第4話 ジャパニーズ・マフィア


 翌朝の正午、帯広市西三条のある歩道沿いに停められた車の後部座席に、新形陽介はそっと乗り込んだ。

 運転席にスーツ姿の男が乗っていた。男は新形を薬の売人に誘った張本人だった。スーツの下には倶利伽羅紋々が彫られている。男はサングラスを外し、顔のわりに愛想のある笑顔を浮かべた。

「よう、最近、景気良いらしいな」

 新形は浮かない顔をしていた。無理に苦笑いして、「っすね……」とだけやっと声に出した。

「なんだ、しょげてやがるな。二日酔いか?」男は手を差し出した。「昨夜までの売り上げ、出せ」

 新形はすぐに応じず、自分の膝をじっと見つめていた。だが、覗いてみるとその目は焦点が合っていなかった。男は脅しの時と同じ喉の使い方で「おい」と言った。

「すいません」新形は真っ青な顔で、震え声を出した。「しょうがないんです……こうすれば、俺のことは見逃してくれるっていうから……すいません、本当すいません。でも、俺、ああもう駄目だ」

「は?」男は嫌な予感がした。「てめぇ、まさかサツに……」

 運転席のドアから物音がした。男が急いで振り向くと、外に恰幅の良い男が立っていた。

「チッ! 新形てめぇ、サツにチクりやがったな!?」

 巨漢はドアを開けようとしていたが、ロックがかかっている。

「あれ、閉まってる」

 エンジンキーに手を伸ばした男は、外に居る巨漢の声に思わず静止してしまった。

(何語だ? サツじゃない……?)

 巨漢は拳を振りかぶった。「しょうがねぇ」燈実は中国語でそう言うと、巨大な拳で窓ガラスを突き破り、中の男の胸ぐらを掴んだ。

「おらよっ」

 燈実は男を窓から引きずり出した。暴れる男の顔面を数度殴り、黙らせた。

 車の後ろに、一台のワゴンが停まった。燈実は男を担ぎ、ワゴンに運んだ。新形が恐る恐る車から出て、燈実たちの顔色を窺った。

「あ、あの……俺もう、行ってもいいですか……?」

 ワゴンの助手席から鼬瓏が降りた。鼬瓏はすたすたと近づき、「ああ、いいよ」と言って新形の顎と頭頂部を手で挟み、首をへし折った。



「軍事国家たるこの大日本帝国で、何故ヤクザが……つまりジャパニーズマフィアが勢力を拡大し続けることができたかというと、宗教関連の取り締まりに力を入れ過ぎて他に手が回らなかったからだ。ヤクザの取り締まりは警察が、宗教関連は軍が、と役割分担をしていたが、俺たちがそうであるように裏社会の人間はグレーゾーンを行き来するのが得意だ。警察は軍を嫌っているしね。ある程度の反社会活動は黙認しているわけだ。実際、ヤクザが捌く薬やら女やらよりも、街中で突然発生する通り魔や暴走車の方が社会的にずっと脅威だ。彼らが裁かれない理由は実にシンプル……『目立たない』から!」

 北見市内のとある、取り壊し予定の廃校の教室。鼬瓏は使い古された黒板にチョークで図を描きながら話した。秀英たち五人の部下と猿轡を嚙まされたスーツの男は、生徒よろしく席に着いて教壇の鼬瓏を注目していた。

「そんな日本ヤクザが目を付けたエクセレントなビジネスがある。それが宗教団体の運営だ。もちろん、この国でこれをやるのはリスキーだしガッチガチに危ない。でもリスクの無い商売なんて無いだろう? それに運営と言っても、倶利伽羅紋々を彫ったチンピラが念仏を唱えるわけじゃない。要は教会の株主にあるってこと。宗教は金が集まるからね。ちなみに、ヤクザが彫ってる刺青は仏教的デザインが強いけど、別にそれを崇拝しているわけじゃないから取り締まりの対象にはならない。美術として宗教的要素を扱うことは許されているからね。ごく僅かながら、寺や神社が美術品として遺されているのもそういうこと」

