第6話 肉迫


 ホテル百人館の一階の受付に、井平と今藤が並んで立っていた。カウンターを挟んで向かいに立つ職員は、雲田とイリスがチェックインした際に応対したのと同じ中年女性だった。

 ホテル百人館のエントランスは、角に必ずと言っていいほど植木鉢が置かれていた。一番目立たない場所の植木鉢だけ枯れていた。木製のカウンターや樹皮を削り取った丸太を利用した支柱など、地方らしさを感じさせる長閑な雰囲気の施設だ。生まれてこのかた北海道しか知らない井平にとっては落ち着く内装コーディネートだった。

 ホテルを訪れた井平と今藤は89式5.56mm小銃を負い革で肩から提げていた。本来、このような場で一般人を威圧するライフルなど持ち歩くべきではないが、捜索対象が獣兵をも倒す猛者であるが故、今捜査中は常に携帯するよう言いつけられていた。

 日本兵は得てして自国民からも恐怖の対象だ。ライフルまで見せびらかすように持っていては聞き込みにも支障をきたし兼ねないため、今藤はせいいっぱいの愛想笑いを浮かべていた。普段は仏頂面に見える中年男だが、笑うと目元にしわが集まり、案外人懐っこい顔になる。

「こんにちは女将さん。陸軍上等兵の今藤と申します。こっちの若いのは井平一等兵です。ええ、別保基地の者です。ちょっとだけお聞きしたいことがありましてね、すぐに終わるので」

 女職員は訝しそうに、ちらちらと今藤と井平の顔を目で行き来していた。今藤につられて笑顔を作ってはいるものの、内心ではこの時刻に受付に居たことを呪っているであろう。朝っぱらからライフルで脅かして申し訳ないと、井平は声に出さず陳謝した。

「大丈夫です、こちらのホテルに何かあったわけではございませんので。ちょっと人探しをしてましてね。昨夜から今の時間までに、こちらに12~3歳くらいのお子さんを連れたお客はいらしましたか?」

 相手が何人いるかはわからない。夫婦のふりをしているかもしれないし、一人で少女を連れて歩いているかもしれない。今藤は詳細をぼかして女に喋らせるつもりだった。

 とは言え望みの薄い捜査だ。まだ一軒目だし、そう簡単に見つかるわけもない。

 という、井平の予想を良い方向に裏切り、女職員は心当たりのある反応をした。意外とあっさり、肯定的な返答をくれたのだ。

「ああ、いらしましたよ。ちょうど今朝、それくらいの女の子が」

 井平と今藤は顔を見合わせた。まさか、と思いつつも期待は膨らみ、89式小銃の負い革を握る手に緊張が走った。もちろん空振りを前提に考えているが、万が一ということもある。

 今藤は胸ポケットから一枚の写真を取り出し、受付の女に見せた。秘密教会にあったパーキン家の家族写真を、娘の部分だけ切り取ってコピーしたものだ。

「それはこの子でしたか?」

 老眼なのか女職員は目を凝らしてじっと写真を見た。首を捻りうーんと呻り声を出す。

「どうだったかしら。こんな子だったような気もするし……ちょっとわからないですね。顔はよく見てなかったから」

「そうでしたか」写真を見せたまま今藤は尋ねた。「親御さんなどは同伴だったと思いますが……」

「ええ、そうですね。お姉さんと一緒でしたよ」

「お姉さん? 若い女性ということですか」

「いえ、若いというか本当のお姉さんですよ。仲良く姉妹でいらしたんです」

「え、姉妹で?」

 今藤が微かに眉をひそめる。強面に戻りかけたので、彼は慌てて笑顔を作り直した。

 井平は女の表情や身振りに注目した。嘘をついている様子はない。

「お姉さんは高校生くらいだと思います。なんでもそこの第二病院におじいちゃんが入院したらしくて、学校休んで二人でお見舞いに来たんですってよ。偉いわよねえ」

「……なるほど、子供の姉妹ですか」

 今藤は落胆の色を隠すように瞼を伏せ、写真を胸ポケットにしまった。肩越しに井平を振り向き小声で話した。

「ハズレっぽいな。銃兵殺しが子供なわけねぇ」

 井平も小声で言った。「念のため確認して行きましょう」

「だな、さっさと済ませるか」

 今藤は再び愛嬌のある笑顔で、物腰低く女に擦り寄った。

「そのお客が宿泊している部屋を教えていただけませんでしょうか?」

 女が不安げな表情になった。「その子たちが何かしたんですか?」

「いえいえいえ、とんでもありません」今藤は世間話でもするようなテンションを装った。「きっと間違いなんですがね。チェックを漏らすと上官に怒られてしまうんですよ。本当にちらっと会うだけですので」

