第5話 05:00
北見リアソンホテルの主電源が落とされる直前、ホテル内外にて警備にあたっていた『信ずる者を救う会』の戦士たちは、カルロスから要警戒の指示を受けていた。電気が落ち、瞬時にブレーカーが押さえられたことを察知した戦士のハンクスは、待機していたエントランスから制御室のある地下へと急いだ。
記憶した見取り図と壁を伝う手の感覚を頼りに、ハンクスは障害物を避けながら走った。エントランスに居るホテルマンの慌てた声が、暗闇から聞こえる。ブラジルの田舎出身のハンクスは幼少時代、街灯の無い夜の闇の中を兄弟たちと隠れんぼして過ごしていたため、夜目に慣れやすい体質だった。
暗闇に目が慣れ、視界が不確かながら確保できるようになった頃、ハンクスはスタッフオンリーのドアを抜け、地下に行くドアへ辿り着いた。グロック17を片手に持ちつつ、ハンクスはスタングレネードを取り出し、安全ピンを抜いた。頭の中で三つ数え、ハンクスは素早くドアを開けてスタングレネードを投げ込む。
爆音と閃光が弾け、中に居る侵入者を怯ませたはずだった。ハンクスはグロック17を構えながら、一度閉じたドアを蹴り開けた。
果たして、電力制御室に居た黒ずくめの装備に身を包んだグリーンベレー隊員は、全くと言っていいほど怯んでいなかった。アメリカ陸軍の特殊部隊隊員は、投げ込まれたスタングレネードへの対処法を心得ていた。加えて最新の装備——遮光性に優れたゴーグルと、ヘルメットに搭載された爆音に反応して音をシャットアウトするヘッドホンが、キャット3の五感を正常に保っていた。
グリーンベレーのキャット3ことデンゼルは、素早く構えたMP5A5の三点バーストをハンクスに浴びせた。暗視ゴーグルを作動する暇は無かったが、足音とシルエットからハンクスの背丈を予想するのは容易だった。ハンクスの胸と顔が弾け飛び、グロック17が虚空を撃った。
数秒息を潜ませてドアの外に新手が居ないことを確かめると、デンゼルはハンクスの死体を跨いでエントランスへ出て行った。
「一階、一名撃破」デンゼルは咽喉マイクを通し、部隊へ報告した。
レストラン日向飯屋は、北見リアソンホテルの裏手にあった。ホテルとは一階が繋がっており、宿泊客の食堂としても機能していた。そんな日向飯屋の窓から屋上に身を乗り出したグリーンベレーのドッグ2ことサニーは、ワイヤーを窓枠に引っ掛けて隣接する北見リアソンホテルの外壁を駆け上がった。
MP5A5で銃撃し窓を割ると、サニーは屋内に転がり込んだ。暗視ゴーグルを装着し、緑色に着色された廊下を駆け抜ける。足音を殺し、尚且つ素早く廊下を走ったサニーは、雲田たちが借りた503号室の手前までものの三十秒で辿り着いた。
その隣の504号室から、『信ずる者を救う会』の戦士が二人出て来た。どちらもアジア系で、M4カービンを装備していた。
サニーは腰を落とし、廊下の床に滑り込みながら戦士二人を銃撃した。暗闇から発砲を受けたアジア系のイレスト教徒たちは、血飛沫にマズルフラッシュを反射させ、白い光に照らされながら崩れ落ちた。
しゃがんだ姿勢のまま、サニーは開いたドアから504号室に銃を構えた。室内に居た三人目の戦士が、サニーを銃撃した。サニーも撃った。暗闇の中に見えたのは、白人の男だった。
叩きつけるような衝撃と痛みが胸に走り、サニーは思わず後ろに倒れ込んだ。ボディアーマーが銃弾から体を守ってくれていたが、衝撃までは完全に緩和できない。息を詰まらせながら、サニーは顔を上げた。
「ぐぶぅ……!」
呻き声を漏らした白人の戦士の胴は、真っ赤に濡れていた。サニーの視界には緑と黒しか映らなかったが、血を流しているとわかった。弾は肺にも当たっていたらしい、戦士は滝のように吐血していた。
