第2話 皮剥ぎカルロス

 西暦二〇〇〇年 五月

 大日本帝国陸軍釧路基地


「『獣兵解放軍』に関しては以上です。それでは次のテログループについて解説しましょう。手元の資料をご覧下さい」

 この日、基地内にある会議室で開催されたのは、国内外に問わず顕著な影響力が危惧される反日組織に関する講習会だった。

 講師を務めた第27歩兵連隊第一中隊隊長の鍵原大尉は、プロジェクター用のスクリーンを指示棒でさした。

「次の議題は『信ずる者を救う会』と自称するイレスト系過激派組織です。軍内では『信救会』と略すこともありますね。反日思想の強いイレスト教徒、全体で百人にも満たない小さなグループです。『獣兵解放軍』などに比べればかなり小規模ですが、彼らもまた危険なテロリストです」

 鍵原の合図に従い、佐渡曹長がセットしたプロジェクターがスクリーンにある画像を投影した。投影された不鮮明な写真に映っていたのは、白地に黒い十字架が描かれたケブラーマスクを被り、ライフルを持った者たちだった。マスクに筆で書かれたと思しき十字架は、『信ずる者を救う会』の証だった。写真に映る者たちは、一様にロザリオを首に提げていた。

「この写真は一九九五年の福島獣兵研究所爆破事件の犯行声明の際、彼らが用いたものです」

 他の者たちが迷彩服などの動きやすい服装をしているなか、写真の中央にいる人物だけ、キャソックと呼ばれる司祭服を着ていた。テロリストの中に一人だけ武装した神父がいるというのは、かなり不気味な光景だった。その人物は右手にライフルと、左手にククリナイフを握っていた。

「『信ずる者を救う会』はその多くが軍隊経験者で構成されています。中にはイギリスのSAS……特殊空挺部隊出身者がいるとの情報もあります。『信ずる者を救う会』の特徴とはまさにそれです。少人数でありながら、個々人のスペックが非常に高い。そして反日感情が強く、執念深い。肉体的にも精神的にも屈強なテロリストです。ただの武装したゴロツキとはわけが違います。数が武器の『獣兵解放軍』が一般的な大隊だとしたら、『信ずる者を救う会』は精鋭部隊というわけです」

 スクリーンに、これまで『信ずる者を救う会』が起こした事件が年号順にずらりと列挙された。講習会に出席した兵たちが固唾を呑んでいた。『信ずる者を救う会』のテロ活動による我が軍の犠牲者は、遥かに大きな組織であるはずの『獣兵解放軍』の比ではなかったからだ。

「詳細については手元の資料に目を通しておいて下さい。『信ずる者を救う会』は組織としても非常に厄介ですが、ここで主題となるのはそのトップに立つ男についてです。『信ずる者を救う会』の首領についてお話します」

 スクリーンが白人の神父の写真に切り替わった。三十代ほどの神父は優しげに微笑み、その手には聖書が握られている。いかにも人畜無害そうな、お手本のような神父だった。

「ご存じの方も多いでしょう。『信ずる者を救う会』首領、イレスト教神父のテロリスト……」

 次の写真が映った。別人かと思われたが、暫し観察すると一枚目の写真と同じ人物であるとわかる。二枚目の写真は五十代ほどに歳をとっており、髪は真っ白く顔には深いしわが刻まれている。その表情は若い頃の写真と同じく柔和に微笑んでいたが、目にはどこか仄暗さがあった。

 白髪の神父が身に着けているキャソックとロザリオは、先ほどの写真でケブラーマスクを被っていたテロリストと一致していた。神父の顔を指示棒で叩き、鍵原は言った。

「カルロス・ベルサーニ。我々は彼を、『皮剥ぎカルロス』と呼んでいます」

 スクリーンを見る兵士たちの顔は険しかった。その理由はスクリーンに全国指名手配されている凶悪なテロリストが映っているから、というわけではなかった。写真に笑顔で写るカルロスの背景に、自分たちと同じ軍服を着た兵士の無残な死体が転がっていたからだ。

 日本兵ならば誰もが知る、国内のみならず今世界で最も危険な反日活動家の経歴を、鍵原は簡潔に語り聞かせた。

「イタリア人のカルロスは、学生時代に日本へ渡り隠れイレシタンとして活動し始めました。成人すると東京都内に古くからある秘密教会を引き継ぎ、十数年に渡って布教活動を行っていました」

 もう一度、カルロスの三十代の頃の写真が映った。東京で神父をしていた頃のカルロスだ。

「今から二十年前、一九八〇年にカルロスの秘密教会へと摘発が入ります。その際にカルロスは捕らえられ、信者ともども投獄されましたが……それから約一年後、彼は脱獄し行方を眩ませます。脱獄の際に、彼は看守と尋問官を三人殺害しました」

 大日本帝国の歴史上、軍が運営する監獄から聖職者が脱獄した事例はカルロスしか居ない。カルロス脱獄事件は当時世間にも広く報道されたが、さほど問題視はされていなかった。この事件が蒸し返され、帝国軍の汚点として現在まで語り継がれるようになるのは、実のその十年後のことである。

