第6話 遊戯
アスタリクが食堂に入っていきなり眼にしたのは、向かい合ってお互いを牽制するラヴァールとガニッシュだった。若き国王は嘆息する。このふたりの組み合わせならアフタヌーンティーにミルクを添えるようなものだ。
椅子やらテーブルやらは周囲にどかされ、すっかりリングが作られている。しかしお互いどこにも怪我を負っていないところを見ると、ゴングが鳴る直前ということか。
さすがにアスタリクがそこに入ると、現場にいた兵士たちは速やかに敬礼した。だが、彼はここで強制的に喧嘩を終了させ、両者に懲罰を与えるようなやり方をしない主義だ。
もめ事には必ず決着が必要だ。どちらが悪いにせよそれは軍事法廷ではなく、もっと彼らに相応しいやり方がある。それを押し殺して戦闘の現場で他者にぶつけるような輩にこそ、この指導者は厳罰を与えていた。
「で、どうするんだおまえら」
アスタリクが質(ただ)すと、ガニッシュが青筋を立ててラヴァールを罵る。
「こ、この男が我らの国を冒涜したんでさ! どこから来たのかしらねぇが、野菜に泥の匂いがするだと? 当たり前だ! 貴様らの喰うものは土から採れねぇってのか!」
これまたきわどい挑発をするものだと、アスタリクは感心してしまった。ちなみに、星間移動で人生を終えるような〝旅民(トリップシュート)〟と呼ばれるスペースノイドの食料は、人工合成されたものがほとんどで、土から採れた食物になんともいえない不潔感を感じる者は少なくない。この銀河には、一粒の細菌も腸に入れたくない〝無菌主義者(ハーミッター)〟がいるくらいだからさもありなん。それをこの純粋なバーミアの民に説くことができないのが歯がゆい。
「ああ、それじゃ口ゲンカなわけだな。だったら歯を引っこ抜いて泣かなかったヤツが勝ち、ってことにしよう」
するとラヴァールがケタケタと笑った。むろん冗談である。しかし他ならぬ国王の口から出た言葉ということで、ガニッシュの顔は半分蒼白だった。ラヴァールもそれがおかしかったのだろう。
「お、俺はそれでもかまわん!」
ガニッシュはいきり立つが、大事な作戦の前に食いしばる歯を抜くつもりは、アスタリクにも毛頭ない。
「腕相撲ではいかがでしょう」
アスタリクの後ろから声が聞こえた。振り向けばそこにココ=エンタールが立っている。
「アームレスリングならスポーツですし、まぁケガすることもないでしょう」
「フン、腕をへし折ってやる!」
乗り気なガニッシュに対し、ラヴァールは面倒くさそうに肩をすくめている。ヤジやら挑発やらで場がどっと沸き立った。
「対戦相手は私です」
しかしココがそう宣言すると、食堂はにわかにざわめいた。アスタリクでさえ言葉を失う。体重八〇キロの大男を前にして、いったいなにを言い出すのかと――。
「待ってくれジャンヌ、なにもあんたが……」
さすがのラヴァールの顔にも当惑の色があった。
「部下の不始末は私の責任です。こういうとき、私が矢面に立つ方がこの男にも堪えますので」
ココがラヴァールを強くねめつける。当事者は、まるで母親に叱られたように視線を逸らしていた。
そうこうしている間に机が運ばれ、腕相撲のリングが作られると、もはやアスタリクがどうのこうの言う事態ではなくなっていた。戯れに「歯の抜きっこ」なんて提案したばっかりに、みんなそれよりも安全なゲームの実行にまっすぐ流れてしまったのだ。
「レディ!」
こうなると試合の進行は速い。腕相撲の審判はもう決まっていて、見事な手順でふたりを着席させ、簡単なルール説明まで済ませてしまった。
「ゴー!」
審判の挙手と同時にばったん、と派手な音が響いてココの上半身が九〇度傾いていた。
「いった~い!」
全員が口を開けて固まるほどに鮮やかな決着。勝者ガニッシュは喜ぶどころか、なにか悪いことをしたような複雑なはにかみ顔をしていた。普段ならブーイングが飛ぶような駄ゲームだったが、ココの乱れた前髪を見て軽口を叩く男はいなかった。
「ちょっといいですか陛下!」
赤くなった手の甲を見せて、ココが頬を膨らませる。まるで少女のような仕草にアスタリクも戸惑ってしまう。
――なぜ俺に矛先が?
