第38話 決意のロールキャベツ
俺は、突然の燈梨の申し出に驚きはしたが、同時に燈梨の成長を感じた。
最初の頃の燈梨は、まず誰かにぶら下がって宿を得て、それがいつまで続くかという事だけしか頭の中になかったので、自分の足で立とうとしている、今の言葉は嬉しかった。
タイミングとしても、家出騒動を起こして、ようやく自分の存在価値を自身で認め、舞韻が負傷したという店に入るには好機でもある。
そして、俺自身でも、燈梨を働かせるとしたら、舞韻の店しかないだろうと思っていた。
以前、舞韻から、燈梨を探し回っている人間がいる事は、聞いていたので、下手に外には出せないと思っていたところだが、燈梨の思いは尊重したい。
ここには、うってつけの環境があったのだ。
……なので燈梨に
「分かった。今は、舞韻が怪我して大変だが、やるからには、しっかりと頼むな」
と言うと、燈梨は
「任せといて。お店と家事としっかり両立させるから」
と得意げに言った。
「早速、家事をやって来るね。昨日、途中で放り出しちゃったし……」
と言って、燈梨は、2階へ上がっていった。
俺は、沙織を階段下に見張りに立たせた。
……燈梨に聞かれることを危惧したのだ。
そして、舞韻と店の中に移動し、今後のことを話し合うことにした。
一応、東京ではないので、追っ手が嗅ぎつけてくる可能性は低いが、不特定多数の客が来る店、という性格上、全く無いとは言い切れないので、その辺をどう考えているのか、ということについてを聞いておこうと思ったのだ。
また、追っ手がいる事について、燈梨本人に伝えた方が良いのかも、考えたかった。開口一番、舞韻が言った。
「燈梨には、厨房に入ってもらおうと思っている系です。接客には、沙織のバカと、パートさんを出しますから」
俺は、ここまで聞きたいことを明確に答えられて、ちょっと、呆気にとられていると
「オーナーなら何を聞いてくるかは、分かっている系です。恐らく、訊きたいのはこのあたりの事じゃないですかぁ?」
と、人懐っこい笑顔で、尚且つ、目の奥には妖艶なものを潜ませつつ訊いてきたので
「あぁ……。あまりに的確に答えるから……」
舞韻は、ニッコリとすると、人差し指を口に当てて『しぃー』のジェスチャーをしたため、俺は次の言葉を呑み込むと、舞韻は言った。
「燈梨には、今日現在では黙っているとしても、近いうちに伝えた方が良い系です。今、自分がどのような立場に立たされているのかを。……その上で、彼女の口から何故、今の自分があるのかを、語ってもらうのが最善の策です」
続けて
「その上で、彼女自身がどう動きたいかの、希望を叶えてやるのが私たちの役目だと思う系です」
と、力強く語った。
……俺には、湧き上がる思いのようなものがある。
人生において、逃げることは決して恥ずかしいことでも、卑怯な事でもないのだ。
『逃げるより立ち向かえばいい』……などという、歌の一節のようなフレーズでは片付かないことも人生には多く存在する。
燈梨の身に一体何が起こり、その結果、彼女が、最悪とする方法に訴えてでも、その環境から逃れたくなったかによっては、彼女を家に帰すことが、正解とは決して言えないのだ。
……そう思っていると、舞韻はニヤッとした笑みを浮かべて
「なので、近いうちに、彼女に訊く機会を持った方が良い系です。……なーんか、今回も私は、オーナーが、フォックスに戻って、ひと暴れするような予感がする系なんですけど……」
と、言うと、左腕を突き出して
「その時までに、私は、これを治してサポートします! 燈梨のためにも、ひと肌でもふた肌でも脱ぐ覚悟です」
と、力強く言った。
俺は、安心すると同時に、舞韻の言った『フォックスに戻って』と、いうフレーズに期待以上に、不安がよぎった。
……そんな、煮詰まった表情になっている、俺を見た舞韻は
「そんな顔してないで、ちょっと気分転換に散歩でもしてきたらどぉですか」
と、燈梨を呼んで、2人でどこかへ散歩してこい……と送り出してくれた。
家の周りの住宅街は同じような家ばかりしかなくて、散歩し甲斐のある風光明媚なところはない。
俺は、そんな住宅街を燈梨と並んで歩く。
燈梨は、出かける時に着る服に着替えていた。
……唐突に、燈梨が俺を見上げながら
「ゴメンなさい……今回のこと、私が1人で煮詰まって、先走っちゃった」
「さっきも言ったぞ。……それの通りだ。もう、黙っていなくなろうなんて思わないだろう?」
と俺が言うと、燈梨は頷いた。
それを見た俺は続けた。
「もう、これからは、自分の事だけを考えて生きる時間だ。……今の燈梨の居場所はここで、それに理由や対価なんてない。好きなだけ考えて答えを出すんだ。そのための時間だ」
