第9話 真偽

 それは突然のことだった。

 慌ただしく出撃ブザーが鳴る格納庫の一角で、ココたちの《インフェルノ》に車輪留めが噛まされた。フライトスーツを着たココ=エンタールにMPの銃が突きつけられる。

 その場に駆けつけたアスタリクは、ルーベルトが《エンタール》の三人を拘束したところを目撃した。

「どういうことだ」

 短く問うと、その参謀はタブレット端末を差し出した。

「彼女たちが――いや、《エンタール》がハイラウンドから報酬を得ていたという証拠です。活動資金の流れ、彼女たちの機体の改装、整備記録――すべてに〝南の帝国〟が絡んでいた形跡がある。結局はやつらのスパイだったのです!」

「本当か?」

 ココに向かって反射的に口に出したアスタリクだったが、それに律儀に応えるスパイなんかいないことはわかっていた。

 アスタリクはタブレット端末を覗き込んだが、その証拠能力を吟味している時間などない。すでに朝六時。敵がいつ攻撃能力をともなって領空侵犯してきてもおかしくないのだ。

「反論の用意はありますが、その時間も惜しいのでは、陛下?」

 ひどく冷静にココが言った。手錠をかけられた他の二名も異様なほどおとなしい。今は完全にココがこのチームを掌握している。アスタリクは背筋がぞっとした。

「陛下、彼女たちのプランは破棄するしかありません」

「だったらどうする」

「全面対決か、降伏か――。私の立場では、後者しか――」

 アスタリクはもう一度ココの顔を見てから、ルーベルトに向き直った。

「あの三人を拘束室へ。通常の倍の警備をつけろ。そして全機発進だ。私も出る!」

 決断は早かった。そのあまりの速やかさに、ルーベルトは息を詰まらせた。

「陛下! それでは……!」

「私に玉砕しろと言うならしてやるまでだ。《アイランド》には私が向かう!」

「む、無茶だ……」

 呆気にとられるルーベルトを尻目に、アスタリクは自機の納められた格納庫へと向かった。

「ご武運を」

 まるで他人事のようにそう発したココの言葉が背中に聞こえた。



 アスタリクは自分でも驚くほど落ち着いていた。自分を入れてもわずか七機の《カロン》が薄緑色の蒼穹を滑るように進む。

 このまま会敵してどれだけの損害が出るのか。できれば仲間たちが《アイランド》を目にする前に戦果を残さねばならない。僚機をすべて《モスキート》との交戦に回し、自身は離脱して《アイランド》に向かう。これが誰にも話していないアスタリクの行動プランだ。

 冷静に思い返すと、アスタリクは笑えてきた。そもそも、このまま敵の浮遊工場に突撃してなにができるというのだ。全長二キロの人工島に、小さなジェット戦闘機ができるのは、煙突を一本へし折ることくらいだろう。

 しかしそれまでの間になにかが起こるとアスタリクは踏んでいた。自らが操縦桿を握っているのは他でもないその〝なにか〟のためである。

『陛下、なんとなくこうなることはわかってましたよ。国を護るのは俺たちの仕事だ』

 自分の警護についたガニッシュがぴたりと左翼につく。彼には《アイランド》までの露払いをしてもらわねばならない。

『でもなんて言うんですかね、結局顔の見えない敵だった。こっちに近づいてくる例のデカブツはいったいなんなんです?』

「それを確かめに行くんだ、ガニッシュ。ここから先、私の命令にひとつも逆らわないと誓ってくれ。退けと言ったら退くんだ、いいな」

『はい? 最後の方だけ無線が途切れましたよ。はいはい、なにがなんでもお守りしますぜ』

 そういって彼はガハハと笑った。アスタリクにも笑みが漏れた。いったいどうしてこの国の民はこんなのばかりなんだろう。文明レベルを退化させると、人間の行動や規範もどこか旧時代的になっていくのかもしれない。

 基地を出て一〇〇キロも進んだかという地点で、アスタリク機の無線が秘匿回線に切り替わった。

 彼はどこかでこの展開を予想していた。そして飲み込んだ冷たい唾液が、自身に覚悟と混乱を同時にもたらしていることを教えてくれた。

 ――どうか間違いだと言ってくれ、神よ。

『陛下、私です』

 無線越しに聞こえたのはルーベルトの声だった。

『作戦の中止を具申します。お願いです、まだ間に合う』

「用件はなんだ。いや、条件はなんだと聞いた方がいいか」

『すべてをご存じで――。強い方だ、昔からそうだった……』

 かつて〝外界〟でその友と過ごした記憶が走馬燈のようによぎった。まるで自分が死の淵にいるようだとアスタリクは感じた。

『条件は――〝洗脳装置〟の緊急コードとその入力法です。それをお教えいただければこの危機は回避できます。《アイランド》も引き返させましょう』

 ルーベルトはどこか蕩々(とうとう)と言った。それは彼こそがハイラウンドと通じていることを告白する言葉だった。

「なるほど、あくまで国民の命は救ってくれるか。だが土地はどうなる。方舟を用意したとして、いったいどの惑星に降ろすつもりだ。わが国の理念はどうなる? 先祖が遺した我らの誇りは!?」

『ですが、選択肢をひとつも遺さなかったのもあなた方です。このような実験はもう終わりにすればよろしい! この惑星の開発でどれだけの資源や資産が動くとお思いか。わずか一万人前後の人間の意地に付き合うことで、銀河全体の利益が損なわれるのですよ!』