「脱獄から十年後の一九九一年、カルロスは『信ずる者を救う会』を結成し、仲間を連れて戻って来ました。我が国へ、復讐するためです」

 脱獄後のカルロスの行く先は全くの不明であった。いずこかで戦闘訓練を積んだカルロスにかつての痩身体躯の面影は無く、屈強な兵士へ、そして冷酷な殺戮マシーンへと変わり果てていたのだ。

「『信ずる者を救う会』首領として再び日本に現れた彼は、神父であった頃のカルロス・ベルサーニとは全くの別人と言っていいでしょう。日本各地で数々の事件を起こし、年間最低でも百人の兵士を殺害しています。組織の首領でありながら、事件の渦中には必ず彼の姿があります」

 出席する兵の中には、旧友がカルロス又は『信ずる者を救う会』の構成員に殺されたという者も少なからずいた。日本兵の死体とともに映る現在のカルロスの写真を、出席者は憤怒の眼差しで睨みつけていた。

 プロジェクターが次なる写真を映した時、兵たちが険しい顔で堪える怒りは頂点を迎えた。会議室に兵らがカルロスへ抱く怒りと憎悪が満ち満ちるのを待ってから、鍵原は口を開いた。

「カルロス・ベルサーニは非常に危険な男です。二年前に神奈川県で起きた第31歩兵連隊と『信ずる者を救う会』の交戦にて、カルロスは単独で一個小隊を殲滅しました。その際、彼はほぼ丸腰の状態だったといいます。他の構成員も危険な人物が多いですが、カルロスは頭一つ抜きん出て強く、凶暴です。そして日本兵を誰よりも憎んでいます」咳払いを挟み、鍵原は言った。「実力も、そして精神的にも……カルロスを人間とは思わないことです」

 それは帝国軍が下す正式な見解であったが、鍵原個人が彼に抱く本音の評価でもあった。

「彼は怪物です」

 スクリーンに投影されたのは、見るも無残な写真の数々だった。

 全て、日本兵の死体だった。その多くが晒し上げるように、高所に渡されたパイプや建物の屋根から首を吊るされていた。異様だったのは、死体の首から上の皮膚が剥がされている点だった。

『皮剥ぎカルロス』。彼が日本兵からそう呼ばれる所以。

「カルロスは殺害した日本兵の皮を剥がし、わざわざ手間をかけて首吊りにするという意味不明の行動をしばしば取ります。この行為に何らかの意図やメッセージがあるかはわかっていません」

 鍵原は一番端に映った写真を指示棒でさす。積み上げられたコンテナとともに映るクレーンに、皮を剥がれた日本兵二人の死体が吊るされていた。

「こちらは先月、稚内港で発見された最新の犠牲者です。稚内港を拠点に活動していた武器商人の監視を行っていた兵たちですが、ご覧の通りの有様です。カルロスの犯行と見て間違いないでしょう」

 北海道に『信ずる者を救う会』が潜伏している可能性が大だという事実は、釧路基地にいる兵たちを震撼させていた。状況から察するに、カルロスたちは密輸業者から武器を仕入れているに違いない。この北海道の地で、何かしらのテロを行おうとしているのだ。

 鍵原は指示棒でもう一方の手をパシンと叩き、出席者の顔を一望した。『皮剥ぎカルロス』への嫌悪や恐怖、兵たちの顔には様々な感情が浮かんでいた。その中でも特に憎悪を隠さなかったのは、最後尾の席に座っている淀川一等兵だった。彼は手にしていた資料を握り潰し、鉛筆をへし折っていた。青筋がひくつき、小刻みに動く唇はイレスト教徒への恨み言をぶつぶつと呟いていると思われた。彼は人一倍、イレスト教徒への嫌悪が強い部下だった。鍵原は拍車をかけることにした。

「カルロスは完全にタガが外れた男です。神とやらの名の下に、目につく限り帝国軍の兵士を殺戮する獣です」

 カルロスと『信ずる者を救う会』への怒りを募らせる兵たちの様子に、鍵原は満足げに微笑んでいた。

「犯行声明の際にカルロスは積極的に自らの顔を晒します。我々に、己が敵であると認識させるためです。それほどまでに、彼は強烈なほど帝国を憎んでいる。彼は復讐の化身です。ですが恐れることはありません。彼は人ならざる怪物ですが、人ならざる兵器ならば我々は日常的に運用しています」

 一個小隊に相当する戦力とは、通常のヒグマ型獣兵に匹敵する。カルロスは人の形をした獣兵に過ぎないと比喩した鍵原に対し、彼女が自身を棚に上げていると指摘する者は一人も居なかった。出席者全員が、『皮剥ぎカルロス』への敵対心に夢中だったからだ。

「所詮は獣一匹。我々27歩兵連隊の敵ではありません。ですがくれぐれも、『皮剥ぎカルロス』に関しては決して油断せぬよう肝に銘じて下さい。単独で挑むのは自殺行為と心得ること」

 プロジェクターが最後の写真を投影した。映ったのは十人もの皮を剝いだ兵士の首吊り死体の前に、一人佇むカルロスの姿だった。カルロスはロザリオを握り、祈りを捧げていた。この凄惨な景色の中で、彼は一体何を神に報告したというのだろう。何を神に祈ったというのだろう。神を仰ぐ彼の真っ赤に濡れた顔は、悪魔のように歪んでいた。

 なお、当講習会が開かれたのは、ジェイク・パーキンの秘密教会が摘発される一週間前のことだった。


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