第34話 思いと甘え

 2時間が経過した。

 私は、仰向けの沙織の口に咥えさせていた猿轡を、ぐいっと首の方へ下げた。

 黒い下着姿で、ベッドに縛り付けられた沙織は、すっかり脱力しきっていた。


 この2時間、私と燈梨は、沙織の胸を揉んだり掴んだりして、沙織へのお仕置きをしたのだった。

 特に燈梨は、沙織への恨みが大きく、執拗に沙織が嫌がるところを攻めていた。

 足をくすぐって気絶させることもやっていたし、終いには、脇腹をくすぐって再度気絶させてもいた。


 私は、沙織の両頬をぱんぱんと叩いて、正気に戻らせると


 「フォックスとの待ち合わせは、何時に何処なの?」


 と、訊いた。

 沙織は、目をぱちくりさせて


 「それを知ってどうするつもりなの?」


 と、訊いてくるので、沙織の縄を解きながら


 「あんたと燈梨には、予定通り行ってもらう。……あんたは、フォックスとケリをつけたいことがあるんでしょ。それはやるべき。燈梨も、オーナーに自分の言葉で伝えなさい。そして、返答を聞くの。私は、ここには来なかった。いいね!」


 と言うと、2人は黙って頷いた。


 沙織には、着ていた服を着せ、燈梨は、下着で行かせるわけにいかないので、沙織に適当な服を出させて着せた。

 肩がはだけて、ブラの肩紐が見えるトレーナーが普段着って……どうにも、沙織のセンスにはついていけない。


 沙織1人を、彼女の借りたレンタカーに乗せると、私は燈梨とマーチに乗って後ろからついていく。

 目的地の1kmほど手前の駐車場で、沙織は車を停止させた。


◇◇◇◇◇


 舞韻さんが、車を止めると、私は、沙織という女の車に乗ろうとしたところ


 「ちょっと待って」


 と、沙織から言われて、立ち止まった。

 すると、彼女は、ロープ片手に私に近づいてくるので


 「え? 何? 何?」


 と、言う間に、私の手は、後ろに回されて縛り上げられてしまった。

 私はパニックになって


 「なんで縛るの? 逃げないし、会って話すのが目的でしょ」


 と、訴えると沙織は


 「あたしは、あなたを人質に、フォックスを呼び出したの。その2人が、和気あいあいと並んで登場するのは、不自然でしょ。舞韻が介入したことも、バレちゃうし。だから、フォックスとの話が終わるまで、今まで通りの関係でいくの」


 と言うと、さっきの猿轡を取り出して私の口に咥えさせた。

 何故、喋れなくする必要まであるんだろう。


 私は、舞韻さんの方を見ると、舞韻さんは、苦笑いを浮かべながら、片手を顔の前にかざして謝罪のジェスチャーをしていた。


 もう、仕方ない。と、思える以前にはなかった自分が面白かった。

 私は、沙織という女の車の後ろの席に押し込まれて、待ち合わせの場所へと向かった。


◇◇◇◇◇


 俺が、目を覚ますと、舞韻はいなかった。


 「一度帰ります」


 という、メモが残されており、帰ったようだ。

 不安ではあるが、沙織との取引場所へと向かうことにした。


 ガレージに向かうと、マーチが消えていた。

 舞韻が乗って行ったのだろう。

 元より、それ以外の2台のどちらかで出かけようと思っていたので、特に問題はなかったが、舞韻は、自分の車があるはずなのに、ここにあるマーチに乗って行った。


 恐らく、何かしら動いているんだろうが、それは全て、俺と燈梨に良かれと思ってそうしていることなんだろう。

 恐らく、マーチは先月入手したので、当然、沙織は知らない車になるから、舞韻は乗って行った……と、俺は考えている。


 シルビアに乗って、指定の廃旅館の駐車場の一番奥のスペースにやって来ると、しばらくして青いソリオが現れた。

 ナンバーの平仮名が『わ』なのでレンタカーだろう。


 俺は、事前に舞韻に渡された拳銃に手をかけると、いつでも抜けるように準備していた。

 沙織の事なら、半年みっちりと、しごいた自分に任せてくれと言って、この拳銃を指定したのだ。

 ソリオの運転席から女が降りてきた。

 俺は、沙織だと確認すると、相手の動きを待たず


 「燈梨は? 燈梨は無事なんだろうな!」


 と、感情を敢えてぶつけてみると、沙織は、後ろの席のドアを開け、燈梨を連れ出した。

 肩をはだけたトレーナー姿の燈梨は、胸周りを縄で縛られ、手も後ろに回っており、口にも黒い猿轡を噛まされていた。


 俺は思わず


 「お前の目的は俺なんだろう? なら、俺を煮るなり焼くなり、好きにすればいい。ただし、燈梨だけは解放してくれ!」

 「そちらが、妙な真似しなければ無論、解放しますが、こちらの用が済むまで、この娘には、観客としてここにいてもらいます」


 と言って、裏口のドアを鍵で開けると、俺と燈梨、自分の3人だけが入ったのを確認して鍵を閉めた。

 沙織が、配電盤を操作すると、フロアに一斉に電気が点いた。


 電気は通っているようだ。


 沙織は、燈梨を縛っている縄の端を、片手に巻き付けて、燈梨を引き連れており、隙ができないので、下手に飛び掛かったりしない方が今は賢明だろう。


 沙織を先頭に、ロビーまで到着すると、沙織に勧められソファに座った。


 沙織は、燈梨を俺の左手側にある1人掛けのソファに座らせ、今まで自分の手に巻いていた縄の端を、ソファのひじ掛けに結んで逃げられないようにした上で、俺の向かいに座った。


