第31話 ウサギと猫

 沙織が、燈梨を誘拐した黒幕だと分かった。

 私は、打てる手を全て打っておくと同時にオーナーにこのことを伝えた。


 「そうか……」


 案の定、オーナーは混乱して言葉に詰まってしまった。


 オーナーにとっては複雑な胸中だろう。

 かつて、自分の命を狙った相手ながら赦し、目をかけていた相手に、今、自分の娘のような存在である燈梨を誘拐されたのだ。

 その胸中を慮っておもんばかって言葉をかけずにいると、オーナーが口を開き


 「とにかく、今打てる手を全て打とう。……まず、俺に何ができるかを教えて欲しい」


 私には予想外の出来事だった。


 てっきり、あまりのショックに、悩んだまま考え込んでしまうものだ、と思っていたが、緊急時のこの素早い適応能力は、フォックスの天性のものだと私は改めてこの人の凄さを思い知った。


 「今は、このまま相手の出方を待ってください。沙織の狙いは、オーナーですから、あくまで、フォックスとして、彼女の動きに対応してください。くれぐれも、燈梨の無事を確認してください」

 「分かった。色々とありがとう」


 直後、オーナーの携帯にメールが入った。

 オーナーと私は内容を確認すると、家の前に置かれている紙袋を確認しろという内容のものだった。


 私は、警戒しながら、家を出て周囲を見てみると、店の駐車場のオーナーの仕事用の軽ワンボックスが止まっている脇あたりに紙袋が置かれていた。


 周囲には人や車の姿はない。

 さすがに、プロに対して、今しがた置いていったら捕まってしまうことは想定済みだろう。


 私は、中身が危険物ではないことを確認したのち、オーナーのもとへ行ってそれを黙って差し出した。

 そこには、燈梨の制服一式と靴下、更には

 『この制服の娘を預かっている』

 という紙が一枚だけだった。


 という事は、今の燈梨はほぼ裸だという事だ。

 本当に無事なのだろうか? 脱げと言われて、素直に脱ぐとは思えない。

 沙織が、武器で脅した可能性もあるが、燈梨は芯の強い娘だから、抵抗したとも考えられる。


 そうなった時、半人前の沙織に上手く制圧できるのだろうか。

 失敗して負傷させたのでは……しかし、制服に血痕はないので、もしかしたら咄嗟に絞めて殺してしまったので、脱がせられたのでは……と、私は、最悪の方向をも想像すると、いてもたってもいられなくなった。


 私は直後スマホを取り出したところ、オーナーが


 「彼女に直接当たるのはやめた方が良い。沙織に、これ以上、舞韻が接触すると、燈梨が危険だ」


 と言ったので、渋々それをしまった。


 直後、オーナーのスマホが鳴った。

 ……非通知だ。

 スピーカーホンにして、オーナーが応答した。


 「もしもし」

 「プレゼントは受け取ってもらえたかな?」


 ボイスチェンジャーで誤魔化しているので、男女も分からないが、私にはピンとくるものがあった。


 「肝心な服の中身はどうした?」

 「タダで返すバカがどこにいるんだ」

 「質問に答えろ! 無事なんだろうな?」

 「ああ、暖かい所で、丁重に預かってる」

 「無事だって証明に声を聞かせて欲しい」

 「調子に乗るな! 今ここにはいない」

 「ふざけるな! だったら、そちらの要求には応じない。もう殺してるかもしれないからな」

 「分かった。次に電話した時に、声を聞かせる」


 電話は切れた。オーナーは私に


 「どうだ? 俺では主観が入り過ぎる」


 と、訊くので


 「恐らく、沙織でしょう。話し方が似てます」


 と言うと、オーナーはため息をつき、がっかりした表情で


 「そうかぁ……」


 と頭を抱えた。

 私は、沙織が、犯人であったことへのガッカリ感よりも、要求に応じて、次の機会に約束された燈梨の無事の確認に、期待をする感情の方が遥かに大きいことを感じた。


◇◇◇◇◇


 目を覚ますと、既にあの女が帰ってきていた。

 上着を脱いでいるところなので、帰って来たばかりなのだろう。

 女は、私が目を覚ましたことに気付くと、こちらにやって来て


 「良い子にしていたようね。そうやっていれば、少しずつ自由になれるわよ」


 と、私の頭を撫でながら言うと、口のガムテープを剥がし、詰めていたハンドタオルを口から出した。

 ……テープを何枚も重ね貼りされていたため、剥がされるとかなり痛く、表情が歪んだ。

 女はそれを敢えて無視した。そして


 「これから、電話でフォックスと一言だけ話させてあげる。ただし、余計な事を喋ったりしたら、どうなるか分かるわね? あなたは今、自分は無事だということだけを伝えれば良いの」


