく理解したが、

 何も言わずにそのまま聞いた。


「進級の時に、好きだって言われて……。

 私……、本当に何も考えずに、言ってしまったの。

 気持ち悪い……、って」


 お母さんは顔面を蒼白にしたまま、込み上げるものを耐えるように

 口元に手を添え、続ける。


「その時の彼女の顔を思い出してしまって……、わ、私……ごめんなさい……。

 ユキくんとケンスケくんのことは、最初こそ戸惑ったけど、

 本当におめでとうって思ってるのよ……?

 でも、でも、あの時の私みたいに、本当に何も考えずに、悪意もなく、

 ユキくんやケンスケくんが傷つけられることもあり得るんだって、

 今、実感して……」


 お父さんが、涙を流し出したお母さんに寄り添う。


「充分、あり得るだろうね……」


 隣にいるケンスケを見やりながら言った。


 なんなら僕は、誹謗中傷の対象として、エキスパートかもしれない。


 僕は知っている。


 彼らが、自分と違うものや、未知のものに対してどう接するのか。


 どのようにして、面白がり、嫌悪し、時には純粋に興味の対象として、

 いたぶってくるのかも。


 僕は慣れているけど、ケンスケはどう?なんて、言葉にしたら

 別の騒動を呼びそうなので、ケンスケの反応を待つことにした。


「……そうだな」


 ケンスケは真剣な面持ちで僕に同意して、


「だけど、今ここにいる皆は、味方だなんだし。

 正直、誰が味方であるよりも一番心強いって思ってるよ。

 それに……俺は、もしそんなことがあっても、

 ユキと一緒にいられたら、大丈夫って思ってる」


「僕も、ケンスケと同じだな。

 周りの人にどうこう言われたり、嫌がらせされたって、

 じゃあ別れようとか、そんなこと思うはずもないくらいに、

 ケンスケのことが大切だから……」


 ケンスケと目を合わせて、微笑みあった。


「ああ、何かあればなんでも相談するんだぞ」


 おじさんが言う。


「そうよ。自分たちだけで悩むよりは、

 いい方法が浮かぶかもしれないしね」


 おばさんも言う。


 泣いていたお母さんもハンカチで涙を拭い、気を取り直したように顔を上げた。


「そうね……、そうよね。そのために、私たち親って、いるのよね……。

 本当に、私ったら……」


 お母さんの卑下を止めるように「まぁまぁ……」と、お父さんがなだめた。


「私たちは、今回、ユキノリからも、フジタさんたちからも、

 教えてもらうばかりだったな……。

 今までの私たちは、確かに恥ずかしい親だったけど、

 これから名誉挽回で、一緒に頑張ろう、な?」


 お父さんが優しい声で言うと、お母さんはまた泣き出してしまったが、

 今度は満ち足りたような、嬉しそうな涙だった。


 そんな様子を見ていると、これから、きっとまたツライことがあっても、

 ケンスケが言うように、本当に乗り越えられるような気持ちになってきた。


 見る人が見れば、時代錯誤なホームドラマのエンディングのような、

 臭い場面なのかもしれない。


 だけど僕は、とてもシンプルに、嬉しかった。


 これが多幸感、というものなのだろうか。


 じんわりとした暖かさに全身も、心も包まれているような、

 不思議な感覚だった。


「みんなに早速、相談があるんだけど」


 声を上げたのはケンスケだった。


 僕も含めて、全員がなんだろうと注目する。


「俺、海外で武者修行しようと思ってるんだ」


 声には誰も出さなかったが、空気そのものが、たった一言を告げていた。


 ハァ?


 ――と。

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