好きと言ったら死にます(私が)(短編)

雨傘ヒョウゴ

好きと言ったら

 

 東雲秋子は死神つきである。


 この世に生を受け、気づいたときには隣に一人の男がいた。大きな鎌を持って、ドクロの仮面をかぶって、真っ黒なローブを羽織っている。地面からはちょっと浮いているし、他の人に見ることもできない。


「秋子、好きという言葉はとても甘美なものだ。だから簡単に言ってはいけない。その言葉を告げたとき、お前はしぬ」


 今日も今日とて、死神は話しかけてくる。すでに、耳にタコである。


「いいか、秋子。ちゃんと聞いているか」


 無視すると、何度も繰り返してくる。なので秋子は鷹揚に頷いた。ふんふん、と死神は仮面の向こうから満足げに鼻から息を噴き出して、ぱこぱこドクロの仮面が音を鳴らす。もうちょっと、人間くささを消していただけないだろうか。いや、人間じゃないんだけど。


「甘いものが好き。いい天気が好き。友達が好き。その好きは、言っても構わない。けれども、一番大切なものの好きを伝えると、お前は死ぬ。いや、俺が殺す」


 だから耳にタコだ。いいか、わかったか。言葉を話すときは、必ずゆっくりと考えてから言うんだぞ。死神からの指導である。そう、秋子は死ぬ。一番大切な、人を愛してしまう感情を持って、それを他者に伝えたとき、秋子は死ぬ。そう決まっているらしい。耳にタコだ。



 ***



 私はとてもひどい難産で生まれた、らしい。今も母が語る思い出話だ。もうだめかもしれない、と診察台の上で苦しみながら考えていたとき、遠い場所に光がぼんやり見えた。大きなお腹が苦しくて、苦しいなんてものを飛び越えて、わけもわからなくなっていたものだから、知らずその光に祈っていた。なんでもあげるから。なんでもいいからこの子を守って。どうか無事に産ませてください。強く願ったとき、光はぴかりと返事をするように瞬いた。ほっとして、そのまま意識が遠のいて赤子の声に引き戻された。私が生まれたのだ。


 あんまりにも苦しかったものだから、きっと夢うつつになっていたの、とテーブルに座ってけらけら笑う母だったが、その隣には大きな鎌を持った死神さんが立っていた。そう、夢なんかではない。母は死神さんに私の命を願ったのだ。そして、死神さんは了承した。


 なんでもいいから、という言葉は、文字通り彼はそのまま捉えた。死神さんは死神だから、命を食べる。でも、生まれたばかりの命を食べたところで、腹の足しにもならないそうで、ゆっくりと時間をかけて熟成させ、愛というものを知り、言葉を抑えきれないほどに大きくなってしまったとき、好きと告げると私は死ぬ。ぱくりと私の魂を食べてしまうのだ。愛を知った輝くような魂はとてもとても美味しいのだと死神さんは語っていた。死神との契約は絶対らしい。


 彼はいつも私の隣をふよふよしていて、「いいか秋子、簡単に好きというなよ。食うからな」と忠告する。

 でも、その好きは、甘いものを好き、いい天気が好きというただの言葉には反応しないから、別に普段から気にする必要はない。ようは愛しているほどに好きな人に、好きと伝えなければいいのだ。


「あ、私このテレビ好き」と、ぽそりと呟くと、私よりも死神さんがびくんと反応して、そわそわと鎌をいじり始める。「この俳優さん好き」 ボリボリおせんべいを食べてみた。死神さんは困惑していた。うろうろと周囲を回る。「イケメンよね」 誰もいない部屋の中でテレビを見つつ呟いてみると、ドクロの顔がこっちを見下ろしていた。


「秋子、言葉は大切にするんだ」


 はいはい、と返事をした。


 死神さんはいつでも私の後ろにくっついてくる。幼稚園から小学校、体育の着替えの時間では、「女子ばかりだ」と呟いて、そっと教室から消えていった。友達とトランプをしていると、いそいそと友達の後ろに回り込んで、「秋子、ここだ、ここだ」と死神マークを教えてくれる。無視して別のところを引っこ抜くと、「ああっ……」と小さな悲鳴をあげていた。


 毎日の登下校も、もちろん一緒だ。「ここから先、トラックがくる。気をつけろ。100メートル先だ」と遠すぎる情報を教えてくれるし、「カラスがいるな。待ってろ、勝ってくる」と言いながらずんずん進んで、もちろんカラスにも彼は見えないので無視をされて戻ってきた。


 中学生になると、テストの時間中、うろうろと辺りを回って、「秋子……答え、教えてやろうか?」とトランプでこりたのかこちらに一度確認を取ってくるようになり、成長した。周囲の能力でテストの成績が変わってはたまらないので、理由を述べ辞退すると納得していた。そして高校。部活に入った。「プライベートの時間も必要だからな」と言って、その間は時間を潰してくれるようになった。


