第5話 潜伏


 西暦二〇〇〇年

 大日本帝国

 釧路市鳥取大通 ホテル百人館


 雲田刀子とイリスは朝方の受付開始時刻を待ってから、ホテル百人館にチェックインした。

 ロッジのある森から脱出して以降は、雲田が乗って来た車で移動した。ホテルの近辺にある有料駐車場に停め、車内で一晩明かした。受付では旅行中の姉妹を装ったため、車は有料駐車場に停めたままだ。雲田はそのまま車を捨てる気でいた。

 平日に十代の子供二人でチェックインしたため、当然ながら受付を担当した職員に怪しまれた。その女性職員が学校はどうしたと尋ねて来たので、緊急入院した祖父の見舞いだと嘘を話すとあっさり信じた。ホテルの近隣には釧路第二病院がある。

 ホテル二階の小ぢんまりとした二人部屋を借りた。というのもベッドが床面積の大半を占領しているので、実際よりも狭く感じるのだ。一日や二日二人で過ごす分には不自由の無い程良い狭さだ。

 入室してすぐ雲田は窓のカーテンを閉めた。部屋は運よくホテルの正面が見渡せる位置にあった。受付にはあんな嘘をついたが、わざわざ病院へ行くふりをしに外に出る必要は無い。どうせ長居はしないのだ。

「やっと休めるな」

 雲田はベッドの上にコートを脱ぎ捨て、刀を壁に立てかけた。AK-47は銃床を折り畳めば旅行バックに入れられたが、刀をしまうには幅が足りなかった。チェックインの際は刀を背中に巻きつけ、コートで隠していた。

 雲田は腰につけたホルスターにベレッタM9を収めていた。利き腕の反対側に予備のマガジンポーチもある。ホルスターごと外し、テーブルの上に置いた。

 イリスはドアの前の通路に突っ立ったまま、落ち着きなくそわそわしていた。顔には疲れがはっきりと見て取れた。車内で寝るよう言ったのだが、ろくに寝つけていなかったようだ。

「シャワー浴びてきたらどうだ」

 雲田はベッドに座り、バスルームの方を指さした。

「森を走り回って汚れてるだろ。あと獣兵の追跡を考えても、体を洗って匂いを抑えておいた方がいい。お前が入ったら私も入る」

「あ……うん」イリスはちょっと目を泳がせて頷いた。「わかった」

 イリスはどこか夢現で、状況への理解が追いついていない様子だった。深夜に軍に押し入られ、森を逃げ回り獣兵に殺されかけ命からがら脱出……確かにイリスにとっては怒涛の数時間だっただろう。雲田にとっても軍の介入は想定外だった。

 イリスは服を脱ごうとして、はたと我に返ったように手を止めた。深く被ったフードをぎゅっと握り、盗み見るようにちらちらと雲田に目をやった。

 雲田は腕時計を外した手首をさすりながら、敢えて目を合わせずに言った。

「気にしなくていい。私は知ってる」

「……」

「タオルはバスルームにあるから、それを使え。着替えは夜に買ってきたやつにしろ。今着てるのは捨てる」

 暫し沈黙が続いた。イリスにとって迷いの時間だった。かなり躊躇ってから、イリスは意を決したように雲田に訊いた。

「雲田さん」

「なに」

「雲田さんは……何者なの?」

「……」

 雲田が腰を上げ、イリスはビクッとした。しかし雲田はイリスをスルーして机に置いたホルスターからベレッタM9を取り、またベッドに座った。コートのポケットをまさぐってサイレンサーを引っ張り出し、ベレッタに装着した。

「パーキンから聞いてるだろ?」

 イリスは返答に困った。「えっと……」

 マガジンを抜いて弾薬をチェックしてから装填し直し、スライドを引いて一発を薬室に送った。

「聞いてないのか?」

 目をぱちぱちさせつつ、イリスは頷いた。雲田は呆れたようにため息を吐いた。

「私が迎えに来るとしか聞かされてなかったの?」

「はい」

 森で見つけた時から、イリスの顔に浮かぶのはひたすら困惑の表情だった。なるほど状況的にどうやら味方だと思われるが、果たして雲田が何者でどういった立場にある人間なのか全く知らないのだ。軍人でも無い初対面の人間が武装していたら怯えるのも無理はない。これだけ不安感を露わにするのも致し方ない。

