第30話 受難とオレンジジュース

 舞韻さんの挑発に乗ってヒートアップした女は、怒りに震えながら電話を切った。

 そして、私の方へ恐ろしい表情で向き直った。


 「恨むなら舞韻を恨みなさい。ちょっと、目にもの見せてやらなきゃ、気が済まなくなってきちゃったから……」


 と言って、ベッドに固定された私に襲い掛かってきた。

 ……その時、咄嗟に開いた口から、咥えていたものがポロっと落ちた。

 それを見た女が言った。


 「あんた……猿轡外してたの? ……まさか、何か喋ったんじゃ……」


 私は、首を横に振って


 「違う! 今勝手に落ちたの」


 と答えると、女は私の頭を押さえ、髪をかき分けて首の後ろを見た後


 「嘘だ! さっきと結び目が逆になってる。……あんた、舞韻にこの場所を伝えたんでしょ!」


 と、更に恐ろしい表情で迫ってきた。

 私はバレた! と、思った。……だからと言って、ここで素直に認めたらこの女をさらに逆上させてしまう。


 私は、覚悟を決めると


 「知らない、知らない! 私、何も喋ってないし、大体ここがどこかも知らないじゃん!」


 と、首を振りながら叫んでみせた。

 女は、少し冷静になったようで、笑みを浮かべながら


 「それもそうね……ただし、勝手に猿轡を外したことに対しては罰が必要ね」


 と言って、間近に迫ってきた。

 ……その目の奥が、笑っていないことに恐怖を覚えた私は


 「私は猿じゃない!!」


 と、分かっていながらも、体をバタつかせて無駄な抵抗をしてみた。

 やはりロープが緩む気配はなかった。

 ……それを見た女は、能面のような無表情になって、額の血管だけピクっと動かして不快感をあらわにすると


 「うるさいわね! 猿轡の意味も知らないほどバカな訳ぇ? 舐めていると、フォックスにも、舞韻にも二度と会えない体にするわよ!!」


 おもむろに、私に殴りかかるような構えで向かってきた。

 私は咄嗟に防御の体制を取った。

 ……手が動かないため、体を強張らせて、少しだけ自由の利く足を使って顔を防御しようとした。


 しばらく目を瞑って構えていたが、何も起こらなかった。

 目を恐る恐る開けると、女は私の顔のすぐ前にいた。

 ……目が合うと、女はニヤリとして


 「からのぉ~!」


 と言うと、右手に持っていた猿轡を私の口の奥に強引に突っ込み、防御を解いた足の動きを見て、即座に私の両胸をぎゅうっと掴んだ。

 また痛みに声が出るが、猿轡をされているため遮られてしまう。


 私は、この姿勢に縛られている狙いが、何となくだが分かった。

 何をされても、全く手も足も出ない姿勢なのだ。

 普通に座って縛られていれば、体を屈めて防御したり、足を縛られていても這ったり、ジャンプしたりして逃げることができるが、この姿勢だと逃げることも、抵抗することも、防御することもできない、あの女の、されるがままなのだ。


 「今度妙な真似したら握り潰すわよ。……それとも、こっちがお好み?」


 と、私の額に銃を突きつけた。私は首を横に振った。

 すると、驚くことに次の瞬間、女は私の手足のロープを解き、私を立たせた。

 猿轡は咥えさせられただけで、紐で結んでいないため、ポロッと枕元に落ちたが、女はそれを気にも留めず、さっきの拳銃を取り出して私の背中に突きつけるとフラットに言った。


