第14話 窮地
青山はその創がありながらも不気味な調和を保つ鍵原の顔から、目が離せなかった。見惚れていたのではない。至極単純な理由だ。猛獣と遭遇した際、背を向けて逃げることは即死を意味する。
ただし——背を向ける向けないに拘わらず、生殺与奪の権は常に獣側にあった。
「大尉殿!」十字路で待機する軍用車から降りた兵の一人が鍵原に駆け寄り、耳打ちした。
鍵原はうんうんと頷いた後、部下に「ご苦労様です」と告げて再び青山に視線を戻した。ただでさえ生きた心地のしていない青山の生気をさらに奪うセリフを、鍵原は口にした。
「トラックの細工に加担したあなたの仲間と、この先の阿寒で落ち合う予定だった『獣兵解放軍』の構成員を確保しました。これはデイビッドの遺志を継ぎ、あなた方に指示を下している『獣兵解放軍』の現リーダーですらまだ知らない、最新の情報です」
青山はぽかんと口を開けた。「え……」
自分がマークされていたこと、仲間が捕まったこと。次々と鍵原が明らかにする事実が、彼を絶望の淵に叩き落とした。真っ白になった彼の頭には、今は亡き『獣兵解放軍』リーダーのデイビッドと交わした誓いだけが、任務を全うするという決意だけが残っていた。
我々は諦めない。デイビッドの口癖だった。青山は勇気を振り絞った。あるいは、緊張の糸が音を立てて切れた。
「……っ!」
青山は一切の迷いなくこの場から、悪しき日本兵どもから、イリスと雲田を連れて逃げることを選択した。
青山が素早く、エンジンキーに手を伸ばした。
その手がキーを回す前に、佐渡の89式自動小銃が青山の頭を撃ち抜いた。長閑な酪農地帯に突如として銃声が轟いた。
右眼孔を撃たれた青山の後頭部が破裂し、助手席のシートと窓に脳漿と鮮血が飛び散った。がくっと力の抜けた青山の体は、シートベルトに支えられて首だけをぶらんと垂らした。
「彼の体を調べて下さい」
「は」
佐渡は窓から手を入れてロックを外し、運転席のドアを開けた。シートベルトをナイフで切って青山を引きずり下ろす。その時、シートの背凭れの隙間に細いコードが挟まっていることに気が付いた。服を切り裂き、青山の身体チェックを行った。
「大尉」
「何か見つけましたか?」
「マイクです」
佐渡は青山の体に巻き付けられていた一連のコードと、制服の襟に隠されていたピンマイクを剥ぎ取った。シートの隙間にあるコードのジョイントに合わせてみると、しっかりと嵌まった。
「おそらく、荷台に居る者と会話するためのものかと」
「なるほど、資金だけは豊富なだけありますね。スパイ顔負けのグッズです」
死体を跨いで運転席に歩み寄り、鍵原は佐渡からマイクを受け取った。荷台に視線をやりつつ、鍵原はマイク向かって語りかけた。
「もしもし、聞こえていますか? 私は大日本帝国陸軍第27歩兵連隊第一中隊隊長の鍵原大尉と申します」
佐渡の発砲は青山を仕留めると同時に、荷台にいる者たちへの警告にもなった。鍵原は淡々と、荷台にいる人物に外の状況を伝えた。
「青山廉次……運転手は死亡しました。我々はこのトラックを完全に包囲しています。荷台の外には二十人の兵が銃を構えて待っています」
セーフティを外した兵たちが、89式の照準を一様に荷台のドアに向け、あるいは荷台の側面に立って角に待ち伏せた。佐渡は抜け目なく、運転席からキーを外しておいた。獣人を安全地帯へ誘うはずだった護送車は、今や彼女たちを軟禁する檻に変わり果てていた。
