第12話 闘争
「みんなは先に帰ってくれ。私にはやることがある」
アスタリクが突然そんなことを言い出したのには理由がある。
ココがハッキングしたと思われるバイザーの表示に、またも奇妙な数字が並んだからだ。それとなく周囲の配下に確認したが、そろって「異常なし」。そんなものが表示されているのは自分だけだった。
アスタリクは、基地まであと一〇〇キロほどの地点で機体を旋回させ、来た道を戻った。
アスタリクには奇妙な確信があった。あの合理的で自信に満ちた物言いのあと、ココ=エンタールが自爆攻撃をするなど到底信じられなかったからだ。バイザーに表示された数字はある座標を示していた。そこに来い、と言っているのだろう。
勝利の喜びと混乱の中、帰投する部下たちはさぞや不安に違いない。しかしアスタリクにはその眼でなにが起こったのか確認する責任と――わずかながらの好奇心があった。
案の定、指定されたポイントは先ほど《アイランド》と交戦した空域。バイザーの表示は自動的にビーコンへと変わり、計器が地上にその発信元を認めている。
VTOLシステムを搭載した《カロン》は、信号が示す地点の数百メートル南の平地へと着陸した。
王国の中心地より二五〇キロほど離れた森の端だ。オゾン濃度はそれほどでもないが、人工的に造成された特殊な緑地で酸素濃度がかなり高く、人間には有害な空気が満ちている。アスタリクは空調が搭載されたヘルメットを密閉し、注意深く周囲を見渡したあと大地へと降り立った。
付近一帯には金属の部品が散らばっていた。転がったタービンに網目状の構造物。炭素由来の素材が焼けた痕跡。そして地面をひっかくように紡錘型に伸びた巨大な爪痕。
アスタリクは、そこが機体の墜落現場なのだと確信した。
携帯型受信機でビーコンを追い、森の中に足を踏み入れる。
間もなく、その信号の発信源である〝人物〟と、彼は邂逅した。
「きみは……イーリーか?」
驚くべきことは多重にあった。凄まじい損壊を見せる墜落現場であるにもかかわらず、彼女が生きていたこと。そして彼女がアスタリクを呼んだのだという意外性。
そしてなによりも、傷ついた彼女の外見だった。
全身傷だらけで焼けこげたフライトスーツはともかく、その右腕は失われており、左脚があらぬ方向に曲がりながら残る脚でしっかりと立っている。頭部は四分の一ほど欠けて奇妙な輪郭になっていた。
そして、その傷口のことごとくはメカニックで覆われていた。血は一滴も出ていない。
いや、彼女それ自身が、サイバネティクスの塊のような状態だった。
――ロボットなのか?
アスタリクが戸惑っていると、イーリーは黒真珠のような眼をぱちくりさせながら、小首を傾げるように頷いた。
その仕草――あの女を連想せざるを得ない。
「このようなお見苦しい格好でご無礼いたします、王さま」
電話越しに聞くようなノイジーな機械音声で――しかし間違いなくココ=エンタールの声で彼女(イーリー)は言った。
「な、ちょっと待ってくれ。まるで理解できない!」
「うふふ」
あのぶっきらぼうだった褐色の女が、少女のように笑っている。
「順番に説明いたします。このイーリー、そしてラヴァール、さらにはあの〝ジャンヌ〟もまた、《シルエット・ステイト》と呼ばれる人を模した機械です。アンドロイドとは少し違って……このボディにAIや意志は存在しません」
「人形、というわけか?」
「ええ。この三体の人形を操り、この人形を通してあなたと会い、お話ししていたのがココ=エンタールなのです」
アスタリクは理解しようと努めた。状況が徐々に飲み込めてきたが、同時に疑問が噴き出してくる。
「じゃあきみは、ココ=エンタールはどこにいる?」
「わたしはこの惑星より離れたところから、遠隔操作で人形を操っております」
具体的にどこにいるのかは、きっと言いたくないのだろうとアスタリクは察した。
「いつからだ?」
少し照れるような仕草で、イーリーは――いや、それを通してココが肩をすくめる。
「最初からです」
アスタリクは眉間を押さえた。彼女が適当なことを言っている可能性はある。でなければ、最初から自分は人形に救われ、人形と話をして、そして人形と作戦を共にしたことになる。
「きみたちは、その……どこか遠方から我々を監視していたというわけだな。まったく皮肉だよ。わが国はきみの訪問と同時に、とっくにアドヴァンスド・テクノロジーに侵されていたわけだ」
