CHAPTER.2 聖者の侵攻

第1話 武器商人

 西暦二〇〇〇年 四月

 大日本帝国

 北海道 稚内港わっかないこう某所


 時刻は深夜。今宵は新月だった。

 消灯された周囲一帯は暗闇に包まれていた。コンテナ積み場から数百メートル離れた稚内港の一角に、一台の四トントラックが停められていた。他にも数台の乗用車があり、目を凝らすと、トラックの周りに人影が集まっていた。夜目に慣れた男たちが、てきぱきとトラックの積み荷を検めていた。

 その様子を、トラックの傍らから三人の外国人が眺めていた。片方は若者と初老の白人ペアで、もう一人は体格の良い黒人、いずれも男だった。黒人が白人の方にアルミケースを手渡し、白人の若い方が中を確かめた。ケースにはアメリカドル札がいっぱいに敷き詰められていた。

 若い白人が札束を数えている間に、髭を生やした白人が黒人に何かを話していた。黒人はモヒカンヘアで、襟や袖から覗く肌にはトライバルがあった。黒人は終始気難しい顔をしていたが、白人の男はへらへらとビジネス的な愛想笑いをしていた。

 白田一等兵と木戸二等兵は、稚内港にある運送会社の屋上からその様子を監視していた。二人はともに這いつくばり、暗視スコープを用いていた。密約を交わす外人たちとトラックまでの距離は五百メートルあった。

「黒人の方は誰だ?」

 白田が隣の木戸に尋ねる。木戸は記憶している指名手配犯リストに、似た男がいないかを当てはめてみた。

「いえ……見たことがありませんね。でも武器商人を訪ねるなんて、ロクな奴じゃないことは確かですね」

「そりゃ、そうだな」

 白田は札束を数える若い男から、髭面の白人へと暗視スコープの目線を移した。男は黒人に身振り手振りで何事かを熱弁している。今日の分の積み下ろしが終わった港は静寂に包まれていたが、この距離では白人の演説内容は聞き取れなかった。

 白人の男はマイク・デーン。大日本帝国陸軍がマークしている、武器密売業者である。ここ稚内港を拠点に、コンテナ船の貨物に混ぜて密輸入した海外製の銃火器を売り捌いていた。

 軍は数年前からデーンの悪事を見破っていたが、敢えて捕らえず、彼のもとに武器を求めに来るテロリストや犯罪者を釣るための餌にしていた。白田と木戸は、デーンの監視に就いてもうじき半年になった。今月を乗り越えれば、別のコンビと監視を交代して暫く休める予定だった。

 近頃、デーンは普段と異なる動きを見せていた。武器の密輸入を止めていたのだ。おそらく、彼から武器を買った客が次々捕まるため、軍にマークされていると勘付いたのだろう。手元にある武器を全て売り捌いたら、国外へ逃げるつもりなのだ。その時こそ、白田たちがデーンを捕らえる時だった。

 監視役の交代が先か逮捕が先かと考えていたが、どうやら逮捕が先のようだ。白田たちが把握している限り、今黒人の仲間がチェックしているトラックの積み荷は、デーンが備蓄する最後の商品だった。普段の量ならあと三度は客の訪問を受けられる量だったが、どうやらあの黒人たちは残りの武器を一気に買うつもりのようだった。宝石屋でもやった方が良いのではないかと思うほど客のご機嫌取りが好きなデーンが、いつにも増して客にゴマを擦っている理由がよくわかる。いずれ日本に戻って来た時、あるいは海外に拠点を移して商売をする際、この太客にまた武器を買って貰おうという魂胆が見え透いていた。

 デーンの捕獲は別の部隊に任せてある。白田たちはデーンと別れた後、あの黒人たちを追うつもりだった。一度に四トントラック一台分もの武器を購入した怪しい外人たち。手配書にすら載っていないあいつらは何者だ? そんな大量の銃火器をどうするつもりなのか?

 デーンから買った武器を転売するだけのケチな業者ならばまだいい。もしテロリストがあの量の武器を得たかと思うと、どんな惨事が起こるかわからない。あの黒人たちから目を離してはいけなさそうだ。木戸は黒人の外見的特徴を、頭のメモ帳に書き込んだ。

「ん?」

 黒人の人相をちらっと一瞥した白田が眉根を寄せた。首から伸びたトライバルが左の頬を昇り、目元まで達していた。顔にはピンと来なかったが、その特徴的なトライバルには覚えがあった。見たことがないのに覚えているのは、そう……報告書で目にしたのだ。顔まで届くトライバルの黒人、身長は180センチ強。白田が暗記したある要注意人物と、特徴が一致する。

