エピローグ

 冬独特の、薄曇りの白い空。


 陽の光は弱々しく、冷えた空気があたりを包んでいる。


 街中ならではのビル風も相まって、コートを着込んでいても

 体温が奪われて身体の芯から冷やされていく。


「寒い……」


 孤独を紛らわせたくて、つい独りごちた。


 いつも多くの人で賑わう駅前だけれど、

 一年の中でも一番のビッグイベントと呼んで差し支えないだろう

 今日、クリスマスという日においては、その比ではない。


 行き交う人は誰しも、寒さなど感じていないかのような

 小春日和の陽射しのように温かな笑顔をたたえ、

 幸せそうに僕の前を通り過ぎてゆく。


 両親と楽しそうに話しながら歩く、

 プレゼントらしい箱を抱えた小学生くらいの男の子。


 溶けてそのまま融合するのではないかと思うくらい、

 ベッタリとくっついているカップル。


 友人数人で、大きな笑い声混じりにワイワイと騒いでいる集団。


 そんな風に、とにかく幸せそうな周囲の人たちと、

 独り凍えながらポツンと通りに立ち尽くしている自分を較べると、

 寒さのせいではなく、身が縮む気がした。


「ユキ!」


 白い息を吐きながら、小走りにケンスケが駆け寄ってきた。


「遅い!」


「悪い、待たせて……」


 ケンスケは膝に手をついて、フゥフゥと呼吸を整えている。


「もー! ケーキも取りに行かなきゃなのに!」


 ちょっと用事があるとは言われていたけど、

 寒空の下、三十分以上も待たされるなんて思わなかった。


「ごめん、ごめんな。予約してた商品を取りに行ったんだけど、

 クリスマスだからか店が混んでてさ……」


 僕の手を取り、「わー、手ぇ冷た。ホントごめんな?」

 言うと、自分のほっぺたに当てて暖を取らせてくれた。


「えい」


 遠慮なく、それでも冷たさを保ったままの両手を、ケンスケの首筋へやる。


 小さく悲鳴を上げて、ケンスケが身悶える。


「はー、あったかい」


「……スミマセンデシタ……」


 男同士のそんなやりとりが珍しいのか、チラチラと好奇の視線を感じる。


 ケンスケもそれには気づいているようだけれど、

 お構いなしに、繋いだ手をそのまま自分のジャケットに突っ込んで微笑んだ。


 さっきまでの怒りはだるま落としのように抜け落ちて、

 僕の心はトキメキで満たされた。


「んで、メインディッシュから買いに行くか?」


 僕の怒りが消えたのを察したのか、明るい声でケンスケが言った。


「……うん、三鷹屋の地下に行こう」


 こういうご機嫌取りも上手になった。


 元々、僕の機嫌を直すのはうまかったけど、

 恋人バージョンのケンスケのご機嫌取りは、

 やたらと僕に刺さるものばかりだ。


「オッケ。金、もらってきたか? あそこって食料品も高いだろ」


 カップル繋ぎで指を絡めあったまま、歩き出す。


「お父さんが作ってくれたカードあるから、大丈夫」


 空いてる方の手で、カードをサッと取り出した。


 お父さんが持ってる黒いやつがカッコよくて、僕もそれが欲しかったけど、

 家族には銀色とか金色のしか渡してもらえないらしい。


 金色はなんだか下品に見えたので、オシャレな銀色のカードにしてもらった。


「げ……、お前コレ……」


 ケンスケが、カードを見て顔色を変えた。


「え? なに? 普通のクレジットカードでしょ?」


「いや、うん……。まぁ、カードはカードだけどもよ……。

 ちゃんと財布にしまっとけよ……?」


「うん」


 よく分からないけど、このカードがどうかしたんだろうか。


 クレジットカードなんて、たまに使うくらいで

 僕もよく知らないしなぁ。


「ところでユキよ。おやじさんは、何色のカードを持ってる?」


「黒いやつだよ。なんか材質も違うぽくて、かっこいんだよねぇ」


「……うん、だよな。ユキ……、俺、頑張るからな」


 ケンスケは、遠い目をしている。


「なに、急に」


「ハァ……、どっかに楽して稼げる仕事ないかなぁ……」


 大きく溜息を吐いて、項垂れるようにしてケンスケが呟いた。


「悪銭身につかずって、知ってる?」


「じゃあ、宝くじか……」


「いいね。隕石に当たるよりは確率が高い」


「高いのか低いのかどっちなんだ?」


 調子良く会話しながら歩いていると、ポケットの中のスマホが震え出した。


「あれ、お母さんだ。……もしもし?」


『ユキくん? もうデパートに着いた?』


 いつもより楽しそうな響きを含んだお母さんの声が、受話口から飛び跳ねてくる。


「まだ。今向かってるとこだよ」


『良かった〜!

