第4話 ブラックアウト

 何のためにアメリカ軍は『獣兵解放軍』に札幌獣兵研究所を襲撃させたのだろう。そのことで、アメリカ軍が果たしたい狙いとは何だ?

 アメリカは戦後より先進国のなかで唯一、獣兵の軍事利用に否定的だった。日本軍から獣兵薬を購入した世界各国が獣兵を配備するなか、アメリカ軍だけは一切獣兵を生産しなかった。現在もアメリカ国内では獣兵利用は禁止されており、国際社会にも獣兵の廃止を訴えかけている。

 アメリカが獣兵の存在そのものに否定的な構えを貫く最たる理由として挙げられるのは、第二次大戦末期に大日本帝国軍が投入した獣兵によってアメリカ兵が多大な損害を被った歴史があるためだ。敗戦間近まで追い詰められた大日本帝国軍は土壇場で挽回し、戦場に居る兵士のみならずアメリカ国民を人質にして休戦条約までこぎつけたのである。

 当時、大日本帝国軍が実戦投入した「獣兵爆弾」と呼ばれる、空から大量の獣兵を投下する作戦は、仮に民間人に向けて行われた場合、数千人規模の被害が予想された。これは当時のアメリカ軍が投下を検討していた原子力爆弾に威力に匹敵するか、或いは上回る脅威だった。

 圧倒的優位に立っていたにもかかわらず、敵国の脅しに屈した事実はアメリカにとって汚名以外のなにものでもなかった。

 アメリカは断固として獣兵を忌むべきものと謳っている。アメリカ国内の、獣兵利用に対する世論も毎年反対意見が七割を占める。

 そのため、秘密裏に獣人兵の開発を行っていた札幌獣兵研究所の襲撃をアメリカ軍が支援することは、特に不思議なことではなかった。雲田が腑に落ちないのは、『獣兵解放軍』の目的とアメリカ軍の目的が、絶対に一致しないことだった。

『獣兵解放軍』はイリスやリリアという獣人を保護し、自由の身とすることが目的だ。アメリカ軍が、それを容認することはありえなかった。獣人兵など、獣兵以上にアメリカが看過しない禁忌の産物だ。

 本音を言えば、獣人などという奇天烈なもの、アメリカは核を落として獣兵研究所ごと地上から消し去りたいはずだった。コピー生産を目論む他国ならばまだしも、アメリカが獣人の検体を欲しがる理由は皆無だった。

「……してやられたな」雲田はぼやいた。

 日本軍が開発した獣人を研究所から奪い、アメリカ軍がやろうとしていること……雲田の予想が正しければ、これは最悪の事態に他ならない。だがアメリカ軍の目的として考えられるのは、それしか無かった。

 ドアの前に立ち、覗き窓から廊下を監視している山賀に話しかける。

「この部屋に武器はあるか?」

 横目に雲田を見て山賀は言った。「ベッドの中にあるはずだ」

 雲田はマットレスを持ち上げ、木枠との隙間に隠してあったAK-47を取り出した。マガジンに弾薬があることを確かめて装填し、隣室に響かないよう静かに槓桿を引いた。もう一つのベッドにも、AK-47が隠されていた。

「雲田さん?」

 リリアと隣り合ってベッドに座っていたイリスが、困惑した顔で見ていた。研究施設の狭い世界しか知らないイリスに、海の遥か彼方の大国が送り込んだ特殊部隊の話などしても、理解できるはずはない。ただ、きっと歓迎できない誰かが訪ねて来たのだということしか、イリスとリリアは理解していなかった。

「イリス、リリア。上着を着ろ」

 出来ることなら、一から全てを説明してやりたかった。もっとゆっくりと、世界に数人しか居ない同族にようやく会えた彼女たちに、語らう時間を上げたかった。

 だが、どうやらそんな時間は無い。何故、雲田たちがホテルに到着した直後にマーガレットたちが訪ねてくることができたのか? その理由を考えれば自ずと状況は読めてくる。

 イリスとリリアは、互いの手をぎゅっと握り合っていた。聴覚の鋭いリリアには、隣室の会話が聞き取れていた。起ころうとしていることを悟って、リリアは寂しげに、イリスを抱き寄せた。