「パーキンからあなたのことも聞いていますよ。それとも彼のことはベッカムと呼んだ方がいいですか? 雲田刀子さん」
この意思疎通法はどうやら一方的なもので、荷台からレスポンスを受け取ることは出来ないようだった。マイクの音声は聞こえていると思われるが、荷台の冷凍庫内にいる雲田と獣人の様子は窺い知ることができなかった。
銃を構える部下たちには緊張が走っていた。鍵原はマイクを通し、至って平和的な言葉選びで雲田を諭した。
「武器を捨てて投降して下さい。あなたとともにいる少女を、我々は傷つけたくありません。言う通りにして下されば、あなたのことも可能な限り丁重に扱いますよ」
佐渡とちらっと目を合わせ、鍵原は顎で荷台を指した。佐渡が頷き、荷台を囲む兵に合図を送った。
「今、荷台を開きます。下手な真似はしないことです。あなたが抵抗しない限り、我々も撃ちませんからね」
荷台を囲んでいた兵の中から、淀川一等兵と葛木一等兵が先頭へ歩み出た。葛木がドアを開錠し、淀川が89式を構えて正面に立った。その背後に他の兵が控え、荷台に狙いを定めた。
淀川と頷き合い、葛木は勢いよくドアを開けた。淀川はぎょろっと目を見開き、視界を限界まで広げて荷台の中を検めた。冷気が漂う荷台の中を素早く見回す淀川の視線に従い、構えた89式の銃口が忙しなく動いた。
薄暗い冷凍庫内に日光が差し込む。外気が白い冷気を攫い、徐々に中の景色が明らかになった。強い潮と鮮魚の臭いが外気とともに漂った。
淀川は隅から隅まで冷凍庫をチェックしたが、誰の姿も無かった。警戒を怠らずトリガーに指を添えておきつつも、淀川は怪訝な感想を吐露した。
「本当にこんな所に人が隠れてるのか?」
冷凍庫には発泡スチロール箱がいっぱいに詰め込まれていた。見た限り三種類ほどの規格の箱があるが、人が隠れるスペースはどこにも無い。ヒト一人分の通路が確保されてはいるが、当然、ターゲットがこんな所に棒立ちして過ごしているわけもない。
何よりもこの冷気の中だ。冷房の稼働音が今も鳴り続けている。常にマイナス二十度以下に保たれた冷凍庫の中に、人が何時間も隠れるなど非現実的だった。
鍵原は再度、雲田に語りかける。
「出て来てください。武器は捨てて。こちらも手荒な真似はしたくないのですよ。あなたの傍にいる少女を、こちらは丁重に扱いたい。私の意図はわかるでしょう?」
この場でイリスが獣人であることを知っているのは、鍵原と雲田だけだった。鍵原は機密を守るため、たとえば揉み合いになったりなどしてイリスの獣人の特徴が露見することを避けたかったし、イリスを護衛する雲田も、イリスの正体を知る人間が増えることは望ましくないはずだった。
しかしいまだ、雲田の反応は無かった。淀川と葛木が荷台に上がり、鮮魚を詰めた箱を慎重に調べていたが、これといった動きは見られない。
「……」鍵原はじっと荷台を見つめた。マイクを唇に近づけ、鍵原は声のトーンを遥かに落としてぽつりと言った。
「無駄な抵抗はやめなさい、フクロウ。今あなたに近づいている兵を一人二人殺したところで、外にいる二十人があなたを蜂の巣にします」一拍置き、鍵原は付け加えた。「いざとなれば、少女も撃ちますよ」
佐渡はマイクに話しかける鍵原の顔を仰いだ。
(フクロウ……?)