 あのね、泉疋屋のフルーツジュース買ってきて欲しいの、みかん味』


「うん、分かった。他は?」


『他は大丈夫! 重いけどごめんねー』


「いいよ。じゃあ、あとでね」


 電話を切ると、「おばさん、なんだって?」

 ケンスケが聞いてきた。


「みかんジュース買ってきて〜、だって」


 お母さんの口調を真似して、クネクネと身をよじらせながら言った。


「ははっ、かなり仲良くなったな」


「まだ、なんとなくぎこちないとこもあるけどね」


 今日は、僕の家でクリスマスパーティをする。


 ケンスケ一家を招待してのクリスマスパーティは、初めてだ。


 母とおばさんで軽食とかの料理づくりを、

 父とおじさんで部屋の飾りつけをしている間、

 僕とケンスケは買い出し係に任命された。


 あの一件から、はや半年。


 我が家にも色々な変化があった。


 父は、海外赴任から国内への勤務へと希望を出し、無事受理されたらしく、

 来年の春からは、十年以上ぶりとなる同じ家での生活がはじまる。


 母は料理教室へと通い始め、掃除や洗濯、アイロン掛けにも挑戦中だ。


 始めてみると面白いのよ、なんて、本人は言っているけど、

 皿やコップは割れてどんどん減っていくし、ちょっとしたボヤ騒ぎも起こったし、

 洗濯機はそこらじゅう泡だらけで止まったし、シャツは何枚焦げたか分からない。


 これが日常茶飯事なものだから、

 僕の家は以前とは違う意味の阿鼻叫喚が轟きわたる、

 コメディやコントに出てくるみたいな家庭になった。


 お父さんも、お母さんの奇想天外な行動(家事)に困り顔ではあるけど、

 どこか楽しそうだし、そんな両親を見る僕の心も穏やかだ。


「ねぇ、君たち二人〜? 私たち、一緒に遊ぶヒト探しててぇ〜」


 デパートへと向かう僕たちに、二人組の女性が声をかけてきた。


 僕とケンスケは、思わず顔を見合わせた。


 「……わりぃ、俺らカップルなんだわ」


 ケンスケが女性たちに見せつけるようにして、

 繋いだ手をフリフリと振ってみせた。


 こうやって他人相手にカミングアウトしたのは、初めてじゃない。


 汚いものを見るような目、蔑むような目、

 驚くような暴言を浴びせられることも多々あった。


 女性たちは、あっけに取られたように呆然としていたが、


「う……」


 呻くように声を出して、ワナワナと震えだしたので、

 何事かと心配した。


 その時だった。


「キャーーーー!」


 黄色い歓声をあげ、目を爛々と輝かせ、二人でハイタッチをしたかと思うと、

 女性たちは何故か僕たちにもハイタッチを要求してきた。


「メリークリスマス!」


「ハッピークリスマス!」


 女性たちは信じられないほど高いテンションのまま言うと、

 二人で肩を組んで「尊い!」などと叫びながら、本当に元気良く去っていった。


「……あの反応は、初めてだねぇ」


 女性二人の嵐のようなテンションに、すっかり気圧された。


 勢いよくハイタッチした手が、まだじんわりと痺れている。


「そうだな……。なんでハイタッチ……?」


 ケンスケもびっくりしたように、手を見つめて言った。


「いい時代になってきた、ってことかもね」




 あらかた買い出しを済ませて、ケンスケが運転する車に乗り込んだ。


 デパートへ行く前よりもさらに厚い雲がかかった空を見ながら、

 ホワイトクリスマスになるかな、なんて期待を寄せていた。


「そうだ、ケンスケ」


 報告しておきたいことがあったんだった。


「僕、来年妹できるんだよ」


「え……、はっ?!」


 赤信号で良かった。


 すごく驚かせてしまったらしい。


「お母さんはまだ気づいてないけど、もうお腹にいるんだ」


「そっか、視えたんだな。……しかしそっかぁ、妹かぁ……、妹なぁ……」


 ケンスケは、苦虫を噛み潰した顔で呟いている。