 ゴマ擦りに夢中なデーンはもうどうでもいい。白田は暗視スコープで黒人のことをよく観察しながら、相棒に話しかけた。

「おい木戸、あの黒人もしかしてあいつじゃねぇか。イレスト教の……」いつもノータイムでレスポンスする部下が返事をしないことを、白田は訝しんだ。「木戸、おい」

 出来れば黒人たちから目を離したくなかったが、仕方なく白田は一瞬だけレンズから顔を剥がし、隣の木戸を見た。

「聞いてるのか、木戸——」

 白田は目を剥いた。暗視スコープを覗いていた木戸の頭頂部に、ククリナイフが突き刺さっていた。木戸はスコープに目を嵌めたまま、屋根に突っ伏していた。

「何!?」

 白田の背後に、誰かが立っていた。白田はホルスターから9ミリ拳銃を抜き、素早く後ろを振り向いた。

 トリガーを引く前に、白田の手首は切り落とされた。銀色の光が一閃し、銃を握った手がぼとりと落ちた。白田は残った方の手を腰の軍刀に伸ばした。が、到底間に合わなかった。

 白田が最期に見たのは、真っ白な長い髪を一つに束ねて垂らし、顔にしわを刻んだ初老の男だった。白人のその男の手には、木戸の頭に刺さっていた物と同じククリナイフが握られていた。男は黒いキャソックを身に着けていた。

 ククリナイフを振り下ろす、その顔。今から人を殺そうとする人間の顔ではなかった。それはむしろ、いっそ、赦しを与える神父のように柔和で、子供をあやすかのように優しげだった。

 額を割られ、白田は死んだ。



 マイク・デーンは日本語で話していた。英語話者である彼が目の前にいる黒人にわざわざ日本語で語りかけていたのは、日本語の語彙の豊富さは他人を持ち上げることにも貶めることにも便利だったからだ。この場合で使っていたのは、もちろん相手の機嫌を取るためだった。相手が最初から、英語でなく日本語で話しかけてきたことも理由である。

「いや~、本当に助かりましたよ。私も長いことこの商売をやっておりましてね、軍に目を付けられていたんです。そろそろ潮時かと思っていたのですが、この大量の商品の処分に困っていましてね」

 デーンは密約の最中に笑い声を上げることこそなかったものの、大仰に肩を震わせて喜びを表現してみせた。笑うと前歯にある金歯が目立った。

「あなた方が在庫を全て買い取って下さるとは……まさに幸運の至りです」

 彼の部下である若い白人が金を数え終え、アルミケースを閉じた。代金が揃っており、尚且つ偽札でないことが確認できると、デーンは黒人にトラックのキーを渡した。

「ドルを用意してくれたことも非常に助かりましたよ。暫く日本には帰ってこれませんからね」デーンは黒人の顔色を窺った。「相変わらず羽振りがよろしいようで」

 黒人の男はデーンと目を合わせると、口元だけを微笑させ、低い声を発した。

「必要経費なものでね。ただし金額が金額だ、チップはくれてやれないよ」

 デーンは金歯を見せてニカッとした。「もちろん、構いませんよ。あなた方は私どもの顧客ですからね」

 トラックの荷台で作業する男たちの方を、デーンは仰いだ。屈強な男たちは、武器の扱いに慣れていた。少なくとも数人は軍役経験者がいるとみた。モヒカンヘアの黒人も、只者でないことは体に搭載した筋肉を見れば瞭然だった。

「あなた方『信ずる者を救う会』のお力になれるとは、私どもとしても光栄の至りです」

 デーンは胸に手を当て、最大限の敬意を払ってお辞儀した。それから男たちの軍隊並みのきびきびした働きを眺め、感嘆を漏らす。

「しかし……これだけの武器を手に入れて、戦争でも始めるつもりですかな?」

 デーンは冗談めかしたつもりだったが、黒人の反応は極めてクールだった。気の利いた冗談で返してくれよとデーンは心中で注文を付けたが、返答は思いもよらぬ方向から返って来た。

「それは違うね、デーン君」

 デーンと部下の若者は、声がした背後を素早く振り向いた。常に周囲を警戒しているはずの彼らは、背後に何者かが近づいていたことに全く気が付かなかった。

 そこにいた人物を見た時——正確にはその人物が手にしていた物を見た時——デーンは絶句した。

 デーンよりも年老いた、白人の男。男は軍人の死体を片手に引きずり、もう一方の肩にさらに一つ死体を担いでいた。男は担いでいた死体を、アスファルトの上に放り捨てた。軍人の死体がぐしゃりと倒れ、割れた額から脳漿がはみ出した。

