第17話 

 この別荘に足を運んだのは、何年前だっただろうか。


 木々から覗く木洩れ日と、空から降り注ぐような野鳥たちの囀りに、清涼な空気。


 夏が始まり暑い日も増えたが、ここは緑陰のおかげで涼やかだ。


 子供の頃は特に思わなかったけれど、

 折を見てまた訪れたくなるような、良い場所だと思った。


 僕んちの別荘は湖畔にあったはずだ。


 ウッドデッキから眺める湖が、綺麗だった記憶がある。


 別荘から少し離れた木の陰に隠れて、様子を窺った。


 丁度、デッキチェアに腰掛けようとしているケンスケの姿が見えた。


 ケンスケとの距離は、まだ三十メートルほどあるのに、

 まるで、すぐ触れられるくらいに近くにいるような錯覚を覚えた。


 視界はケンスケだけを見るためにフォーカスし、周囲の景色がぼやける。


 辺りいったいを騒がしていた森のざわめきや、鳥や蝉の声は一切消えてしまった。


 無意識に、感覚全てがケンスケを感知するために働いているのだと分かった。


 喉が締め付けられるように息苦しいのに、心は熱さと高揚感で満たされる。


 これまで、好まざるも、恋愛ものの映画や小説、

 そういった類のものを目にする機会があった。


 有名どころでは、敵対一族の直系同士の許されざる愛を描いた恋愛悲劇。


 僕はその作品のストーリー展開に納得がいかず、

 あまりにも登場人物の頭が悪い、という感想を抱いたクチだった。


 もう少し冷静に事を運べなかったのかと。


 そもそも安易に自死を選びすぎではないかと。


 今の僕なら、彼女たちの気持ちがよくわかる。


 禁じられていたから、燃え上がったわけではない。


 若さゆえの盲目でもない。


 愛しいあの人に二度と会えないのなら、この命にもはや意味はない。


 呪いや魔術にかけられたように、愛に溺れればそう思ってしまうものなのだ。


 これほどの感情を前にして冷静になどなれるなら、

 この世界に愛など存在しないのだろう。


 実際に、衝動などという言葉では片付けられそうにもない、

 それほどの強い引力で、僕はケンスケを慕い焦がれている。


 昂りを抑えきれないまま、しばし愛しい人がくつろぐ姿を目に焼きつけた。


 一人で歩けるまで回復したようで安心したが、

 見えざるものが見えるようになった今は、

 ケンスケがまだまだ弱っているのが解った。


 やっぱり、まだ直接会うのは厳しいな……。


 ああ、それでも、姿を見たなら声が聞きたい。


 ……触れたい。


 力を使い、姿と声を適当な女性に変えて、話しかけてみようか。


 声はともかく、完全に空想上の容姿を具現するのは難しく、

 僕に似てしまっていては意味がないように思えた。


 SNSで自撮りをあげている人を参考にしよう。


 あまり美人にするのは、なんとなく気に食わないので十人並みの子を参考にした。




 湖を眺めているケンスケにそろそろと近づいて、

「こんにちわ!」

 なるべくハツラツと声を掛けた。


「ん……? あ、はい、……ちわす」

 ケンスケはこちらに気づくと、普通に挨拶を返してくれた。


 聞き慣れているはずの懐かしい声に、目頭が熱くなる。


 良かった。

 喋れるようにもなっている。


「ぼ、わ、わたし、この近くの別荘に遊びに来てて、お散歩してたんです。

 あのー、良かったら少しおしゃべりしませんか? な、なーんて、ハハ……」


 なんだか、とても恥ずかしくなってきた。


 これって、逆ナンパになるんだろうか……。


 僕に脅されて心を病んでた時のケンスケは、

 女性を受け付けないような態度を取っていたけど、今はどうかな……?


「――……」

 ケンスケは無言で、こちらをじっと見つめている。


 何か言いたそうに、すぼめた口をして、

 薄茶色の瞳をピクリとも動かさず、ただただ見てくるものだから非常に気まずい。


 変身は完璧だ。


 どこをどう見られようと、

 僕がタカヤマ ユキノリであることがバレるはずはない。


 もう今更だけど、あまりに不審すぎただろうか?


 街中ならいざ知らず、人里離れた山中の別荘で休んでいるところに

 いきなり知らない女が現れ、声をかけてきたのだ。


 しかし、ケンスケの表情は不審者を怪しむというよりは、

 なんだか不思議そうな顔をしている気がする。


 ほんの少し間が空いて、


「……うん、いいよ。一緒に歩こうか」


 優しく笑ったケンスケを見て、僕は喜びで叫びだしたくなった。


 もう何年も笑った顔を見ていなかったような気持ちだ。


 だいぶ痩せてしまって、まだ少し元気がなさそうだけれど、

 僕の知るケンスケが、そこにいた。


 抱きついて、泣きすがりたい気持ちをなんとか抑え込んで、

 二人で近くの森を散歩することにした。


 足取りもしっかりしてるし、身体の方は問題なさそうだ。


「……君、名前はなんていうの? 俺はフジタ。フジタ ケンスケ」


「あっ、そうだ。ごめんなさい。

 えっと、ええーと、サエグサです。サエグサ マキ」


 焦った。

 気がはやりすぎて、名前なんて考えてなかった。


「ふーん……、マキちゃんは、いくつ? 俺は十九歳」


 年齢は偽らなくてもいいかな。

「十七歳です」


「そっか、俺の幼なじみと一緒だ」


「幼なじみがいらっしゃるんですね……」


「うん、可愛い幼なじみがいるよ」


 冗談めかす感じではなく、普段のトーンで言うものだから、ドギマギして

 飛び上がりそうになるのを堪えるのが大変だった。


 他人には可愛い幼なじみ、とか言うのか……?


