第11話 スナイパーズ

 五階。応答の無いフランシスのもとに向かうため、客用階段を迂回して階下に降りたマーガレットは、504号室の前で対峙する部下と雲田の姿を認めた。部下を救うために引き金を引くことを、彼女は一瞬たりとも迷わなかった。

 リリアが雲田を庇い、弾が外れた。発砲する前に、リリアはコウモリ譲りの聴覚でマーガレットの気配を捉えたようだ。とするとやはり、あの女は獣人で間違いないらしい。

(なんとしても捕らえなければ……)

 雲田が応射して来た。マーガレットは姿勢を低く落とし弾道を逃れながら撃ち返した。

 雲田は潔く銃撃を諦めると、リリアを連れて504号室の中に駆け込んだ。マーガレットはフランシスのもとへ急いだ。

「マーガレット……!?」

 ようやく立ち上がったフランシスは上官の姿に驚き、不甲斐なさそうに眉をひそめた。504号室から、窓ガラスが割れる音がした。雲田は外の足場に逃げるつもりのようだ。

「時間切れよ」マーガレットは冷たく言い放った。

 腕時計のタイマーが〇五:〇〇を表示し、さらに一秒経過しようとしていた。フランシスは苦虫を嚙み潰したような顔で壁を殴りつけた。マーガレットは平静に、部下たちに指示を下した。

「任務終了。即時撤退。ターゲットは逃がした。繰り返す、ターゲットは逃がした。各自迅速にエリアから離脱すること」

 フランシスは俯き、悔しそうに床を睨みつけていた。マーガレットはもう一度時計に目をやってから、フランシスの首に指をあてた。脈が速い。針の痕が増えている。既に追加の獣兵薬を投与したようだ。よもや、フランシスが人間相手に苦戦するなどとは思ってもみなかった。

「……フランシス」

「はい」

 マーガレットはいつもと変わらぬクールな調子で尋ねた。

「あなた、まだ動ける?」

「?」

 フランシスが顔を上げた。暗視ゴーグルを外し、マーガレットはフランシスを直視した。あの日、家族が眠る墓地でフランシスに道を示した時と同じ、まっすぐな目で彼女は見つめてきた。

「残業よ」フランシスの肩を乱暴に叩き、暗視ゴーグルをかけ直した。「追いなさい」



 ピーターのイヤホンに、撤退を命じたはずの上官の声が再び響いた。

「ドッグ1」

 マーガレットはピーターにのみチャンネルを繋いでいた。仲間の退路に障害がないか、スコープを覗いてチェックしていたピーターは、内心では次なる指示を望んでいたので彼女の声にすぐに食いついた。

「なんでしょう?」

「足場から獣人を連れた例の少女が降りてくるわ。少女は武装しているわ。撃ち殺しなさい。大人の獣人は、足なら撃っても構わないわ」

 ピーターは口をにやりとさせた。お安い御用。足の左右を指定されても、ピーターは指示通りに狙撃する腕前があった。

「了解」



 雲田はイリスを担ぎ、先導して足場の階段を降りていた。片手でM4カービンを構えながら、後ろに居るリリアに話しかけた。

「リリア、怪我は平気か?」

 マーガレットの弾は二の腕を貫通していた。リリアはハンカチで腕を縛り、力強く頷いた。

「大丈夫。フクロウこそ、血だらけだよ」

「私は平気だ。イリスも気絶してるだけだ。問題はここからだ、外に出たら狙撃手の的になる」

 足場は誰とも遭遇することなく降りることができた。カバーを少しめくって外を覗くと、正面玄関の前にワゴンが停まっている。好都合だ。これを陰に外に出られる。

「リリア、私の服を掴め。走るから、離れるなよ」



 足場を覆う白いカバーが不自然に動いた。正面玄関のすぐ近く、ワゴンの陰に何かが駆け込むのをピーターは見逃さなかった。念のため、彼は仲間に確認をとった。

「玄関に居るやつは?」

 誰も応えない。ピーターは「オーケイ」と言い、狙撃態勢に移った。

 隠れた人影はまだ、ワゴンの陰から出ていない。車体を盾にしているつもりだろうが、無駄だ。ピーターは引き金を絞った。



 雲田はワゴンの中に倒れていた死体を目にして、凍りついた。『信ずる者を救う会』の戦士の体に、信じられないほど大きな穴が空いている。弾はワゴンの前方から運転席を貫通し、後部座席の戦士を撃ち抜いていたのだ。

「対物……!」

 突如、彼方から飛来した弾丸がワゴンのボンネットを貫き、雲田のすぐ足下のアスファルトに沈み込んだ。銃声が轟く。雲田は急いでリリアを屈ませた。

「フクロウ、逃げないと!」

「待て、今のは当てる気が無い。私たちを車の陰から出させるつもりだ」

 フランシスはイリスとリリアを殺さず、連れ去ろうとした。その場で殺すことが目的ではないということ。ワゴンごと雲田たちを撃ち殺すことも可能だろうが、それをしなかったのは無闇に撃って殺してはならない相手を殺さないためだ。

