第14話 共同戦線


 臨時アジトとなる民家に併設されたプレハブ車庫の内側の壁には、防音加工が施されていた。外からは普通の車庫だし、中を見られても何の変哲も無かったが、会話を外に盗み聞かれる心配は皆無だった。

 カルロスたちはここまで移動するのに使った車のナンバープレートを外し、別の物とすり替えた。彼らが用意した車は全て、窓ガラスを強靭な防弾ガラスに改造されていた。他にもエンジンを強力な物と交換していたり、シートの内部にPDWが隠されていたりと、『信ずる者を救う会』は日常にある物を日本軍と戦うための兵器と化すことに長けていた。銃火器に限らず、一般家庭にあっても不思議でないシャベルやツルハシを武器として扱う技術も、彼らは訓練していた。

 簡易的な造りの渡り廊下を通じて雲田とイリスが車庫に戻ると、カルロスたちは服を着替えており、置いてあった死体も消えていた。硝煙が染みついた服と死体は、陸別神社がある林に仲間が埋めに行っていた。一旦隠しておいて、後で然るべき時然るべき場所で、改めて処分するらしい。

 カルロスが仲間たちに視線を向けて言った。

「休んでくるといい。私は彼女たちと話がある」

 戦士たちは雲田とイリスと入れ違いに、渡り廊下から家に入って行った。イリスの盾になるように立ちながら、雲田はすれ違う面々を観察していた。ケブラーマスクを外した戦士たちの素顔は、ほとんど外国人だった。人種は様々で、白人や黒人、アフリカの少数民族の特徴を持った者も居た。

 車庫にはカルロスとジゼフだけが残った。弾丸鷲の鉤爪に抉られた顔を包帯で巻いているため、カルロスは目と下唇しか見えなくなっていた。それでもカルロスは笑うと目元が綺麗なアーチ状になるため、表情は読み取りやすかった。

「どうぞかけてくれ」

 カルロスがパイプ椅子に促した。雲田は日本兵から奪った9ミリ拳銃を隠さず手に持ち、隣にあるパイプ椅子を半歩後ろに置いて、イリスをそこに座らせた。強い警戒を示す雲田の態度を目にしても、カルロスとジゼフは全く気を悪くしなかった。むしろ若さに似合わない雲田の徹底した兵士的振る舞いに、感心してさえいた。

 雲田とイリスとカルロスは向かい合って座り、ジゼフは車に寄りかかって腕を組んでいた。キャソックを捨て私服姿になったカルロスの首には、数珠を補修した十字架型のナイフが提げられていた。

「改めまして、フクロウ、そしてイリス。私はカルロス・ベルサーニ。『信ずる者を救う会』の代表だ」

 カルロスは丁寧過ぎるほど丁寧に、雲田とイリスに名乗った。物腰の柔らかさや紳士的態度からも彼が雲田たちに全く敵意が無いことは明らかだったが、ちょうど最近似たような雰囲気の女に投獄された経験があるので、雲田は油断しなかった。

「フクロウだ。この子は私を雲田と呼ぶが、君らにはフクロウでいい。この子はイリス。知っての通り獣人だ。『獣兵解放軍』から聞いてると思うが」

「ああ、聞いているよ」カルロスは頷く。

 長年日本で過ごしていた彼の日本語は非常に流暢だ。むしろ雲田より、カルロスは日本語に馴染んでいるかもしれない。

「我々と『獣兵解放軍』が交わした協定について、お話ししよう」

 イリスは雲田の腕に寄りかかっていた。イリスの体温とともに、彼女の疲労と眠気が雲田に伝わった。

「手短に頼む」

「わかった」

 カルロス自身も相当疲れていた。聞いてみれば、雲田が辿り着くまでに彼はタカ型獣兵とも交戦していたという。あの場に居た兵士の斬殺死体は、全てカルロスによるものだった。齢五十でこれほどの戦闘能力を維持しているとは、俄かに信じ難い。疲労の原因が年齢にあるとしたら、全盛期の彼は如何ほどの男だったというのか。

 実際のところ、雲田はカルロスとタイマンを張って勝てるかどうか五分五分だった。ほんの数分とはいえ互いの命を預けて共闘した雲田には、もしかしたら敵として殺し合うよりも、彼の実力を理解していた。

 包帯の下で唇を舐めて湿らせ、カルロスは話し出した。

「もともと我々と『獣兵解放軍』はウマが合わなかった。そもそも目的が違う。彼らは獣兵に利用されている動物の保護が目的だ。対して我々の存在意義とは、日本軍と戦うこと自体にある」

 獣兵解放思想という崇高な目標がある『獣兵解放軍』にしてみれば、『信ずる者を救う会』は無差別に日本軍に攻撃するだけの野蛮人に映っていたことだろう。かつて『信ずる者を救う会』が『獣兵解放軍』に協力を申し出た際、彼らはその旨で断ったし、カルロスも彼らの言い分に納得していた。

「彼らが我々を受け入れたのは、組織として方針が変わったというわけではない。変わったのは状況だ」

「夕張の戦いだな」

「その通り。智東の策に落ちたのだ。トップであるデイビッドと多くの仲間を失った。シンパや出資者はいまだ多くいるものの、先陣を切って動くことのできる兵士はほとんど残っていない。彼らの戦力は大幅にダウンしたのだ」

『信ずる者を救う会』を特に嫌っていた、『獣兵解放軍』武力部門リーダーのデイビッドが居なくなってしまったこともまた、『信ずる者を救う会』が受け入れられた理由の一つだった。

