第7話 刺青

 かくして〝ダブル・ローリングコースター〟作戦は決行された。前回の襲撃より九日後、《モスキート》は予想より多い十四機での領空侵入。出撃した七機の《カロン》とココたち三機の《インフェルノ》は全機帰還、実に損耗ゼロにして敵機全滅という華々しい戦果だった。

 完全勝利という栄誉を手にしてもなお、アスタリクの顔色はすぐれなかった。

 それは、ココの言うハイラウンド社の最終目標に怯えているからなのか、ルーベルトの言った「次はこちらが勝つ」という予言が当たったからなのか。

 初めての完勝に湧く仲間たちの輪にはいられず、アスタリクはその夜執務室で書類の整理をしていた。この作戦には出撃しなかった彼だが、基地にいても落ち着かず、自分のサインを待つ書類は山と積まれたままだ。

 誰かがドアをノックした。

「私です」

 ルーベルトだと思いこんでいたアスタリクは不意を突かれた。

「……入りたまえ」

 少し咳払いをしてからそう言った自分が恥ずかしい。声の主は、本日の英雄と言っても過言ではない、あの女だ。

「失礼いたします」

 入ってきたココ=エンタールの姿を見て、アスタリクはどきりとした。いつもの軍服でもなければフライトジャケットでもない。裾の長いロングドレスにふわっとしたファーを巻き付け、そこかしこに高価そうなアクセサリーを身につけている。誰がどう見ても完全にパーティー向けの衣装だったからだ。

 化粧を施されたココの容姿は、明らかに軍属の人間とは思えない妖艶さを醸し出している。落ち着き払った態度に高い知能。そしてその美貌は、どちらかと言えば政治やビジネスの世界で成功を勝ち取ってきた女性に身につくものだと感じる。もしくは熟練の映画女優といったところか。美しさの際だつ軍人というのは、違和感以外の何物でもないものだ。

「それなら、さぞ戦勝会も盛り上がっただろうな」

 からかい半分にアスタリクは言った。

「今日は腕相撲はやりませんので」

 初めて彼が逢った日のように、ココはうふふとほくそ笑んだ。

「私を呼びにに来たのか? 誰かが国王のスピーチでも所望したのだろう」

「ええ、それもあります。でもそれ以外に。実は陛下に見ていただきたいものが」

 そう言ってココは後ろを向き、ロングドレスをはらりと床に脱ぎ捨てた。

「おい……!」

 ココの予想外の行動――しかしまるでスパイ映画のような典型的行動に、思わず衛兵を呼びそうになったアスタリクだが、彼女の白い背中を見て言葉を呑んだ。

 そこには一面の抽象的図形が、刺青として刻まれていたからだ。

「きれいでしょう?」

「あ、ああ、まぁな」

 まだその女が、一国の王を色香で陥落しようとしていることを警戒しつつ、しかしアスタリクの眼は見事なタトゥーの陰影に釘付けになっていた。

「あ、ちょっとお待ちください。見せたいのは〝これ〟ではなくて」

 妙に事務的な口調でそう言うと、ココの背中の刺青がみるみる形を変え、無数の色彩を持ったランダムドットに変化した。まるである種の迷彩模様のようだ。

「こいつは……」

「目にするのは初めてですか? いま中央で主流になっている〝インプラント・タトゥー〟です」

 皮膚に染みついた模様が生き物のように蠢き、いくつもの文様、図形を次々に描いていく。まるで彼女の背中がスクリーンになっているようだ。

「磁性体インクを体内のナノマシンで明滅させながら、ニューロンネットワークで図形の再生を制御してます。頭で思うだけで設定したいくつかの模様を呼び出せるというわけです。イーリーを憶えてますか? 彼女は私のための彫り師でもあります。図形の追加にはドットパターンの書き換えが必要なので――彼女の知識や器用さは重宝してますわ」

 最先端のテクノロジーを使っていても、身体に墨を入れる手間は昔ながらということか。だからこそ価値もあるのだろうとアスタリクは思った。

「なんだか変わった図形が多いようだが……。普通は動物や聖人の絵を描くのでは……?」

「これは傭兵として私が救った政府やグループの国旗、紋章です。《エンタール》の仕事は本来極秘事項ですが――こっそり自分が楽しむためにこれくらいは許されるでしょう。まぁ私が死んだら模様はただのドットに戻りますし」

 とはいえ、自分の背中に描かれた模様を楽しむというのはアスタリクには理解できない趣味だった。第一どうやって視るのだろう。

「こんなのを見せられても、感想は言えんぞ。美術にはまったく興味がない」

 ココは再び服を着ると、裾についた埃を払いながら、くすりと笑った。

「この国の旗もタトゥーにしたいのです」

 ――そんなことか。

 アスタリクの背後にはバーミア王国の国旗が掲げられている。そこに描かれた紋章は四代前の祖先――つまり初代国王がこの惑星に植民する際に定めたものだ。車輪と火と稲の組み合わせ。文明の原初に帰ろうとする運動の帰結が、数千人に及ぶ最初の植民者たちによってもたらされた。

「紋章を刻むことは許可しよう。もちろん、この国を文字通り救えたら、だ。民を救うことはもちろんだが、我々はこの土地から逃げ出すつもりはないぞ。ノアの方舟に乗せて終わり、などという提案はよしてくれ」