「どこから話したものかな」

 雲田はベッドの上にベレッタを置き、イリスに見えないようにコートを被せた。武器が視界にあったら、きっと落ち着かないだろう。

 余計なことを話しても混乱させるだけだ。雲田は手短に済ませることにした。

「私は猟師だ」

「りょうし?」

「うん。最近だとそう呼ばれることが多い。他にも傭兵とかヒットマンとか言われたりするけど」

「?」

 雲田は獣のような目でイリスを見た。彼女が口にしたのは、その少女の外見に似合わないセリフだった。

「私の獲物は人間だ。私は、人狩り専門の猟師なんだ」



 井平一等兵と今藤上等兵は釧路第二病院の職員用玄関から外に出た。院の裏にある職員用の駐車場に停めていた車に向かう。井平が運転席に、今藤が助手席に乗った。

「来ていなかったな」

 今藤が地図の第二病院に赤色のペンでチェックを入れた。

「深夜から今朝までにここら辺の病院を訪れた十二歳くらいの少女は居ない。八島軍曹や山狩りオオカミの近くにそれらしい血痕も無かった。そもそも怪我なんかしてねぇのかもな」

「ですね。オオカミたちの爪や牙にも痕跡は無かったそうですし」

 井平ら第一中隊は鍵原大尉の指揮の下、隠れイレシタンのロッジから逃げた少女の行方を捜していた。鍵原は夜が明ける前、八島軍曹からの応答が途絶えた時点で既に釧路町と釧路市南部を広く囲う検問を敷いていた。現在まで標的らしき少女は検問に現れておらず、まだエリア内から出ていないと思われる。

 また獣兵を討伐する能力を持った傭兵、若しくは傭兵団が少女と同伴していると考えられるため、捜索は実に七十人もの兵を動員する規模になっていた。ただのイレシタンの子供が逃げただけならば、これほど大規模な騒ぎにはならない。どちらかと言えば、井平たちのターゲットはもはや少女よりも少女を助けた獣兵殺しの方へと移っていた。

「ここら辺の病院はもう見て回ったな。俺らも空き家探しに参加するか?」

「傭兵の潜伏先の捜索ですか」

「ああ。秘密教会やら神社だったものが、この辺にも沢山あるからな。シラミ潰しにするにゃ人手が要るだろ」

 イヌ型獣兵を用いた臭気探知により、標的の逃亡先は釧路市鳥取周辺にまで絞られていた。捜査にあたる兵はエリア内の空き家を重点的に、足と聞き込みで情報を集めて回っていた。

 車のエンジンを始動し、井平が言った。

「犯人はイレシタンじゃないって鍵原大尉は言ってませんでした?」

「だからって無視できねぇだろ。もしもイレシタンなら確実に教会の廃墟をアジトに選ぶ。そうでなかったとしても、元教会なんて気味悪がって誰も寄り付かない、もってこいの隠れ場じゃねぇかよ」

「犯人は傭兵ですよ? そんなわかりやすい場所を選びますかね」

 軍隊や警察の他にライフルを所持している者など、傭兵かヤクザくらいだ。ヤクザのような素人に獣兵を仕留める手練があるはずがない。犯人は訓練を積んだ民間軍事会社の人間の線が非常に濃い。

 道内の民間軍事会社への取り調べも始まっているが、有力な情報はまだ無い。いったいどこの組織がどれだけ人数を派遣したか……イレシタンとの関連まで徹底的に暴き出すまでには時間がかかる。結果を待っているうちに標的に逃げられてしまうかもしれない。