傭兵がパーキンから雲田と呼ばれていることは知っていたが、フクロウという呼び名があるのは初耳だった。
さらに数秒、間が空いた。鍵原が再び口を開こうとした、その時だった。荷台を囲む兵たちの雰囲気が一変した。中で異変があったのだ。鍵原はマイクをシートに投げ捨て、トラックの荷台へ回った。
「大尉!」佐渡が慌てて鍵原の後を追う。「危険です」
「ええ」鍵原はすたすたと兵の前を横切り、軽やかに荷台に跳び乗った。「それが何か?」
凍えるほどの冷気を発する冷凍庫の中には、淀川と葛木が89式を構えて立っていた。彼らは整然と積まれた発泡スチロール箱の、右の列の中央を注視していた。淀川より五歩後ろにいた葛木が尻目に鍵原を認め、仰天した。
「え、大尉?」
淀川は一瞬だけ鍵原の方を気にしかけたが、銃口を向けた発泡スチロール箱への警戒を緩めなかった。彼は素早く箱の傍を横切り、通路の奥から狙いをつけた。
二人が注意を向けた発泡スチロール箱が微かに震え、上部の蓋が動いていた。しかしおかしなことに、横並びした二つの発泡スチロール箱の蓋が完全に連結していたのだ。蓋には重みがあり、発泡スチロールの質量とは明確に異なった。
「大尉、お下がりを」葛木が反射的に鍵原の前で盾になろうとした。が、鍵原は葛木の肩を掴んで軽く押し退けた。
「結構ですよ、葛木一等。そこで待機していて下さい」
日々の訓練で体重が八十キロを超える葛木は、鍵原の片手であっさりと押し退けられたことに驚いた。俺、いつの間に痩せたっけ? と思った。そんな錯覚を生むほどに、彼の肩を掴んだ鍵原の膂力は、いっそ重機を連想させるほど強かった。
蓋が微かに動く箱に向かって、鍵原は声を張った。凍てつく冷凍庫の中に鍵原の声が響き渡る。
「出て来なさい、フクロウ。抵抗しなければ我々は撃ちません、約束しましょう。何がお互いに得するか、あなたならばわかるはずです」
葛木よりも一歩前に出た鍵原の左手は、軍刀の鞘に添えられていた。鍵原の側近である佐渡は荷台に乗り、葛木とは反対側から箱を狙った。彼は鍵原の命令に違反しようとも、彼女の命を守る固い決意があった。その後、たとえ命令違反として鍵原の手で裁かれるとしても、彼の意志に揺るぎはなかった。
蓋がゆっくり、持ち上がった。89式を構えた淀川と葛木と佐渡の殺気が、最高潮に膨れ上がった。誰がいつ発泡してもおかしくない張り詰めた空気が、冷凍庫内の冷気さえ溶かしてしまいそうだった。
蓋が通路に落ちた。重い金属が落ちる音がした。裏面に保温素材のシートが張られたそれは、外側に発泡スチロールを被せてカモフラージュしただけの偽物だった。
発泡スチロールに偽装した箱からは、熱気が漂った。この中で暖を取り、目的地までこの寒い空間をやり過ごそうとしていたのだと兵たちは察した。
箱の中に立ち上がり、両手を挙げて身を晒したのは黒い髪の少女だった。冬用のコートに身を包んだ少女の手には、ベレッタM9とマガジンが二つ握られていた。少女は冷凍庫内にいる兵を見回すと、マガジンを通路に捨てた。少女がベレッタを操作しようとした時、淀川が素早く接近してこめかみに銃口を突きつけた。
「動くな。死にてぇか」
淀川の殺気立った目には血管が浮いていた。
少女は冷静に淀川と目を合わせると、ゆっくりとした動きでマガジンを抜き、スライドを引いて薬室の一発を排出した。そのまま本体からスライドを取り外し、ベレッタを使用不能にして淀川の足下に投げた。
異様なほど落ち着き払った少女の態度は、敵意が無い意志を示すためのものだった。強烈な殺意を発する淀川もそれを理解したが、だからと警戒を解くことはしなかった。彼の指はいつでも少女の命を撃ち抜けるよう、準備を整えていた。
「あなたが雲田刀子ですか?」
鍵原が尋ねた。少女は、鍵原の方を向いた。鍵原の傍にいる二人と、さらにその背後の荷台の外からも無数の銃口が狙っていたが、少女は全く怖じ気なかった。
「……そうだ」少女は言った。「私が雲田だ」
雲田は鍵原を睨みつけた。間違いなく、先ほどまで保温室のスピーカーから聞こえていたのは女の声だった。