「もしかして、今から心配し始めてたりする?」


「ん、まぁな……。可愛い子だろうしなぁ……」


 僕みたく、嫌な目に遭いやしないかと気にしているのか。


「まぁ、まず大丈夫だよ。僕がで守るから」


 今の僕には、人ひとりの保護程度、息をするのと同じくらいに容易い。


「お、おぉ……」


「ふふ……、僕の妹に近づこうとする奴をどうしてやるか、

 今から楽しみなんだよねぇ……」


 当時は空想するしかできなかった懲らしめの数々を

 実現できるのかと思うと、本当に楽しみだった。


「目が笑ってない。怖い」


「あっ、いけない。ケーキの箱、握り潰すとこだった」


「だから怖いって……」




「ただいまー」


 ケーキの箱を持って、玄関を開けた。


 車の中は、買い込んだ食料品や菓子で満杯だ。


 何度かに分けて運び入れないといけない量だろう。


 しかし、まずは繊細なケーキを冷蔵庫へと運ぶことが最優先だ。


「ユキくん、おかえりー! お買い物ありがとうねー」


 台所からお母さんが顔を覗かせて、大きな声で言った。


「奥さん! 包丁を持ったまま手を振ったら危ないですよ!」


 一緒に料理をしているおばさんが、

 トリッキーな動きをしたらしい母に注意してくれた。


「あっ! 奥さん! それ、お砂糖ですよ! 塩はこっち!」


 ガシャーン。


 何かが落ちたような音がしたあと、


「きゃー! 手が滑っちゃったわ‼︎」


 細かい粉のようなものがサラサラと流れるような音もしてきた。


 おばさん……、ごめんね……。


「ユキノリ! おかえり! 悪いけどちょっと、ここ持ってくれないか?」


 次は、リビングでツリーにモールを巻き付けているらしいお父さんが、

 脚立の上に乗ったまま僕に声をかけてきた。


「待って! まだいっぱい荷物あるから、運び込んでから!」


「あ、タカヤマさん、私が持ちましょう。ここですね」


 おじさんが、モールの端を持ってくれた。


「ありがとうございます! よし、じゃあこれで……」


 ガチャガチャと脚立が動く音がして、


「わっ危ない!」


 おじさんが叫んだ。


「おおっとぉー」


 迫真なおじさんと比べると、あまりにも呑気なお父さんの声。


 横着をして、脚立ごと移動しようとしてバランスを崩しかけたのだ。


 なんとか倒れずに済んだけれど、あわや大惨事の一歩手前を目撃して、

 僕の心臓は一瞬止まりかけた。


 おじさんは真っ青な顔をして、脚立を押さえている。


 おじさん……、ごめんね……。


 こうしてみると僕らって、生まれつき手のかかる一族なんだな……。


 せめて僕は、ああならないように生きていこう……。


 ダイニングテーブルには、おばさんの尽力が大いにあって完成したらしい、

 綺麗に盛り付けられたオードブルが所狭しと並んでいた。


 ケーキを冷蔵庫に無事しまい込んで、家の前に停めたままの車に急いだ。


「お邪魔しまーす」


 ケンスケが両脇いっぱいに荷物を抱えて、ダイニングにやってきた。


「いらっしゃーい」


 雰囲気にのまれて童心に帰っているのか、

 両親が声を揃えて小さな子供のように挨拶を返した。


 ケンスケは積んであった荷物のほとんどを、ひとりで持って悠々と歩いている。


 よくあれだけの量を抱えられるなぁ。


 袖をめくって、自分の腕を見る。


 なまっちょろい……、という言葉がピッタリだ。


 筋トレでも始めてみようかな……。


 買ってきた食材もろもろを大体片付け終わると、

 大人たちから、用意が終わるまで部屋で休んでおいでと言われたので、

 僕の部屋でケンスケと二人、過ごすことにした。




「ね、そう言えばさ」


「うん?」


 座ったまま後ろから抱きしめられているので、

 ケンスケの相槌が耳元で低く響いて、ドギマギした。


「……あのね、長野から帰ってきてすぐ、夢ができた!って言ってたじゃない?