「じゃあどこに居るっつーんだよ」

 朝からどこを当たっても空振りばかりで、今藤は苛立っていた。地図を井平に投げつけ、彼は乱暴な口調で言った。

「大人数が隠れられる場所なんて限られてるだろ。廃墟じゃないならどこだ? 民間人の家にでも押し入ってるかもって言いたいのか? だとしたら一体何件のお宅を訪問しなきゃなんねぇんだよ。賢ぶるのはいいが、代わりに良い案を出しやがれってんだ」

 ブツブツと愚痴を溢しながら今藤は腕を組んだ。

「だいたいお前があのガキを撃ち損じなければな……」

「……」

 井平は地図を拾い、ハンドルの上に広げた。地図には井平と今藤が回った場所にチェックが付けられていた。最後にチェックした現在地を中心に、井平は周囲の施設の名を見ていった。

「……少数だったら……」

「は?」今藤が井平を振り向く。

 地図に目を落としたまま井平は言った。

「もし軍曹殺しが少人数、あるいは単独犯だったとしたらどうですか。二人や三人……あるいは一人」

「おいおい、たった一人で山狩りオオカミと八島軍曹を殺ったっていうのか?」

「もしそうだったら、もっと身軽に潜伏できるとは思いませんか? 誰にも目立たず当たり前のように一般人に紛れ込む……不法侵入などのリスクを冒さずに」

 人手がかかる検問も、いつまでも続けられるわけではない。一般人に紛れて捜査をやり過ごし、規制の緩んだ隙を突いて脱出……あるいは外部の手を借りて検問をすり抜ける、その好機が訪れるまで犯人はできるだけ穏便に過ごしたいはずだ。民家を乗っ取るなどの犯罪行為はもっての他だ。

 少女を連れて逃げた人間は馬鹿ではない。野獣のように狡猾な人物だ。だからこそ八島軍曹と山狩りオオカミを仕留め、まんまと逃げおおせた。

 井平は何としてもあの少女を見つけなくてはならなかった。少女を逃がしたのは井平の落ち度だ。子供だからと躊躇ったが故に貴重な獣兵師と獣兵二頭を失い、隊に今なお人員と時間の浪費を強いてしまっている。

 ぶるっと、井平は身震いした。後部座席に置いた井平の荷物の中に、血に染まり固まった聖書が入っている。何度も子供を撲殺して歪んだ二度と開かない聖書だ。あれで小さな頭蓋骨を割った感触が、まだ井平の手には残っている。

 全てを終えて談話室を出た後、鍵原は井平を労った。そしておそらく八島の応答が無いことから少女を逃がしたと悟った鍵原は、井平にこう言った。肩に手を置き、脳に直接言葉を流し込むように耳もとで囁いたのだ。

「井平一等。次は、ちゃんと撃てますね?」

 あれは、あの少女をお前の手で殺せという意味だった。

 井平はもう躊躇わない。既に何人もの幼い子供を無惨に撲殺したというのに、いったい何を躊躇う必要があるというのか? 今こそ汚名を晴らす時なのだ。己の汚名を晴らせるのは己だけだ。

 静かに決意を燃やす井平の横顔に、今藤が少し真面目な顔つきになって尋ねた。井平の自信ありげな言い分に関心を示したらしかった。

「じゃあ、お前が犯人ならどこに隠れるんだ?」

 井平は地図のある場所を指さした。

「人が居る場所です。人が居て不自然じゃない場所。木を隠すなら森の中だ」

 狙うべきは滞在に適した場所。子供がいるのだから、特に休みやすい所の方が良いはずだ。例えば、宿泊施設など。

 彼女が指さしたのは、釧路第二病院から西へほんの数百メートル行った先にあるビジネスホテルだった。

「ホテルを当たりましょう。子連れの宿泊客が居ないかを、片っ端から探すんです。エリア内にあるホテルの数なんてたかが知れてる。だからこそ堂々と潜伏する、そういった肝の据わった奴ですよ、犯人は。何食わぬ顔で一般人に紛れているはずだ」