「はあ……そうですか」

 女は納得がいっていないようだったが、軍人にしつこく追及するほど無謀な根性は持ち合わせていないらしい。怪訝そうに井平たちの顔色を窺いながらも、姉妹が居る部屋番号を教えてくれた。

「案内いたしましょうか?」

「いえ、結構です」

 無いと思うが、もしその部屋に犯人がいた場合、戦闘になるかもしれない。彼女を巻き込むリスクは負えない。

「ありがとうございました。すぐに終わりますので、ええ。それでは」

 今藤は階段へ向かった。エレベーターもあったが、目的は二階だし階段を使った方がここの職員からの心象も良いだろう。井平も受付の女にぺこりと一礼し、今藤の後に続いた。

 周囲に聞こえない程度の声量で今藤はため息を吐いた。

「無駄足だな。ただのガキだ、紛らわしい」

「そうですね、あの職員も少女の顔を覚えていてくれたら良かったんですが……」

 踊り場を回りながら井平が今藤に言った。

「すいません、あの写真見せてくれませんか?」

「あ? ああ、これか」

 今藤は少女の写真のコピーを後ろ手に渡した。井平は写真の少女をじっと眺め、首を傾げた。

「……私が逃がしたあの子って、こんな子でしたっけ?」

 今藤が口をへの字に曲げる。

「はあ? まだ言ってんのか? そいつだったろ」

「やっぱりちょっと違う気がするんですよ」

 何かもやもやとしたものが井平の頭に引っかかっていた。具体的に何が違うのかはわからない。ただあの時スコープを覗いて見た少女の顔と、写真の子とでは印象が違っていたのだ。

 億劫さを態度に隠さず、今藤は肩をすくめた。

「だいたい、顔見てガキだからっつって撃たなかったのはお前じゃねぇか」

「それはそうですけど……」

「俺も暗くてよくは見えなかったけどな、あの神父のガキであることは間違いないんだ。だからあの神父も、ガキを守るために太ぇ根性でなんぼ殴られても口割らなかったんだろ」

「……そうですね」

 頭の中の映像にモザイクがかかったような、釈然としなさを抱えつつ井平は自分を納得させるしかなかった。モザイクと輪郭の合わない写真を上にあげたり横に向けたりし、やはり疑問符を拭えないまま二階に到着した。

「お前の所為なんだからよ、シャキッとしろよ」

 唇を尖らせ、今藤が井平の手から写真をブン取る。薄紫色のカーペットを敷いた廊下の先を顎で指し、今藤が先を進んだ。

「ほら、行くぞ」

 念には念を。井平は89式小銃を肩から下ろし、いつでも撃てる姿勢にしておいた。

 宿泊客は少なく、部屋は半分も埋まっていない。幸い廊下で客と鉢合わせ驚かせることも無かった。客もこんな狭い廊下や、密室のエレベーターでライフルを持った兵士と出くわしたくはないだろう。

 姉妹が泊まっているのは二階の一番端にある201号室だった。受付の女の話では、姉妹は朝にチェックインしてから一度も外に出ていない。部屋に居るはずだった。

「ここが済んだら昼にしようぜ、井平一等」

 そう言いながら、今藤は201号室のドアをノックした。

 ドアの向こうで人が動く気配がした。井平はドアに覗き窓が付いていることに気がついた。



 雲田はテレビをつけ、報道番組に目を通していた。

 パーキンの秘密教会の摘発は取り扱われていなかった。

 軍は宗教が社会に与える影響を軽減するために、公開する情報を最低限に絞っている。信者を逮捕した事実と、それがどれほど悪質な信仰であったかを印象付け、国民に神の概念は悪だと刷り込むためだ。厳しく取り締まる様子を巧妙に切り取って世間に流し、可能な限り人と神を切り離す。それがこの国が、戦後から続けてきた対宗教政策だ。

 パーキンの教会の情報が公開されていないということは、まだ充分な情報が得られていないということかもしれない。何の変哲もない宗教組織ならば、摘発の事実を簡潔に報道するだけで済む。まだどの機関にも存在さえ報じられていない点を踏まえると、軍はあの秘密教会が通常と異なることに気づいたのかもしれない。

