第14話

 ――さらに二週間後。


「タカヤマくん、イゲ先生が化学準備室まで来て欲しいってさ」


 その日、学校での授業を終えて帰ろうとしていたら、

 クラスメイトに呼び止められた。


「イゲ先生? うん、分かった」


 イゲ先生というワードにクラスの女子たちが反応して

 一斉に何やらヒソヒソと話し出した。


 イゲ先生は学校内でも有名なイケメン教師だ。


 そういったジャンルを好む女子たちの間で

 僕とイゲ先生はカップリングをされているらしく、

 告白してきた何人かに「先生とはどういう関係なんですか?」という

 頓珍漢な質問をされた。


 できる限り否定はしてきたが、それも虚しく今まだそのコンテンツは

 現役のものとしてどこかの誰かを楽しませているようだ。


 好奇の目が集中して居心地が悪くなったので、

 さっさと化学準備室へ向かうことにした。


 でもイゲ先生が一体なんの用事があって僕を呼び出すのか。


 先生の授業を受けているという以外、何の繋がりもないんだけど。


 僕は念の為に防犯ブザーを確かめた。




「イゲ先生、タカヤマです」


「入りなさい」


「失礼します」


 イゲ先生は小さなデスクでノートパソコンを前に、作業をしているようだった。


 狭い準備室の中には色んな資料や教材が詰め込まれていたが、

 イゲ先生が几帳面なのか、そこそこ綺麗に整頓されている。


 ドアは完全に閉めないようにした。


 しかしイゲ先生はすぐさま、

「タカヤマくん、ドアをキチンと閉めなさい」と言ってきた。


「えっ……なぜです……」

 早々に嫌な予感が的中したのかと、すぐ逃げられるように身構えた。


「駅前にはよく遊びに行くんですか?」


 なんの話かと面食らった。


「え、ええ、まぁ……?」


「ああいったホテルにも良く?」


 ――あ。


 ケンスケと女の人、三人で入ったホテルが思い出される。


「ドア……、閉めなくていいんですか?」

 顔色が変わった僕を見て、イゲ先生が窺うように言う。


 迷ったが、しぶしぶドアを閉めた。


「さぁ、もっと奥に来て。あまりドアに近いと、外に聞こえるかもしれないよ?」

 イゲ先生に招かれるままに僕は先生の近くに寄った。


 満足したように、イゲ先生は話だした。


「先生、見てしまったんですよ。

 タカヤマくんと背の高い男性が駅前のラブホテルから出てくるところ」


「……」

 何も言い返せなかった。


 わざわざケンスケが隣町のシティホテルを取ってくれてたのに、

 僕の浅はかな行動のせいで知り合いにも見つかりやすいあんな場所で……。


 僕のせいだ……。


「あの男性とはどういう関係なんです?」


 イゲ先生は興奮気味に立ち上がり、僕の肩に手をやり言う。

「無理矢理に連れ込まれたんじゃないんですか?!」


「……」


 どう言うのがこの場所での正解なのか分からずに押し黙ってしまう。

 先生の目的もイマイチ掴めない。


「見たことも先生しか知りません。他言もしないと約束します。

 先生を信じて、言ってごらんなさい」


 どれだ。


 この場から逃げ出す?

 恋人ですと言う?

 性被害者を装う?