 ***


「人間とはプライベートの時間に、愛を育むものなのだ。俺がいつまでもくっついていては、気になって仕方がないだろう」


 愛とは一朝一夕で作り上げるものではない。死神の常識だ。ふんっと俺は鼻から息を噴き出した。仮面がぱこぱこして正直邪魔だが死神なので仕方がない。


 秋子は高校生になった。いつまでも俺が周囲をふらふらしているわけにはいかない。うんうん、と頷き告げると、秋子は黒縁眼鏡の奥の瞳をすっと細めた。「自分のおかしさをきちんと理解していたの?」 鋭い言葉を告げてくる少女である。ぷげえ、と俺は喉から悲しみの声を出してちょっと泣いた。今日もおさげが輝いているが、秋子は俺が育てた。嘘だ。秋子の両親は秋子をきちんと育てたので、俺はその後ろをふらふらしていた。


 あの日もそうだった。

 秋子が生まれた病院に行ったのは、特になんの意味もなく、ただすることもなく暇だっただけだ。悲鳴が響き渡る部屋を覗いたのは恐る恐るだった。恐ろしいほどの形相で、女に睨まれた。ふげっ、と俺は悲鳴をあげて手から鎌を落とした。部屋の照明に反射して、ギラッと鎌が光ったのだが、彼女は俺を睨んだのではなく、ただ虚空を必死の形相で見つめていた。秋子の母だった。


 なんでもいいから救ってくれというので、死にかけの命をつないだ。さて、食ってやろう、と思ったとき、その生命はあまりにも弱々しいので食いでがなく、契約を結んだ。待てば待つほど、楽しみが増えると思ったのだが、人間の子どもというものを俺は初めて知ったから、俺が食べてしまう前に死んでしまうのではないかと不安で不安で、ベビーベッドと呼ばれる小さなベッドの横で、そわそわ回って様子を見て、少しずつ成長する秋子を見つめた。


 そのときは長く感じるのに、過ぎ去ってみると一瞬だった。秋子はどんどん大きくなった。恐るべきスピードだった。母親の乳を欲しがっていたくせに、生意気に肉を咀嚼する。会話する。そして俺が見えている。「死神だ」と名乗ると、「しちがみ!」と若干異なる言葉を叫んで、「しちがみ!」ともう一回言った。自分でも違うことがわかるのか、「言えない! ちがう! 言えない!!」 地団駄を踏んでいた。心配になった。


 こんな生き物、勝手に好きと告げて、勝手にするっと死なれたらたまらない。契約は絶対なのだ。

 せめて美味しく実ってから食べさせてくれと俺は教育を開始した。愛とは尊きものである。素晴らしいものである。砂場に向かって、大きなハートを指でつくって説明してみる。消された。書いた。すごく消された。悲しかった。英才教育は完璧だった。


 そのかいあってか、秋子はひどく冷静な少女へと成長した。もしかしたら俺の活躍は関係なく、彼女の両親の苦労の賜物かもしれないが、ちょっとくらいなら俺もきっと貢献した。恐らく。


 そんな秋子にも、好きな男ができたらしい。高校生となって、部活に入り、男と二人きり、怪しげな部活で、ほんにゃらほんにゃら呪文を唱えている。死神、なんとか、悪魔、召喚。大丈夫かその部活、と心配になったが、身近にこんな存在がふらふらしているのだ。興味だって持ちたくなるかもしれないと納得した。そして、部長と呼ばれる男は、中々にイケメンだった。ときどき、秋子と顔を近づけて、こそこそと楽しげに話をしている。なるほどと理解した。春が来たのだ。


 俺はなるべく、秋子とは距離を取ることにした。なんていったって、好きな男ができたのだ。俺などいないほうが良いに決まっている。プライベートは大切にする死神なのだ。秋子が部活をしている最中は、なるべく時間を潰すようになった。カラスに無視をされた雪辱を果たすべく「があ! があ!」と叫びながら思いっきり鎌を振るった。相変わらず無視された。


 そして俺は秋子に部室に呼び出しをされた。


 なるべく近づくまい、近づくまいとしていた部活だ。理科室と書かれたそこには、怪しげな標本がたんまりある。死神である俺が言うのはどうかと思うが、学び舎として問題のない場所なのだろうかとやっぱり心配になった。