「もちろんですわ、王さま。必ずや倒します、〝ハイラウンド帝国〟を」

 その冗談めいた物言いが憎たらしかった。いったいこの女は敵なのか味方なのか。

「この国の成り立ちを、きみは知っているのか?」

 アスタリクは何の気なしに訊いた。目の前の奇妙な傭兵とのお喋りは嫌ではなかった。

「ええ、陛下。二世紀も前の人々の考えが、今こうしてひとつの国となり栄えている。なかなか興味深い事例だと思います」

 アスタリクは自嘲気味に笑った。

「〝反文明進化論(アンチ・カルチャリズム)〟か――。その通り。この国は、テクノロジーをあえて進ませず、適当な停滞状態に置くことで衰退の道をも閉ざすという先鋭的な思想によって作られた国だ。結果的に二三世紀のテクノロジーを二一世紀初頭のレベルに維持することが最も適当だと判断された。当時の文明で最も忌避された原子力だけは使わず、あとは農耕や牧畜、そして電気エネルギーのほどよいバランスでこの世界は〝運営〟されている」

「ひとつ質問なのですが――人々はこのような生活に満足し、同意しているのですか? 先へ進もうとする勢力にはどういった対応を?」

 アスタリクはそれこそ自虐的な笑みを浮かべた。

「秘密警察のようなものはないよ。残念ながらもっとひどい手段で封じている。〝選択的浄化(コレクタブル・ウォッシュ)〟という言葉を聞いたことは?」

 ココは小首を傾げた。よく目にする彼女のポーズだが、今回は否定のニュアンスがこもっている。アスタリクは自分のこめかみに指を当てた。

「大脳に取り付けられた装置が神経電位を変化させ、この状況に対する疑問を無意識のうちに取り除いているんだ。柵の中にいることに気づかない羊たちさ。みな赤ん坊の頃にカプセルを飲み、装置を定着させる。カプセルを赤ん坊に飲ませることも、こうした外科的マインド・コントロールのプログラムだ。そうすることでこの楽園を維持し、針の進まぬ時計を見つめながら幸福を享受する。食べ物も資源も娯楽も、コントロールされた文明の中で可能な限り与えられる。しかしその先は決してない。あの広い宇宙を旅してきながら、外に別の世界があることを、決して気づかせないのがこの国の秘密だ」

「あなたを除いて」

 気がつくと、ココが静かに歩み寄っていた。油断せぬまま、アスタリクは彼女の顔を見つめた。

「この国の王の名は代々アスタリク。といってもたかだか五代目だがな。アスタリスク(*)に似てるだろう。この国の王は注釈つきなのさ。『ただし彼は除く』――ってな」

 ココは薄い笑みを浮かべている。きっとこれがこの女の自然な顔なのだろうとアスタリクは思った。傭兵として多くの戦場を生き、数え切れない命を奪いながら、きっと彼女も注釈つきの人生を歩んできたのだ。だから笑っていられる。何十光年と版図を拡げた人類の中で、誰かとのつながりを気にすることなど馬鹿げたものだ。彼女も独りだからこそ笑えるのだ。

「陛下は闘っておいでなのですね。それで安心いたしましたわ」

 ココはドレスの裾をまくり上げ、その場に跪いた。まるで中世の騎士のごとく。

「わたくしめと、〝真の契約〟を結びませんか?」

「……なにを言い出す?」

「さすれば《エンタール》はすべての力を解き放ち、この戦いに勝利することを約束します」

 アスタリクの頬の筋肉がぴくりと動く。

「アドヴァンスド・テクノロジーを使うつもりか」

 アドヴァンスド・テクノロジーというのはいわば外界の技術レベルのことだ。《モスキート》もそれで動いている。しかしそのことを民衆の目に触れないように隠し通すのも王の役目だった。

「そうすればひとりの命も失うことなく、敵に勝利できます」

「ならん!」

 アスタリクは一括した。膝をついたままのココは身じろぎもしない。

「外部の知識は――そのテクノロジーは、深く根付いた脳の装置に悪影響を及ぼす。情報量が管理レベルを超えれば、体内でショートを起こす可能性さえある。そうなったら民衆のすべてから装置を取り外さねばならん。それがなにを意味しているかわかるか!? バーミア王国の終わりだ!」

「いいえ陛下。この国の思想がひとつ消え去るにすぎません。民も王も残り、土地も残る。そこになにか不都合でも?」

 アスタリクは怒りに震えながらも奥歯を噛みしめた。確かにココの言うことはわかる。反文明主義を捨て、テクノロジーを解き放ってしまえば敵は反陽子ミサイルひとつで粉々になるだろう。だが、その道の行く先はひとつだ。敵企業、敵勢力との全面戦争。ヒトが持ちうる限界まで暴力を解き放ち、やがてコントロールを失い自滅する。

 そうやって他でもないあの母星(ガイア)を失ったからこそ、アスタリクの祖先たちはこの考えに行き着いたのだ。究極的な保守によって人類の種だけは残す、という超消極的生存論こそがこの国の柱なのだ。

「なぜ私が《ジャンヌ》と呼ばれるか、ご存じですか?」

「救国の乙女を気取りたいのだろう」

「目の前でなにが起こっても、〝奇蹟〟だとおっしゃったらよろしくて?」

 悪戯っぽく微笑む少女のようなその顔を見て、アスタリクは唐突に悟った。

「……私をからかったな」

「失礼ながら、陛下のお覚悟を試しました。それならば我らも命を賭す価値があるかと」

 アスタリクは目を見開く。

「そうか。君たちにとってもリスクなのだな。最先端を行く敵に対し、ジェットエンジンを積んだ戦闘機で立ち向かわねばならんのだから――」

 ココはやはり首を傾げながら頷いた。その仕草が、アスタリクには初めて可愛らしく見えた。

 そこに再びノックの音。しかしその音の主が携えてきたのは、アスタリクにとって最悪の知らせだった。

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