 と言うと、スマホを取り出して電話をかけ、私の顔に近づけた。

 すぐに、コンさんの声が聞こえてきた。

 見上げると、女が無言で顎をクイッと上げて、私に話せ、とジェスチャーで訴えてきたため


 「もしもし、燈梨です。……捕まっちゃった。ゴメンなさい」


 と言うと、コンさんから「無事か?」と、聞かれたので


 「大丈夫、私は無事だから。怪我もしてないし……」


 と言いかけたところで、女の手が伸びて、私の口を塞いだ。

 すぐ横に、片手で私の口を塞ぎ、何か機械を通話口にセットした状態で、コンさんと話す女の姿があった。


 女は、コンさんに朝、舞韻さんを連れずに、1人で指定の場所に来るよう言うと、電話を切った。


 女は、口を塞いでいた手を放すと、私を柔らかい表情で見て言った。


 「少し話そうか」

 「私をどうするつもりなの?」


 私はまず、ストレートに訊いた。


 「安心して、良い子にしていれば、無事は保証するから」

 「さて、お互いのことといきましょうか。……あなたは誰? フォックスとの関係は?」


 私は、コンさんとの出会いから、今に至るまでの経緯を話した。

 それを聞いた女は


 「ふーん……まぁ、フォックスならやるだろうね。……あなたみたいな娘を、放っておけないのがフォックスだし」


 私は、自分だけが、訊き出されている状況に不公平感を感じ


 「あなたは? あなたは誰なの? 私にだけ喋らせるなんてずるい!」


 と、縛られた体をバタつかせながら、必死を演じて訊いてみた。

 もしかすると、また額に拳銃を突きつけられて

 『余計な事を探る必要はないの!』

 と退けられるかもしれないが、私にとってこれは訊いておきたいことなのだ。


 女はニヤリとして


 「そうね。あなたにだけ喋らせるなんてね。確かにずるいね」


 と、自分のことを話し始めた。

 それによると、彼女の名前は織戸沙織、通り名はキャットというらしい。

 年齢については、口を開かないが、見た目は20歳くらいなので、それくらいだと思う。


 そして、以前に、舞韻さんが話していた、家出女子のふりをして、コンさんの命を狙った女スナイパーというのはこの人だそうだ。

 その際、舞韻さんに捕まって拷問されたため、舞韻さんに対しては、強い恨みがあるとのことだった。


 「あの女に、拷問されて髪を焼かれて、左手の爪を全部剥がされたのよ。マジムカつく!!」


 と、いう話を聞き、私は舞韻さんと初めて会った日のことを思い出した。


 私は、家を出た理由に関して、口を噤んでおり、対して舞韻さんが吐かせる方法として用いたのが左手の小指から指を切り落とすという尋問方法だった。

 どうも、この女の話だと、最初に爪を剥がして、次に指を落とすようだが、爪でもかなり痛くて辛かったらしい。


 「その上、吐いた後も、髪の毛全部刈られて、丸坊主にされたんだから!」


 と、舞韻さんに対する恨みに関しては、止まらないものがあった。

 しかし、コンさんに対しては感謝の言葉を口にしていた。

 本来なら殺されているところを、舞韻さんと一緒に、弟子として育ててもらったこと、家に住まわせてもらったことに対してなどに。


 私はそこまで聞いて、疑問に思ったことがあった。


 「なんで感謝しているのに、黙って家を出たの? 2人とも、そのことに対して心を痛めているのに」


 思わず、訊いてしまった。

 その質問が、トリガーだったようで、沙織と名乗った女は、不機嫌な表情に変わり、私の口にガムテープを貼ると


 「調子に乗らないでよ! あんただって家出しようとしてたでしょ! フォックスの家から! 家出しようとして、あたしに捕まって、下着姿で、こんな惨めな目に遭わされてるの!! その惨めな子ウサギが、保護者みたいな口のきき方しないでよ!!」


 絞り出すように言うと、私の足を掴んで持ち上げ、足の裏をくすぐった。

 私は、あまりの辛さに、体を捩って何とか逃れようとしながらも、涙を流しながら耐えるしかなかった。


 手は動かず、声も出せず、この大変な最中に、鼻からしか息ができないというのは辛さこの上ないのだ。

 そして、女は、その辛さを知ったうえで、強弱をコントロールしながらくすぐりを続けている。

 ……悪魔だ。この沙織という女は。私は薄れゆく意識の中で思った。


 「コンさん、舞韻さん、助けて!!」


 と。 


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