「ねえ、死神さん」


 秋子はそっと俺に告げた。「あの言葉、言ってみようと思うの」 その場には部長もいる。まさか、とはっとして、どきりとした。「い、いや、まだ早いんじゃないか」 慌てて止めた。秋子はまだ高校生だ。長い理科室の机に、秋子はゆっくりと白い手のひらを置いた。小さな、俺にしか聞こえない声で呟く秋子だったが、違和感がある。部長は虚空に声をかける秋子を見て、首を傾げた。そっと秋子は彼に目配せをした。なんとも言えない気持ちがざっぷんと俺を叩きつけた。


「まだやめておいた方がいいんじゃないか」

「ううん、言うわ」

「まった、まて、ちょっとまてよ」

「またないの」

「私が」


 私が。

 秋子のセリフを聞きながら、鎌の持ち手を強く握った。ドクロの息苦しい仮面の隙間から、男の顔を見た。まるで勝ち誇っているようにも見えた。笑っていた。俺のことなんて、もちろん見えているわけがないのだがなぜだかそう感じた。部長であるあの男と、秋子はいつもこそこそと話している。春が来たのだから、そっと距離を置くべしと思っていたが、なんだか腹の奥がずきずきする。――実のところ、痛いのは腹ではなく胸だったとあとになって気づいたことだったのだが、俺には心臓なんてものはないので知らなかったし、わからなかった。

 秋子は笑った。ゆっくりと。「私が、とても好きな人は」 指をさす。俺に向かって、まっすぐに。


 首を傾げた。んん? と横に傾けた後に、左に傾く。よっこら、よっこら。何度か左右を繰り返したあと、「へっ」 人外の声が出た。別にもともと人外だけど。



 ***




「ふへぇっ」


 一体なんて声を出すの? と、とてもびっくりした。死神さんはドクロの仮面のまま、ぴょんと体を飛び跳ねさせた。勢いで少し仮面がずれてしまって、ほんの少し口元だけが見えている。本人はなんとか取り繕っているつもりらしいから、すぐさま仮面を元通りにさせた。口から出た自分の言葉にも気づいていないかもしれない。いつもはかぶっている黒いフードもずれていて、珍しく見えた彼の少しだけとんがった耳の先は真っ赤だった。


「い、いやいや、お前は何を言ってるんだ」


 溜め息をついて、冷静ぶる余裕はあるらしい。けれども私は知っている。生まれたときから彼といるのだから、彼がそのおどろおどろしい見かけと違って、ただの変わった間抜けなのだということを。


「死神をからかうもんじゃない」

「からかってないわ」


 もちろん、人差し指はつきさしたままである。人様に指を向けるなど、行儀の悪いことだが仕方がない。そうしないといけないのだ。


「だ、だって、そんなのおかしいだろ。俺はお前の命を狙っているんだぞ!」

「そうね。美味しくなったら食べてくれるのよね。でもね、私あなたの色んなことを知っているの」


 例えば、必要以上にお節介なところとか。

 例えば、他の人からは見えないから、ときおり寂しがっていて、私と話すことが嬉しくてたまらないのだとか。でも、私の自由を作ろうとしているところとか。

 数をあげればきりがない。

 だから、そう、間違いなく。あえてその言葉は口にはしないけど。


「それにしてもよかったわ。やっぱり、言葉にしないと意味がないのね」


 彼は契約を行ったと言っていた。間抜けな彼だが、職務に忠実であった死神さんは、きちんと契約内容を紙に書き記してくれた。「本当に愛していて、好きな人に、好きと言ってはいけない」と、しっかり書かれていた。人間の文字を私にしか見えない紙には意外と綺麗に書かれていて、何度も見て、指でさわった。ひどく愛しく感じたのだ。


「つまりそれって」


 口元を軽くひっかいてみる。


「口に出さなきゃいい話ってことよね」


 今回のように、指をさして相手が理解してくれれば問題ないのだ。

 死神さんは、私の言葉をきいて、あんぐりと口を開けていた。


 なんと適当な抜け道か、と思ったけれど、そもそも、彼が言う好きという定義は、死ぬということがわかっていても、それでも言ってしまうくらいの尊い気持ちを食べてしまいたい。ということに尽きるから、今回はまだそれに至っていない、という意味になって、ノーカンになってしまうのだ。

 死神さんのことは本当に好きだから、彼に食べられてしまうならいいかもしれない、と思いはしたが、両親に悲しまれるのは本意ではない。あんまり若くして死ぬのはよくない。


「な、なんだよそれえ!」


 死神さん本人もひどくショックをうけているようで、ずれた仮面から覗く口元がぱくぱくして、声にならない声を出して転げ回っているようだ。


「勘違いだ! いいか、お前はひな鳥と同じだよ、親の鳥の後ろを何も考えずにぴこぴこくっついてくるのとおんなじだ! すりこみってやつだよ!」

「いいえ、違うわ。逆なのよ死神さん。目覚めたのは母性本能。こんなやつを一人で放っておくなんて心配でたまらないと、貴方が書いた砂場のハートを消しながら考えてたの」

「それ幼稚園のころだろーーーー!!」


 とてもかわいい。

 ぴんぴん立っている耳はかわいいし、真っ黒な頭とか、ときどき見える口元とか、随分うっかりさんなところや、寂しがりやなのに、心配やで、『食うからな』と彼にしては頑張って怖い声をつくっているところが好きだ。だからまだ言葉にはしないけど、伝えたくてたまらなかった。