「そこがここから一番近いホテルだな」

 今藤が地図を取り上げた。井平の考えを気に入ったらしく、今藤は舌なめずりして無線を手に取った。

「本部には俺が連絡してやる。ヘマした分を取り返すぞ、井平一等」

「ええ」

 井平は急く気持ちを抑え、車を発進させた。目的地であるホテル百人館まで、井平は制限速度ギリギリまでアクセルを踏んだ。



「人を狩るってどういうこと……?」

 雲田の名乗り文句に、イリスが至って平常な疑問を抱く。彼女の健全な反応に、雲田は内心でほっとしていた。イリスは少なくとも、雲田よりはまともで常識的な倫理観を持ち合わせた人物のようだ。

「そのままの意味だよ」

 警護対象を脅かしても意味が無いので、雲田はできるだけ軽く聞こえるように話した。

「人を殺すってこと。殺し屋って言ったら語弊があるけど、まぁ似たようなもんかな。人から頼まれて、誰かを殺す。その報酬で生活してる」

 雲田は言葉を選んでいた。イリスにはあまり難しい言葉はわからない。というより、あまり余計なことを言ってイリスに異常者だと思われないようにしなければならなかった。嘘を言うのは得意ではないし、好きでもない。無駄な真実だけをぼかして聞かせてやれば、理解はされるはずだと信じていた。何せ、今のイリスには雲田しか頼れる者がいない。

「誰でも殺すってわけじゃない。だいたいが死んで自業自得の奴らだよ」

「じごうじとく……?」

「おっと。……悪い人たちってこと。法をすり抜けてるずる賢い悪人とか、汚職軍人とかね。だから獣兵相手も慣れてる。私を拾って育てた人がこういう仕事しててね、手伝ってるうちに私も本職になっちゃったよ」

 イリスは珍しいものでも見るように、雲田をまじまじと眺め回した。イリス自身も大概珍しい存在なのだが、実際雲田も珍種の人間であることは否定できない。

「あの」イリスが恐る恐る尋ねる。「雲田さんって何歳なの?」

「十八歳だったかな、たぶん」

「十八!?」

「うん」

 もう一度、改めてイリスが雲田を頭から足へ目で一周する。当然、イリスは憧憬の眼差しなどしておらず、引き気味の顔だった。

 だが、今までとは心象に微かな違いがあるように雲田は感じた。恐怖が消え、代わりにイリスの顔に浮かんでいた感情は憐れみに似ていた。無意識に心から漏れ出たみたいに、か細い声でイリスは言った。

「……どうして子供なのに、人殺しなんてしてるの?」

「……」イリスが気取れないほどの逡巡を雲田は挟んだ。「さっきも言っただろ、成り行きだよ。敢えて言うなら師匠がそれしか教えてくれなかった」

 雲田はベッドから立ち、バスルームに向かった。

「色々あって、今は君の護衛を任されてる。君を狙う人間を殺す、そのついでに送迎する、っていうのが依頼の内容。詳しいことはまた後で、話せたら話すよ」

 ドアを開けて雲田はバスルームにタオル等が完備されていることを確かめた。清潔な白い壁と天井、浴槽も思ったよりくつろげそうな広さだ。

 雲田はバスルームから顔を出してイリスを覗いた。ちょっとでも緊張を和らげようと、不器用ながら口角を上げてみせた。

「大丈夫、これでもプロだから仕事はちゃんとするよ。見捨てたりしない。オオカミからも守ったでしょ? 今は追手も無いし心配しなくていいから、一旦休みなよ。お湯溜めようか?」

「……」

 イリスはおずおずと歩み寄り、雲田が差し伸べた手を取った。手を握って、イリスはちょっと驚いた。

 あの森では気がつかなかった。雲田の手は銃器を扱っていたとは思えないほど華奢だった。

 手を引き、雲田はイリスにバスルームの使い方を教えてくれた。ちらっと盗み見た横顔は、森で見た顔と同じはずなのに別人のようだった。ぎこちなく笑った顔が、普通の女の子みたいだった。

 仄かな安堵感が胸に広がった。でも同時に、イリスは雲田のことがもっとわからなくなった。

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