第12話 スピード
北見リアソンホテル裏手の北四条通に回り、雲田は左右を急いで振り向いた。敵は居ない。通行人は銃声が鳴るホテルを、遠目から不審そうに眺めている。
道路の左側からエンジン音が轟いた。リリアを庇ってM4カービンを構えると、一台の乗用車が目の前に停まった。
「乗れ!」運転席に居るジゼフが怒鳴った。
助手席にはカルロスが居た。雲田はリリアとイリスを後部座席に乗せ、背後を確認してから自分も滑り込んだ。
「逃げるぞ、出せジゼフ!」
急いた声を出すカルロスに、雲田は尋ねた。
「どこに逃げる!?」
「今はここから離れる! 二人は無事か!?」
「イリスは気絶してるだけだ、リリアは撃たれた。軽傷だが手当てした方がいい」
「君もかなりボロボロに見えるが」
「私のことは気にするな」
頭上からガラスが割れるようなパリンという音がした。ジゼフが車を急発進させた直後、つい今まで雲田たちが居た路上に何かが落ちた。
ガラスの破片とともに着地した人影は、まるで黒いヒグマが巨体を起こすかのように立ち上がった。足音で判断したのか、それともただならぬ気配を感じたのか、リリアが顔を苦渋に歪めた。
「またあの人だ……!」
バックウィンドウから雲田が目にしたのは、充血した眼でこちらを睨むフランシスだった。よもや五階から飛び降りて来たというのか。
「走れ」雲田は悲鳴のように叫んでいた。「飛ばせジゼフッ!」
「わかってらッ!」ジゼフは素早くギアチェンジを重ね、速度を増していった。
フランシスが走り出した。
北方面へ向かった車は交差点を左に曲がり、銀座通を直進した。好都合にも青信号で、車通りは少なかった。リリアがイリスの容態を手触りで探っていた。額から流血していたので、雲田はドアポケットに入っていたタオルをイリスの傷口にあてた。この車は多分、カルロスたちが一般車を拝借したものだった。
雲田は再びバックウィドウを見た。まさにその時、交差点を急カーブしたフランシスが現れ、爆走して追いかけて来た。
加速、加速。フランシスはどんどん速くなる。今しがたジゼフが追い越した車を、フランシスも追い越した。
「冗談だろ……!」
雲田は思わず運転席のシートを蹴りつけた。
「もっと飛ばせ! 追いつかれるぞ!」
「任せろって!」
フランシスは陸上選手の如き見事なフォームで疾走している。髪から汗と血の雫が散り、高速で回転する足がアスファルトを叩く。
駄目だ、速過ぎる。フランシスと車の距離はみるみる縮んでいた。
「化け物が!」雲田は堪らず悪態を吐いた。
人外の膂力を誇るフランシスは、同時に人外の走力をも持ち合わせていた。その走る姿は人間というより、獲物を追跡する猛獣だった。
フランシスの手が、トランクに触れかけた。ジゼフがハンドルを切り、次の交差点を右折した。フランシスは曲がり切れず、伸ばした手は空振りした。
フランシスはなおも走るが、速度に乗った車に徐々に引き離された。小さくなるフランシスを見届け、雲田は安堵のため息を吐きながら前を向いた。ジゼフは軽快にハンドルを捌き、対向車を躱して追い越しを繰り返した。ミラー越しにフランシスの走りを見ていたジゼフも、暫く速度を緩める気にはならなかった。
「さっきのはフランシスか?」カルロスが固唾を呑んだ。
「化け物だよ」雲田は顔の汗と血を袖で拭った。「あいつ……時速40キロくらいなら平気で追いついてたな」
北五条通の交差点を通過しようとした雲田たちの車に、右方向から突っ込んで来た車が激突した。後部に激突を受けた車両は前輪を軸に回転し、車内に居た人間は凄まじい衝撃に襲われた。
車は交差点のど真ん中で半回転していた。シートベルトをしていなかったので、雲田は後部座席でひっくり返っていた。カルロスとジゼフも、ドアや窓に頭を打ちつけ呻いている。こめかみを押さえながら、ジゼフはエンストした車のエンジンキーを回した。
「くそ! 信号は青だったぞ……!」
飛び出してきた車は、雲田たちの車と向かい合うようにして停車していた。カルロスはその車の運転手を見て、瞠目した。
マーガレットが乗っていた。彼女は車から降りると、こちらにMP5A5を発砲し始めた。
ジゼフとカルロスは咄嗟に頭を下げた。弾丸がボンネットを跳ねる。リリアと絡まっていた手足をようやく解いて起き上がると、雲田はドアを開けてマーガレットに応射した。
マーガレットはヘッドライトが破損した車の陰に隠れる。エンジンがかかり、ジゼフは急いで車を発進させた。マーガレットが来た方の道路へ駆ける。後部のナンバープレートに、マーガレットの撃った弾が当たった。
「追うわよ、フランシス」
見向きもせずにそう言い、マーガレットは運転席に乗った。
追いついたフランシスが、迷わず助手席に乗り込む。ドアを閉じる前に、マーガレットは発進した。