 燗流や燈実がぱちぱちと拍手した。

「流石鼬瓏さん」

「アニキは物知りだな~」

 鼬瓏が描いた三角形の頂点には、それぞれに該当する組織名が書かれていた。ヤクザと秘密寺と葬儀屋だ。

「こんなわかりやすい一例もある。ヤクザが葬儀屋に隠れ仏教徒の客を斡旋する。仏教徒はヤクザのバックで好きなように活動ができ、葬儀屋はそのおかげで儲かる。そして両方から仲介料や謝礼を貰う。これが今、日本ヤクザにとってベターになりつつあるビジネスだ。宗教関連なんて軍が怖くて誰も手を出せない。だからこそ敢えて踏み込み利益を図る。最大の魅力は利益の独占ができることだ」

 ヤクザを頂点としたピラミッドの隣に、鼬瓏は新たな名前を書いた。中国語だったが、スーツの男にも字面から何のことか察することができた。

「そして、やっぱり仏教徒の中にも居るよねぇ……これ」

 これ、と言ってチョークで叩いたのは、『獣兵解放軍』の文字だった。鼬瓏は『獣兵解放軍』と仏教徒とヤクザの文字を太い線で結んだ。

「夕張から逃げた三匹の獣人の一匹は、本州を目指した。本州はまだ北海道ほど獣人の動きに機敏になってないからね。逃げるなら今がチャンスだ。でも正規のルートじゃ当然、海を渡ることはできない。そこで『獣兵解放軍』が頼るのは、正規じゃないルートを知っている人間……ヤクザだ。常に危ない橋を渡ってるこういう輩たちにとっては、危ない荷物が一つ増えるだけってことなのよね。『獣兵解放軍』及び仏教徒が金を払うというなら、それはもうビジネスだ。なんなら、請け負ってるヤクザたちは獣人を運んでいるという自覚さえ無いかもしれない。むしろ知らない方が安全かもね」

 鼬瓏はチョークを置き、教壇の真正面に座らせたヤクザの男を見下ろした。燈実に殴られた所為で片目が腫れて塞がっている。鼬瓏は火傷の無い顔の片側だけを微笑ませ、日本語を用いて穏やかに尋問した。

「指定暴力団朝口組の二次団体で、帯広に拠点を置く千堂会。本州へ渡るならば『獣兵解放軍』が頼るのはまずあんたたちだ。仕事柄ねぇ、俺たちはこういうことに鼻が利く。『こいつらやってるなぁ』って、わかるんだよ」

 鼬瓏は懐からバタフライナイフを取り出すと、黒板のヤクザの文字を一刀両断した。

「しかし千堂会もまた一枚岩じゃない。表向きに看板掲げてる事務所に居る奴ら、あいつらは汚い仕事とは無縁だね。千堂会はクリーンな仕事をする部門と、裏の仕事をする部門に分かれてるねぇ。あんたと同じように一人攫ってみたけど、密航ルートのことなーんにも知らなかったんだ。当然と言えば当然だよね。寺を運営している組織が表立って動いているわけがない。つまりヤクザ事務所を隠れ蓑にして、もっと深い所で潜伏してるんだ。香港にもねぇ、似たような組織は腐るほどあるよ。で、あんたは薬を捌く裏の仕事担当ってわけだから、同じように裏の仕事を担当しているお仲間のことも知ってるよな? 密航を仕切っている人間……つまり獣人を匿っているのが誰なのか、だいたい見当がつくんじゃないかな?」

 男は荒い息を溢し、拘束を解こうともがいた。隣の席に座っていた秀英が立ち上がり、男の机に多種多様なペンチを並べた。汗だくになる男に、秀英は尋ねた。

「どれがいいか、選べ」

 後ろの席に居る泰然が男の背中に足を乗せ、背凭れに体重をかけて椅子の前足を浮かせた。

「安心しろよ、俺は全部差し歯だけど、歯が無くても案外喋れるもんだよ。歯茎で噛めばものだって食えるし」

 男は鼻水と涎をだらだらと垂らした。鼬瓏は肩をすくめ、世間話でもするような調子で言った。

「でも、無くなる歯は少ない方が良いよね? 俺たちも時間が惜しいしさ。じゃあ秀英、始めちゃって」


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獣は還らない 闘骨 @kuragetsu

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