第21話 遠慮と迷惑と病院

 今日はなんか様子がおかしい。

 燈梨の口数が妙に少ないのだ。


 普段なら夕飯を食べながら、俺に感想を求めてみたり、昼間あった出来事や、俺の部屋に掃除に入った時に気付いた発見について話したりするのだが、どうにも目が虚ろうつろで、心ここにあらず……と、いった感じだ。


 「燈梨。どうかしたのか? 」


 ……しばらくの間をおいてから


 「えっ!? ……なんでもないよ! ちょっと疲れちゃっただけ」

 「だったら、早く休みな。片付けは俺がやっておくから」

 「いや、でも、家事は私の分担だから……」


 俺は、はぁ~っとため息をつくと言った。


 「前に言わなかったか? 無理しない程度で頼むって、目が虚ろな奴に無理してやって貰っても俺が気分が悪いんだよ。妙な遠慮しないでさっさと休みな」

 「ゴメン……ありがと」


 燈梨が風呂に入っている間に、俺は片付けを済ませて、冷蔵庫に貼ってあるゴミ出しの日程表を見てゴミの準備をしておく。

 そして、部屋に燈梨の布団を敷いた。


 風呂から上がった燈梨は、やはりさっきと同じで目が虚ろだった。


 「コンさん……ゴメン、おやすみ」

 「おやすみ。あぁ、燈梨。疲れてるなら、明日は無理して朝起きなくていいからな」

 「うん……大丈夫!」


 大丈夫には見えないので言ったのだが、燈梨は『大丈夫』の部分を力説して部屋へと消えて行った。

 俺は風呂から上がると、翌朝の家事を済ませる段取りをしてから床についた。


 翌朝

 案の定、燈梨は普段より遅れて起きてきた。

 そして、その状況で


 「ゴメン! ちょっと遅くなっちゃた。……あれ? ゴミの準備してある……コンさん、もう出かけるの?」

 「ああ、今朝は舞韻の所で食べて行く。燈梨、お前本当は具合悪いんじゃないか?」

 「そんなことないよ! ちょっと疲れちゃっただけだよ。大丈夫だから。今日も普段くらいの帰りでいいんだよね?」


 普段と変わりないように言ってはいるが、その目が、とても変わりないようには思えないので言った。


 「そうだけど……くれぐれも言っておくけど、無理だけはするな。そして、具合が悪いならそう言えよ」

 「……本当に大丈夫だから!」


◇◇◇◇◇


 「オーナー。どうしちゃったんですかぁ? ゴミ出しなんかしちゃってぇ……しかも、朝はここで食べるなんて珍しい系ですね」


 やはり、舞韻に心配されてしまった。

 無理もない。燈梨が来て以降、家事をしっかりやっているので、舞韻の店で朝食にすることは無くなっていたのだ。


 以前の俺は、週のうち2~3日は寝坊して舞韻の店で朝食にしていた。

 大抵、ギリギリの時間に降りてきて頼んでも、舞韻はすぐに出してくれるので、甘えていた部分もあるのだが……。


 本当は、パンとか、夕飯の残りがあったので、自分で何か食べて行くことも可能だったのだが、燈梨はそれを絶対に良しとせずに『私がやるから!』とか言って、無理矢理作り出しそうだったので、こっちに避難してきたのだ。


 そこら辺の事情を舞韻に説明して頼んだ。


 「悪いんだけど、できたら燈梨の事、今日だけでも気にかけてやってくれないか?」

 「分かりました。……でも、燈梨は見かけによらず強情系ですね」


 舞韻は苦笑しながら言った。


 一緒に生活をしていて、それは間違いなく感じるのだが、燈梨は言ったことを、そうそう曲げるタイプではない。

 でなければ、甘ったれの燈梨が、ここまで家出生活を継続してこられなかっただろう。燈梨は芯の強い娘なのだ。


 その日は、さほど仕事は忙しくなかったので、ことあるごとに燈梨の事が頭をよぎった。


 有休はたっぷりと残っていたので、休んで、そばにいてやるべきだった……と、何度も思ったが、反面、燈梨の事だから、俺がいたら尚の事、無理をしてでも、普段通りに振舞おうとしたかもしれないので、どちらでも一緒か……と思った。


