第3話 スペシャルフォース

 北見リアソンホテルの内外では、総勢二十人に及ぶ『信ずる者を救う会』の戦士が警戒にあたっていた。北見リアソンホテルは十階建てで、その十階と七階、四階と一階に戦士が身を潜めていた。又、周囲500メートルの道路を車と徒歩の両方で巡回していた。

『信ずる者を救う会』の警備はおよそ完璧といってよかった。少なくとも、そこに獣人が潜伏しているとは知らない日本軍が隙を突くことは不可能だった。

 奇しくもピーターが最適な監視場所に選んだシーランドパレスに『信ずる者を救う会』の狙撃手が配置されていなかったのは、深刻な人手不足によるところが大きいと思われた。カルロスたちはイリスを奪還する際に十人もの仲間を失っていた。

 しかしもちろん、『信ずる者を救う会』の戦士がシーランドパレスを警戒していないはずはなかった。彼らは定期的にアパートの周囲と屋上を巡回した。その度に、ピーターは相棒のバレットM82とともに身を隠して彼らの目をやり過ごしているに過ぎなかった。間抜けにもこちらが隠れていることに気づかず立ち去っていく背中を、何度射殺してやりたくなったことか。今はただ待てという指示に従い、ピーターは引き金を引きたい欲望とこの鬱陶しい雨に耐えていた。

 冷たい夜。雨は強くなる一方だった。雷でも落ちそうな荒々しい空だった。何十回目の巡回が立ち去ったのを確認し、ピーターは再び北見リアソンホテルの監視を始めた。

 腕時計を確認すると、二〇:〇〇だった。ちょうど約束の時間だった。骨伝導イヤホンに、聞き慣れた仲間たちの声が順番に響き出した。

「こちらキャット1。配置完了」

「こちらキャット2。配置完了」

「こちらキャット3。配置完了」

「こちらキャット4、配置した」

「こちらドッグ2。配置についた」

「ドッグ3、完了」

「こちらドッグ4、配置完了」

 続々と配置を終えた隊員たちの報告が届く。自分以外の全員が報告を終えた後、ピーターも続いた。

「こちらドッグ1、いつでもどうぞ」

『信ずる者を救う会』は北見リアソンホテルを完璧に警備していた。

 その警備にあたる戦士たちの位置を、ピーターとその仲間たちは完璧にマークしていた。

「こちらラビット1。始めるわ」

 女の上官の声が言った。全ての兵士が共通して持ち、ピーターの中にも在るスイッチが入った。

 同時刻、北見リアソンホテル二階、206号室から二人組の女が出て来た。金髪の白人女性は白いスーツを、黒髪の少し背の高い白人の女は黒いスーツを身に着けていた。

 彼女たちはエレベーターに乗り、上階へ向かった。

 雲田たちが到着した時、彼女たちは既にホテル内に居た。



 その二人組の女は、606号室の前に立ち止まった。黒髪の方が金髪より半歩後ろに退いて立った。見張りの戦士は行く手を塞ぐように、ドアの前に立ちはだかる。

「何か?」戦士は出来得る限り一般人を装わなくてはならなかった。下手に目立たないように、当たり障りない問いかけを選んだ。

 白いスーツを着た金髪の女は、透明感のある青い瞳を戦士に向けて顔をじっと眺めた。肢体を視線で舐め回し、その肉体がよく鍛えられていることと、立ち姿が素人のそれでないことを看破する。

「中に居るカルロス・ベルサーニと話したいのだけれど」

 金髪の女が英語で言った。戦士の男は驚愕を顔に浮かべると、シャツの中の拳銃に、反射的に手を伸ばした。

 突如として腕に痛みが走った。彼が目をやると、黒髪の女が前に歩み出て、拳銃を抜こうとした腕を掴んでいた。万力のような力で押さえられた腕はびくともしなかった。女の親指は腕の筋を的確に圧迫し、指の可動さえも封じていた。

 黒髪の女は唇の前に人差し指を立てた。「シー」

 金髪の女が、青ざめる男からその背後のドアに目を移す。覗き窓の向こうには、廊下の話し声を聞きつけたジゼフが身構えていた。女には、ドアの向こうに居る彼らが見えているかのようだった。

 女は部屋の中に居る戦士たちに、話しかけた。

「こんばんは、『獣兵解放軍』。それから『信ずる者を救う会』」

 不敵な微笑を浮かべ、女は身分を明かした。

「私はマーガレット。私たちはそうねぇ……グリーンベレー、と言ったらわかるかしら?」

 彼女が口にしたのは、アメリカ陸軍特殊部隊スペシャルフォースの別名だった。



      ♢



 北見リアソンホテルの六階、606号室の窓際に置いた椅子に優雅に足を組んで腰掛けるマーガレットと名乗った女は、常に値踏みするような眼差しを他人に向けていた。マーガレットは伴っていた黒髪の女を、「こっちはフランシス。私の部下よ」と紹介した。どちらも当然、本名でないと思われた。

 マーガレットとフランシスが、ジャケットの下に拳銃を忍ばせていることはカルロスたちの目にも明らかだった。北海道脱出の計画を練っていたカルロスたちの部屋に、マーガレットは有無を言わさず上がり込んだ。居場所と身分を押さえている彼女たちを無視できるはずもなく、カルロスたちは二人を招き入れざるを得なかった。