 逃げ出してもまた呼び出されるだけだろう。

 逃げるような不審な動きをすれば話が大きくなって

 他の先生にもホテルの件が広まったりして面倒になる可能性もある。

 なしだ。


 性被害を装う……なんてことして、

 万一イゲ先生が相手の男がケンスケだと把握している、

 これからするようなことがあった場合、

 これまた面倒なことが起こる可能性がある。

 なしだ。


「……恋人です」

 僕はポツリと言った。


「はっ?」

 イゲ先生が素っ頓狂な声を出す。


「彼とは、恋人同士なんです」

 しっかりと言った。


「タカヤマくん……、君……」

 肩に置かれたままのイゲ先生の手がわなわなと震えているのが分かる。


「先生のことは、遊びだったんですか?!」

 泣きながら言い出した。


「はぁ?!」

 次は僕が素っ頓狂な声をあげた。


「ヒドイっ……。先生本気だったのに!」

 この人は一体何を言っているんだろう。


「先生、なにか思い違いをされていませんか……?!」


「だってタカヤマくん! ボクのこと好きなんですよね?!」


「いいえ」


 狙った訳ではないが、やたらキッパリとした口調になった。


「……そんな……」


「先生に恋愛感情を抱いたことは、ありません」


「ヒドイ……」


 先生はドンと僕を突き飛ばすと、キッと僕を睨んだ。


「ふざけんなよ……。いっつもいっつも人をエロい目で見てきたくせに……。

 なんなんだよ質問に来た時の上目遣いとかよぉ……」


「そ、そんなことしてませんよ!」


「いいや! してたね! 物欲しそうな顔でボクを見つめて、

 髪の匂いを嗅がせてきたり、偶然のふりして手を触ってきたり……!」


「そんなことしてません! 先生の勘違いです!」


 僕は全力で否定した。

 だって本当にそんなことをした覚えがないのだから。


「人を手玉に取るのが趣味なのか?! 誰彼構わず色気振りまいて誘惑して……!

 こっちがその気になったらそんなつもりなかったのにって?! 恥を知れ! 男娼め!!」


 イゲ先生は激昂してそう言うと、そのままズカズカと準備室から出ていった。


 ……なんだって言うんだ!?


 僕が普通に振舞っていても、それが誘惑してることになるのか?


 先生に理不尽にキレられて、暴言吐かれるのも僕が原因だっていうのか?!


 僕に一体どうしろって言うんだよ……?


 不意にケンスケの顔が頭をよぎる。


 ケンスケも、僕をああいう風に思っていたんだろうか。


 僕が気付かないうちにケンスケを誘惑してたっていうのか?


 だからケンスケは僕を襲ったのか?


 イゲ先生の言いがかりだと思いたい。


 僕にはそんなつもりないのだから。


 やり場のない憤りをなんとか諫めて、カバンを取りに教室へ戻った。


 もうクラスメイトたちは部活動に行ったり帰宅したりで、誰もいなくなっていた。


 陽が沈み、少し冷やされた風が、

 グラウンドから響く金属バットの快い音、誰かが楽しそうにはしゃぐ笑い声、

 吹奏楽部が練習する管楽器の音色を混ぜ合わせ運んでくる。


 黄昏時の輝くオレンジとその中に消えそうに淡く浮かぶ窓枠の影が、

 いつもの窮屈な教室をとてもノスタルジーな風景にしていた。


 疲れていたせいか、映画のワンシーンのような美しい光景にしばし見惚れていた。


 後ろから、「先輩」と呼びかけられた。


 振り返ると、『あの日』の後輩だった。

 本を貸してほしいと家に訪ねてきたが、ケンスケに怒鳴られて帰っていった後輩。


 そういえばフォローも何もできていなかった。

 怖かっただろうに。


「あ、オオクラ。悪かったな、あの日……」


「いえ……先輩は大丈夫でしたか?

 オレ、怖くて逃げ出しちゃって……。あの人は一体……?」


「ああ……、実は恋人なんだけど、オオクラを浮気相手と勘違いしたみたいでさ。

 もう誤解は解けたから……」


「……先輩、恋人いたんですね……」


「あ、そうだな。最近なんだけど……」


 話してる途中でガシリと腰を掴まれて、オオクラにキスされそうになった。


「な、何すんだよオオクラ?!」

 なんとか手で防ぐことができたが、力では負けそうだ。


「ヒドイっすよ、先輩……オレ、先輩のなんだったんですか」


「何って……?」


「オレ、あの日ついに先輩に触れるって嬉しかったんすよ……!

 家に来ていいって、そういうことでしょう?!」


 イゲ先生に続き、コイツも一体何を言っているんだろう。


「……オオクラ、お前、僕が誘惑したって言いたいのか」


「違うんですか?! オレいっつも堪んなかったんですよ?!

 笑って話しかけられる度に先輩はオレのこと好きでいてくれてるんだって!」


「普通に話してただけだろ……」


「そんな……! オレずっと我慢してたのに!」

 机の上に押し倒された。


「先輩……、一回でいいんです。抱かせてください……! いいでしょ? ね? ね?」


 オオクラはカチャカチャと素早く自分のベルトを外すと、

 僕のズボンにも手をかけてきた。


 もう、なんだって言うんだ。


 これも僕のせいなのか?


 こういう風に僕の意志が無視されるのも、僕が悪いって言うのか?


 僕が誘った?


 物欲しそうな顔をした?


 エロい目で見た?


 ふざけんじゃねぇ、自分の劣情を正当化したいだけだろが!


 こんな奴ら、全員死んじまえ!