「殺したいのは私だけか」

 雲田は肌にあたる雨の強さと、風向きに意識を集中した。それから、銃声の方角。

「イリスを頼む」

 リリアにイリスを預け、雲田は尋ねた。

「さっきの銃声がどこから聞こえたか、正確にわかるか?」

 イリスを抱きしめたリリアは、少し逡巡してから答えた。

「雨の所為で不確かだけど……たぶん、あそこから」

 リリアは南南西の方角にある、周りの建物より背の高いアパートを指さした。距離はだいたい、250メートル前後か。M4カービンを単射に切り替え、雲田は呼吸を落ち着かせた。

 本当ならスコープも欲しいところだが、仕方ない。

 雲田が持つM4カービンの有効射程はおおよそ500メートル。狙って撃てない距離ではない。問題は視界が最悪であることと、この強雨だ。それらを全て計算したうえで、狙撃しなくてはならない。

 再び狙撃手が発砲した。ワゴンのヘッドライトが吹き飛んだ。雲田はアスファルトに空いた穴とワゴンの傷から、弾道を逆算した。銃弾は直線ではなく、緩やかな放物線を描くように飛ぶものだ。距離と角度からして、狙撃手が居るのはおそらく——屋上。

 雲田はサイドミラーに銃身を乗せ、狙撃手が居ると思われるアパートの屋上を狙った。

「私が撃ったら、イリスを担いでホテルの裏に走れ」

「フクロウが囮になるってこと?」

「狙撃を妨害する。一か八かだけどな。やるしかない」

 何かを言いかけたリリアが、ふと何かの音を聴き取ったかのように空を仰いだ。真っ黒な雨雲に耳を澄まし、リリアが呟いた。

「空から、何かが……」

「!」

 雲田はリリアのその言葉に、賭けることにした。

「すぅー」雲田は深く息を吸い、ぴたっと止めた。

 雲田の時間は、心拍に応じて加速した。瞳の水晶は可能な限りの光を吸い込み、線を描いていた雨が、時が遅れるにつれて明瞭な雫へと変化していった。

 屋上に微かに見える黒い影。あれが本当に狙撃手ならいいのだが、間違っていたら雲田は撃ち殺されるだろう。部の悪い賭けだ。

 雲田は計算に合わせ、照準を調節した。

 その時、空から眩いばかりの光が瞬いた。夜を覆す、日の出と見紛うほどの強い光。

 雷だった。

 空を穿つ雷光は分厚い雨雲さえも貫き、暗闇に濡れる街を照らした。雲田の眼に、アパートの屋上に腹這いでスナイパーライフルを構える男の姿が、映った。光るスコープと銃口の穴、男の顔まではっきりと。

 引き金を引く指に、殺意が宿った。雲田の目的が、陽動から抹殺へと転じた。雷光で露わとなった狙撃手に照準を直し、撃った。



 弾丸が、ピーターの肩を掠った。

 ワゴンの陰から銃を構える雲田を、ピーターは今まさに狙撃しようとしていた。引き金を絞り切ろうとしていた人差し指が、止まった。左肩にじわりとした痛みと、熱い感触が広がる。

「……嘘だろ?」

 雲田が構えているのはカービンライフルだ。確かにこの程度の距離ならば狙撃も不可能ではない。不可能ではないが、まさか当ててくるとは——。

 ワゴンの後ろから、人影が走って飛び出した。ピーターは照準をそちらへ移し、足を撃とうとした。

 雲田が撃った二発目の弾が、ピーターが覗いていたスコープを撃ち抜いた。スコープのエレベーションダイヤルが弾け飛び、破片がピーターの顔に突き刺さった。

「ぐあ!」と呻き声を上げ、ピーターは後方に身を反らした。

 破片の一部が瞼に刺さっていた。まともに狙えたものじゃない。射線から外れようと床を這いつくばって引き下がり、ピーターはマイクに叫んだ。

「こちらドッグ1、撃ち返された! 狙撃できない! 繰り返す、狙撃不可!」

 深呼吸して興奮を鎮めつつ、ピーターは手袋を脱いで瞼に刺さった破片を抜いた。幸い、眼球に傷は付いていない。が、利き目の方に血が染み込んでとてつもない不快感が残った。高い集中力を要する精密射撃など、できたものではない。

 ピーターはバレットM82から破損したスコープをもぎ取り、肉眼でホテル前のワゴンを注視した。スコープを通さない視界は信じられないほどおぼろげだったが、雲田は既にワゴンの陰から姿を消していた。

「ファック!」

 ピーターは叫んだ。


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