 そして、おもむろに両手をついて頭を下げると


 「今回は、本当に申し訳ないことをしました。その娘を人質にしたことを、謝らせてください」


 と、丁寧な謝罪をするので、俺はちょっと不機嫌そうに


 「だったら、今すぐ放してやればいいだろ!」


 と、言ったところ、沙織は即座に


 「さっきも言ったはずです。この娘には、観客として最後まで見ていてもらう……と、それに、この娘も、フォックスと話したいことがあるそうなので、私の後にその時間を……」


 と、強い口調で返答したので、俺は、燈梨をチラッと見た。

 話したいことがあるのに、口を塞がれている燈梨は、俺と目が合った後、目を伏せて下を見つめていた。


 落ち着いたところで、沙織が口火を切った。


 「あの時の事を謝りたかったんです」


 一呼吸置いた後、続けて


 「あの時、あたしが生きていることを知った組織が、あたしと、フォックスの命を同時に狙ったので、黙って家を出る以外ないと思って、家を飛び出しました。ゴメンなさい」


 と言ったので、俺は言った。 


 「それは知ってた。だから、先もって組織の壊滅を図ったんだ。ただ、色々根回しがあって結局、沙織が家を出るのに間に合わなかった。それは、こちらが謝らなければならない、と思っていた」


 「じゃあ、その後のあたしのことは……」


 と、訊くので


 「その後、九州に流れて、そこから沖縄に行ったのは、知っている。お前が無事にやっているか気になったから、追ってはいたんだ」


 と、答えた。

 それは本当の事だった。

 組織は壊滅させたものの、それは幹部の話で、末端までは壊滅させていないのと、沙織が、ここにやって来た経緯を考えると、心配でならなかったのだ。

 なので、定期的に、沙織の動向は監視させていたのは事実だった。しかし、こちらに戻って来ていたのは、把握しきれていなかった。


 「俺は、沙織がいなくなってから、未だに、この世界に片足突っ込んでいるんじゃないか、とか、困ったことになってはいないかだけは、いつも気にしていたんだ。

 向こうで、安定した暮らしになったんで、安心していたのに……なんで、誘拐なんてしたんだ! 俺に会うだけだったら、いつでもそのチャンスはあっただろう!」


 と、思いをぶつけると沙織は目を伏せて


 「そのことに関しては、何度でも謝ります。燈梨ちゃんに、申し訳ないことをしました」


 と、再び頭をさげた。その後、続けて


 「でも、あたしは舞韻が怖い。当時も今も彼女が怖いんです。

 捕まって、殺されるような思いをした3日間を過ごして以来、彼女の姿を見ると、恐怖が湧いてくるんです。


 昨夜も、フォックスに話しかけようとしたら、舞韻がこちらに向かってきた。殺される恐怖で、正気を保てなくなった目の前に、彼女がいた。ラッキーだと思ったんです。彼女の身柄を押さえておけば、舞韻に見つかっても安全が保たれるし、人質に使って、2人きりで会うこともできるって思ったんです」


 以前の燈梨もそうだが、沙織も、大概甘ったれていると思う。

 舞韻が怖い、というのは分かったが、だったら、彼女の行動パターンを調べて会わないようなタイミングを狙えばいいだけだ。


 少なくとも、舞韻は、店の営業時間内はよほどのことがない限り、店の中にいるのだから。

 そうしておけば、舞韻に出くわすことも、燈梨を誘拐することもなく、楽に目的を達成できたのだ。

 ……だから、沙織はプロ失格なんだな、と、俺は舞韻の口癖を今更ながら思い出した。


 「それで、お前これからどうするんだ?」

 「えっ?」


 沙織は、驚いているので


 「お前、沖縄で働いてた店辞めて、ここに来てるだろ。アパートも引き払ってるし、どういう覚悟でここに来たんだよ?」

 「いえ、フォックスとの事にけじめをつけたら、正式に裏稼業を引退して、……でも、今回は死も覚悟の上だったので、身辺整理はしっかりしてきたんです」


 と、言われて俺は絶句してしまった。

 ……以前の俺という人間は、もっと容赦のない男であることは自覚しているが、それでも、こんなレベルの事で、命を取るような狭量な男でなかった。


 「俺は、そんなことで、人の命をどうこうしたりしない! それより、お前のこれからの事を、考えなくちゃいかんだろ。お前、実家には帰れないだろうし」


 と言うと、燈梨が驚いたような表情で沙織を見た。


 沙織の実家は旧家で、沙織はお嬢様としての暮らしが嫌になって家出をし、裏稼業にアプローチをしていたのだ。

 その際、実家からは勘当されていて、こっちには、帰るところはないはずだ。


 俺は、しばらく考えて


 「よし、お前は、しばらく舞韻に預ける。あいつに鍛えてもらって今後の人生を考えろ」


 と言うと、沙織は怪訝な顔で


 「なんで舞韻なんですかー? あたしは、フォックスに……」


 と甘ったれてくるので


 「お前、俺といると甘えるだろう。お前の、感情任せで周囲が見えないのは、致命的なんだよ。舞韻はその点、妥協無くお前に接するから適任だ。それに、あいつと一緒にいれば、お前自身も成長できるし、俺の目の届く範囲にいるから安心だろ」


 と言った後で、表情を硬くし、


 「ただし、今度勝手に消えたら次はないぞ! 相談もしてくれない間柄の人間の面倒は見きれないからな」


 と言うと、沙織は、いつになく真面目な表情で


 「分かりました。あの時、何も相談せずに飛び出したことは今でも後悔しています」


 と言い、その表情のまま


 「では、約束通り、燈梨ちゃんをお返しします。申し訳ありませんでした」


 と言うと、燈梨の縄を解いた。

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