第29話 花嶋舞韻の画策

 お店の閉店は午後6時だ。

 要望があり、9時までやってみたが、ナイトの時間帯の客数は限りがある上、ほとんどがカフェ的な使い方で、客単価が低い割に、長時間粘る傾向があったために戻した。

 専用メニューを考えても、ほとんど出なかったのもナイトをやめた理由だ。


 閉店して、掃除と明日の準備を終えると、9時近くになっていた。……明日のランチ限定メニューの仕込みに凝りすぎてしまったのだ。


 その時、私は上の違和感を感じた。

 ……静かすぎるのだ。


 燈梨が来る前は、こんなものだった。


 ほとんどの日は、オーナーの帰りを上で待ちつつ、2階の家事をし、帰ってきたところで夕食を2人で取って、片づけて帰っていた。

 しかし、今、家事は彼女の担当なのだ。


 2階に上がってみた。

 薄暗い部屋に入ると、そこには誰もいる気配がなかった。

 電気をつけ、部屋を見回すと、家事を行っていた形跡があった。

 燈梨が夕飯を食べた形跡も残っていた。


 もう1つ感じた違和感が、燈梨が着ていた部屋着が畳まれて置いてあるのと、彼女の制服がないこと、彼女の携帯が、ガラステーブルの上に置いてあることだ。

 どこかに出かけたはずなのに、携帯を置いて行っている。


 私は、彼女を探したが、2階フロアにはいなかった。

 お店と、そこを通らないと行けない地下室は、行っていないとして、玄関に行くと彼女の靴が無くなっていた。

 ガレージにいるとは思えないが、探してみてもいなかったので、私は胸騒ぎを覚えた。


 今日のオーナーは、普段と違い、会議で車を置いて出かけている。

 こういう日は、飲んで遅く帰ってくることが多いので、連絡すべきか迷っていると、ふと2階で見かけた燈梨の携帯を思い出した。


 彼女に申し訳ないと思いつつ、見てみると、メッセージアプリを読んだままの画面になっていた。

 それと、今日の天気を考えると、駅に迎えに行ったのだろうか?

 そうすれば、着替えて外に出た説明がつく。恐らく携帯は、着替えた時にでも忘れてしまったのだろう。


 私は、もう1度玄関に行って、納戸を開けてみると、傘置き場に傘が1本もないので確信した。

 燈梨は、オーナーを迎えに行ったのだ。


 ただ、私には、それだけで片付けられない、さっきの胸騒ぎがあるのだ。

 私の経験から、燈梨は、そろそろ自分の過去への嫌悪感に囚われてアンニュイになる時期に差し掛かってきているハズだ。


 今までの燈梨は、いつ自分が追い出されるかもしれない。

 いつまでいられるか……と、いう事ばかりを考えて、自分を振り返る余裕がなかったのだが、ここに来てそれが生まれた。その余裕が不安にさせてくるのだ。


 そこに来て、燈梨がやって来て以降、初めてオーナーが、飲み会に参加し、そこに燈梨が突発的に迎えに行った。

 こういう時は、何か事件が起こりやすいのだ。……それは、私の傭兵としての勘だ。


 私は、自分のスカイラインに乗ると、ガレージから飛び出した。


 よく私のイメージと、この車は合わないと言われる。

 合っていると言ったのは、燈梨くらいなものだが、それは、私に散々酷い目に遭わされた直後だから、この車の目の吊り上がった顔と、私のイメージがダブったんだろう。


 合わないのは当然だ。

 私は戦場育ちなので、車と言えば、ジープや、本格派のクロスカントリーしか目にない。フォックスのサファリくらいまでが、私で言う車観なのだ。

 今流行りのSUVなどは、私にしてみれば、ノートやフィットと何も変わらない。

 フレームボディを持たないSUVなど、タイヤの大きいだけの乗用車でしかない、そんな不経済な乗用車なら、私は普通の乗用車に乗る。

 SUVの2WDなど、私に言わせれば、笑いを取るために存在しているくらいのレベルだ。


 なので、私は、そんな日本で、中途半端なSUVに乗るなら……と選んだのが、日産ラシーンだった。

 当時の専門家評は散々だった。ファミリーセダンのサニーの4WDをベースに、都市でも使いやすい、ファッションクロカン……なんだそりゃ? 的な評や、こういう馬鹿な企画を、商品にする会社の良識を疑う……的な評論だったのは、フォックスの持っている当時の本で見たことがあった。