「そうですか……」鍵原もまた、雲田をじっくりと眺め回した。鍵原は声に少々の落胆の色を滲ませた。「若い女……井平一等の証言の方が正しかったですか……」
「?」
二人は、互いに初対面だった。
次に口を開いた時、鍵原はいつもの柔和な振る舞いに戻っていた。淑やかな物腰で、鍵原は話した。
「少女はともに居ますね?」
「ああ、ここに居る」
「良かった。まずはあなたが出て来て貰えますか。少女はこちらで保護しますので」
「……」
「あなたもともに基地まで連行しますが、構いませんね?」
断れば、雲田を向く銃口が瞬く間に火を噴くことになる。雲田は険しい顔で鍵原を見つめてから、瞼を伏せため息を吐いた。
「……わかった」
淀川が銃口で雲田の頭を小突いた。「出ろ」
雲田はちらっと保温室の中へ視線を投げた。彼女の足下に、イリスがしゃがみ込んでいた。コートに身を包み、暖房で暖かく保たれているにも拘わらず、イリスは震えて縮こまっていた。怯えた顔で、イリスは雲田を見上げた。雲田が外へ出ようとすると、イリスはズボンの裾を掴んだ。
恐怖で声は出なかった。口がぱくぱくと動いた。「行かないで」と、雲田には読み取れた。
「早くしろ」再び淀川が銃口で雲田の頭をつついた。
潤んだ瞳でこちらを見上げるイリスから、雲田は目を逸らした。保温室の壁を跨ぐと、イリスの手はあっさりと放れてしまった。
「あっ」イリスが雲田を追いかけようと手を伸ばした。雲田が低く発した声が、その手を止めさせた。
「心配するな」
雲田はイリスのことを見てくれなかった。虚空を見据える雲田の表情は、森でオオカミ型獣兵と対峙した時と同じように、恐れを知らず毅然としていた。それが論理的戦略に裏付けられたものなのか、単なる蛮勇なのかがイリスには判断できなかった。
雲田は、小さな声で囁いた。イリスに向けられたその言葉は、果てしなく優しく、そして虚しいほどに無謀だった。
「必ず助ける」
雲田はもう片足を保温室から跨がせ、通路へ出た。キツネのように細い目で監視する鍵原の、創のある顔を雲田はもう一度観察した。やはり、初めて見る顔だ。
なのに何故だろう——雲田は彼女を知っている気がした。そして彼女もきっと、初対面のはずの雲田のことを知っている。
雲田は拳銃さえ手にしていない鍵原が、しかしライフルを構えたどの兵よりも、すぐ傍から頭に銃口を突きつける淀川よりも、この場に居る誰よりも自身とイリスの命を脅かす存在であることを、勘で見抜いていた。逆立つ産毛が、ピリつく肌が、彼女の中にある獣に類似した本能が、激しい警鐘を鳴らして、目の前にいる女が恐ろしい何かであることを報せていた。
雲田の背後にいる淀川に、鍵原が頷きかけた。何が起こるかを悟ったが、雲田は全く恐れていなかった。鍵原を凝視して、雲田は言った。
「鍵原大尉、だったな?」
「ええ」
雲田は鍵原から、自分と同じように、何の匂いも発せられていないことに気が付いていた。鍵原もまた、雲田が己に限りなく近い何かであることを感じ取った。
「君は、獣だな」
「ええ。あなたもね」
淀川が銃床で雲田を殴った。頭を激しい痛みが襲ったかと思うと、すぐに消えて、たちまち雲田の意識は途絶えた。
市立釧路総合病院
曇天に太陽を奪われた、薄暗い病室。
井平早恵一等兵は、個室のベッドで深く長い眠りについていた。
打撲に欠損、首と内臓を貫かれ無数の傷を負った井平の肉体は治療痕にまみれていたが、彼女は生き延びていた。
意識を失ってから二日間、覚醒の時を待つ彼女の脳には幾度も幾度も、秘密教会で子供たちを殺した記憶と、ホテルで少女と戦った記憶が、鮮明な音声を伴った映像として流れていた。やがて音声がバグり、子供を殺す映像のバックに傭兵の少女の声が流れた。ホテルで殺し合う映像に、子供たちの悲鳴が何重にも混ざって反響した。
脳が見る夢の中で体感する時間と、実際に流れている時間には大きな差がある。井平が二日間に渡って見た夢は、彼女にとって数年間にも及ぶ長い回顧録だった。
井平の瞼がぴくりと震えた。目覚めの時が近かった。意識を取り戻そうとした、その一瞬にこそ脳が映す夢は本領を発揮した。