ココは指を振った。
「訂正するならば陛下、三体の人形はすべてわたしひとりの支配下にあります。ひとり三役と言えばよろしいでしょうか」
「は?」
アスタリクは阿呆のような顔をしてしまった。この期に及んでこの女は何を言い出すのだろう。
「《エンタール》の御子(みこ)は単騎契約です。ラヴァールもイーリーも、わたしが動かし、わたしが喋っていたのですよ。イーリーが無口だったのは、さすがにそれがお芝居の限界だったからです」
「……」
もはやアスタリクにはかける言葉が見つからなかった。
未だに、昨日まで目の前で会話をしていた傭兵たちがロボットのような存在だったとは信じられない。その上それをすべてひとりで動かしていたと? それならばココは、ひとりで三機の戦闘機を操縦していたとでも言うのか。自分が操作する人形に操縦桿を握らせて。
他の国民ならともかく、〝外界〟での生活経験もある自分が、彼女たちが人工物だと見抜けなかったのも腹立たしかった。それほどまでに彼女たちの外見、そして振る舞いは自然だったのだ。
しかし動かぬ証拠が目の前にある以上、認めないわけにはいかなかった。
「では、私になんの用なのだ?」
やや憮然とした調子で彼は訊ねた。ココは眉根を寄せて言いにくそうに身をよじる。
「実は少ししくじってしまいまして。当初はこの〝イーリー〟も上空で華々しく自爆する予定だったのです。それならば跡形もありません。しかし、その前に大尉殿を助けて撃墜されてしまいました。上手に墜落したつもりだったのですが――機体が木っ端微塵になってもこの身体は残ってしまいまして。我ながら丈夫に作りすぎましたわ」
「……私に、後かたづけをしろと?」
アスタリクは呆れたように呟いた。
「お願いできますでしょうか?」
「まぁ、この国でそんなことが可能なのは私だけだからな」
アスタリクは渋々承諾した。夜中に遠い大地でこれを埋めている自分の姿を想像すると頭が痛くなるのだが。
「だが引き替えに訊きたいことがある。ルーベルトも言っていたが、わが国には君たちに報酬を支払った形跡がない。我が父王の個人資産では到底不可能なはずだ。いったいきみたちは何が目的で――」
「順番に、王さま。まず大きな思い違いをしていらっしゃいます。《エンタール》に傭兵派遣の依頼をしたのは確かに先王陛下ですが……それはこの国の初代国王陛下ですわ」
「なに……」
アスタリクは眼を丸くした。
「初代、ということはバーミア一世ということか?」
「ええ。それもこの王国が建国される前のことでした。植民計画を立てた財団の資金の一部を我らの活動資金に充てたのです」
「待ってくれ。だとすれば一五〇年以上前のことだ。そんな昔からきみたちは我々と契約していたというのか? それでいざ敵が攻めてくると、約束を守って律儀に助けに来たと? 《エンタール》とはいったいなんなのだ? どれくらい昔から存在しているというんだ!?」
ココは人差し指をそっと唇に当て、わがままを言う子供をたしなめるように微笑んだ。
「お答えしかねますわ、陛下。わたしたちにも秘密はあるのです」
アスタリクは心臓が早鐘を打つのを感じていた。過呼吸で酸素量が一時的に下がり、ヘルメット内のファンが音を立てる。遠い祖先であり、建国者でもあるバーミア一世は、この国を打ち立てる前から、今回のような危機が起こり得ると予見していたというのか。
「もうひとつお答えしましょう。それは我らの目的です。わたしたちが、決して資産や資源を目当てに活動しているのではないということを、憶えておいてほしいのです」
アスタリクは顔をまっすぐ彼女に向けると、しおらしくその言葉に耳を傾けた。
「我々の活動も、実をいうとあなた方と共通点を持っています。方法論の違いはあれ、我々の目的もまた人間の進歩に関するものです」
ココは薄緑色の空を見上げた。この惑星の植物は特殊な葉緑素を持っているため、地球のそれに比べて色素が薄く、森が空に溶け込みそうになっている。
「現在銀河を統べる《共同体》は、実のところ巨大企業のカルテルそのものです。新天地と無限の資源を求め宇宙に飛び出した人類は、超理論航法により一気にその版図を拡げ、活動領域はすでに一〇〇光年を超えています。しかし人類に適した居住地は思いのほか少なく、惑星標準化(テラフォーミング)と物資の輸送はいくつかの巨大企業が牛耳り、人類はその搾取の中で隷属し、自ら歩むことをやめてしまいました。手に負えない技術が文明を推し進めた結果、個人ではどうにもできない閉鎖的状況を生み出し、結果的に種としての自律と文化性を捨て去ってしまう。まさに〝反文明進化論者〟が予言したとおりのことがこの銀河では起きています」