「うわっ」

 可愛い幼なじみ発言に動揺し過ぎたせいか、地面に躓いて転びそうになった。


「おっと、大丈夫か? ほら」

 ケンスケが、さっと手を差し出してくれた。


 手を繋いで歩こうということなのか。


 さすがケンスケ、手慣れている。


 なんてスマートな男なんだろう。


「ありがと……」

 大きくて温かい手をとる。


 手なんて繋いだのは、いつぶりだろう、

 小学生の時以来かな……。


 またしても泣きそうになる。


 小鳥が歌う森の中、新緑のトンネルを男女二人が、手をとって歩んでいく。


 お伽噺の王子と姫にでもなった気分だった。


 しばらく、メルヘンに浸っているとケンスケが話しかけてきた。


「……この先に、綺麗な小川があるんだ。そこに行ってみない?」


「はい」


 返事をして、二人で微笑みあった。


 不思議と、いつの間にか距離感が縮まったような気がする。


 こういうところもケンスケの魅力だよなぁ。


 壁がないというか、誰とでもすぐ仲良くなれるっていうか。


 他愛のないお喋りをしながら歩いていくと、川のせせらぎが近くなり、

 水に浄化された、スッキリとした風が流れてきた。


 ネコヤナギや葦の緑がよく茂って、可愛らしい露草もいくつか見られる。


 苔むした岩肌の間をぬって大地を滑る、清らかな流れ。


 川の影響か、あたりには靄がかかっていて、お伽噺の続きのような風景だった。


 丸太を組んだベンチが、川沿いにいくつか置かれていて、

 一番近かったそれにケンスケがハンカチを敷いてくれて、

 座るようにエスコートしてくれた。


 それで僕の肥大した幻想は、萎んで消えていってしまった。


 男のくせに、レディの扱いを受けて喜ぶ自分に気づいて、

 興醒めしてしまったのだ。


 僕が、本当に女性だったら。


 ケンスケもこんなことにならず、誰を傷つけることもなく、

 平和に恋愛できただろうに。


「俺の幼なじみは、すごく優しいやつでね」


 不意にケンスケが話し出したので、僕は暗い思考を止めて、

 隣に座ったケンスケの方を向いた。


 伏し目がちだが、口端は穏やかに微笑んでいるように見える。


 悲しいとも、嬉しいとも取れるような、今までみたこともない表情だった。


「……ちっさい頃から、いつも一緒が当たり前だったから、

 これから先も、一緒にいるのが当たり前みたいに思ってた」


「うん……」僕もだ。


「どっかで、俺と同じ存在……、みたいに思ってたんだと思う。

 その関係に甘えて、自分の気持ちに向き合うこと、してこなかった」


「気持ちって……?」


 つい訊ねた僕の目を、真っ直ぐに見つめてケンスケが言った。


「ユキ」と。


「えっ」

 思わず顔に手をやり、身体を見て、自分の姿を確認してしまった。


 姿は確かに、女性のままだ。


「やっぱりな」

 そんな僕を見て、ケンスケが言う。


「なな、な、なんのこと……?」


 シラを切ろうとしたが、土台無理なくらいに動揺していた。


 何よりケンスケはもう、確信しているようだった。


「最初に見た時から、気づいてた。

 会いにきてくれたんだよな? 俺も、会いたかった」


 バレないだろうとタカを括っていた予想が外れたパニックと、

 ケンスケを口汚く脅迫していた自分の言動が蘇ってきてしまって、

 すぐにでも逃げ出したい気持ちになった。


 逃げようと立ち上がった僕を止めるように手を掴んで、ケンスケが続ける。


「ユキ……! 俺はユキが好きだ」


 嘘だ。


 あの時、僕を拒絶したじゃないか。


 喉がひりつくように熱くなって、何かを押し込められたように苦しい。


 声が出せない。


 訳もわからず涙が溢れて、僕はただ首を横に振り続けた。


「嘘じゃない。本当なんだ」


 僕の疑心を読みとって、

 ケンスケは縋るように言ってきた。


「誓うよ。……俺が馬鹿だったせいで、ユキのこと、たくさん傷つけたと思う。

 もう、迷わないから……」


 ケンスケの目から、涙がこぼれた。


「愛してるんだ……、ユキ」


 引き寄せられていた僕の手にケンスケの涙が落ちたと同時に、

 薄いガラスが割れるようにキラキラと光を放ちながら

 粉々になって、魔法は解けてしまった。


「ケンスケ……」


 もう二度と、名前を呼ぶことも出来ないかもって、怖かった。


「僕も、ケンスケのこと、好きだよ……。ずっとずっと、好きだった」


 子供の頃から、――あの日から、伝えたくて、言えなくて、

 それでも言いたかった言葉。


 お互い、崩れ落ちるようにして、抱き合った。


「ユキ、本当にごめんな……。酷いことして、ごめん……」


「ケンスケ……、謝るのは僕の方だ。嘘みたいな話もするけど、

 ……全部、話すから聞いてほしい」


 僕の魔法に惑わされることなく、感じたことを真実と受け取る強さを持った

 今のケンスケならば、きっと信じてくれるはずだ。


 大きく息を吸って、僕は今までの事情を話し始めた。

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