 どんな夢か、まだ教えてくれないの?」


「まだダメ。もう少し方針が決まってから、お伝えシマス」


 真面目な口調で、茶化してきた。


「えー、教えてくれてもいいじゃんかー、ケチー」


「なんだとぅ。ケチなんて言うやつはこうだ!」


「わ! くすぐったいってば! もう、ケンスケ! っわぁ!」


 くすぐられて、じゃれあううちに、組み敷かれるような形になった。


「……!」


 黙ったまま、見つめう。


 ケンスケの堪えているような顔に、心臓がドキンと跳ねる。


 熱い視線に促されるように、唇を突き出して、ドキドキしながら目を閉じた。


「――……?」


 キスされるものだと思っていたのに、何も触れてくる気配がない。


 目を開けると、ケンスケはサッと身を翻して僕から離れていった。


「ケンスケ……?」


 背中を向けているケンスケに声をかけると、


「ゴメン、キスだけで止める自信がない」


 そっぽを向いていたまま、ボソリと聞こえてきた。


 顔は見えないけれど、ケンスケの耳が真っ赤っかなので、

 途端に僕も恥ずかしくなってしまった。


「……あ。うん、こっちこそ、ごめん……」


 すぐ下の部屋にお互いの両親がいるのに、

 うっかり誘うようなことをした自分が恥ずかしい……。


 気まずい沈黙がしばらく続いた。


 少しだけ熱くなっていた顔と身体が、ちょうど落ち着いた頃合に、


「なぁ、ユキ、話があるんだ」


 急にキッチリと正座をして、ケンスケが向き直ってきた。


「え何、何」


 戸惑ったけど、ケンスケに倣って正座し、向き合った。


 深く息を吸って、呼吸を整えてから、ケンスケは話し出した。


「……ユキ、前に言ってたよな。俺たちの関係って依存かもって」


「うん……」


「あれからちょくちょく考えてたんだ。確かに俺とユキって、

 家族みたいに当たり前にずぅっとそばに居て、

 普通とかっていう基準からすると、少し違う関係性なのかもしれない」


「うん」


「ユキに対して依存心がないかって言われたら、

 正直、今でも分からないんだ」


「……うん」


「でも俺な、あれから、ユキと同じくらいに自分も好きになれたと思うんだ。

 自信なかったり、将来もちゃんと決められずにダメだなって思ったりするけど、

 ユキが好きでいてくれる俺だぞって、自信みたいなのが持てるようになったんだ」


「そっか……」


「し、調べたんだけど!」


 ケンスケの声が急にうわずったので、少しビックリした。


「普通の恋愛でも、依存はするらしいんだ!

 大事なのはお互いに、自分も愛することなんだって。

 着たい服とか、予定とか、仕事とか夢とか、自分のことも大切にして、

 パートナーのことも大切にできてたら、

 依存心があっても、それは理想的な恋愛なんだって!」


 心なしかケンスケは興奮しているようで、早口になっている。


「うん?」


 話の内容よりも、ケンスケの様子が気になった。


 なぜだろう、緊張しているように見える。


「えーと、だから何が言いたいかっていうと、

 その、俺は、ユキが好きになってくれた俺のことも大切にしようって決めたんだ!

 ユキが一番大好きだ!! そんで、俺のことだって好きだ!!」


 ケンスケの勢いは加速し続けていて、止まりそうにない。


 理路整然とは程遠いけど、パッションのこもった告白に、ただ圧倒される。


「お、俺は! 俺を大切にしたままユキを、生涯愛すると誓える!!