 「脱ぎなさい」

 「えっ?」


 私が驚くと、女は表情1つ変えずに


 「脱ぐの! そのブラウスと、スカートも。脱ぎ終わったらまた縛り上げるから」


 私は、抵抗があったが、無表情に銃を突きつける、この女の態度から本気を感じ取り、言われたとおりにブラウスと、スカート、そして靴下を脱いで上目遣いで言った。


 「……トイレに行かせて。それから水を飲ませて欲しいの。また縛られるなら今のうちでないとできないでしょ」


 すると、女はニヤリとして


 「きっと舞韻なら『はぁ? 何言ってるの? ダメに決まってるっしょ!』とか言うんでしょうけど、あたしは違う。いいわよ。連れてったげる。大事な人質のお願いですもの」


 と言うと、私を先に歩かせ、その背中に銃を突きつけた。

 初めて素肌に触れる銃は、とてもひんやりと冷たく、そして恐ろしかった。

 文字通り、背筋の凍るような冷たさだ。


 私がトイレに入ると、女は言った。


 「お行儀悪いわね。トイレに入る時はドアくらい閉めなさい」

 「だって、こういう時は、逃げられないように見張ってるんじゃないの?」


 と、言うと、女はプッと吹き出して


 「舞韻ね。そんなこと言ったの。いいわよ。ここのトイレは、窓もないから逃げられないし、その可愛い下着の中に、武器を隠してないことは、さっきから何度も確認済みだし」


 と言って、ドアを閉めた。

 なるほど、さっきから何度も胸を揉まれたり、携帯を探したりした際に触られたのにはそういう意味もあったんだと、その時、気がついた。




 トイレから出ると、女はキッチンに連れて行って、冷蔵庫を開けて


 「好きな物、飲みなさい。未成年だからお酒はダメだけど」


 私が、若干躊躇うと


 「安心なさい。何も混ぜてないわよ。毒混ぜるなんて、面倒なことするなら撃つなり、絞めるなりして殺した方が手間ないから」


 と、事も無げに言って放った。

 ……その女の言動に、私は再び背筋が凍る感覚に襲われた。


 オレンジジュースをコップに注いで飲むと、再びベッドに連れて行かれて、さっきと同じ体勢に縛られた。

 ……さっきは、必死なので気付かなかったが、この縛り方、かなりえっちな姿勢にされている。

 下着姿になった今、それが際立っている。


 ……この女の趣味なのだろうか? 私は恥ずかしくなり横を向いた。

 もし、この女に、そっちの気があったら、私は今、本当に危険な状態だ。


 女は、私の顎を掴んで前に向かせると


 「さっきみたいに、外されると困るから、今度はこれね。手が後ろだから、小細工できないでしょ。それに、猿轡が分からなくても、これは分かるでしょ」


 と、嫌味交じりに言うと、ハンドタオルを私の口の中に詰め込み、白いガムテープを数枚ちぎると、口に厳重に重ね粘りした。


 「ちょっと出かけてくるけど、絶対に妙な真似しないでよ。もし、帰ってきた時に縄を緩めていたり、そのテープを剥がしてたりしたら……あたし、何をするか分からないから!」


 と、女は無表情で言った。

 ……私は黙って頷くしかなかった。


 女は、床に落ちている、私のブラウスとスカート、靴下を拾い上げ、ハンガーにかけられているブレザーと一纏めにして隣の部屋に消えて行った。


 そして、すぐに戻ってくると、エアコンの設定温度を上げ、テレビをつけると音量を若干上げた。

 恐らく、私が下着姿なので寒くないようにしたのと、留守中に、私が大声を上げても周囲に聞こえないようにするためだろう。

 いくらタオルを詰め込んで、声にならなくても、呻き声が聞こえ続ければ周囲が不審がるからだ。


 女は、私に向かって手を振ると


 「じゃあね。……くれぐれも言っておくけど、大人しくしていてね」


 と言い残し、部屋を出て行った。

 そして、すぐに玄関のドアを閉める音と、鍵をかける音も聞こえた。


 私は、状況を把握することにした。

 恐らく、部屋のつくりと間取りから、マンションかアパートの一室のようだ。

 周囲の部屋の、物音が聞こえてこないところから、留守なのか、防音のしっかりしたところだろうと推察される。


 次に、私の拘束の状況について、試しに手足を動かしてみたが、かなりきつく縛ってあるようで、さっきに増して緩む気配はない。

 更に言えば、さっきまでと違い、今、縛られているのは素肌だ。


 服を着ていた分、できる隙も無ければ、もがいてロープが擦れれば手足に痕がつく。

 あの女が、戻ってきた時にそれを見られて


 『お疲れ様。あれほど言ったのに大人しくしてなかったんだ』


 などと言われて、酷い目に遭わされるに違いない。

 口のガムテープも、何枚も重ね貼りされており、クラクラするまで必死に頭を振ってみているが、剥がれる気配はないし、口にタオルを詰め込まれているため、力一杯叫んでみても、テレビの音にすらかき消されて、私の耳にすらようやく「う~」と聞こえる程度だ。


 一応、あの女がプロだと認めざるを得ない。


 素人には、ここまで完璧な拘束はできないし、人質を傷つけることなく、抵抗を諦めさせることができるのはプロのなせる業だ。


 今の状況で、脱出や助けを呼ぶことは不可能だと、私は悟った。

 今回は、コンさんと舞韻さんを信じて、私は無駄な抵抗はしない。


 以前の私なら、人を信じて助けを待つなんて考えもしなかっただろうが、あの2人と出会って、私は初めて安心して信じられる人を見つけた。

 待つこと、諦めることは恥ずかしいことではなく、大切なことなんだと、初めて教えられた。


 きっと私が傷ついたり、死んでしまったりしたら、その2人をこの上なく悲しませるだろう。

 2人から受けた恩に報いるためにも絶対無事にここを出る事こそが私のするべきことなんだ。


 私は、抵抗を諦めたが、目を見開いて部屋の中を見える範囲で観察した。

 無事解放されたら、この部屋の様子を伝えるんだ。

 あの女は、きっと2人の知る人間だと思う。

 何故、私に、こんな酷いことをするのかは分からないが、何かの狙いがあることは間違いない。 


 見える範囲での部屋の様子を頭に叩き込んだ私は、色々とあの女のことについて考えているうちに意識が混濁していった。


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