「三ヶ月前、デイビッドが命を落とした後、彼らから密かに共闘の申し出があった。もちろん、我々は二つ返事したよ。ただその頃は北海道には居なかったからね。物資も直接運ぶことは難しい。北海道に拠点を移した後、改めて武器などを調達しなければならなかった。実際に彼らに協力を始めたのは、物資の調達が済んだ先月からだった」

 あまりに早過ぎる『信ずる者を救う会』の対応に、雲田は合点がいった。雲田がイリスを迎えに行った時にはとっくに、カルロスたちは『獣兵解放軍』の伏兵として控えていたのだ。

「レオくんたちが失敗し、君たちが第27歩兵連隊に捕らえられたと聞いてね、飛んできたのさ。それまでは別の獣人を護衛していた。今後の予定だが、日本兵の追跡を逃げ切ったのち、我々は彼らと合流する予定だ」

 研究所を逃れ、『獣兵解放軍』に匿われている獣人はイリスの他にあと二人居た。レオとの打ち合わせでも、雲田たちは北見に居る獣人と合流することになっていた。その獣人こそ、カルロスたちが護衛していた獣人だったのだ。

 いずれにしても、雲田とカルロスは邂逅する運命にあった。雲田はカルロスのことを、よく観察した。柔和に微笑む瞳。自分や鍵原とは異なり、獣の眼ではない、しかし彼の眼は、人間ともまた違った。この眼は一体何だ。雲田は瞳の奥にあるカルロスの心を覗き見ようとして、できなかった。彼の眼は、心を映す鏡になり得なかった。

「イリスも当然、我々の護衛対象だ。安全に、北見まで送り届ける。フクロウ、引き続き君も同伴するかね?」

 戦力としては『信ずる者を救う会』だけでもイリスを守るのに申し分無かったが、答えは言うまでも無かった。

「この子は私が守る。私も君たちへの協力を惜しまない。私は一時的に『獣兵解放軍』に属する身だからね。同時に、『信ずる者を救う会』の一員でもあるわけだ」

 頬の傷が痛むだろうに、カルロスは口をにこっとさせた。

「私としても君が居てくれることは心強い。君のような年端もいかない女の子にこんなことを言うのは、情けない限りだがね」

「気にするようなことじゃない。君も高齢を厭わず戦っている。ならば私も若さを気にする必要はない。そうだろ?」

 雲田はカルロスと、ジゼフの方にも視線をやった。

「君らこそ良いのかい。確かに日本軍と敵対する立場にあるが、私たちは別にイレスト教信者ではない。君らのように信心深くないし、そういう概念を知らないイリスにイレスト教を教え込むのも、私は感心しない」

 ジゼフが肩をすくめ、鼻を鳴らした。

「要らぬ心配だ」

 カルロスは力強く頷いた。「ああ、そうさ。我々はイレスト教徒だけを救うわけではない。イレスト教徒のためだけに戦う在り方は、神の思し召しとは異なる。神が私に啓示したのは、弱き者を救うことだ」

 イリスがきゅっと唇を噛んでいた。神や宗教の話題が出たことで、秘密教会のことを思い出したのかもしれなかった。カルロスが救えず、雲田が見捨てた者たちのことを。

「宗教や、種さえも関係が無い。この国に虐げられる全ての弱き者を救い出す。それが我々の使命なのだ」

「……そうか」

「もちろん、君のこともだ。フクロウ」

「……」

 雲田は瞼を伏せた。その弱き者という括りの中に、私のような獣を入れてもいいのかい。そうしたら、私だけでなく鍵原大尉や日本兵も入れなくてはならない。私はあいつらと大差無い獣だよ——一連の思い浮かんだ言葉を声に出さず、雲田は呑み込んだ。

 雲田は拳銃にセーフティをかけ、右腿に付けたレッグホルスターに収めた。

「わかった。君たちを信用する」イリスの手を握りながら雲田は言った。「ともに戦おう。カルロス」

「よろしく、フクロウ。それからイリスも」

 雲田はカルロスと固い握手を交わした。カルロスの手の皮膚は厚く、無数の傷があった。

「神のご加護があらんことを」

 その言葉にだけは、雲田は頷くことができなかった。カルロスの信心深さを弁えているからこそ、安易に神を肯定することも、否定することもしてはいけなかった。



       ♢



 第18歩兵連隊隷下特別護衛小隊が何者かによる襲撃を受け、全滅した事実は程なくして明らかとなり、震撼する釧路基地の兵から札幌基地へと報告された。部下から報告を受けた智東中佐は、ちょうどその日側近に買わせてデスクに置いていた孫へのプレゼントを、盛大に蹴散らしたのだった。

 襲撃グループは『信ずる者を救う会』だった。普段ならば彼らは世間に犯行を公表するが、今回は現場検証をした者にだけわかるように、十字架とメッセージを血文字で残していた。日本軍に対する、数百回目の宣戦布告となった。

 毎朝丁寧に整えるオールバックの髪をボサボサになるまで掻きむしり、一通りの悪態を述べた後、智東中佐は不気味に落ち着いた口調で部下に告げた。

相木あいき所長にアポイントを取れ」

 連日デスクワークに追われていた智東は、久方ぶりに戦場に居る時のあの残忍で冷酷な眼差しで、札幌獣兵研究所の責任者の名を口にした。

「獣人兵が実戦に使えるかどうか、試す良い機会だ。『信ずる者を救う会』……皮剥ぎカルロス、あのイカれた狂信者どもならば、相手にとって不足無しだろう」

 相木所長の返答は、イエスだった。


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