 いや、こればかりは雲田に原因がある。イリスを救出するためとはいえ、獣兵と獣兵師を始末したのだ。教会のバックに何かが潜んでいると見越すのは当然の展開だろう。

 幸い、顔を見られた獣兵師は始末したので雲田は軍からノーマークだ。イリスもまだ指名手配まではされていない。軍が慎重な捜査に留まっているうちに、包囲を逃れたいものだ。

 雲田はTシャツを脱ぎ、黒いノースリーブに着替えた。ズボンも新しい物に変えた。報道番組が終わったため、他のチャンネルを回して目ぼしいニュースが無いことを確かめてから、テレビを消した。

 イリスは今シャワーを浴びているところだった。バスルームから水滴が床を叩く音が聞こえる。湯に浸かることも勧めたが、早くベッドで休みたいらしかった。

 正直、昨晩から一睡どころか追手を警戒して気を張り続けていたため、雲田も少し疲れていた。もう丸一日くらいなら睡眠を取らずとも平気だが、どちらかといえば精神的な疲労の方が溜まっている。軍人の一人や二人ならまだしも、釧路にいる兵士全員を敵に回しているようなものだ。これほどハイリスクな仕事は雲田も初めての経験である。

「はぁ……」

 伸びをし、雲田はカーテンの隙間から外を覗いた。ホテルの駐車場に、先ほどまでは無かったグレーの乗用車が一台停まっていた。雲田がいる部屋のほぼ真下だった。

(客か?)

 ホテルなのだから一般客が訪れても何ら不思議はない。実際、今も何部屋か埋まっている。そこまで神経質に警戒しなくてもよかろう。

 だが、その車のナンバープレートを目にした瞬間、雲田の表情は険しくなった。通常と異なる六ケタのナンバー。道路運送車両法の適用外車両であることを示している。

(軍用車!?)

 廊下の方から足音と話し声が聞こえた。カーテンを閉じて雲田が振り向いたその時、ドアがノックされた。

「……!」

 雲田は反射的にベッドからベレッタM9を手に取り、忍び足でドアに近づいた。

 覗き窓から外を見ると、廊下に軍服姿の男女が立っていた。手前に軍帽を被った中年の男と、その後ろに同じく軍帽を被ったポニーテールの若い女。腰には軍刀。何よりも雲田の注目を寄せたのは、彼らが装備している89式小銃だった。

 胸の奥で、雲田の心臓が跳ねた。

(どうしてここがバレた!?)

 ベレッタのセーフティを外し、雲田は覗き窓を見ながらドアにサイレンサーを押し当てた。角度を調節し、手前の男の頭に狙いを定めた。体は冷静に二人の兵を始末しようとしていたが、雲田の内心は穏やかではなかった。

(いくらなんでも嗅ぎつけるのが早過ぎる……獣兵を使ったのか!?)

 男がドアの向こうからこちらに呼びかけ始めた。

「お休み中のところ申し訳ありません、軍の者なのですが。少しお話を伺いたいと思いまして」

 雲田は額に汗を浮かべた。バスルームにさっと目をやる。イリスはまだシャワーを浴びている最中だ。覗き窓に目を戻し、雲田は舌打ちした。

(クソッ)

 男がまたノックした。

「すぐに済みますので。ちょっと確認しなければならないことがありましてね」

 男が相棒の女と目を合わせた。まずい、雲田とイリスが部屋を出ていないことは職員に聞けばわかることだ。あんまり反応が鈍いと余計に怪しまれる。

 あらゆる憶測が雲田の脳を駆け巡った。

 雲田の顔は割れていない、これは絶対だ。ありえるとしたらイリスの人相からここを特定されたか。今は釧路じゅうを兵が歩き回ってイリスを捜しているはずだ。無作為な捜査に、この場所がたまたま引っかかってしまったとでもいうのか。そんなことがあってたまるか?