「配下への教育がなっていません。失礼ですが、ガニッシュどのの階級は?」
「た、大尉だ」
「大尉ともあろうものが、私がここに座った真意を汲み取っておられない! ラヴァールでも勝てるかどうかわからない腕相撲の試合、私などが立ち向かって勝負になるはずもありません。でもこの場を収めるためにわざわざ恥をかくつもりで提案したのです。ならば、大尉どのもその意を汲んでかりそめの勝負を演じ、その上で私をくだしてこその腕相撲でしょう! そうすれば私も傭兵の長としての面目が立ち、ガニッシュどのも名誉を得ます。でも、これじゃただの弱いものいじめですよぅ!」
そう言ってココは泣くふりをした。
なんというか、この女はヘビのような知恵者だとアスタリクは思った。男と女が舞台に立った時点で、すでにこの試合は〝勝負〟ではない。あくまでもこの両者の仲裁を目的とした〝儀式〟とみなし、幕切れのための調停としたい、と主張しているのだ。
しかし、そんな高度な駆け引きのできる人間など、この基地にいるはずもなく。
「大尉、もう一度お手合わせを」
ココが隻眼の男に向かってウインクする。周りにバレバレのアイコンタクト。
「お、おう」
なんだか状況がよくわかっていないガニッシュが右腕を差し出すと、どうしたことか、ココは左腕をテーブルに乗せた。
「いや、結局それじゃ同じですから。ここはですね、私が実は左利きだったという設定での再戦です。その方が、ほら、自然でしょ」
内緒声で話してはいるが、ココの忖度(そんたく)はギャラリーに筒抜けだった。さっきまで殺伐としていた部屋に思わず笑い声が漏れる。アスタリクは負けを認めた。この時点でココの作戦はすでに実を結んでいた。
「レディ!」
審判も微笑ましくふたりを見つめる。
「ゴー!」
果たして、それは名勝負となった。右へ左へと揺れ動く対戦者たち。丸太と小枝ほどに差のあるふたつの腕が、ダンスのようにリズムよく机を往復している。
そして煽りに煽った激戦の末、ついに決着がついた。ああ~っと観客たちのため息が漏れる。
なんと勝ったのはココだった。ガニッシュはまたもしくじった。しかしあの男に調停だの儀式だのは百年早いだろう。アスタリクもいつしか笑みを浮かべていた。
「大尉、恐れ入ります。まぁちょっと計算とは違いましたが、女子に花を持たせた隻眼の紳士に、大きな拍手を!」
客が自然とそれに応えた。いつしかラヴァールは姿を消している。しかし他ならぬアスタリクも手を叩いていたので、これにてこの諍(いさか)いは終戦ということになった。ココは何喰わぬ顔で食堂を出て行った。
テーブルが元通りに並べられている間に、すっかり怒気を抜かれたガニッシュがアスタリクの元に近づいてきた。彼はぺこりと頭を下げて、
「なんというかどうも、意味がわかりません」
「いや、よくやってくれた。もちろんおまえの気持ちもわかる。ちょっとの辛抱だ、もうあまりあの連中には近づくな」
しかしいつまでもその男は首をひねっていた。
「俺は……フォークは右手なんですが、格闘技の本来の〝利き〟は左腕なんです」
そう言って左腕の上腕二頭筋をさすっている。この期に及んで負け惜しみかと思い、アスタリクは呆れてしまった。
「最初の勝負の方が、〝利き〟じゃない腕なんです。相手が女だから。二回目は本気だった。だけど、まるでガキみたいにあしらわれて勝てなかった。あの女、いったい何者なんです?」
しびれた腕を震わせるガニッシュの顔を見て、アスタリクはぽかんと口を開けた。
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