 家に電話をしようかと思ったが、燈梨は電話には出ないハズなので、するだけ無駄だと思いとどまった。

 最初に燈梨を捕まえて、持ち物をチェックした際、携帯を持っていなかったので、彼女自身に連絡する術もない。


 そんなモヤモヤとした1日を過ごし、定時と同時に家に帰れるように、家の近くの店で仕事を終えた俺は、普段より早い時間に家に戻った。

 エブリィから降りると、営業中の店に入った。

 舞韻はカウンターにいた。


 「どうだった? 」

 「朝と、昼過ぎに上がって行ったんですけど、オーナーの言う通り様子がおかしい系です。……恐らく、体調が悪い系じゃないかと思うんです」


 俺は、周囲に客がいないのを確認したうえで声を低くして


 「それは、あの日ではなくてか?」

 「違います!」


 舞韻は、『デリカシーの無いこと言うな!』と、いうような表情で俺を見ながら力強く言った。


 となると、やはり燈梨は俺にそのことを悟られまいとしているのだ。


 俺は舞韻に2、3確認すると家へと入った。


 2階に上がると、燈梨は、焦点の合わないような表情で、ボーっとソファに座っていた。

 これも、いつもでは考えられない事だ。

 普段なら、夕飯の準備をしている頃だろうし、テレビを流しながら、部屋が賑やかになっている状態なのだ。


 よく見ると、掃除をしているのは普段通りなのだが、今日のそれは明らかに雑だ。家具の下や、部屋の隅などをし損ねているのが見て取れるし、ゴミ箱などを移動させずに掃除している。


 「燈梨、ただいま」

 「うわっ! ……コンさんかぁ。おかえり。ゴメン、ちょっとボーっとしてて、早かったね」

 「大丈夫なのか? 」

 「大丈夫だよ。帰ってくるのが早かったからちょっとびっくりしただけ。ご飯、出来てるよ。準備するからちょっと待ってて」


 と、作り笑いのような薄い笑いを浮かべて台所へと向かって行った。

 これ以上、追及するネタもないので、部屋へと戻り、着替えた。


 食卓に着いて、ふと時計を見上げると、やはり、違和感があった。


 燈梨がテレビをつけようとしないのだ。

 昼間の時間の燈梨について俺は分からないが、夕方に関してはいつもニュース情報系番組が流れていた。


 それは、俺が燈梨に、世間の情報を仕入れるために見るよう勧めたのだが、それ以外で燈梨が欠かさずに見ている番組があり、時間なのだが、燈梨はそれを見ようとしていない。


 「燈梨、いつもお前が見てる番組、見ないのか? 」

 「えっ!? ……あっ! そうだった。今日だったね」


 燈梨は、力ない笑いを浮かべてテレビをつけた。


 ……おかしい。

 燈梨は、色々なところを渡り歩いてくる中で、好きな番組を見る事ができなかったそうで、ここに来て以来、それができる事をとても喜んでおり、忘れるとは思えないのだ。


 更に、夕飯を食べて、違和感が大きくなった。

 ……濃い。いつもの燈梨の味付けより明らかに濃いのだ。……濃いを通り越してしょっぱい。明らかにおかしい!