時間にしてほんの一秒。井平の精神は凄まじい速度で、それまでの二十数年の人生を遡っていった。逆再生で流れる全ての記憶。ホテルの戦い、子供の処刑、軍への入隊、青春時代、幼少……そして彼女の記憶は、憶えているはずのない胎児の頃にまで到達した。母親の胎内の温かさや、肉の壁を通して耳にした生まれる前の外の音の数々。小さく脈打つ自分の鼓動と、強く脈打つ母親の鼓動まで、彼女は全てを思い出した。
「……」
井平は目を開けた。
長い夢を見ていた井平の脳に、生の実感が急速に流れ込んだ。
彼女は自分が置かれている状況を、瞬時に理解した。ここが病院であること、自分が寝ていること、体のそこかしこを治療されていること、生きていること。
薬品の臭いを嗅ぐと、彼女はその種類を識別できた。ほとんど考えることなく、頭の中に薬品の名が浮かんだ。
井平は驚いていた。自分が自分じゃないみたいに、全ての感覚が研ぎ澄まされていたのだ。
数メートル離れた壁の小さな凹凸が、顕微鏡で覗いたかのようにはっきりと見えた。掛け布団から痛む右手を出し、手のひらを見た。包帯を巻いた手からは、小指と薬指が失われていた。包帯の細かな編み目やほつれた糸、軟膏を塗られた擦り傷の瑞々しい赤色。気持ちが悪いほどに井平の視界は解像度が高くなっていた。大気を漂う埃を数えることさえできた。
音はより広範囲の情報を彼女に教えてくれた。病室の外に何人がいるのか、その足音と話し声から正確に判断できた。その者たちの身長や体重、性別までもが井平の耳には明らかだった。
窓の外の景色から頭に立体的な地図を描き、井平は現在地が市立釧路総合病院であることだけでなく、自分が病棟の何階に居るかまでわかった。
井平は患部を見ることなく、内臓のどこに治療を受けたのか悟った。小腸に傷がついていたが、幸運にも大事には至っていない。首の傷も、頚椎や頸動脈には障っていなかった。
まるで生まれ変わったかのようだった。井平は全ての感覚と肉体を掌握していた。
井平は目を閉じた。次の瞬間、状況は一変した。聖書で撲殺される子供たちの阿鼻叫喚の映像が、血飛沫とともに井平の瞼の裏で暴れ狂った。ぞわりと寒気を覚えながらも、井平はその映像を見つめながら記憶を探った。ナンバリングしたアルバムをめくるかのように、目当ての記憶を簡単に掘り起こすことができた。見たものをそのまま切り取った、詳細まで正確無比な画像だった。
呼び起こした写真に写っていたのは、ホテルで戦った少女だった。軍刀を構え、今まさに襲い掛かるその姿がトリミングされていた。井平は記憶の中から、見聞きした少女の全てのデータをかき集めた。自分の背丈や周囲の物と比較し、背丈と体重を割り出した。少女の外見的特徴、声質、利き腕、立ち回り——井平は少女自身さえ知らない些細な癖まで突き止めた。
ただ一つ、匂いだけは感じなかった。あの少女には匂いが無かった。それに気づいたとき、鍵原大尉の顔が浮かんだ。そうか、目だけでなく匂いも彼女たちは似ていたのだ。鍵原にも、匂いが無かった。
あの少女は何者なんだ? そして鍵原も。何故あの二人は似ている? 何故あの二人は同じ獣の眼をしているのか?
井平は瞼を開けた。子供たちが繰り返し殺される血みどろの映像が消えた。井平は病室の窓を見た。あるはずのない景色が映っていた。
病室の窓ガラスには、教会で殺した子供たちが映っていた。井平が寝るベッドを囲むように、そこにいる彼らが反射しているかのように。子供たちはガラス越しに井平をじっと見つめていた。傭兵の少女の姿を脳内に鮮明に作り出せるように、子供たちの姿もまた実物大をそっくりそのまま幻として映していた。生前の子供たちの、聖書で殴られ潰れる前の幼い顔は無表情だった。
井平はガラスに反射した自分の顔へ、視線を移した。薄暗いガラスに映り込んだそれを見て、井平は笑みを浮かべた。
見えないものさえ見えるようになった井平の目は、変貌を遂げていた。その顔に付いていたのは、獣の眼だった。鍵原と、あの少女と同じ。死の淵から蘇った井平は、獣の眼を手に入れていた。
CHAPTER.1 人狩りの少女……完
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