 彼が甘美だと言っていた美味しさは、この気持ちにあるのだろうか。できれば確かめていただきたい。「そ、そもそもだ!」 死神さんは、商売道具であるはずの鎌の取っ手の先を、がんがん床に叩いている。「秋子、お前はそいつのことが好きなんじゃなかったのかよ! そこの男!」 部長のことである。私が部長を見ると、部長はわくわくした瞳を消し去ることもできず、ただ笑っていた。


「し、東雲さん、そこにいるの?」

「ええ、おりますとも」

「わあ、わあ、わあ! 身近に、そんな、死神が!」


 悪魔研究同好会。これが部活の名前である。部員は二人きりなので、部活にすらなっていない。文字通り悪魔を研究する集まりだが、部長は黒魔術や怪しげなものならなんでも大好きなので、私がこの部屋のノックを叩き、生まれたときから死神がいると伝えてみるとただただ瞳を輝かせた。まさか信じてくれるとは思わなかったが、存外、好きな人の話ができるとは幸せなことなのだと知った。


「私だって乙女よ、たまには好きな人の恋バナくらいしたくなるわ」

「ンンンンン???」


 死神さんはすでに鎌を放って腕を組み、体をくの字にして困惑している。「い、いや、百歩譲ってだ、お前が楽しげにしていたのが、お、俺の話をしていたからだとしよう、それがなんで、この場にあいつが、いやこいつがいる理由になるんだ?」 あいつ、からこいつ、に言い換えた理由は、初めは遠巻きで見ていたはずの部長が、瞳をきらめかせながら死神さんの周囲をくるくるし始めたからである。


「ねえ、東雲さん、ここ? このあたり? ここ、顔? ここ、お尻かな?」

「お尻はやめてあげてください」


 部長を静かに止めて、考えた。「……そうね」 言葉にすると、少しだけ難しい。部長と私が恋仲に近いものであると、死神さんは勘違いをしていた。そう、私は気づいていた。


「死神さんを驚かせようと思ったの。部長がいれば、彼に告白しようと勘違いするかなと」

「お、驚くわァーーーッ!!」

「意趣返しができたわ。満足よ。からかってみたの」

「からかってないって言ったばかりだろぉーーー!!?」


 少し腹が立っていた、というのも事実だけれど、慌てる死神さんの耳の先っちょが、珍しく見えただけで満足だ。喜ぶ部長に、とりあえず今日のところはこれまでで、と解散しつつ、オレンジ色のいつもの通学路を歩きながら、死神さんに聞いてみた。


「ねえ、この場合、あの言葉を言ってしまったらどうなるの?」


 好きという相手は、人ではなく彼相手だ。美味しい感情は、彼に向けてのものだから、少しばかり味が変わってしまうのだろうか。死神さんは真っ黒なフードをかぶって、うんうんうなった。それからしばらく静かになって、ぼんやりしていた。現実逃避をしているのかもしれない。「……考えていなかったからわからない」「そう、じゃあちゃんと考えておいてね」「ンンンンン」 唸っている。


「そんなことよりもだ」と死神さんは顔を上げた。そしてビシッと鎌を目前に突き出した。


「秋子、気をつけろ! バイクが200メートル先から来ているぞ!」

「遠すぎるわ」


 さてこれから、私は定期的に死神さんに問いかけることにした。ねえそろそろ、言ってもいい? と確認するたび、死神さんはちょっと待て、まだ先だ。じゃあそろそろ。待ってくれ。


 大人になってスーツを着るようになってからも、部長は今でもいい友人だから、死神さんは元気かな、と喫茶店でコーヒーを飲みながら話し合う。すねたように、隠れるように座っている彼に私は面白がって声をかけた。慌ててかぶったフードがずれて、尖った耳が見えている。真っ赤な色だ。


「ねえ、そろそろいいかしら?」


 彼は僅かに仮面をあげて、口の先をとんがらせていたから、笑ってしまった。


 さて。私が耐えきれず、好きと伝えてしまうときは、一体いつになるだろう。それは案外遠くない未来なような気がするし、あふれるような好きの気持ちは、抱えきれないほどに、腕の中でいっぱいだ。


 私が彼に殺されてしまうのは、近々のことかもしれない。


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好きと言ったら死にます(私が)(短編) 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo

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