傷を押さえてふらつきながらも、戦士は手にしたAK-47を落とさなかった。その顔から闘志が消えていないことを見て取り、サニーは再び銃を構えた。
「神よ我に力を!」
絶叫し、戦士はAK-47をサニーに向けた。互いに発砲し、銃声が重なって轟いた。
ホテルの中では、他の階からも複数の銃声が轟いていた。闇に溶け込む黒ずくめの装備に身を包んだグリーンベレーの隊員たちが、『信ずる者を救う会』と『獣兵解放軍』を次々と排除し、イリスとリリアのもとへ接近していた。
主電源が落ちてから一分が経過した北見リアソンホテルの前に、一台のワゴン車が駆けつけた。北方面から来たワゴンは反対車線へ侵入し、ホテルの正面玄関に横づけするように停車した。
後部ドアを開け、暗視ゴーグルを装備した『信ずる者を救う会』の戦士が飛び出そうとした、その時だった。
一発の弾丸がフロントガラスごと、運転手の胴を撃ち抜いた。弾丸はさらに運転手の体と座席を貫通し、今まさに降車しようとしていた戦士をも狙撃した。
後部座席に居るもう一人の戦士は、まだ姿が見えなかった。しかし狙撃直後に、動揺したのだろう、運転席と助手席の間から慌てて動く爪先をほんの一瞬だけ捉えることができた。ピーターは戦士が居る場所を予想し、狙撃した。
ピーターの弾は正確に、車内に居る戦士の胸を撃ち抜いていた。
「こちらドッグ1、ワゴン2に乗っていた三名を撃破。正面玄関にワゴン2が停車した。走行不可にしておく」
腹這いになったピーターが構えているバレットM82は
ピーターはワゴン車のタイヤを狙撃し、走行不能にした。それから徒歩で外を巡回していた戦士が一人、ホテルへ近づいていたため、射殺しておいた。
バレットM82の有効射程は2キロメートルだ。キロスナイパーであるピーターにとって、300メートルと離れていない位置からホテル付近の敵を狙撃するのは朝飯前だった。
『信ずる者を救う会』は確かに素人ではない。個々が優れたスキルを持っていることは認めよう。日本軍が手こずるのもわかる。
だが、真の精鋭との間には越えられない壁がある。彼らが屈強な戦士なら、我々は機能的に粛々と任務を遂行するマシーンだ。人とマシーン、果たしてどちらがより確実にミスのない仕事こなすか? 差とはそこにある。
「さて、こっちもそろそろ来る頃だな」
ぼそぼそと独り言を言いながら、ピーターはレッグホルスターからベレッタM9を抜いた。うかうかしては居られない。狙撃手の位置を察知した敵が、殺気立ちながらここへ駆け上がって来るはずだから。
電気が落ちたその瞬間、カルロスは仲間たちに怒鳴っていた。
「隣へ急げ!」
ジゼフが隣室へ走ろうとしたのと同じタイミングで、フランシスが振り向きベレッタM9を発砲した。ドアに届く寸前でジゼフは床に伏せ、辛うじて銃弾から逃れられた。
自らの意思で急激に瞳孔の縮まったフランシスには、ジゼフたちよりも遥かに早く、闇の景色を視認できた。フランシスが606号室を銃撃して牽制している隙に、マーガレットはエレベーターに向かっていた。
エレベーターは昇降できないように細工していた。マーガレットは箱の床に置いていた旅行ケースからMP5A5とグレネード、ボディアーマーの装備一式を取り出して身に着けた。数秒で装備を終えると、マーガレットは廊下に戻った。
「ラビット2、ターゲットを任せるわ」
マーガレットが小声で告げた命令は、無線を通してフランシスのイヤホンに聞こえていた。フランシスと入れ違いにマーガレットが前進し、606号室を銃撃した。
暗視ゴーグルを通したマーガレットの緑色の視界に、606号室に引っ込んでいくジゼフの片足が見えていた。ターゲットが居る605号室のドアは、閉じられたままだ。マーガレットが近づくと、606号室からジゼフが腕を出して応射した。マーガレットはドアの対面側にある曲がり角に身を躱し、ジゼフと撃ち合った。