 しかし、本格派を散々乗ってきた私の目には、日本で乗るなら、これが良いと思えた。

 どうせ、SUVなんてパロディでしかないんだから、都市で使いやすいサイズに拘り、立体駐車場に入れるように敢えて全高を抑えるなんて、徹底的にバカをやっているラシーンの潔さに私は惹かれたのだ。


 しかし、3年乗ったところで、トラックに追突されて廃車になった。

 もう1回探すにしても、私もフォックスもオートマチックが嫌いなので、マニュアル仕様のラシーンを探すとなると、かなり骨が折れる。

 当時、中古車関連の仕事をしていたフォックスが、3ヶ月探したが、希望通りの物が出てこなかったのだ。


 そんなある日


 「しばらくコレでも乗るか?」


 と言って持ってきたのが、このスカイラインだった。

 マニュアル車、サンルーフ付きの日産車というところで、紹介されたそうだ。

 当時は、人気の谷間の時期で、値段も安く、年式も新しめだったのもフォックスが引っ張ってきた理由だったそうだ。


 私は、フォックスがスポーツカーなどが、好きであることは昔から知っていたから、1度くらいは、こういう車に乗ってみるのも、悪くないかなぁ……程度のつもりで乗り始めたのだった。


 あれから、何年乗っているだろう。

 今でも最初の日の印象である

 『不格好なボディで下品な色』

 というのは不変だが、まぁ、しばらくは乗り続けるだろう。

 別に、好きだからではない。


 目的地の駅のロータリーで、私は、女性と相合傘でやってくるオーナーの姿を目にした。

 なるほど、胸騒ぎがした通り、女性と一緒だったのか。

 相手の女性に私は、見覚えがある。


 オーナーが『世話焼きおばさん』と、私にこぼしていた同僚だ。


 若く見えるが、オーナーと同い年で、結婚して、中学生の子供がいるが、同い年であるオーナーが独身であることを心配して、やたらと職場の若い女の子とくっつけたがったり、顔を合わせるたびに


「ちゃんと野菜食べてる?」


 等と、聞いてくる人で、オーナーが、ちょっと鬱陶しがっていたのを覚えている。


 恐らく、今日も、同じ方向に帰るオーナーが、傘を持っていなかったので、一緒の傘に入って行け……とでも強引に引っ張り込んだのだろう。

 でもって、普通1つの傘に、大人2人で入って帰るという行動は取らないだろう。おばちゃんのくせに、やってることが中学生くらいの発想だ。


 その時、オーナーには見えず、私には見える位置から、立ちすくんでいる燈梨の姿が見えた。

 ……マズい。


 今の不安定な燈梨が、こんな状況を見たら、ショックで家に帰ってこなくなってしまうかもしれない。


 まずは、この状況をぶち壊すことが私の使命だと思ったので、車から降りると2人に向かって


 「あれ? オーナー。奇遇ですねぇ。ちょうど本日の売上報告をしようかと思っていたんです……が、お連れの方がいらっしゃいましたかぁ?」


 と、声をかけた。

 毎日の売上報告などしていない。

 当然ながら、オーナーに声をかけるための口実だ。


 案の定、私の登場で、2人にはそれまでと違う空気が流れ始めた。


 世話焼きおばさんは、バスで帰ると言い始めたため、2人でバス停まで送るとオーナーを助手席に乗せて待たせて、燈梨を見かけたあたりに走って行った……が、彼女の姿はなかった。

 周辺を軽く探してみたが、やはり見つからなかった。


 私は車を発進させ、駅を出ようとして凍り付いた。

 ……見覚えのある女の姿を見たからだ。

 車で、改めて燈梨がいた周辺を走りながら、私はオーナーに言った。


 「今の2人の姿、燈梨に見られてた系ですよ」

 「なんでここに燈梨が?」

 「雨が降ったので、傘を持って迎えに来たんですよ。……ただ、ここにきて生活が落ち着いたこともあって、彼女なりに考え込んでナーバスになっていた系なので、家出されるかも系ですよ」

 「何故不安になることが……」


 私は、左折と同時に、ギアを2速に落としながら


 「彼女の中に、何故オーナーが自分を置いてくれるのか、もし、誰かを家に連れてくるようなことがあったら、彼女ができたりしたら、今までの男性のように、追い出されるのではないかという不安が付いて回ってた系なんです。そして、今日、その疑わしき現場に遭遇した。彼女の中で何かが弾けちゃった系なんです」