 山賀にAK-47を一丁投げ渡し、雲田は装備を検めた。ブローニングハイパワー一丁と、予備のマガジンが三つ。AK-47の予備マガジンは一つ。フォールディングナイフ一本。まずい、マチェットはホテル内を移動する際に目立つため、下の部屋に置いてきた。取りに行く暇は無い。

 内心の危機感を悟らせまいと、雲田はイリスに力強く頷きかけた。自分を激励するためでもあった。

「走る準備をしておいてくれ、二人とも」

 イリスを怖がらせないために、雲田は難しい言葉を選んだ。

「私たちは既に袋の鼠だ」

 マーガレットが、グリーンベレーが何の準備もせずに身を晒すなどありえなかった。



 雲田が抱いたのと同じ危惧に、カルロスは思い至っていた。マーガレットの自信に溢れた整った顔立ちを見据え、彼は遺憾そうに眉間を寄せた。

「私たちはまんまと釣られたわけだな。夕張から、リリアのことはずっとマークしていたわけだ。すぐに捕らえなかったのは、いずれ他の獣人……つまりイリスたちと合流することがわかっていたから。ターゲットである獣人が集まったのを見計らい、一網打尽にする腹だったんだな?」

「一網打尽だなんて」マーガレットは肩をすくめた。「人聞きが悪いわね。ただ、私たちは最適な機会を窺っていただけよ?」

「同じことだ。君たちに監視されていることにも気づかず、私たちは今夜のこのことここへやって来た。我々が『獣兵解放軍』と協力していることは、先月の報道で全世界に知れ渡っている。我々『信ずる者を救う会』の存在も、君たちの想定内というわけだ」

 マーガレットは声のトーンを落とし、カルロスの言葉を無視した。無駄な会話をする気は無い、と意思を表明していた。

「私たちには、あの獣人の所有権があるわ。何故なら私たちの協力が無ければ、『獣兵解放軍』は襲撃を成功させることなど出来なかったのだから。私たちの功績と言ってもいいくらいね。あなたたちは、後から出しゃばったに過ぎないの。そこの『獣兵解放軍』の末端兵士も、無知な使い走りに過ぎない」

 マーガレットの碧眼は、その色の通り冷たい水のように室内に居るカルロスたちを見回した。彼女の徹底した尊大な態度は、暗にお前たちなどいつでもどうにでも出来るのだと、宣告しているようなものだった。

「もっとわかりやすく言った方が良いのかしら? カルロス・ベルサーニ。これは命令よ。隣の部屋に居る獣人を、こちらに引き渡しなさい」

 間髪入れずにカルロスは問い返した。「君たちに渡した後、彼女たちはどうなる?」

「あなたには関係の無いことだわ。テロリストなんかにはね」

「承諾し兼ねる」

「何故?」

「君らに協力した同志を、君たちが手ずから殺したからだ」

 マーガレットは眉を吊り上げた。

 カルロスは首に提げた十字架を握り、指で撫でた。瞼を伏せ、顔をしかめる。彼の中でずっと引っかかっていたことが、マーガレットのおかげで解決した。必ずしも彼が望んだ答えではなかったが、カルロスは辿り着いたその答えを決して無視してはならなかった。

「デイビッドを殺したのは、君たちだな?」

 カルロスは瞼を開き、敵意の目でマーガレットを睨みつけた。十字架を握った拳を強く固め、彼は怒りを静かに吐き出した。

「夕張で彼が自殺したと聞かされた時、私は信じられなかった。仲間を遺して彼が自ら命を絶つことなど、ありえないとね。ようやくわかったよ。君たちが彼を始末したんだ」

「何のことかしら。ねえ、フランシス」マーガレットはくすくすと笑った。

 フランシスは終始無表情のまま、カルロスの鋭い視線を見つめ返した。カルロスの老いた顔には、青筋がくっきりと浮かび上がっていた。

「彼はめっぽう私のことを嫌っていたがね。私は彼に好感を持っていたよ。彼が誠実な男だからだ。仲間が捕まった後、悲惨な拷問に遭うことがわかっていて、自分だけが逃げるような真似を彼は絶対にしない。拳銃自殺など、最も程遠い死因なのだ、彼にとっては」

