第23話 携帯と遠慮~舞韻Side~
「それでいいのか?」
フォックスは不思議そうな顔で私に言った。
日本に戻って来たばかりの頃の私は、今の燈梨と同じくらい、フォックスに対して遠慮があった。
服も、帰りの船に乗る前、マーケットで買ってもらったトレーナーと、ジーンズのみ、下着も、マーケットにあったのはトランクスのみで、フォックスが店主に銃を突きつけても、無かった。
ブラも、Gカップをカバーできず、無理矢理Cカップ用に紐をつけて何とかしていたが、日本に帰ってから数日して、強引にフォックスにアウトレットに連れて行かれて無理矢理大量の服を買い与えられたのだ。
戦場では、命令口調以外で話しているところを見たことのなかったフォックスだが、お店の人に頭を下げて
「この娘に合うようなコーディネイトをお願いします!」
と言いまくっていたのを覚えている。
当時、フォックスの車は、シルビア1台しかなかったが、私の衣類だけでトランクと後席が満載になったし、アウトレットの中の書店に連れて行かれて、ファッション誌を全種、有無を言わさず買い与えられて、暇ができたら読むよう言われたのだった。
そして、翌週に携帯を買いに行くことになった際に出たのが、冒頭の言葉である。
私は、一番安上がりのものを選ぼうと必死になっていた。
買わないという選択肢は、フォックスに力尽くでも阻止されそうなので、消えたとして、とにかく、住まわせてくれるだけで充分だと思っていた私は、余計な負担をかけさせたくないという一心だった。
海外にいても、日本製の電化製品が優れていることは、充分に知っており、そこから選べば、廉価でも間違いないのは知っていたので、とにかく一番安いというのを重視して、適当なガラケーを選んだのだが、その考えは見透かされていたようで、フォックスは両手を掴んで、まっすぐ私の目を見て冒頭の言葉を発し、私の反応を見ると
「舞韻! 妙な遠慮はするなと言ったはずだ! 安くても、お前のためにならなければ無駄金だ!!」
と言って、発売間もない話題機種のスマホを有無を言わさずに買い、私には色の選択肢だけしか与えてくれなかったのだった。
そんなことを経験しているので、今回の携帯選びには正直、一枚噛みたかったのだ。
それが、経験者としての、私のできる唯一で最大の役割なのだ。
私は、出会ってごく短い間で、燈梨という娘を自分の妹のように思えるようになっていったが、今にして思うと、それはごく当然なのかもしれない。
何故なら、燈梨は似ているのだ。あの頃の私に。
絶望した世界から、フォックスによって急に陽の当たる世界に引き上げられ、戸惑い、フォックスとの距離の保ち方に困惑し、遠慮している。
この陽の当たる場所に居続けるためには、本当に甘えてもいいものだろうか?
と、まるで傷ついた小鳥が、怪我が治っても羽ばたくのを恐れて、戸惑うかのような、そんな表情を見せる燈梨に過去の自分を見ているのだ。
正直、会った初日はどうしてやろうかと思ったものだ。
身体を使って、あちこちを泊まり歩いている女子高生。
フォックスのことだ。いいように利用されるに違いない。
どうせ、ロクでもないガキに違いない。だから、厳しく当たった。
さすがに始末するとフォックスが悲しむので、そこまではしなかったが、本音を言うと地下室で縛り上げ、ダーツの矢や、弾丸を抜いた銃で本気で脅し、失禁させるつもりだった。
失禁させて辱めれば、嫌になって逃げ出すだろうと思ったのだ。
しかし、燈梨は、私に殺されることを覚悟していた。
地下室で、私から実弾を込めたワルサーを突きつけられたあの時だ。
あの時の燈梨からは全てを諦めて悟った……世の中に絶望した人間独特のオーラが発されていたのだ。
……それは、フォックスに出会うまでの私が発していたもので、ただの家出娘が出すものではなかったのだ。
私は、それまで、泣きながら命乞いの1つでもすれば、口止めをして追い出すつもりだったが、あまりの彼女の闇の深さに、逃がしてはダメだと思った。
そうしておいて良かったと直後に思わされた。
私の尋問から解放された燈梨は、私の目が離れた際を狙って、きょろきょろと辺りを見回していたのだ。
それは、単に景色を見たのではなく、この家で生きていくための人物の相関関係と、距離感を測っていたのだ。
燈梨が特に注意していたのは私だ。
私という人間は、フォックスとの生活の中でどう関わってきて、どの距離感まで立ち位置を縮めることができるのかを。
当初の燈梨は、フォックスが今までの男性と違い、身体をチラつかせても求めて来なかった上に、私達に根掘り葉掘り自分の事を聞かれるという、今までのやり方の通用しない初めてのケースに戸惑っており、周囲の人間との距離感覚を失った不安な状態だったのだ。
私には分かる。
燈梨は、今まで体験してきた、冷たく乾いた人間関係から、急に温かく受け入れてくれる今の環境に、まだまだ順応できていないのだ。
家出をしてからの彼女の中で、雨風凌げる場所を手に入れるには、身を切る対価を提供して釣り合うという経験則が出来上がっている。
下心には下心で応じる、下衆の物々交換のルールが成り立っていたのだが、フォックスはそれに真心で応じている。
その温度差に驚き、恐れ、
なので、私は燈梨に、この温かさに触れていいんだよ、と背中を押す事、世の中は冷たく、乾いた場所ばかりではないという事を、手取り足取り教えて、燈梨という小鳥が一刻も早く空に羽ばたけるように手助けするのが、私のするべきことだと考えている。
なのでこうしたお節介も喜んでしてしまうのだ。
……以前の私には考えられない事だったが、燈梨にも、17歳の私がフォックスから貰った温かさと、安心を早く享受して欲しいと思うのだ。
「……舞韻?」
不意に声をかけられて私は我に返った。
隣に座っていたオーナーが、不思議そうな表情で
「手続き、終わったぞ」
と言うので、私は柄にもなく考え込んでいたことを隠すべく、
「じゃぁ、あとはケースとかも見てみる系ですね」
と言って、オーナーを引っ張って、アクセサリーコーナーへと向かった。
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