 銀河に意志があればの話だとアスタリクはひとりごちた。確かにこの星の人間に現状を顧みる自由はない。だが、それでも現状を最善と信じて世代をつなぐ自由はある。それは賭けに近い行為だが、結論が出ていない以上それを突き通すこともひとつの意志だ。

 この国は人間の意志が動かしている。そこにマネーゲームが口を挟む余地はない。この実験の結論は、この国の民が出すのだ。ハイラウンドではない。

「ひとつ教えてくれ、ルーベルト。おまえが買収されたのはいつだ」

 しばらくの間を置いてその参謀は答えた。

『この星に来てしばらく経ってからです』

 アスタリクは笑ってしまった。それでは、いくら友人の身辺を調査したところでボロが出なかったわけだ。それを自分は信じ切っていた。いざ仕事を頼んでみたら、その直後に横からかすめ取られたのだ。きっと目も眩むような金額を提示されたに違いない。

『私はあなたやこの国を護りたかった。それは真実です、アスタリク。だからこそハイラウンドの誘いに乗った。連中は《アイランド》を吶喊させようと思えばいつでもできたんだ。それを私が食い止めていたんですよ!』

 それは真実なのだろうとアスタリクは思った。じわじわと圧される王国がいつか音をあげ降伏するだろうと踏んでいたのか。しかし耳を貸すわけにはいかなかった。ルーベルトはおそらく、自分の内通を悟られぬよう、こちらの犠牲者の数をもコントロールしていたのだから。それは神をも恐れぬ行為だ。

『おわかりいただけましたか、陛下?』

 今度は女の声。まったくいやなタイミングで出てくるやつだとアスタリクは思った。

『まさか、ココ=エンタール?』

 ルーベルトの声が動揺に染まる。

 恐らくはルーベルトは自室からPCを使い、独自回線で割り込んで会話をしているはずだ。さらにココはその回線をオーバーハックして声を割り込ませている。どちらもこの国の規定テクノロジーを超えた技術で。

「きみはどこにいる?」

『《インフェルノ》のコックピットですわ。すでに暖気も完了。いつでも発てます』

「そういうことだ、ルーベルト」

『……私をあぶり出すための、芝居だったということですか』

『参謀閣下、あなたの部屋はラヴァールが見張っています。どこへも逃げられはしません。せめてこの作戦の邪魔はしないように』

 昨晩、《アイランド》の侵攻を管制情報室で知ったあと、挨拶を残してココは去っていった。その背中に見えた〝インプラント・タトゥー〟の模様は奇妙なものだった。

 それはこの国で広く用いられている二次元コードのドットパターンだったのだ。

 アスタリクは自室に戻ると監視カメラの映像をチェックした。執務室で服を脱ぎ、ランダムドットのタトゥーを見せた彼女の映像も鮮明に残っていた。それを管制室のカメラが捉えた二次元コードと重ね合わせ画像解析をかけると、ある情報ストレージにアクセスするためのパスコードが現れた。

 そこから先はアドヴァンスド・テクノロジーの領域だが、そのストレージからアスタリクはひとつのフォルダをダウンロードした。そこには、ハイラウンドから多額の金品を受け取っている逃れがたい証拠、相手企業と交渉をする彼の映像などが納められていた。そんな回りくどいことをしたのは、おそらくルーベルトもまたココを内偵し、彼女が映った監視カメラの映像を細かくチェックしていたからだろう。

 それでもアスタリクはその事実を受け入れがたかった。どちらも信じ、どちらも疑った。

 だから翌朝にルーベルトが行動を起こしたとき、両方に自由を与えたのだ。ルーベルトを泳がし、ココも実際には拘束しなかった。衛兵には奇妙な命令に思えただろうが――。

『あなたは冷静で、賢明な王だ。そんな王に治められる民は幸せでしょう。でもあなた自身はどうなんです? いつまでも〝アスタリスク〟でいられますか?』

 銃声。

「――おい!」

 アスタリクは叫んだ。

『ラヴァールからの報告です。参謀閣下は自害されたと――』

 ――本当か?

 冷徹な傭兵が始末したという避け得がたい想像が頭をもたげたが、今はそれを押し殺した。賽は投げられ、自分はもうルビコンを渡ってしまったのだ。

「すぐに出撃しろ。戦いはこれからだ!」

 苛立ちをぶつけるようにアスタリクは声をあげた。

『は。直ちに』

 無線越しにエンジンの回転が高まるのが聞こえる。こうなったら行けるところまで行くしかない。

「きみのプランは生きているか? 《アイランド》まで援護する!」

 しかし無線の向こうから聞こえてきたのは困ったような笑い声だった。

『……それなんですが、あのプランそのものが参謀閣下を挑発するための方便なのです。残念ながらあの浮遊要塞をシステム側からコントロールするスキルは持ち合わせておりません』

 ――う、ウソだというのか!?

 重たい絶望がアスタリクの後頭部あたりを踏みつけてきた。

『陛下もまたお覚悟なさるべきですわ。その闘争が明日を見つけるためにも――』

 思わせぶりな言葉は機体が滑走する轟音にかき消された。そして間もなく、管制側の正規周波数の無線が復旧し、激しいやりとりが耳に届いた。

「十二時方向、敵機確認。数三〇!」

 アスタリクは、操縦桿を握る右手袋の中が汗でじっとりと湿るのを感じた。

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