「それに対して憂いる気持ちはわかる。きみたちは巨大企業と戦うために傭兵を送り込んでいるのか? だがそれはテロリズムと違うまい」
ココは動じず微笑み続ける。
「少し違います。わたしたちは企業を敵視しているわけではありません。むしろ、人類の後押しとしての闘争を援助しているにすぎません。その闘争の相手は、この銀河ではもはや企業以外にないのです。歩みを止めまい、何者にも隷属しまいと抗いもがく、その闘いの果てにしか人類の進化は存在し得ない。《エンタール》はその理念の元に派兵をし、銀河の中で人間が潰れていくのを阻止したいのです」
アスタリクはやや身勝手なその主張に反論したくなったが、ここではやめておいた。
現に自分たちはこの組織に救われている。それが善であるとか悪であるとか、議論するのも馬鹿らしかった。闘おうという意志は、誰よりもアスタリクにあったのだ。
「なんにせよそのために、とんでもない兵力をきみたちは持っているわけだ。まさに〝奇蹟〟だったよ。私から見れば、あのロボットも、一瞬で機械島を消滅させた爆発も、行きすぎた文明力に思えるのだがな」
「それを完全にコントロールしているからこそ、このような高言を吐けるのです、陛下」
「だろうな。だがそれにかかる費用はとても始祖の手にも負えまい。資源や利益に頼らないのだとしたら、きみたちの目的は何だ? 最後には何を望む?」
そのとき見せたココの瞳は、イーリーのものでありながらいつか見たガラスのような透明性を湛えていた。まるで巨大な海棲哺乳類のような――。
「いつかこの銀河をも手中にして微笑む、そんな人類の進化の果てを《エンタール》は望みます。かつて物理学者が宇宙の果てを望んだように――」
気がつくと、イーリーの身体がふらふらと揺れはじめた。近くにあった樹にもたれかかり、静かに眼を伏せはじめる。どうやらそのボディの活動限界が近づいているらしい。
「では王さま、そろそろお別れの時間です。どうかこの身体の後始末だけはご内密に――」
通信を切ろうとするココに、アスタリクは手を伸ばしかけた。なにか、なにか引っかかることがあったのだ。この一連の闘いの中で、彼女の正体を知った今だからこそ解けそうな謎がある。それを聞かずに行かせてしまうのはどうにも納得できない。
アスタリクはようやくそれに思い当たった。
「待ってくれ、ココ。きみは――ガニッシュになにかしなかったか?」
ココはにこりと笑みを拡げた。――やはり。
「あのラヴァールの喧嘩騒ぎもきみのひとり芝居だということは――ガニッシュとは最初から腕相撲をするつもりだったのだろう?」
「……とすれば?」
「あのとき、〝ジャンヌ〟は――いや、ジャンヌがなんとかという人形だったのだとすれば、ガニッシュに接触しながら彼になにか細工をしたのだろう? 正確には、彼の〝洗脳装置〟にだ」
アスタリクはまた過呼吸になりそうになりながらまくし立てた。
「接触感染したナノマシンかなにかが、ウイルスを送り込んで装置のプログラムを書き換え、アドヴァンスド・テクノロジーに対する免疫を作りだしたのだろう。だから《アイランド》を前にしてもやつは動けたんだ」
イーリーのボディはますます前傾姿勢になり、ずるずるとしゃがみこんでいく。
「そしてガニッシュこそが〝鍵〟だ。そのプログラムを取り出して配布すれば、バーミアの民を洗脳から解くこともできる。ガニッシュがそれほど重要な要素だったからこそ、イーリーは身を挺してそれを護った。違うか?」
がしゃん、と音を立ててイーリーが崩れ落ちた。一足遅かったか。そうアスタリクが諦めかけたとき、彼女の顎がクイと前を向いた。
「その……鋭き洞察力があ……ば、この王国……安泰で……う。どうか、よき闘争を、へい……」
そうしてついにココの言葉は途切れ、二度とその口が開かれることはなかった。
シューッと音を立てて通気するヘルメットの中で、アスタリクは喘ぐ息を抑えていた。
そして彼もまた空を仰いだ。
三連星の太陽のうちふたつが空に昇っていた。
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