第13話

 僕はその日から、ケンスケのお宅にお邪魔させてもらうことになった。


 ケンスケに会うことは勿論できないし、

 ケンスケの部屋に近づくことも許されなかった。


 お医者さんから、家族以外との接触は特に禁じられているそうだ。


 不安は何も解決していないけれども、

 いつぶりくらいか、とても良く眠ることが出来た。




 数日後、ケンスケが解離性障害と診断されたと聞いた。


 いまだに動くことはおろか、声を出すこともできず、

 耳も目の機能も低くなっているのだという。


 これといった治療法も確立されておらず、

 ただケンスケが安心できる環境で時が経ち改善するのを待つしかないらしい。


 解離性障害は知識程度には知っている。


 酷い虐待や戦争での戦闘体験などで

 強いストレスにさらされたことが原因で起こり、

 耐えられない精神的ダメージから逃れるために

 外部からの刺激をシャットダウンしている状態だ。


 予想はしていたが、眩暈がした。


 僕は、どうやったら償える?

 そもそも僕なんかが、償うことができるんだろうか?


「大丈夫、お医者さんも大多数の人が治るものだと仰ってくださっているから」


「ユキノリくんも祈っていて」


 おじさんとおばさんが僕を気遣って言ってくれた。


 この人たちはどうして僕なんかに優しくできるのだろう。


 僕のような人間が優しくされるのが許されていいのだろうか。


 息をするのもおこがましい。


 僕の命が消えることでケンスケが確実に元の元気なケンスケに戻るのなら、

 喜んで死ぬのに。




 三度開かれた両家の会合でも、ケンスケの診断結果が報告された。


 父と母は一様に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 ケンスケの治療により良い環境が必要だと言う話になり、