 男は一仕事終えた風に手をパンパンと叩き、場違いなほど穏やかな微笑みを浮かべた。

「我々の戦争は、既に始まっている」

 デーンと部下の若者は、息を吞んだ。この二つの軍人の死体は、デーンたちを監視していた兵士に違いない。どれだけ警戒を払ってもどこにいるかわからなかった兵士を、この白髪の男はたった一人で見つけ出して仕留めたのだった。

「あなた方も早くこの国を出た方がいい。少なくとも、北海道からは去ることをお勧めする」男は死体を踏みつけた。「じきに、この地は戦場となる」

 男の名はカルロス・ベルサーニ。

 イレスト系過激派組織『信ずる者を救う会』首領にして、大日本帝国全土で指名手配されている宗教家兼テロリストである。

 イレスト教のキャソックと、首から提げた銀の装飾のロザリオが彼のトレードマークだった。その風貌は、日本全国の手配書に全身図の写真が載っているほど有名だった。

「これはこれはカルロスさん! お姿が見えないのでどちらに行ってしまったかと思いましたよ」

 デーンは親し気な笑顔でカルロスに歩み寄ると、ともに抱擁を交わした。

「私も支払いに同席しようと思っていたのだがねぇ」カルロスは足下にある日本兵の死体にちらっと目をやった。「掃除を怠ってはいけないよ、デーン君」

「いやはや、申し訳ない。……しかしよくこの兵たちを見つけられましたな。うちの者どもがどれだけ探しても居場所を突き止められなかったというのに」

「なに、簡単なことさデーン君」

「ほう?」

 カルロスの目に仄暗い光が灯り、口元が歪んだ。デーンは思わずぶるりと身震いした。

「日本兵は獣の臭いがする。鼻腔を刺激する、醜悪な香りだよ。どこに何匹いるかくらい、すぐにわかるさ」

 デーンは試しに空気を嗅いでみたが、死体からは血の臭い以外は感じなかった。カルロスの言う獣の臭いとは、獣兵が放つ獣臭とは異なるのだろう。そもそもこの死体のように、デーンの監視を担う兵が獣兵の臭いがこびりついた獣兵師だとは考えられない。カルロスが何の臭いを嗅ぎ、何を頼りに彼らを見つけ出したかは想像もできなかった。

「ジゼフ、支払いは済んだかい?」カルロスが黒人に言った。

 ジゼフと呼ばれた黒人は頷いた。「ああ、確認も済んだ。積み荷に問題が無ければ、ここでの取引は終わりだ」彼は兵士の死体を見ても驚かず、全くに意に介さなかった。

「それは良かった」カルロスは手に持っていた何かをデーンに差し出した。「これは餞別だデーン君。日本製のSIG SAUERだよ」

 カルロスが渡したのは、拳銃を握った人の手だった。反射的に死体に目を落とすと、片手が無い者がいた。

「……っ」

 デーンはぎょっとして、すぐにでもそれを捨てたかったが、カルロスの前では出来なかった。本当に厚意で拳銃を渡してくれたのか、デーンに何かしらの不満があって軍人の手を添えたのかわからなかった。

「ははは、ありがたくいただきますよ」

 デーンは苦笑いしつつグリップを握る手を放そうとしたが、死後硬直の所為でなかなか取れなかった。厄介な監視を始末してくれたのだから、これくらいのお茶目は許さねばなるまい。意地悪ないたずらをする神父だと、デーンは肩をすくめた。

「それではまた会おう、デーン君。無事に国へ帰ることができるよう祈っているよ。もしまた会うことがあれば、その時はまた武器を買わせてもらうよ」

「是非とも。安くしますのでね」

「ジゼフ、デーン君を送って差し上げろ」カルロスは視線でジゼフに言葉以外のあることを命じた。「何人か連れて行くといい。夜道は危険だから」

 ジゼフは無言で頷いた。カルロスの言わんとすることは理解していた。デーンを確保するための別動隊が控えていることは、想像に難くなかった。

『信ずる者を救う会』は弱者を守るために在った。そして弱者とは、この地では日本兵以外の者を指していた。その点を差し引いても、取引相手としてデーンは警護するに値する武器商人だった。

「任せたよ」

 カルロスは首に提げていたロザリオを手に取ると、下部を握って引いた。すると鞘が抜け、ロザリオはナイフに早変わりした。

 カルロスの足は、兵士の死体へ向けられていた。死体に歩み寄るその背中を見たデーンは、カルロスのもう一つの異名を思い出した。

「私は少々、やることがあるのでね」

 死体の傍に跪くと、カルロスはその首に刃を走らせ、皮膚に切り込みを入れ始めた。


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