第22話 携帯と遠慮
その日の仕事が終わった時、いつもより3時間ほど余分にかかっていた。
新商品の立ち上げ週で、朝から大掛かりな売り場を作っていたらこんなになってしまったのだ。
家に帰りついたのは既にいつもなら風呂から上がるくらいの時刻になっていた。
「ただいま」
「おかえり。……大丈夫? 疲れた顔してるよ」
と言って、迎えてくれた。
見ると夕飯も準備されており、食べないで待っていてくれたようだ。
すると、燈梨は
「先、お風呂にする? もう、沸かしておいたんだ。疲れた時は先にお風呂に入って疲れを洗い流した方が良いんだよ」
と言うので、俺はそれに甘えて風呂に入ることとした。
湯船に浸かりながら、俺は燈梨に申し訳ないことをしたな……と思いを巡らせた。
きっと彼女は、いつもの時間か、その後1時間くらいの間に俺が戻ってくるものだと思って、夕食の準備をしていたに違いないのだ。
幸い、車通勤の上に、直帰が多いので、唐突に飲み会が発生することはないのだが、店舗の現場を回っていると、遅くなることも、ままあるのだ。
どうにか、燈梨の負担を少なくする方法はないか…と考えていた。
「携帯?」
風呂から上がり、一緒に食事にしている最中、燈梨に訊いてみた。
初日に燈梨を捕えた際に、携帯を持っていない事は確認したのだが、一応、訊いてみたのだ。
すると、燈梨は
「無いよ」
と、自然に答えた。
……きょうびは、小学生ですら、スマホのアプリゲームで繋がるほどの時代だ。
その返答には、大いに違和感を感じ
「それは、家に置いてきたという事か?」
と、訊くと、燈梨は苦笑いを浮かべて
「最初は持ってたんだけど、ある時期から、知り合いから電話やメールがめっちゃきてさ……2ヶ月くらい前に、茨城のどっかの駅のホームに置いてきちゃった」
と、事も無げに言った。
……確かに、以前の状況を推察するに、過去の人間関係を引きずる唯一で最大のツールである携帯は、彼女にとって最大の足枷になったのだろう。
それを手放した時、燈梨にとっての家出生活は再スタートを切ったのだと思う。
その意味では、彼女にとって大きな意味を持つことだったのだろう。
……が、今は俺が遅くなる際の連絡ツールとして困るという事なのだ。
また、知り合いからはしつこく連絡が来ていても、家族から……という言葉が燈梨から出てこなかったところに、あの日のフレーズが頭をよぎった。
『家族は、私がいなくなって良かったって思ってるから、探されてもないよ』
恐らく、燈梨のあの日の言葉は、こういったことの積み重ねから出ていたんだな。
……と、思わされ、考え込んでいると、俺の考えていることを知らない燈梨は
「大丈夫。……なくても死なないから」
と、へらっとしながら言った。
……それについて、共感はできる。
確かに、『絶対連絡が取れる』と思っている相手に携帯を捨てたり破壊したりすることで、『お前の思い通りになるもんか!』と、一矢報いることは出来て、すっきりするのは間違いない。
その後、その人が近くにいないとなれば、繋がりを断っても、追ってくるような間柄でない限り、日常生活に影響を及ぼさないので困りはしない。
ただ、今問題になっているのは、その後に発生する毎日の連絡が取れない問題なので
「今日みたいな日に待たせるのは申し訳ないからさ……そういう意味」
「大丈夫だよ。適当な時間になっても帰って来なかったら、先にお風呂入って寝ちゃうから。作ったご飯は、次の日にでも食べればいいでしょ」
あっけらかんと言うのだが、そこは俺に気遣ったのだろう。
遅くまで待っていると、俺に余計な心配をさせると思ったので、適当な時間には寝るから心配するな! と言いたいのだろう。
そんな話になって、それ以上、追及しようもなくなり、その時は、その話に関してはとりあえず終了となった。
しかし、俺には引っかかるフレーズがあった。
燈梨が、携帯を駅に捨てたのは2ヶ月ほど前、以前に舞韻から聞いた燈梨を探し回っている人間が登場し始めた時期も2ヶ月前。
偶然とは思えない……ので、翌日、フレックスを使って早上がりとした俺は、ランチタイムの終わりを狙って舞韻とランチを囲んで話した。
舞韻は準備中の札を出すと、俺の話を聞いて
「ほぼ間違いなく、携帯が捨てられたのがトリガーとなって探されてる系ですね。それまでは、恐らく北海道を出ていないと思っていたのに、茨城で携帯が発見された。なので、目指すは東京ではないか……と、探っているんでしょうね」
そう言えば、その探している人間はどうなったのかを訊いてみると
「調査している人間は抑えている系です。北海道の興信所で、大した実績もない小物です。この2週間は、情報に引っかかって沖縄を探し回ってる系です」
と、自信たっぷりに言うので、俺は、そっちは舞韻に任せて安心だと思った。
俺の表情からそれを読み取られたのだろう。舞韻はニヤッと笑みを浮かべると、言った。
「オーナーも、昔はフォックスとして、DV親に追われている少女を同じように情報かく乱で、救ったことあるじゃないですかぁ」