 デイビッドは馬鹿ではない。マーガレットたちの目的も、おそらくわかっていたはずだ。利用されているとわかった上で、手のひらで踊らされることを選択したのだ。

 そうしなければ——そうすることしか、イリスたち獣人を解放する方法は無かったから。

「最後、土壇場で君たちはデイビッドに裏切られたのだ。君たちがそうしようとしていたように。獣人を引き渡す手筈を無視し、デイビッドは仲間に預けた。デイビッドは君たちにとって反乱分子だ、生かしておく理由はないだろう。『獣兵解放軍』の中で君たちの存在を知る者たちも、同様だ。彼らが捕まった後、君たちのことを暴露すればアメリカ軍の関与が国際社会にも発覚するからだ。この場に、君たちの関与を知っていた人間が一人も居ないことが証拠だと思わんかね?」

 この場に現れ、アメリカ軍を名乗った時点で、マーガレットたちの方針は決まっていたのだ。彼女たちは最初から、誰一人として生かして帰すつもりがない。もし穏便に済ませることが出来るのならばそうしたい、というだけのこと。言うなれば、マーガレットとフランシスは最後通告を渡しに出向いたのだった。

「君たちアメリカ軍の目的は、獣人の抹消だ。獣人を試作段階でこの世から抹殺するために、君たちは『獣兵解放軍』を利用したのだ」

 カルロスはマーガレットの方へ歩いた。立ち塞がろうとしたフランシスを、マーガレットが手で制した。一歩分の距離で対峙したカルロスの顔を、マーガレットは正面から仰ぎ見た。

「我々はデイビッドの意志を受け継ぐ。我々は『信ずる者を救う会』。相手が誰であろうと関係無い。力無き者を守り抜く」

 カルロスは断言した。

「君たちに、あの子たちは渡さない。あの子たちを物のようにしか扱わない、君たちにはね」

「……」

 マーガレットは瞼を微かに細め、口元から笑みが消えた。小さな声で、彼女は「そう」と発した。

 カルロスは道を開け、ドアの方へ導いた。

「お帰り願おう」

 ジゼフが廊下の見張りに合図し、鍵を開けた。マーガレットは暫し沈黙してから、やれやれと言いたげに立ち上がった。

「行きましょう、フランシス」

 カルロスの前を通り過ぎる際、彼を尻目に見てマーガレットは囁いた。

「もっと、頭の良い男だと思っていたわ。皮剥ぎカルロスがイカれているという噂は本当のようね」

「君と私の正義が、相容れなかったというだけさ」

 マーガレットは冷たい目を、ドアへと戻した。「そうね。その通りだわ」

 腰のホルスターに手を添えたジゼフの厳しい監視を受けながら、マーガレットとフランシスは廊下に出た。目当てのイリスとリリアが居る605号室を素通りし、二人は思いのほかあっさりと退散した。見かけには、そう捉えることができた。エレベーターホールへ向かう二人の背中を、ジゼフはドアから監視し続けた。

「カルロス、通して良かったのか?」室内のカルロスに、ジゼフが尋ねた。

「ああするしか無かった」確信に満ちた語気でカルロスは答えた。「この場で抜いていたら、死んでいたのは私たちの方だ」

 廊下の角の先に、床の色が違うエレベーターホールが見えて来た。マーガレットは時間を見るふりをして、腕時計に内蔵したマイクに話しかけた。

「交渉は失敗したわ。予定通り、プランAよ。制限時間は五分」

 半歩後ろを歩くフランシスは、ジャケットの中から手のひらサイズの細い筒を取り出した。直線状の覗き窓に沿ってメモリが刻まれたそれは、使い切りのペン型注射器だった。

 フランシスは頸静脈にペンで言うところの芯が出る先端を当て、反対側のプランジャーを親指で押した。先端から突出した針が血管に刺さり、覗き窓に窺える透明な液体を注入し始めた。

 彼女の双眸に、獰猛な眼光が灯る。黒い瞳は、徐々に獣の眼へと変貌していった。

「邪魔する『獣兵解放軍』と、『信ずる者を救う会』は始末して構わないわ」

 マーガレットは、待機中のグリーンベレー隊員たちに命令を下した。

「行動開始」

 直後、北見リアソンホテル地下一階の電力制御室の主電力ブレーカーを、侵入したキャット3が落とした。

 ホテル全階が、瞬く間に暗闇に包まれた。


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