第10話

 罰が当たったのだと思った。


 これは、ケンスケをいいように扱って傷付け続けた僕に、

 下るべくして下った罰なのだと。


 僕を乱雑に扱い酷い暴力で脅し怖い顔で暴言を吐くこの人は誰?


 ケンスケ?

 これがあのケンスケ?


 一体どうしてこんなことに?


 馬鹿、全部僕の仕業じゃあないか。


 世界で一番僕を愛してくれた人を、自分の欲求を満たすために脅迫して

 好きなように利用して狂気に追い落とした。


 気づいていながら、それでも離れる選択をしなかった。


 自分で全部ぶっ壊したんだ。


 自業自得だ。


 でもケンスケ。


 君はこのままじゃいけない。


 どうしたら君を、僕が大好きだったケンスケに戻せるだろう。


 ケンスケのおじさんやおばさんが愛して愛して

 大切に育てたケンスケに戻せるだろう。


 あんなに温かで幸せな家族なのに。


 僕みたいな異物が混じって悪さしたせいで、大事なケンスケがこんなことに。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 矮小でありながら忌むほど粗悪で有害な自分が図々しく生きていることを

 繰り返し謝罪した。


 痛みと衝撃で意識を失いかけていたが、

「うちの子になにするの!! このゴミ!! 死ね!! 殺してやる!!」


 半狂乱な叫び声が聞こえて、ふわりと僕の身体に布がまとわりついた。


「ママ……?!」


 母親が喚きながらスーツケースを振り回していた。


 スーツケースが開いて、中身を散らかしながらケンスケの頭や身体にぶつかる。


 ドガドガと痛そうな音が響くのに、

 ケンスケは両腕をだらんと下げたまま微動だにしない。


「死ね!! 死ね!! ゴミ!! 死ねぇ!!」

 母は泣きながら呪いの言葉を吐きスーツケースでケンスケを殴り続ける。


 ゴンっと鈍い音をたてて、ケンスケが後頭部から倒れた。


「ダメだママ!! やめて!! ケンスケが死んじゃう!!」


 僕は必死で母親を止めたがすごい力で暴れ続ける。


「殺してやるーーーーー!! 死ねぇーーーーーーーー!!」


「ママー! やめてよーーー!」


 気が狂ってしまったように叫ぶ母を押さえるので精一杯だった。


 そのうちに、騒ぎを聞きつけてケンスケのおばさんが駆けつけてきた。


 時間をあけて、ケンスケのおじさんも。


 驚き、悲しみ、緊張、憎悪で混沌とした状況は、速やかに収束とはいかず、

 鮮やかに開いていた花が夕闇とともに萎れ閉じゆくように、

 ゆっくり、ゆっくりと落ち着いていった。


 ケンスケは、おばさんと自宅へと。


 おじさんは僕と母親のそばに残ってくれた。


 散々暴れた母は僕を抱きしめたまま幼児返りしたように泣いていたが、

 平静を取り戻すとおじさんに「警察を」と言い出した。


「ママ?! ケンスケは悪くない! 合意の行為だったって言ってるじゃないか!」


「ユキくん……!! 平気よ?

 ママが絶対に守るから、本当のことを言っても危ないことはないのよ?」


「違うよ、ママ! 僕はケンスケを愛してるんだ!」


「ユキノリ!! 滅多なことを言わないで!! いいから、ママの言う通りにして……!」


 おじさんはオロオロと、どうしたらいいか困っているようだった。


「…………警察なんて呼んだら、僕は自殺するから」


「何を……?!」


「嘘だと思うなら今証拠を見せるよ」


 サッと台所へ急ぎ、包丁を掴んだ。


「やめなさい!!」

 すぐ後を追ってきていたおじさんが、僕から包丁を奪った。


「僕は本気だ。絶対に警察なんて呼ばないで」

 おじさんの目を射抜くように見つめた。


「分かった。約束しよう」

 おじさんが言ってくれた。


「ちょっと何を勝手な!」


「奥さん、ユキノリくんは本気です。

 ……ケンスケが酷い暴力をふるったのは明らかですし

 勿論出頭をさせるつもりです。

 しかしユキノリくんがこう主張する以上、今日のところは通報は……」


「そんなの信用できないわ!

 自分のところの息子を逮捕させないようにするつもりでしょ!!」


「ママ!! 言っておくけど僕だって警察に捕まることしたんだよ!!」


「なっ……、何を言ってるのユキくん……。ユキくんは何も……!」


「ケンスケを脅迫して肉体関係を強要した! 合意を取らずケンスケを犯した!」


「ウ、ウソよ! ユキくんがそんなことするはずないわ!」


「……ママが信じようと信じまいと事実だよ。

 警察が来るようなら、僕は今言ったことも全て話す」


 母親はヘナヘナとその場に座り込んだ。


 おじさんにも本当のことを話さねば。


「おじさん……、ごめんなさい……。僕はケンスケに……」


「いいよ、ユキノリくん。もう夜も遅いから、また明日以降に話を聞く。

 ……ケンスケの様子も気がかりなんだ。

 今日はもう休みなさい。身体を温かくして……、いいね?」


「……はい」


「また後で私か妻が様子を見にくるからね」


「はい……ありがとうございます……」


 おじさんはいつもの優しい顔とは違う、

 悲しそうな顔で僕の頭を少し撫でると帰って行った。




 ぼうっとする頭を起こそうとシャワーを浴びに、

 脱衣場に立ってやっと気がついた。


 顔も身体も、至るところ青アザだらけだった。


 確かに、合意を訴えても信用される訳がない状態だ。


 掴まれた左腕にはしっかりと手形が付いて内出血している。


 ケンスケの暴力的な態度や声を思い出してしまい、座り込んだ。


「いたぁ!」

 下半身に激痛が走った。


 ジンジンとした痛みが薄らぐと、反比例するように泣きたくなってきた。


「うう……うっ……うっ……」

 自分でもどういう涙なのか分からなかった。


 全ての感情を集めた塊に心臓が下敷きになったように苦しく、

 どうしても止められない涙だった。


「ユキくん……? あっ」

 母親が脱衣所に来たようだった。


 母はくすんくすんと泣きながら、

 うずくまって動かない僕にタオルをかけて背中を撫でてくれた。


 風呂から上がると、湿布や包帯をして手当までしてくれた。


 ずっと『母親らしくない』と思っていた母の、

 母親らしい愛情に初めて触れた気がした。

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