 そう思った時だった。


「うわっ」

 いきなり地面に叩きつけられた。


 押さえつけられていた机が急に無くなったのだ。


 今の今まで目の前にいたオオクラでさえも、消え去っていた。


 それどころか、周囲が真っ暗だ。


 天井も壁も、そこに存在しないような闇だった。


 床ですら、自分の身体が接しているから

 これが床なのだとかろうじて認知できているレベルで黒い。


「やぁ、久しぶり」

 声がした方を見ると見覚えのある男性が立っていた。


 立っているというか、浮いてるようにも見えた。

「雑貨屋の……?」

 ケンスケたちと遊びに行った雑貨屋のオーナーだった。


「どうしてここに……?」


「君に会いに来たんだよ」


「僕に……?」


 男性は僕の顎に手をやるとくいと上げて僕の顔をしげしげと見てきた。

「いいけど、もう少しか。さっきの感じは良かったんだけどなぁ」


「……?」


「君、人間嫌いだろ? ずっと嫌な思いばっかりさせられてきて。

 俺も嫌いなんだ、人間。全部消したいなって思ってるんだけど、一緒にどう?」


 普通の人間がこれを言ってたら、今日三回目の一体何を言っているんだろう、

 と思ったはずなのだが、この人が言ってることは理解が出来た。


 この人が出来ることを言っているだけなのだと。


 そしてその理解は僕にひとつの仮定を与えた。


「……アンタ、あの時、僕に何を食べさせた?」


「え、あぁ、これ?」


 フッと男の手のひらの上に

『願いを叶えるキャラメル』と書かれた小さな箱が現れた。


「これは俺サマ特製の誘爆剤」


 箱は宙で渾天儀のようにクルクルと動き続ける。


「誘爆……?」


「起爆剤でもいい。眠ってる魔力を起こして促進させる。

 願い事も叶っただろ? 俺サマ特製だからね」


「願い事……僕の……」






 ――一度でいいから、ケンスケに女の子みたいに扱われたい――


 ――乱暴でもいいから僕をケンスケのものにして欲しい――


 ――ケンスケが僕に欲情して触ってくれている――


 ――それは僕にとって、一生叶うはずのない願いだったから――


 ――「ヒィィッ」――


 ――僕に怪我をさせてしまったことがショックだったのか、

   ケンスケが青い顔して震えている――


 ――「やめてくれ……、俺に触らないでくれ……」――


 ――ケンスケは泣き出して言った――


 ――「じゃあケンスケ、これから毎日、僕を抱いて?」――


 ――ケンスケが最中ずっと泣いてた――






 全て、僕の願いのせいだったのか……――。






「……ねぇどうする? 人間狩りに興味がなければ

 力そのものを貰うからどっちでもいいんだけど」


 パシャリ。

 耳元で水の弾ける音がした。


 ああ、だったな。

 おかげで、思い出したよ。


「――――! 何だよ、急に起きたのか? ……何がトリガーになった?」


「……まったく……。色々と余計なことばかりしてくれて、本当にありがとう。

 嬉しくて、涙が出そうだよ。早速だけど消えてくれない?」


「仲間になる気はない、ってことか? 惜しいよ、ニクシーを役するその力」

 男は身体の周りに炎を纏わせた。


「ヒト様の場所でウダウダやってないで在るべき場所へ還れよ。……迷惑な奴め」

 出来る限りの広範囲に雨を降らせる。


「これはこれは……。起きてすぐだというのに、さすがは賢者様と言ったところか。

 でも、この程度かい……?」


 確かに男の火力の方が勝っていて、雨程度では抑えこめそうになかった。

 男が手を一振するだけで、雨は音を立てて蒸発してゆく。


「なら、これはどう?」

 水流を生み出して男を襲う。


 雨も降らせ続けて波状攻撃で勝機を見出す。


「無理無理。俺と君の力は期せずして相克にある。

 いくらウィザードでも、起き抜けの状態で俺に勝つつもりかな?」


「そうだと言ったら?」

 水流に対抗して男が発生させた火柱を消すように、洪水を湧かせた。


「ロキ!!」

 男が叫ぶと洪水は一瞬で蒸発し、床面が炎上した。


 一面を轟々と生き物のようにうねる炎を見て、僕は雨を止めた。


「どう? まだ戦う?

 さっきも言ったけど、協力するつもりないなら力だけ頂戴するよ」


 僕の動きを降伏と受け取ったのか、男が話しかけてきた。


「協力ねぇ……。今さらこの時代で人間を消してどうするつもりなのさ。

 お前のことも覚えているよ。目的は『夜』の復活だろう?