それは、舞韻がやって来てから、1年くらいが経ったころだと記憶している。
とある依頼で関わった、ブラックマーケットの支配人からの依頼だった。
あちこちに娘を売りたいと持ち掛けては、その後に、マーケットで売却した先に難癖をつけて娘を連れ帰る親がいて、その娘の身体には、生傷が絶えないそうだ。
娘を商品とする気はないが、いびり殺されるのは寝覚めが悪いから、どうにかして欲しいと。
あくまで、業界の代表として、和を乱すやつが嫌いなだけで、娘が心配な訳じゃないから、勘違いするな……という強がりの言葉を添えての話だった。
俺と舞韻で、彼女を拉致して親の手の届かない所へと送り出したのだ。
捕まえた当初は、しっかり縛り上げて、口の奥まで猿轡を噛ませてやらないと、逃げたり、自殺を図ろうとするため、その状態で、2人で交代で24時間体制で見張っていたのだが、1週間が過ぎる頃には、ようやく自分を逃がしてくれる相手だと分かって、行動を共にしてくれるようになった。
しかし、どう逃がしても両親が追ってくるため、訊くと、身体の何処かにGPSを入れられているとのことだった。
遮断しておける場所に一生閉じ込めておくわけにもいかないので、某国まで彼女と共に向かい、空港で、追ってきた両親のパスポートをスリ取り、代わりにコカインをプレゼントの上、夢の別荘暮らしまでプレゼントした……という経験があった。
ちなみに、GPSは外科手術で取り出し、両親は終身刑のため、もう2度と彼女を苦しめることはなく、彼女は、俺の師匠に託して、今頃は、高原の牧場で働きながら、学校に通い、幸せに暮らしているだろう。
この出来事があったから、舞韻が燈梨に対しても、俺が面倒を見て、色々余計な所にまで首を突っ込むんじゃないか、と心配しているのだろう。
その割には、最近の舞韻の燈梨に対する表情が、明るいのと、妙に燈梨に対して、積極的に関与したがるのが不思議だが……。
……すると、舞韻が
「とにかく、燈梨をリサーチしている人間に関しては私に任せてください。いざとなったら、本気で潰しますから。未だ燈梨の尻尾も掴めないヘボ探偵なんて相手ならない系ですけど」
と、へらっとしながら言ってのけた。
ほら、これだ。以前の舞韻なら
『こんな小娘、とっとと、ブラックマーケットに叩き売りましょうよぉ!』
とか言ったに決まっているのに。
俺は、舞韻への疑問を隠しながら、話を戻して訊いた。
「ちなみに、どこら辺までそのヘボは掴んでるんだ?」
「な~んにもです。燈梨がいつ本州に渡ったのかも、以後、何処にいつ居たかも掴んでなく、漠然と東京近郊をローラーで……というところなので。それも、調べているのが宿泊施設と商業施設中心で、燈梨が個人宅を泊まり歩いていた事にすら目が行ってないので……」
それを聞いて、プロらしからぬ杜撰すぎる調査だと思った。
燈梨の家族から、依頼されているとすれば、彼女の当初の所持金から、どういう手段、どのタイミングで移動するかを考えるだろう。
俺の推測だと、燈梨は家を出た当日か、翌日までには海峡を渡ったはずだ。
以降は制服なので、移動手段が限られてくることから、昼の時間に電車で移動した可能性が高いが、同じく制服なので宿泊するところも限られてくる。
なのに、かけてる網がその2つとは、恐らく、今まで燈梨が最も避けてきた場所だろう…なので、舞韻の言うことに納得した。
「それで、携帯の話ですけど……」
と言うので、俺は我に返って話に聞き耳を立てると舞韻はクスッと笑いながら
「私も、持っていた方が良いと思う系です。オーナーが連絡を取りやすいというのもありますが、彼女自身のためでもあります」
舞韻は、そこまで言うと紅茶を一口飲んでから、続けて
「今やオーナーは裏の仕事から引退を決めましたが、フォックスの今までの仕事ぶりから、いつ何時、誰が悪意を持ってやって来るか分からない系です。家には二重三重のセキュリティがあるので、入っては来れませんが、何かあった時のために連絡が取れるようにしておくべきです」
と、今までになく力説した。
……ただ、燈梨のことだ。買ってやると言っても全力で遠慮されるだろう。
服を買った時も半ば無理矢理だったし、あの時は、俺が実際に白い目で見られているのを目の当たりにしていたから……と、いうのもあったと思う。
その様子を見た舞韻は口を開くと
「もう、買って有無を言わさず渡すしかない系だと思いますよ。オーナーの名義にしてしまえば面倒な手続きもないし、当人が嫌がってもオーナーだけで買えますからね」
と、言った。
確かに彼女単独では契約できないだろうし、仮にできたとしても追っ手に足跡を辿られる諸刃の剣になるので、その方法が必須だろう。
と、いう表情を読み取ったのか、舞韻は
「じゃ、決まりですね。私がついて行った方が良い系ですか?」
「申し訳ない。頼む」
と、言って次の休みに舞韻と行くことにした。
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