 僕の家の別荘が候補に上がった。


 僕たちの家から車で二時間ほどで行ける、自然に囲まれたログハウス風の別荘だ。


 日常の喧騒から離れて、きっと良い療養になるだろう。


 ケンスケ一家は全員で別荘へ移住が決まったが、

 平屋ということもあり、僕は連れて行けないことになった。


 おじさんとおばさんが僕が実家に戻ることに対して

「お願いしますよ」と父と母に念を押していて、

 どっちが本当の両親だろうとぼんやり思った。


 会合が終わって三人で家に戻る際も両親は特に何も言うことなく、

 静かに僕の後ろを歩いていた。


 一週間程だったが、久しぶりの実家。


 これといって、特に感慨はなかった。


 コンコンコン。


 することもないので自室で勉強をしていたら、ノック音がした。


 ヨシエさんが食事ができたと伝えに来てくれたのだろうとドアを開けたら、

 母だった。


「ご飯、食べよう……?」


 珍しい、というか母が食事を知らせてくるなんて初めてなのでは。


 そしてこの申し訳なさそうな態度は何なのだろう。


 ダイニングには父親も居た。

 ムスッとした顔で、テーブルに着いていた。


 愛人関係を暴露しただけに非常に気まずい。


 母が気づいてなかったのも、父がバレてないと思っていたのも計算外だった。


 数年に一回帰宅した時、女物の香水の匂いをプンプンさせていたし、

 仕事の件と言いつつ女性へ電話していたのが明らかだったし、

 母に渡す訳でもない女性向けブランドの紙袋を携えて赴任先へ出発していたし、

 露骨な人だなと思っていた。


 もはや周知の事実なのだと思っていたのに。


「みんなで食べましょう……」

 母が恥ずかしそうに言うと、テーブルに料理を並べはじめた。


 箸より重いものを持ったことがないとはこういうことなのか、

 カタカタと小刻みに震える不安定な手つきで配膳している。


 メニューはハンバーグとコンソメスープだった。

 しかし添え物の野菜は不揃いで、ハンバーグもどことなく不格好で、

 焦げすぎな感じが一目で分かった。


 ベテラン家政婦であるヨシエさんが作ったものではないことは明らかだった。


「これ……?」

 驚きつつも確認してみた。


「ヨシエさんに教えて貰いながら作ったんだけど、どうかな……」


 やはり母の手製だった。


 そして三人での食卓、これも初めてだった。


 反省、ということなのだろうか、両親が僕に歩み寄りをしてくれているのか。


「い、いただきます」

 揃うことなくバラバラに挨拶をして、

 手さぐりな空気感が漂うディナーがはじまった。


 カチャカチャと皿と金属が擦れる音だけが広いダイニングに響く。


 スープはコンソメも塩味も足りなくて、ほんのり味のついたお湯のようだ。


 ハンバーグは焼く前の混ぜ合わせが不十分だったせいか、

 味がまばらで焦げの味が全てに勝っている。


 添えてあるニンジンはサイズが揃っていないせいで

 火が通っていないものがあった。


 全員が黙って食べているが、顔色から全員が

「まっず」と思って食べているのが分かった。


 ふと父の顔が視界に入った。

 生焼けのニンジンにあたったようで、すごい顔をして噛み砕いていた。


「……プッ」

 思わず笑ってしまった。


 自分が笑われたのだと気づいた父が

「食事中になんだ! はしたないぞ!」と顔を赤くして怒り出した。


 それを見た母が慌てて

「ごめんなさい! ごめんなさい! 美味しくないよね!」と早口で言う。


「う、いや……、そ、そんなことは……」

 父がどもる。


 少し空気が解れたのを感じて、僕は姿勢を正して言った。

「お父さん、お母さん」


 再び空気がピリッとして、

 父と母も僕の言葉に耳を傾けてくれているのが分かった。


「この前はごめんなさい。……言い過ぎた。

 今日はご飯を作ってくれてありがとう。一緒に食事をしてくれて、ありがとう」


「……ふぎぃ……っ」


 突然、奇妙な声を上げたのは父だった。


 顔を上げて片手で目の辺りを覆い、噛み締めるように泣いていた。

「うぐっ……ぐぅっ……ぶぁああああ」


 こらえられない、というように鼻水を垂れながら父が大声で泣き出して、

 僕も母もびっくりした。


 いつも感情的な母ではなく父が泣き出したのにも驚いた。


「ぶえええええん……ごべんなぁぁぁぁぁ……ユギィごべんなぁぁぁぁぁ……」


 ――ユキ、ごめんな――


 もう顔を隠すこともなく肩を落として濁流のように涙と鼻水を垂れ流し

 大の男が号泣しているので、どうしたらいいのか分からず母を見たら、

 真剣な面持ちで母が言った。


「ユキくん……ユキノリ……、今まで本当にごめんなさい。

 フジタさんご夫婦と一緒に家から出て行くユキノリの後ろ姿を見て

 私たち、すごく、反省しました……。

 ユキノリの親でいられなくなるかもって、それがすごく怖くて……。

 これからは親としてきちんとできるように頑張ります……、から、

 どうか、赦してください……」


 プライドの塊のような母が、身体を折りたたむように深深と頭を下げてきた。


「ごべんなぁぁぁぁぁユギィィィ」父はひたすら謝罪を叫びながら泣いているし。


「ふえええええん」父につられたのか、母も声を上げて泣き出してしまった。


 ここは保育園か何かなのか。


 二人とも一向に泣き止む様子がない。


「ちょっともう! 二人ともそういうとこだよ!

 収拾つかないじゃないか! 僕が困るでしょ!!」


 大人二人に、しかも親にマジ泣きされてどうしたらいいのか困惑してしまい、

 テーブルを叩いて怒ってしまった。


「……! ずまん……!」

「……! ごべんなざい……!」


「ほら、ご飯食べよう。冷めちゃうよ」


 その後も最初と同じように沈黙が続いたが、

 ぎこちなかった空気はなくなっていった。


 目に涙を溜めてモグモグと食事する両親を、内心面白いなと思って見ていた。


 食事を終えて、お風呂に入った。


 あの父と母が食器洗いまでしたのだから、今日は本当に異常記念日だ。


 ゆっくりと湯船に浸かりながら、お父さんもお母さんも、

 もっと早くこうしてくれてたら良かったのにな……と考えていた。


 ――いや違う。


 僕ももっと早く伝えるべきだった。

 伝わらなくても、伝える努力をするべきだったんだ。


 憑き物が落ちたように頭が冴えてきた。


 無性にケンスケに会いたくなった。


 今なら、間違わずにケンスケに伝えられる気がした。


 でもまだ、ストレスの原因である僕が会いに行くのは無茶なことだろう。

 せっかく良くなってきてるらしいケンスケに悪い影響を与えたくない。

 もう少し、もう少しの我慢だ。

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