マーガレットが頭を引っ込めた直後、目の前の壁が弾け飛んだ。狙いが良い。あの黒人、カルロスの右腕なだけはあるわね、とマーガレットは思った。グレネードを握りつつ、マーガレットは腕時計を確認した。
タイマーが〇一:三〇になろうとしていた。グリーンベレーがこの作戦に要する時間は五分と限られている。マーガレットは部下が時間内に任務を達成できるよう、最も脅威となるカルロスを抑えておかなければならなかった。
606号室の室内でFNP90を構え、反撃のタイミングを窺っていたカルロスはマーガレットの銃撃が止んでから数秒の、奇妙な沈黙に違和感を覚えていた。ぞわりと、直感に近い寒気が彼を襲った。
「ジゼフ、そこから離れろ!」
とかく、カルロスの勘は理屈抜きにして当たることが多い。ジゼフは反射的にカルロスの指示に従い、ドアを離れた。
次の瞬間、マーガレットが投げたグレネードが壁を跳ね返ってドアの前に落ちた。床にダイブするジゼフの頭上を跨ぎ、カルロスは担いだソファをグレネードに向かって放り投げた。
激しい銃声の応酬の後、隣室から爆発音が聞こえた。グレネードの爆発音だと、雲田はすぐにわかった。
「きゃっ」イリスの小さな悲鳴が聞こえた。
雲田はイリスとリリアに、ベッドの傍で伏せるように指示した。
「リリア、イリスから離れないでくれ!」
「わかった」
「雲田さんどこ?」
盲目のリリアにとって暗闇の状況など関係無かったが、イリスにとって暗闇は恐ろしい森の追跡劇を思い出させるスイッチだった。雲田はぼんやりと見えるイリスが伸ばす手を握り、居場所を報せた。
「大丈夫だ、ここに居る」
山賀がソファをドアの前に置き、バリケードにした。山賀は街灯の光が微かに差し込む窓を振り向いた。
「工事の足場から外に出よう!」
その提案には雲田も同意したいところだったが、先ほどから外で鳴っているスナイパーライフルらしき銃声が気になった。足場の中はシートで隠れているため狙撃される可能性は低いと思われたが、シートの外に出たらアウトだ。間違いなく狙われる。それに、足場を利用して上階に侵入しようとする敵が居てもおかしくない。既にホテルのあちこちから銃撃戦の音がしていた。今まさに、足場からこの部屋に敵が飛び込んで来るかもしれないのだ。
「先行してくれ」雲田は山賀に頼んだ。「イリス、リリア、立て。私について来い。イリスはリリアを放すなよ、絶対に」
山賀は女装のために着ていたスカートを脱ぎ捨てた。インナーの上に巻いたレッグホルスターから銃剣を抜き、AK-47に装着する。部屋の中央を縦断し、山賀は慎重に窓に近づいた。
606号室の方から再び銃声が鳴った。カルロスたちは生きているようだ。反射的に雲田は606号室側の壁を見たが、途端に、リリアが反対の壁を指さして声を上げた。
「そっち!」
「!?」
ミシリ。
リリアがコウモリ譲りの人間離れした聴力でいち早く捉えたその音を、雲田は一拍遅れて耳にした。次第に、その音は大きくなった。
ミシミシミシ。
雲田が振り向いた、まさにその時だった。604号室側の壁を突き破り、黒いスーツ姿の女が突入して来た。壁にヒト一人分の穴が空き、壁紙の裏面が露わとなり、破片が飛び散った。
「!?」
「なんだと!?」
雲田と山賀は、車がスピードをつけて突っ込んで来たのではないかと錯覚した。そんなはずはない、ここはホテルの六階である。隣は同じ間取りの宿泊部屋だ。ならば獣兵か? あり得るとしたらイノシシ型獣兵か、あるいはヒグマ型獣兵。しかしそのどちらでもない。
壁を破壊し、現れたのはただの人間だった。それも銃器や何かを伴っているわけでもない、生身の女だった。
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