 この星の生命を全部使っても、ウィッチ一人程度の完全な反魂でさえ心許ない。

 まして、夜ほどの魔女の復活は絶対に不可能だ」


 ピクリと男の眉が動いた。


「…………そうだね、意味と言われればないのかもしれない。

 ただの八つ当たり、復讐ってやつかな……、クク……。

 それでも! やらないと俺の気が晴れないんだよ……!」


「フン、見習風情が一端なことを。神格を使役するほどの力をどこから得た?」


「この国は強いウィッチが多いからね。

 ……もっとも、ウィザード様と比べれば足元にも及びませんが」


 両手を広げ、片膝を折って恭しい挨拶のポーズをして男は言う。


「呆れたことを……。強奪したのか……」


「言ってさぁ、人間に馴染んですっっっかり記憶まで無くして、

 暢気に生きてる君たちにも結構ムカついてんだよ?

 ある程度は思い出せただろ、力を使ってるんだからな。

 それでも人間と生きるつもりか?」


「ああ。僕も含めて今に居る皆は、未来に生きる選択をしたんだ。

 仲間集めは絶望的なんじゃない?」


「もとより期待はしてないよ。

 私怨を独りで果たせないほど、落ちぶれてるつもりもない。

 理解も馴れ合いも必要ない! 全部壊して、塵芥にしてやるよ!!

 俺たちの苦しみに相応しい贖罪を、人間どもに与えてやるんだよ!」


「阿呆らしい。誰よりお前が一番、

 人間の思考に寄り添って近しくなってるんじゃないか?

 短絡的で独善的で……、惨めだ」


「黙れ!!! もういい……! 今すぐ消し炭にしてやるよォ!!」

 両手に炎を集中させて男が僕に飛び込んでくる。


「お前がお喋りと嬲るのが好きなタイプで良かったよ」

 集めたエネルギーを男に向ける。


「愚か! 水では俺の炎に敵わぬぞ!!」


 僕と男の攻撃がぶつかり、瞬間、男の全身が炎上した。


 予期していなかったダメージに驚きの悲鳴を上げて男が叫んだ。

「馬鹿な!! 競り負けただと?! 一体何をした?!」


「過熱水蒸気って知ってる?

 水は液体の状態では百度以上に熱することは出来ないけど、

 蒸気の状態であれば二千五百度くらいまで熱することが出来るんだよ。

 お前の炎を利用して、それを集めて、ぶつけた。

 下準備がバレずに済んで良かったよ。

 エネルギーで勝てるかも博打だったし」


「チィィッ、猪口才な……! これで勝ったと思うなよ……?」


 炎に巻かれながらベタな捨て台詞を吐いて男が消えると、

 帳がスルスルと巻き取られるようにして闇が消え、元いた教室に戻った。


「はぁ……、疲れた……。うわっ」

 足元に下半身を出したまま寝転んでいるオオクラが居て、踏みそうになった。


 あの男の行き先は……、無理か。

 追えそうにないな。

 しかしあの様子ならば、しばらくは動けず回復に専念するしかないだろう。


 僕たちの命懸けの選択を踏みじって力を集めているのだ。

 許される行いではない。


 対応を考えなければいけないだろう。

 が、今はどうしようもないか……。


 オオクラは眠っているだけだったので

 そのままにして、帰宅することにした。




 自室で思い出した力と記憶を辿りながら、思考に耽っていた。


 偉大なる夜の子。


 愚かな男。


 過去に囚われ、最愛の人が望んだ道に砂をかけて

 それでも彼女を求めているのか。


 過去の僕なら、問答無用、一笑に伏して彼を滅していたかもしれない。


 過去の僕は賢者と呼ばれ、

 かの魔女『夜』と共に多くの信仰を集め教義や戒律を説き、

 人々に救いと発展をもたらしていたが、終まで愛を知らなかったから。


 契りを結ぶことは多々あったけれど、あくまで儀礼的なものであったし、

 愛などは所詮、自己の便益や快楽を得るための手段を

 耳触り良く表現しているだけの詭弁に過ぎないとまで思っていた。


 それが今はどうだ。


「フフ……」

 どちらも自分であるはずなのに、

 ここまで思想が違ってしまったことに自嘲を禁じえなかった。


 遥か昔の大いなる記憶を思い出しても、ケンスケへの思慕は

 なんの影響を受けることなく僕の心にあり続けている。


 力を目覚めさせた僕ならば、ケンスケにバレずに会いに行くことは容易なことだ。


 ケンスケに、ひと目でもいいから会いたい。

 愚かだと笑っている自分の一部を黙らせて、明日会いに行くことを決めた。

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