燈梨は、俯きつつも、大きく頷いた。
コンビニに寄ってアイスを買い、燈梨と食べながら近くの公園へと行った。
……よく考えると昼間の児童公園に行ったことなど、ほとんど無かったため、妙に新鮮だった。
燈梨は、ブランコに乗ると、漕ぎ始めた。
俺は、その様子を眺めながら、考えを巡らせていると、それまでブランコを順調に漕いでいた燈梨が、慌てた表情で、ブランコから降りると、隠すように袖口を伸ばしてみせた……ので、俺は思わず、袖口を掴むと、少し捲ってみた。
そこには、赤く、くっきりと縄の跡が残っていた。
沙織に監禁されていた時の、それだった。
俺は、慌てて言った。
「……すまん! 折角気を遣ってくれていたのに」
「コンさんのせいじゃないよ。……今回は、私のせいだよ。あの沙織って人の事、これ以上怒らないでね。あの人も、あの人なりに必死なの……私にも分かるから」
燈梨は言うと、ちょっと悲しそうな……それでいて、愁いを含んだ目で俺を見てきた。
舞韻から聞いたところによると、燈梨は、沙織に脅されて、下着姿に剥かれ、ベッドに酷い格好で縛り付けられていたらしいのだが、それでも、沙織を庇うのには燈梨なりに感じるところがあったのだろう。
沙織も、長く孤独と闘ってきたのだろうから、そこら辺にシンパシーを感じるものがあったのかもしれない。
燈梨は、ジャングルジムに掴まって数段登ると、俺の方に向き直って言った。
「私、ここに来てから、なんか自分が変わってきたなぁって、感じがするんだ。正直、自分でも信じられないくらいだよ」
そして、てっぺんまで登ると、続けて言った。
「私、家を出てから、家の中に誰もいない時間帯が、一番安心できた。家主がいると、期待に応じなくちゃいけないから落ち着かないし、自由じゃなかった。……けど、今は、コンさんが帰って来るのが待ち遠しいし、いつでも落ち着けるようになったんだ」
俺は、今回の出来事が、燈梨を確実に成長させたと感じた。
そして、ここからが、燈梨の次のステップが始まるとも感じた。
そこで、
「これから、どうしたいんだ?」
と言うと、燈梨は、びっくりした表情になってこちらを見た。
追い出される、と思ったようなので
「俺は、燈梨のしたいようにするのが一番だと思っている。……俺も、今の燈梨と同じ歳の頃に、それまでの環境から逃げ出して自由を手に入れた。……だから、燈梨にも、誰にも遠慮しないで、なりたいようにして欲しいし、それをサポートしたいんだ」
と言うと、燈梨は、いつものへらっとした笑顔で言った。
「ありがと……いつも思うけど優しいね」
「俺は、優しくなんてないぞ。気に入らない奴は、あの世送りにしてきた人間だ」
「そういうことにしておく……でも、私が、今まで会ってきた人の中では、最も優しいよ」
「それは……今まで、ロクな人間に会っていないんだな」
と、俺が返すと、燈梨は苦笑いとも取れる、へらっとした表情で言った。
「そだね……」
ジャングルジムから降りて、少し俯いて考えながら言った。
「少し、考えさせてもらってもいい?」
「いいぞ、いくら時間がかかっても。いきなり即答できない、燈梨の今の気持ちは、当然だと思う。でも、1つ言わせて欲しい」
俺は、燈梨をぐっと引き寄せて、片手で肩を抱いてやり、もう片方の手で頭を撫でてやりながら言った。
「よく、ここまで逃げてきたな。置かれた環境を、そのまま受け入れずに、変えようとすることは凄く大事だけど、難しいことなんだ。当然逃げることも、立ち向かうのと同じくらい大変で大事な事なんだ」
「ありがと。……私、そんなこと言われたの初めてだから、なんか、嬉しいっていうか、なんか温かくなってくる、っていうか……そんな感じ。今までの人たちは、何も訊かない代わりに、何も言わない。互いに自分の事だけ考えていたから……さ」
と、下を見つめながら、以前の事を思い出して、マイナス思考になろうとしていたので、俺は明るいトーンで言った。
「俺だって、自分の事しか考えてないぞ」
「例えば?」
「今夜は、ハンバーグが食べたいなぁ……ハンバーグにしてくれないかなあ……とか」
「ダメ! 今日は、ロールキャベツ」
燈梨は、さっきの暗い表情とは、打って変わって、口角を上げながら、にまっと意地の悪い笑いを浮かべながら言った。
その日の夕飯は、予告通りロールキャベツだった。
これでいい。また俺たちは、1つの壁を越えたのだ。
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