第2話 淑女

 〝王国〟領土の南の外れに位置するアントワーヌ空軍基地。

 滑走路の定位置に駐機したアスタリクは、コクピット・ラダーを降りるとすぐに例の〝未確認機〟の元へ向かった。

 少なからぬ戦死者の出た戦闘の直後だ。国王の無事を喜ぶ侍従の制止も振り切り、彼は整備兵たちが群がる最新鋭機の方へ走っていった。

「陛下!」

 ともに空へ上がっていた兵士たちが敬礼する。手だけでそれに応え、彼らに道を開けるよう指示すると、人だかりがぱっかりと割れて、すらりとしたくびれのあるフライトスーツのシルエットが眼に留まった。

 アスタリクは空中でココと名乗った、落ち着きのある女の声を思い出した。彼女がきっとそうなのだろう。

 彼女はどうやら、機体の整備概要を兵士たちに説明しているようだった。アスタリクが近づくのを察して、タブレット端末を持ったまま彼女が振り向く。それは、褐色の肌をしたドレッドヘアの女だった。一重まぶたの鋭い眼差しに厚い唇。ぴくりともしない表情は、あのとき自分を助けてくれた声の印象とはやや異なる。アスタリクはにわかに口元を強張らせた。

「先ほどはどうも――」

手を差し出すが、彼女は反応しなかった。握手は――いかなる異邦人でも通じるはずだと心の中で苦笑する。

 国王自らが手を差し伸べる行為に対して、なにもしないという無礼は少なからず周囲を動揺させた。血の気の多いパイロットたちが、今にも飛び出さんばかりに彼女を睨みつけている。

「敬礼」

 アスタリクの背後で声がした。

 すぐさま褐色の女は踵を鳴らして直立し、まるでバネ仕掛けの玩具のように右手を額につけた。

 アスタリクの背後から聞こえてきたそれこそ、無線を通して聞こえてきたあの声だった。

「失礼を、陛下。彼女は私の命令しか聞きません。許可なく握手してはいけないのも我が隊の規律なのです」

 アスタリクは振り向くと同時に言葉を失った。

 そこに立っていたのはブロンド髪の淑女と、口髭を生やした紳士だった。ただしどちらもが、褐色の女とおそろいのフライトスーツを身にまとっている。

 そして彼は理解した。目の前にいる、緩やかに巻いた金髪を胸まで伸ばした美女こそが、自分の元に遣わされた傭兵、ココ=エンタールなのだと。

「イーリー、国王陛下を私以上に敬いなさい」

「ヤー、ジャンヌ」

 イーリーと呼ばれた褐色の女がはきはきと返事をした。

「ジャンヌ?」

「それは私のコードネームなのです、陛下。こちらは部下のラヴァール」

 隣の男が胸に手を置きながら深々とお辞儀をした。それがまず芝居がかっているし、上目遣いのしたり顔にはまるで敬意が感じられない。白すぎる肌に残る髭の剃り跡もなんとなくアスタリクを不快にさせた。口髭が見事なのは認めるが。

「そちらのイーリーは整備士を兼務しています。よろしければこの場を失礼して、メカニックの仕事をさせてもよろしいでしょうか」

 アスタリクは頷いた。ラヴァールとは対照的な仏頂面のイーリーは、なんの感情も示すことなく機体の方に戻っていった。

「そして君が、ココか」

 ココ=エンタールは少し首を傾げるように頷き、軽く微笑んだ。化粧をして戦闘機に乗る者はいないはずだが、三重連星の太陽光を浴びて、ココの唇は艶めかしく光っていた。

 今度こそ彼はココと握手をした。

「三名も来るとは知らなかったが」

「確かに、事前の連絡ができなかったことは謝罪いたします。彼らは私のポテンシャルを最大限に発揮するために欠かせないスタッフなのです。ギャランティは私の報酬から支払われますのでお気遣いなく。改めて、三名の着任を許可していただけるでしょうか」

「断るべくもない」

 アスタリクはようやく自分の口に笑みが浮かんでいることを自覚できた。

 《エンタール》は伝説的な傭兵派遣組織だ。民間軍事組織と言われてはいるが、宇宙のどこに本拠地があり、どのように運営されているか知る者はいない。所属する兵士はみな一様に〝エンタール〟を名乗り、すべてが一騎当千の勇士であるという。

 《エンタール》の数少ない情報のひとつとして、彼ら(彼女ら)とは単騎個人での契約しかできない、というのがあったはずだと、アスタリクは思い出す。だからこそ三名の援軍に彼は戸惑ったのだが、彼女がプライベートに雇ったスタッフは除外されるのだろう。

 それならば彼女が一個大隊を雇えば軍団の編成も可能であり、あくまで対個人の契約ながら、青天井の戦力を得ることができる。そもそもこの時代に「一騎当千」というのがいかにもな大言壮語だし、〝単騎契約〟は《エンタール》の独自性――競合他社との差異――を強調するためのキャッチフレーズなのだとアスタリクは理解した。かの傭兵派遣会社は、要するに〝エンタール〟という名の作戦指揮官を派遣する組織なのだ。

 しかしそんなユニークな組織との接点が、彼にあったわけではない。

 ここにいる映画女優のような奇妙な〝兵士〟と契約を結んだのはアスタリクの父である先王であり、その事実を知ったのもつい先月のことだ。《エンタール》からの連絡で、契約書の類を金庫から発見したものの、それには素っ気ない派遣契約と、それにまつわる法外な価格の報酬について書かれていただけだった。そしてその代金は、すでに支払われていたのである。

 とはいえ、銀河辺縁部に位置する小国家の王に一軍団を雇う金があるはずもなく、恐ろしくふっかけられたとはいえ三名の飛行戦隊を仕入れるのがやっとだったというわけだ。

「陛下、まずは例のものを拝見したいのですが」

 そう述べながら、ココは手でラヴァールに席を外すよう指示した。再び恭しくお辞儀をして、それでも気に障る歩き方をして髭の男は去っていった。

「わかった」

 アスタリクは周囲の目を気にしながら、手を差し出してその淑女をエスコートした。

 フライトスーツをまとったまま、ココは物怖じすることなくそれに従う。アスタリクはそこでようやく気づいたのだが、初めて彼が眼にしてから彼女は、一度もその唇から笑みを絶やすことがなかった。

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