 「燈梨……お前、本当は……」


 と、言いかけて俺は止まった。


 燈梨の顔はテレビの方を向いているが、明らかに目が虚ろで、視線はテレビを捉えていない。

 更に、顔色がさっきまでと違い、見るからに真っ白になっている。


 「燈梨! 大丈夫か?」


 俺は燈梨の方へと回り、肩を抱いた。

 ふと触れた燈梨の首筋は、真っ白な顔とは対照的に、物凄く熱かった。


 「大丈夫……コンさん、大丈夫……だよ。ただ、疲れてるだけ」

 「嘘つくな! お前、熱あるじゃねえか! 」

 「平熱が高いだけ……ちょっと休めば治るって」


 燈梨は、必死に平静をアピールするが、燈梨の体が、その嘘を物語っている。

 息が上がり、肩で息をしているし、今や、目を開けているのも辛いのか、目を閉じた状態だ。


 「大丈夫……だか……ら、大丈……夫……だもん……」


 その状態になっても、うわ言の様に繰り返す燈梨を、楽な姿勢で座らせると、俺は上着を羽織り、燈梨を抱きかかえてガレージへと降りた。


 燈梨を抱きかかえて降りる階段は、踏み外さないように、かつ素早くと、いう相反する要素を両立させたため、1階に降りた時には、どっと疲れた。


 マーチの助手席ドアに体当たりのように体を押し付けて解錠すると、燈梨を座らせ、シートを大きくリクライニングをさせて、楽な姿勢にしてやった。


 こういう時に、マーチの有難さを思い知る。

 サファリもシルビアも、燈梨を抱きかかえたまま乗せるのは無理だし、インテリジェントキーによるキーレスエントリーも効果絶大だ。

 俺が3台も車を持っているのには、それぞれ理由があるのだ。


 俺は、燈梨の様子を確認しながらマーチを出発させた。


 到着したのは、中心街にある総合病院だ。

 表は、普通の病院だが、裏から入ると、1階の一般外来とも、地下の救急受け入れ口とも違う、半地下への入口があり、その先の入口にあるカードリーダーに、黒いカードを入れると、『PASS』の表示が出て入口が開いた。


 俺は、燈梨を助手席から降ろして抱きかかえると、向こうから飛んできた看護師に状況を話して燈梨を託し、指示通りロビーで待つこととなった。


 ここは、ギルドが作った。所属する裏稼業人専用の病院なのだ。

 仕事等で、負傷した際に、銃創や刃物による傷を負って病院に行くと、警察沙汰になってしまい、都合が悪い。

 しかし、かと言って、もぐりの医者にかかると、設備が揃っていなかったり、専門で無いなどの理由で、ロクな治療を受けられなかったりする。


 また、身体に無数の傷があるなどの理由から、警察沙汰を嫌って、病院に行かずに病気になって、気がついた時には手遅れ……等というケースもある事から、全ての診察と治療、健康診断などを行ってくれるのだ。


