第39話 洗車と制服

 あの出来事から、初めての休日、俺は思い立って洗車を始めた。

 燈梨がやって来てから、なんのかんので忙しく、毎週の恒例行事だった洗車も、ご無沙汰になってしまっており、車も汚れてきているのだ。


 店にはいつもの如く、舞韻が、仕込みに来ている。

 いつも思うが、仕事熱心だと思う。特に、今は片腕だし、燈梨も沙織もいるのだから、少しは負担が軽くなっていると思うのだ。


 サファリを店の駐車場に移動させると、ガレージの中から、洗車用具を出して、準備を始めた。

 店の水まき用のホースを伸ばして、バケツに水とシャンプーを入れると、水流をストレートにして一気に泡立てた。

 この泡がポイントだ。何事もそうだが、泡で洗うというのが、洗浄の極意と言ってもいい。


 「化粧品メーカー出身のオーナーは、洗顔も、泡立てがポイントだって、口うるさく言ってた系ですからぁ、洗車も、とにかく泡立てをマメにやってましたよぉ」


 舞韻にも、そう言われているくらいだ。


 次に、水流をシャワーにして、ボディ全体をしっかりと濡らした。

 色のせいで気付かなかったが、水をかけた途端、汚れを含んだ茶色い水がダラダラと流れ落ちてきた。このサファリ、かなり汚れていたのだ。

 そして、ガレージに置いてあった台に昇って、シャンプー泡に浸したスポンジで屋根を洗っていく。


 そこに燈梨が出てきて


 「コンさん、洗車してるの? 私もやることないし、手伝ってあげるよ」


 と言うと、スポンジを浸してボンネットを洗い始めた。


 俺が、屋根を洗う間に、燈梨は、ボンネットとフロントの左右を洗っていた。

 サファリの屋根は大きいので、それだけで時間がかかるのだ。

 その上で背が高いので、なかなか大変だった。

 洗った箇所を水で流すと、燈梨が不意に言った。


 「なんか、楽しいね洗車って」

 「そうか?」

 「うん。やったところが、しっかり綺麗になってくるから、やりがいがあるっていうか」

 「それじゃ、今度は乾く前にこれをスプレーして、拭き取ってくれ」


 と、布とコート剤のボトルを渡した。

 俺の洗車は、ワックスインシャンプーで洗った後、ガラスコートをかけていたようだ。


 俺は、ボトルを手渡す前に、屋根にある程度拭きつけておいたので、屋根を丹念に拭き取っていく。

 ……すると、燈梨が、嬉しそうに言った。


 「わぁ、これ吹いてから拭くと、凄く艶々になるね」

 「そうだな」


 燈梨は、プッと吹き出し


 「なんか、コンさんが、他人事みたいな対応するから、分かってはいるけど、ウケる」

 「悪かったな」

 「ゴメン……悪くはないよ。ところで、思ってたんだけど、この車の色、変わってるね。なんて色?」

 「正式名は、グレイッシュ・オリーブと言って、元の色とは、違う色だ」

 「ふーん」

 「元は漁港に捨てられていて、錆で穴が開いていたからな」

 「えっ! そうなの?」

 「それを俺が『可哀想だ』って思って、拾って直したんだ」


 この車の元の色は、グレーだったのだが、元の色が分からないほど錆びていた。

 俺は直す際に、純正の茶色とシルバーのツートーンを希望したが、塗装代が高いため、妥協して、純正色にある中から、これを選んだ。


 そのことを思い出していて、ふと我に返ると、燈梨がこちらを見ていた。


 「ふーん……コンさんは、可哀想なものを見るとなんでも拾っちゃうんだね」

 「な、なんでもかんでもは拾わん……きっと」

 「ふーん……」


 なんでもかんでも、可哀想だからと拾っていたら、きっと今頃は、ゴミ屋敷になっているだろう。だから、そんな節操なく物を拾ってはないと思うのだ。

 俺は、残ったドアから後ろの洗車にかかろうと、後ろ半分に水をかけていった。


 「そう言えば、今日は制服なんだな?」

 「うん」

 「どうしたんだ?」

 「私もJKだからね。今日は、そういう気分で……ってのは嘘で、部屋着を洗濯しててね」


 燈梨は、てへへ……と、いうように笑った。

 そして言った。


 「ねぇ、コンさん、似合う? 制服姿にドキッとした?」

 「似合うけど、ドキッとはしない。女子高生の制服姿に、いちいちドキッとしてたら、街中歩けないだろ」


 燈梨は膨れて、突っかかった。


 「違うよ! 私の制服姿にって事!」

 「しねえ」

 「コンさんは、本当に女子の心が分かってないよね!」

 「悪かったな」

 「悪いよ! 女子と暮らしてるのにそれは致命的だよ」


 洗車を再開した。

 俺は右サイド、燈梨は左サイドを洗っていった。

 俺の方は、要領よく進んで、ドアの裏、ステップ、バックドア、ドア裏、ホイール……と、進んでいったが、燈梨はまだサイドに苦戦していた。


 前は終わり、後ろのホイールを洗っていた時だった。


 「きゃあっ!」


 燈梨の悲鳴が上がったので、反対サイドに行くと、ずぶ濡れになった燈梨が、顔を押さえていた。


 「どうした? 大丈夫か?」

 「水をかけようとしたら、勢いよく出てきて……跳ね返ってきた」


 ホース先端のガンを見ると、ダイヤルが『ストレート』になっていた。

 さっき燈梨が、泡立てをしていたので、その時にダイヤルを戻し忘れたのだろう。