 雲田は素早く窓に駆け寄り、ホテルの外を見た。包囲されている気配はない。狙撃手がこの部屋を狙っている様子も見受けられない。

「寝てるのか?」

 廊下で男の兵が呟く。雲田は頭を高速で回転させていた。どれが一番リスクの低い回避手段か。今ならドア越しに確実に一人は殺せる。だが発砲は開戦の合図でもある。この場所に雲田とイリスが居た痕跡を残し、その後の逃走が極めて困難となる。

「……どうする」

 雲田は苦渋の顔で瞼をぎゅっと瞑った。

 もしもイリスがここにいると特定していないとしたら? 外に包囲はなくホテルに来ているのはたった二人だけだ。本当にイリスを捕えに来たのか? 全くの別件? その場合ここで撃つのはあまりに無駄なリスクだ。

 男の兵が相棒に言った。「女将に鍵を借りて来い。開けるぞ」

 雲田は目を見開き、心中で下した決断を迅速に行動へ移した。まず刀をベッドの下に隠し、武器を収めた旅行バックを目立たない場所へ置く。荷物が無いと怪しまれるので、旅行バックはわざと隠しはしなかった。あくまで目につきにくい場所だ。

 ベレッタM9をズボンの後ろ側に差し、ノースリーブの裾を被せた。掛け布団とシーツを軽く乱し、枕の位置をずらしてから雲田はわざと足音を立ててドアへ行った。

「はい」

 鍵を開け、雲田はそっとドアを引いて顔を出した。

「なんですか?」

 雲田はつい今まで寝ていた風を装い、ぼんやりとした顔で二人を見た。廊下を引き返そうとしていた女の兵が立ち止まり、こちらを向いた。

「おっ」男がピクッと眉を上げる。「すいませんね、お休み中でしたか。起こしちゃいましたかね?」

「……うん、まあ」

「はは、うるさくして申し訳ない」

「いえ、大丈夫ですよ。昼寝してただけなんで」

 雲田は左半身だけを見せていた。ドアの陰にある右手は、腰の拳銃を握っていた。気取られないように雲田は唾を呑み込んだ。

(どっちだ……?)

 二人の兵は、雲田を敵意の目で見ていなかった。すぐに強硬手段に及ぶというわけではなさそうだ。イリスを捕らえる目的で来たわけではないのか?

「妹さんと宿泊してるんだってね?」

「そうですけど、何か?」

 受付にいた女から聞いたか。あのお喋りめ。まあ、軍人に聴取されたら答えないわけにいかないか。あいつを恨んでもしょうがない。

 男の兵はわざとらしい愛想笑いで手を合わせ、謝った。

「ちょ~っとだけ聞きたいことがあってね。本当にすぐに終わるから、済んだらまたゆっくり寝て下さい」

 男が胸ポケットに手をやる。武器の入るサイズではない。雲田は後ろにいる女の方を警戒した。女は89式小銃のグリップを握り、いつでも射撃体勢に移れる構えだった。

 雲田はドア越しに男に銃を突きつけていた。怪しい動きをしたら即頭を撃ち抜く。そしてすぐにもう一人を倒す。男を盾にして懐に踏み込み、近接戦に持ち込む。

(どっちだ……!)

 さあ来い、私を殺しに来たのか? イリスを捕らえに来たのか? 勘違いならそれでいい。前者だと判断したら撃つ!

「こちらなんですがね」

 男の兵が見せたのは、一枚の写真だった。

「こちらのお嬢さんをご覧になったことはありませんか?」

「……」

 差し出された写真を、雲田は寝惚け眼のふりをして瞼をシパシパさせながらじっと眺めた。一目見てからは、写真を直視しておらず視界の端で兵たちを見張っていた。二人に特に怪しい動きは無かった。

「いえ、ないですね」

 雲田は二人の顔を順に見て答えた。

「知らない子です」

 男の顔に浮かんだのは、ほんの少しの落胆と「やっぱりか」という苦笑だった。先ほどからどう考えてもこの二人はおかしい。雲田のことを全く疑っていない。ドアを開けた直後に戦闘になることをも覚悟していたというのに、盛大な空振りをさせられた気分だ。盛り上がっていたのは雲田だけだったのか。

(こいつらはいったい何をしに来たんだ……? あの写真は——)

 女の兵がついでとばかりに口を挟んだ。

「妹さんは今、部屋にいらっしゃいますか?」

「今シャワーを浴びています」

 その時、バスルームのドアを開けてイリスが出てきた。

 雲田の背に寒気が走った。急いで振り返ると、体にタオルを巻いたイリスが、フェイスタオルで頭を拭きながら呑気な顔でそこにいた。

「馬鹿ッ——!」

 イリスがきょとんとして、雲田が居る方を向いた。丸く開いたその目が、雲田の後ろにいる二人の兵の目と合った。

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