 燈梨を普通の病院へ連れて行ったり、救急車を呼んだりすると発生する問題がある。


 1つ目は、本名で診察を受けさせるわけにいかなくなり、厄介な事が起こるという問題。

 2つ目は、俺の保険証で診察を受ける訳にはいかず、見知らぬ男が連れてきた女子高生……という事で後々で不審に思われるという問題だ。


 特に2つ目は、だからといって、そこで俺が他人のふりをすれば、燈梨が後で色々と調べられたり、治療費を実費請求されてしまう。

 と、なれば、支払い能力のない燈梨は強制送還となってしまう。


 燈梨にとって、最も避けたい事態だろう。

 恐らく、必死に具合が悪いことを隠していたのは、その辺に理由があるのだろう。


 さっき、舞韻に訊いたのは、そのあたりの事だ。

 この病院は、裏稼業の人間が専門にかかるのであれば、俺の同居人である燈梨はかかることができるのではないか? という事だ。


 舞韻に訊くと


 「大丈夫系ですよ。でないと、仕事で拉致してきた人質の怪我や病気に対応できない系ですし、そっちの世界の人間の同居人にも、脛に傷のある身の人は多いですからね」

 「でも、俺は引退するんだろう? ……だったら」

 「ギルド設立者の一番弟子で、ギルドのトップ貢献者、更には病院設立の出資者の1人であるフォックスは、引退しようが、一生顔パス系ですよ」


 そう言われてみれば、俺は、この病院の設立に際して、師匠から勧められて、何口かお金を出したような気がする。

 正直、海外で傭兵をしていて、日本に戻るつもりのなかった当時の俺には、興味が無かったために、すっかり忘れていたのだ。


 30分ほどして呼ばれた診察室で言われたのは、燈梨の今回の症状自体は、風邪をこじらせたものだという事だ。


 ここまで重症化した要因としては、この半年近く、食生活が偏っていた事や、環境変化が激しく、心的ストレスが大きかったことだそうだ。

 そして、今日は点滴を打って帰れるとのことだが、1週間は安静にすることを厳命された。そして、近いうちに健康診断を受けることを強く勧められた。


 処置室に通されると、ベッドに寝かされた燈梨が点滴を受けていた。

 その枕元にある椅子に座る。


 「なんで、こんなになるまで黙ってたんだ? もう少しで、肺炎になるところだったんだぞ!」


 すると、点滴をされていて動けないため、顔だけこちらを向けた燈梨は目からボロボロと涙を流していた。


 「だって……病院に行ったら、コンさんに迷惑がかかるじゃん。私も、名前訊かれても黙ってるしかないし、保険証もないんだよ。治療費いくら請求されるか分からないし……本名がバレたら警察来るかもしれないし、私も、連れ戻されたくないし」


 「バカ野郎! 俺を誰だと思ってるんだ。その程度の事なら、俺にかかれば、何とでもなるんだ」


 俺は、点滴をされていない方の手をぎゅっと握って言った。


 「いいか? 俺は、そんな事を迷惑だと思ってない。治療費なんて、惜しくなんかないんだ。……今までの連中と違って、俺は燈梨の体の事の方が心配だし、変な遠慮して、それを隠していられる方が、よっぽど迷惑だ。俺のところにいる間は、何でも遠慮なく言うんだ!」


 そして、ボロボロと零れる燈梨の涙を拭いた。

 それでも涙が流れてくるので拭き続けた。


 「でも、燈梨が大したことなくて本当に良かった。俺はそれだけが嬉しいんだ」

 「う……うう……うっ……ゴメンなさい……心配かけて……」

 「もう泣かなくていいよ! ただし、今回の罰として1週間は安静にしてる事、そして、体調が良くなってからここに健康診断を受けに行く事。分かったな?」


 燈梨は泣き疲れたのか、こくこくと頷いて答えた。

 点滴が終わると、薬を受け取って帰って良しとなった。

 帰り際に会計で


 「今回の診察治療と薬代は、フォックスが受診という事で保険請求しますので」


 と言われて、やはり、裏の世界の力は、恐るべしだと感じた。


 俺は、燈梨の肩を抱いてマーチまで連れて行くと、助手席ドアを開けた。


 「そう言えば、この車に乗るの初めてだね」

 「そうだったか?」

 「行きは、苦しくて意識が朦朧としてたから全く覚えてないし」


 と言ってから、ハッとした表情になって胸を手で隠すと


 「っていうか、コンさん、家から車まで私をどうやって運んだの? ……まさか、えっちなことしたんじゃ……」

 「アホンダラ! 普通に抱きかかえて運んだんだ。おぶる訳にもいかなかったしな」

 「普通にって……どういう風に?」


 と、訊いてくるので


 「こう……かな」


 と、実演してやると、恥ずかしそうに手で顔を隠した。


 「コンさん……それ、なんていうか知ってる?」

 「知らん!」

 「お……お姫様抱っこっていうんだよ!」

 「良かったな。お姫様扱いして貰えて」


 と言うと、何故か燈梨は、俺の背中をポカポカと叩きながら


 「コンさんのバカ! ……えっち!」


 と、言った。


 何故そんな反応をされるのか俺には全く分からなかった。

 ……お姫様扱いして貰えたのに。


 

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