マーガレットと北見リアソンホテルから離れるために、ジゼフは北側を目指して走った。ドリフト気味にカーブし、中央大通に差し掛かる。バックミラーに、同じように急カーブして追跡するマーガレットの車が映った。しかも、助手席にフランシスのおまけ付き。
後輪の右側がパンクしていた。おそらくさっきマーガレットにぶつけられた時だ。対してダメージの少ないマーガレットの車は、順調に加速を重ねて接近していた。
「しつこい……!」
雲田はM4カービンをフルオートに切り替えた。
一方、マーガレットはMP5A5のスリングを外して隣のフランシスに渡した。
「撃ちなさい」
「了解」
フランシスもまた、セーフティを弾いてフルオートにした。
雲田は後部ドアの窓から身を乗り出し、30メートル後方を走る車両を銃撃した。銃弾を避けて姿勢を低く落としたマーガレットの頭に、砕けたフロントガラスが降りかかる。フランシスはそのままフロントガラスごと、前を走る車を撃った。
車内で雲田は叫んだ。「頭を下げろリリア!」
バックウィンドウが弾け飛ぶ。リリアはイリスを抱きしめて弾丸の嵐をやり過ごした。カルロスが助手席の窓から半身を出し、拳銃で応射する。
前を走る車に追突しそうになり、ジゼフは急いでハンドルを切った。中央線の真上を走り、対向車とサイドミラーがぶつかった。左車線に戻ったが、またすぐに追い越すために反対車線にはみ出さなくてはならなかった。
道路が混雑し始めた。ジゼフが抜け道を見定めようとする一方、マーガレットはギアを五速へ上げた。
「揺れるわよ、フランシス」
アクセルをべた踏みする。タイヤが水飛沫を巻き上げた。
歩道に乗り上げて先行車を三台追い抜くと、対向車線まで一気に横断し、その前方に居たトラックを躱した。マーガレットは薄闇のなかを駆けるヘッドライトを的確に捉え車体を躱す傍ら、雲田たちの車を決して見逃さなかった。さながら野原を駆けるチーターのように、機敏に方向転換を繰り返して進路を遮る車を躱す。速度は80キロをキープした。
「追いつかれるぞ!」
ジゼフがバックミラーを一瞥すると、後続車を追い抜き、とうとうマーガレットが追いつこうとしていた。背後につくと、フランシスが銃撃を再開した。パンクした後輪は相変わらず地鳴りのような悲鳴を上げていた。
雲田はタイヤを狙った。運転席側のタイヤがパンクしたが、マーガレットはぶれた軌道をすぐさま修正した。対向車線の車列が途切れた——来る。
急加速して対向車線に飛び出し、マーガレットは車を横付けした。フランシスは弾切れしたMP5A5をマーガレットに渡し、ドアを開け放った。マーガレットが車間を縮める。雲田がフランシスを撃とうとした時、M4カービンも弾切れを起こした。
フランシスが雲田たちの車に飛びついた。ルーフによじ登るフランシスをカルロスが車内から撃ったが、拳銃弾はフランシスの鋼の肉体にとって豆鉄砲同然だった。
ジャンプスケアを多用するホラー映画の如く、フロントガラスの前にフランシスの顔が逆さに映った。マーガレットが車体をぶつけて来た。進路が歩道側へずれた。
割れたフロントガラスから手を伸ばし、フランシスがハンドルを掴んだ。ジゼフの握力を一切無視し、フランシスは無理矢理ハンドルを切った。マーガレットのタックルが追い打ちをかけ、両車は左方にある小公園に侵入した。
ハンドルを左へ全開に切った雲田たちの車は、公園の中心にある噴水の上で半回転した。その横っ腹にマーガレットがタックルすると車輪の片側が浮き上がり、ジゼフの奮闘も虚しく車は横転した。
真っ逆さまになった車は、ルーフでコマのように回転して止まった。フランシスは車から振り落とされ、地面に叩きつけられた。
マーガレットは傍に車を停め、リロードしたMP5A5を手に降車した。足下の水溜まりがばしゃっと鳴った。外灯に照らされた雨は、白い線となって何本も降り注ぐ。マーガレットの金色の髪は瞬く間にびしょ濡れになった。波紋を描く水溜まりをマーガレットは踏み進む。
逆さの車内からカルロスとジゼフの呻き声がする。タフな男たちだ。先に殺しておいた方が良いだろう。マーガレットはカルロスたちがいきなり飛び出してきても対処できるよう、車体から数メートル間隔を空けた場所にしゃがんだ。車内を覗き込み、運転席に居るカルロスに狙いを定めた。
ちらっと、後部座席の方を見た。少女と女が居る。獣人のイリスとリリアだ。二人とも気絶していた。死んでいなければいいが、とマーガレットは思った。カルロスに目を戻そうとして、マーガレットはもう一度後部座席を見た。
もう一人の少女が——雲田が、居ない。
「銃を下ろせ、グリーンベレー」
背後から若い女の声が言った。この雨のように冷ややかな声だった。足下の水溜まりを見る。背後に立つ雲田の、波紋に揺れるシルエットが映っていた。雲田は拳銃をマーガレットの頭に突きつけていた。
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