 俺の夢には! ユキが絶対に必要なんだ! ユキに居て欲しい! だから!!」


 え、ちょっと待って。


 この感じ、もしかして……。


「だ、だから……こ、これ……。う、う、受け取ってくれませんか……」


 それまでの勢いが急激にしぼんで、

 最後は蚊の羽音のように消えそうなほどだった。


 言葉に詰まりながらも差し出された小箱には、静かに光るシルバーの指輪がひとつ。


 ギュッと固く目を閉じて、小さな箱がより小さく見える大きな身体を

 縮こめるようにして、微かに震えているケンスケの薬指には、

 箱の中にあるものと同じ指輪がはめられていた。


 もしかして、今日待ちぼうけを食らったのは、

 この指輪を引取りに行っていたから……?


「……ケンスケ、あのね」


「……うん」


 ケンスケが叱られた子供のような、しょんぼりした声を出した。


「受け取る前に、聞いておきたいんだけど」


「え! う、……うん?」


「僕にとって、ケンスケの存在って本当に大きいっていうか、

 今こうして僕が生きていられるのも

 ケンスケのおかげだって、結構本気で思ってて……」


 ケンスケは、僕の次の言葉を予想できずにいるのか、

 期待と不安が混ざった、仔犬のような目をして僕を見つめている。


「僕はまだケンスケと比べると、自分のことはそこまで好きになれてないし、

 自分より、ケンスケの方を大切にしちゃうかもしれない」


 ケンスケの両手に包まれたままの箱から、指輪をスッと引き抜いた。


「だからそういう時は、教えて欲しいんだ。自分を大切にしろよって。

 知ってるだろうけど、かなり面倒臭いと思うよ? 僕って。

 ケンスケ、それでもいい?」


 薬指に指輪をはめながら言うと、

 ケンスケの顔がパッと晴れた。


 サイズピッタリ。


 いつの間に指輪のサイズ、調べてたんだろう。


「いい!! もちろん!」


 子供のように喜んで、ケンスケはバンザイした。


「ありがと……。ね、似合う?」


 左手にはめた指輪を見せるように、手の甲をケンスケに向けながら聞いた。


「うん! スゲー似合う!」


 屈託のない満面の笑みで、僕を見てくれるケンスケに愛しさが込み上げる。


 どうしよう、嬉し涙でケンスケの笑顔が滲んできた。


「……ケンスケ、これ、ちょっとサイズ大きいかも」


「え?! ウソ……!」


 驚いて身を乗り出したケンスケの唇に、キスをした。


 ほどなく階下から、僕たちを呼ぶおばさんの声が聞こえてきた。


「ケンスケー、ユキノリくーん! ご飯できたよー」


 子供の頃に憧れていた、“家庭の温かさ”が蘇る。


「ユキくーん、早くー! パーティするよー」


「ユキノリー、ケンスケくんー、ツリーも見においでー」


 お母さんとお父さんの、楽しそうな声もした。


 こんな日が本当に来るなんて。


 おじさんは、きっとそんなみんなの様子を、

 優しく目を細めて、眺めているのだろう。


 あの日夢にまで見た、幸せの群像。


 それが今、想像していたものよりもずっとずっと、

 幸せなものになって実現した。


 みんなの賑やかな声が、祝福の鐘の音のように穏やかで心地よい。


 唇に触れる熱は柔らかな毛布のように、冷えた身体も心でさえも温めてゆく。


 いつからか窓の外を舞っている雪は、

 まるで小さな天使たちがダンスを踊っているかのようだ。


 見るもの、聞くもの、触れるもの。


 世界のすべてが美しく輝いて、キラキラ、キラキラと降り注ぎ、

 僕の後暗い物思いも、心の奥に潜む孤独も、優しく優しく浄化してゆく。


 ケンスケ。


 やっぱり僕は、ケンスケと同じくらい僕を好きになるのは無理かもしれない。


 これほどの幸せを僕にくれたのは、間違いなく君だ。


 そんな君以外を愛すことなんて、できるはずがないんだよ。


 まだまだ、僕が僕を愛することは難しいみたいだ――。




「愛することは難しい。」完

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