 彼女たちの入室を許した直後、ジゼフは警備にあたる仲間に不審人物を見かけなかったか、確認をとった。誰もそれらしい人物を目にしていない。よく警戒するよう指示してから、ジゼフはカルロスとともに、いつでも武器を抜ける姿勢でマーガレットたちとの対談に臨んだ。

「我々の目的はただ一つよ、カルロス・ベルサーニ」

 椅子に座ると、開口一番にマーガレットはそう言った。

「あなたたちが保護している獣人を、こちらに寄越しなさい」

 カルロスの肩眉がぴくりと動いた。ジゼフは雲田の指示で、服に無線のマイクを忍ばせていた。本来は会議の内容を共有するための準備だったが、偶然にも雲田にこの緊急事態を報せるツールとなった。マイクが拾った音声は、隣室の雲田のイヤホンにほぼリアルタイムで届けられていた。

「何故米軍が関わってくる?」

 容易には応じない、といった態度を隠さずにカルロスは言った。彼女たちがどうやってこの潜伏場所を突き止め、いつからマークしていたのか、敢えてカルロスは訊かなかった。グリーンベレーを名乗った彼女たちの正体が真実ならば、その索敵能力は言うまでもなく『信ずる者を救う会』や『獣兵解放軍』を遥かに上回るからだ。実際、彼女たちは誰にも悟られることなく、既に懐にまで接近していた。

 だからこそ、カルロスは彼女たちに身分の証明を求めなかった。ここに居ることこそが、彼女たちが米軍特殊部隊であることの証明だった。

 マーガレットは尊大な、鼻にかかる態度を貫く女だった。膝の上で手を組むと、彼女は教師が教え子に接するような寛大さで頷いた。

「そうね、あなたたちは私たちアメリカ軍が『獣兵解放軍』に協力していたことを知らないものね」

「協力だと?」ジゼフが『獣兵解放軍』の兵士と顔を見合わせる。彼らは激しくかぶりを振った。

「彼らが知らないのも仕方のないことだわ。このことを知っているのは、『獣兵解放軍』のなかでも上のごく限られた人間だけだもの。末端の兵士には誰にも知らされていないはずだわ。私たちが最も深く関わったデイビッドは、元オーストラリア軍人で秘密を守る男だったもの」

 マーガレットの傍らに居るフランシスという女は、置物のように佇んでじっとカルロスやジゼフを観察していた。マーガレットが躊躇いなく無防備で居られるのは、フランシスが彼らに目を光らせているからだった。カルロスたちがそうであるように、棒立ちしているように見えて、フランシスは常に臨戦態勢だった。

「協力……」カルロスは得心がいったように呟いた。「札幌獣兵研究所の襲撃か」

 マーガレットは口の端を吊り上げ、得意げな笑みを浮かべた。

「ええ、その通り。『獣兵解放軍』の札幌獣兵研究所襲撃作戦をコーディネートし、成功に導いたのはアメリカ軍なのよ」



 隣室の605号室で会話を聞いていた雲田は、深いため息を吐いた。

「なるほどな」

 全く想定外も甚だしい。しかし、これで全てに納得がいった。頭の中で欠けていたパズルのピースが埋まったのだ。ただし、最後のピースはあまりに大きなピースだった。

 ずっと疑問に思っていた。『獣兵解放軍』にはデイビッドが率いる軍隊経験者や元警察官で構成された実動部隊があり、札幌獣兵研究所襲撃を実行したのも彼らだったが、果たして本当にそれほどの力量があったのか、雲田は半信半疑だった。事実その後、彼らは第11歩兵連隊に追い詰められ、壊滅したのである。

 獣兵研究所の襲撃は、裏から誰かが糸を引いていたのではないか? その疑いを晴らす方法は今までなかった。実行部隊を率いていたデイビッドは、智東中佐に追い詰められて自決していた。生き残った『獣兵解放軍』兵士も、ほとんど日本軍に捕らえられてしまっていた。

 マーガレットの言葉に、雲田は合点がいった。『獣兵解放軍』のみで獣兵研究所から最重要秘匿対象である獣人を奪うことなど、やはり不可能だったのだ。計画が始まった段階から、既にアメリカ軍が『獣兵解放軍』を操作していたのだ。

 グリーンベレーという呼び名で知られるアメリカ陸軍特殊部隊は、高い武力を有するとともに、国外の友好組織をアメリカの戦力として育成する訓練部隊でもある。グリーンベレーの隊員は、しばしば一人につき一般歩兵二百人に相当する戦力を持つと表現されるが、それは単純に二百人分の殺戮能力があるというわけではなく、国外において歩兵二百人に相当する協力者を訓練することができるという意味だった。

 獣人兵研究に従事していた研究員シンシア・コヴァルチックが『獣兵解放軍』にコンタクトを取り、札幌獣兵研究所襲撃が立案された頃、どこからか聞きつけたマーガレットたちグリーンベレーは彼らに支援を申し出たのだ。『獣兵解放軍』の実動部隊を訓練し、物資と情報を提供し、作戦を練り上げた。難攻不落の札幌獣兵研究所から如何に獣人を脱出させるか頭を悩ませていたデイビッドたちにとっては、渡りに船だっただろう。

 グリーンベレーの働きは見事だ。『獣兵解放軍』に獣人の奪取を実現させたのだから。しかし一つの疑問が解決したことで、新たな謎が浮上してしまった。

 グリーンベレーの……アメリカ軍の目的は何だ?

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