 「さっき、ダイヤルを戻し忘れたんだな。もうシャワーに合わせたから大丈夫だぞ」


 と、ホースを渡そうとした俺は、燈梨の姿を見て衝撃を受けた。

 ずぶ濡れになった燈梨のブラウスは、透けてしまっていて、今日の下着の色が黒だという事が如実に分かる状態になっていたのだ。


 思わず目を逸らした俺を見て、燈梨は胸を手で隠したが、すぐさま、両手を降ろして


 「コンさん」

 「なんだ? ……まずは、着替えて来いよ」

 「いいから聞いて」

 「なんだよ」

 「その……シたくならない?」

 「え!?」


 燈梨は、更にトーンを落として


 「私と……その、えっちなこと」


 俺は、それまでの真面目な心配から、急に話が飛んでしまったことに、少しイラっとしてしまった。


 「お前なぁ……今の話から、急にそんな話題に……」


 と、言いかけたところに、燈梨が、間髪入れずに割って入って、強めの口調で言った。


 「聞いて! 私、この間の廃旅館での話の中で、1つだけ答えてもらってないことがあるよ! 私だって、年頃の女の子だって言ったでしょ。……その私に、手も触れて来ないコンさんが、毎日のように、しているってのを、知っちゃったら、私、物凄くショックだってこと!! コンさんは、私とそういうことしたくならないの?」


 俺は、あまりの急な展開と、燈梨の気迫に、思わずその場にへたり込んでしまった。燈梨は、その俺に跨って抱きついてきた。

 休日の白昼だが、人通りは、ほとんど無い上に、サファリと建物の間にいるため、サファリが目隠しになって、道路側からは人目につくことはない。


 「ねえ! どうなの? ……この間も言ったよね。私、今まで、そういうことしてきたって。コンさんが、そういうことに、価値を見出してない、とかじゃなくて、どうなの? そういう風に処理することは出来ても、私とは、したくならないの?」


 と言いながら、俺のズボンに手をかけてきた。

 そう言うだけあって、その手つきは手慣れている。

 正直、俺の見たくない燈梨が、そこにはいた。


 しかし、それは、俺の態度が招いてしまった事なのだ、という事を、俺は思い知らされた。

 沙織から解放された燈梨に、話した際、そこの部分を、オブラートに包んで誤魔化してしまった事が、燈梨には不服だったのだ。

 ハッキリ言えば、俺が、燈梨を子供扱いしてしまった事に、彼女は怒っているのだ。


 燈梨の手が止まった。

 それは、俺の下半身の様子を知ってしまったからだ。

 当然のことながら、こんな状況になれば臨戦態勢になってしまっている。

 俺は、燈梨を跳ねのけて起き上がった。


 「家に入ろう。風邪ひくぞ」

 「話は終わってないよ」

 「中で訊く」

 「やだ! ここで話す。中に舞韻さんがいるでしょ」

 「分かった」


 俺は、サファリの後席のドアを開けて、燈梨を奥に進ませると、隣に座って、ドアを閉めた。そして、ラゲッジから、毛布を出して渡した。

 燈梨は、それに包まったのを見て俺は静かに言った。


 「触ったなら、分かるだろ? 俺の体がどう反応してるか」


 燈梨は、黙って頷いた。


 「確かに、燈梨は可愛いし、いい体つきしている。胸も大きいし、魅力的だと思う」


 俺は、続けて


 「でも、俺は今の燈梨を抱こうとは思わない」

 「なんで? 言ってることが矛盾してるよ」

 「最後まで聞けって!」

 「なにを?」

 「いいか、今の燈梨を抱くことは、卑怯な行為だ。宿に困っている燈梨を、泊めている俺が手を出すって事は、立場を利用して、燈梨を支配している事だ。そこに、たとえ好きだとか、魅力的だとかいうファクターがあってもだ! 今の燈梨を抱くことは、銃を突きつけて抱いてるのと変わらない。俺は、そんな空しいセックスはしたくない」

 「それ……やせ我慢でしょ」

 「違う、大人の理性だ。じゃぁ訊くが、燈梨は、暑くなったら、電車の中でも全裸になるのか? それと同じだ」


 燈梨は、憮然とした表情で言った。


 「よくは分からないけど……分かった」

 「よし、この話は終わりだ」

 「待って! 今の私とは、シたくないんだったら、そういう関係でない、未来の私だったら?」

 「…………そんなの分からん」


 燈梨は、ジト目で俺を見ると


 「だから致命的って言われるの。サイテーなんですけど」

 「え!? 何?」

 「いいから! 早く残り洗わないと日が暮れるよ」


 燈梨は、着替えに家に入り、俺は、残った左の後部とドア裏、ホイールを洗うと、洗車は終了した。


 「わぁ……やっぱり綺麗になるね」


 降りて来た燈梨は、目を輝かせて言った。

 確かに、洗車前とは比べ物にならないほど、塗装にしっとりと艶が出てイメージがガラッと変わった。 

 この車の状態と同様、燈梨が、感じていたモヤモヤも、クリアになったと思う。


 ふと見ると、燈梨が、運転席のドアを開けて、何かをボソッと言っているのが見えた。


 「私も、この車と同じようになれるのかな?」


 車と同じって、なんのこっちゃ?……この年頃の女の言うことは、よく分からない。

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