 と敢えて、フラット気味に言った。

 しかし、私はその考えは痛いほどわかるのだ。

 昔の私の思いと似ているからだ。


 私の場合は、家にいられなくなっても、現場系の仕事で稼ぎつつ、1人で暮らせるだけの行動力はあるので、特に大ごとにはならないが、燈梨の場合は、そうはいかない。

 今、家を飛び出したら元の木阿弥になりかねない。


 ただ、彼女自身が過去の自分のやってきたことに後ろめたさと嫌悪感を感じているので、元にも戻れないとしたら最悪の結論しか待っていない。

 だから、私は胸騒ぎを覚えるのだ。


 「どうしよう……」


 不意に、オーナーが言ったので私は


 「家に戻って待ちましょう」


 と言って、オーナーの家に戻った。


 ……それから、2時間が過ぎたが、燈梨が戻ってくる様子はなかった。

 私には、疑問と気がかりがあった。

 まずは、忽然こつぜんと姿を消した燈梨のことだ。


 いくら何でも、プロであった私が警戒している中、煙のように消えられるかということだ。

 彼女が、走って逃げたくらいだったら、私が、あの後、周辺を探し、更にその後、車で探し回った際も、見つからないなどとは、到底思えないのだ。


 そして、気がかりは、その周辺にいたあの女……沙織の存在だ。

 過去にフォックスの命を狙った忌々しい奴。

 私が捕らえて、地下室で3日3晩拷問にかけたのだ。


 私は、3日目にフォックスに、あの女を処刑すべきだと、進言したのだが、彼はあの女を赦しゆるし、ここで面倒を見たのだ。

 私は、最初から、あの女のことを信用などしていなかったが、フォックスは、しばらく弟子として鍛え直してやれば……などと言うので、好きなようにさせていた。

 案の定、半年ほどして、あの女は姿を消した。


 その女が何故、今日、オーナーのすぐ近くにいたのかを考えると、いてもたってもいられなくなり、封印したはずの番号に電話をかけた。

 相手はコールしてすぐに応答した。


 「もしもし、沙織。私のこと、忘れた訳じゃないわよね」


 相手の反応を聞いて、私はやはり……と、ピンとくるものがあった。

 今日、オーナーの近くにいたのは、偶然なんかではなく、何かの狙いがあったのだ。

 そして、私から連絡が来ることも予想通りという訳だ。

 ……でなきゃ「これはこれは」なんて嫌味で余裕をかますわけがない。


 私は続けて


 「なんで連絡したか、分かるでしょ? あなた今日、フォックスの近くにいたわよね。もしかして、家にも行ってる系なんじゃない?」


 予想通りの反応だ。

 ただ、本当に家には来ていないだろう。

 そんなことをすれば、私に気付かれるし、それに彼女は私が今、昼間、お店をやっていることを知らない様子だ。


 沙織は、私に対する恨みつらみを語り出した。

 ……彼女は、私から見ても単純な直情型だ。

 感情が爆発すると、周りが見えなくなる。

 プロとしては、その辺がお粗末だ。


 ……そして、通話口から聞こえる、沙織のくだらない話の後ろから聞こえてくる声に、私は戦慄した。

 燈梨が、沙織に誘拐されている。


 これで、私の疑問と気がかりは、完全に一本の線で繋がった。

 オーナーをつけていたであろう沙織は、その近くにいた燈梨が、繋がりのある人間だと、直感で見抜いて彼女を攫ったのだ。

 と、なると沙織の狙いが読めない。


 まずは、彼女が動くのを見極めるしかない……が、燈梨が小声で私に語り続けているのを沙織に気付かれたら、彼女に何をされるか分からない。

 燈梨に、メッセージは届いている、と知らせる必要もあるので、私は


 「あのさぁ、いつまでも、そんなくだらない恨み言言ってないで、フォックスの近くをうろついてる理由を言いなさいよ。だから、あんたは、プロとして三流系なのよ……おっと失礼、三流なんて言ったら、三流の方々に失礼系だわ」


 と、彼女を挑発した。

 すると、彼女は


 「何言ってんのよ! マジイミフ。近くにいたらいけない法律でもあるわけ?  それに、あんたに理由を言わなきゃいけない義理も義務もないわよ! あんたこそ、頭おかしいんじゃないの? ……いい、今に、あたしに、そんな偉そうな口叩いたことを後悔することになるわよ。こっちには、切り札だってあるんですからね!!」


 と言うと、電話を切った。


 だから彼女は三流未満なのだ。

 感情に任せて、本来『知らない、見間違いでしょ』と、シラを切らなければいけない事実を、あっさり認めてしまった。

 そのうえで、燈梨を誘拐したことまで、暗に認めるような発言をしてしまったのだ。


 まぁ、とにかく賽は投げられたのだ。

 彼女の動きを見ることにして、私は事前準備に動き始めた。


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