第20話 乙女 ~燈梨Side~
今日は休日。折角のお休みのところを悪いと思いながら、コンさんに買い物に連れて行って貰った。
私がお願いすると、コンさんは、嫌な顔一つせず
「悪くはないよ。じゃぁ、準備して下にいるから」
と言って、着替えて下へと降りていった。
コンさんが下に待っているので私は手早く準備をして、玄関を施錠すると表に出た。薄い青紫で、下3分の1がグレーの2ドア車の助手席ドアを開けて乗る。
……こんなに低い車に乗るのは初めてなので新鮮だ。
確か、名前はシルビアと言ったはずだ。
走り出して、私は気になる疑問があった。
舞韻さんの話では、コンさんはこの車に17年乗っていると言っていたが、では、この車は一体どのくらい前の車なんだろう?というものだ。
気になったので、グローブボックスを開けて車検証入れを開いてみる。
『初度登録年月』の欄が新車の時の年月だと前に聞いたことがあるので見てみる。
『平成5年1月』とあるので計算すると27年…私より10歳年上だった。
うん、コンさんが乗り始めた段階でも私は生まれているかいないかくらいなので、随分長い歴史を刻んできたとは思うが、さすがにそんなになっていたとは驚きだった。
改めて見るとそんな風には見えない。
車にたいして詳しくない私から見ると、今の車と何も変わらないようにも見えてしまう。
……ただ、この地面に座っているかのような低さは独特で、私は結構好きになった。
足を前に投げ出して座る姿勢も、私が今まで乗った車では無い感覚で新鮮だった。
グローブボックスに車検証を戻して気付いたのだが、この車のグローブボックスの蓋には布が張られている。
その模様と手触りから今、私が座っているシートと同じ生地のようだ。
そしてドアの内張りにも同じ生地が張ってある。
ドアの内張りにシートの生地は見たことあるが、グローブボックスに張ってあるのは初めてで、ちょっとお洒落な印象を受けた。
ちょっと興味を持ったので、今度コンさんの部屋に、たくさんあるこの車の本を少し読んでみようと思った。
天井にあるスポットランプのスイッチとは別に、もう1つスイッチがあるので見てみると「OPEN CLOSE」と、書いてある。
「これ、何のスイッチ?」
「サンルーフの開閉スイッチだな」
開けていいかを聞いた上で、スイッチを押してみた。
すると、天井の内張りの内部がスライドして空が顔を出した。
今日は清々しく晴れて暖かいため、開けると気持ちが良い。
私は、日差しと風を浴びながら、出かける今を楽しんでいた。
行くのは食品の買い出しなのだが。
◇◇◇◇◇
数日後
私は、家事を終えるとコンさんの部屋から数冊の本を借り出した。
いつもは、コンさんが集めていた漫画を読むのだが、今日はそれを中断して違う本を持ち出した。
以前に見たいと思ったシルビアの本だ。
正直言って、車には詳しくない。
何となく形が分かる程度にしか判別がつかない。
セダンと、ワンボックスとトラック、あと、えすゆーぶい? が見分けられる程度だ。
ナンバーが黄色ければ軽自動車だと分かるが……。
なのに、なぜ読もうと思ったのかと言えば、コンさんが、17年も乗り続けるこの車は、どのような車なのかを知りたくなったのだ。
正直、私と一緒に暮らしていて、私に興味を持たない人などいなかった。少なくとも、家にいる間は、私を求めてきたし、私もそれがごく当然と思っていて、それこそが、私がそこにいる理由だとさえ思っていた。
しかし、コンさんの頭の中は、仕事の事と、車の事しかないように思う。
家に帰って来ても、食事の後に、ふらっとリビングから姿を消して、後で訊くとガレージにいたと言うことが結構多く、もしや、このガレージに、隠れエロ要素発散場があるのではないか? と思って、掃除に入ったりしてみたが、そのような要素は皆無だったため、私は、コンさんの心を掴むこの車について知りたくなったのだ。
まずは、発行年のかなり古い本を手に取って読んでみる。
冒頭は、新型が出たばかりの時期らしく、コンさんのとはちょっと違うシルビアが特集されていて、次に、レース場で、新型と、コンさんの乗る古いタイプの改造されたものが何台も出てきてはチェックされている記事、そして、タイヤや部品類のインプレッションや、こうやって改造するのがお勧めだ……。
と、いうような記事が続いて、終わりの方に、コンさんの乗る古いタイプのシルビアを買う際、中古車なのでここをチェックして、こういう目的なら、こういうタイプを狙えば安く買える……。と、いうようなものや、街で見かけた持ち主へ声をかけてみた……。というような時代を感じさせる内容になっていた。
特に私の興味を惹いたのは、後半の2つで、シルビアの買い方を『走りで選ぶなら』と、いうのと『デートカーとして選ぶなら』という切り口でアプローチしている点と、街行く持ち主の中には意外と若い女子の比率も高かった。
と、いう点が意外な発見で、面白かった。
女子がオートマで乗り、こだわっているのはクッションと車内のコロン……と、答えているような手軽な車だった一面、走り屋さんが、給料をつぎ込んで速く走るために選んでいる一面、そして、チャラい人が、ナンパに使うために女の子受けがいいという理由で乗っている一面もある。という色々な一面を持つ車だということが分かった。
それから、発行年の新しめの物を読むと状況は一変し、ドリフトに使うためのツールとしての面だけがクローズアップされ、地面スレスレの低さで前のタイヤは開き、派手な色で目立つシルビアばかりが目につくようになっていた。室内も、がらんどうで、気軽く乗れる乗り物でないことが、ありありと出ていた。
そして、他にあった本を見ると、シルビアの歴史が書かれていたので読んでみた。
それによると、シルビアは7世代続いて2002年に生産終了したそうだ。
コンさんの乗るのは5代目のモデルとして1988年から93年まで販売され、空前の大ヒットを記録した世代で、その特集の中でも大きくページを割かれていた。
そこに、当時を知る編集者のコラムがあったが、やはり、デートカーとしてヒットした半面、クルマ好きとしては走りに注目していた……と、いう回顧があり、やはり、当時は色々な顔を持っていたアイドル的な性格の車だったんだなぁ……と、知ることができた。
他に、5代目シルビア開発についてまとめられたビジネス書も本棚にあり、これもじっくり読んでみた。
この車は、かなり思い切った開発方法を取った車だということが書かれていた。
今まではベテラン設計者が、縦割りで行っていた開発を新入社員や女性も取り入れた若いチームで、“自分が乗りたい車”を作ることを考えたので大変だったけど楽しかったそうだ。
当時は、2ドアの車というと、すぐにスポーツという考え方がなされる中で、この車は、その汗臭さやスポーツの公式を極力排除して、高性能を涼しい顔でお洒落に乗りこなすといったスタンスを採っていたのが感じられた。
確かに、コンさんの車もちょっと改造がされているが、基本はこのスタンスを尊重しているように思える。室内も、余計なものは極力付いていないので、ダッシュボードのなだらかな曲線美が落ち着いた印象を与えるし、シートもふんわりと身体を包み込んでくれる感じが心地よかった。
外装も、曲線の美しさが感じられ、それに輪をかける薄いラベンダー色とグレーのツートンカラーが、華を添えているように見える。
シートの生地やグレード数を決める際にも、実験や販売から懸念の声が上がったが、それが持ち味なので……と押し通したと、そのグレードもトランプの絵札からJ’s、Q’s、K’sと遊び心ある3つにしたなど、結構面白いエピソードが載っていた。
確か、コンさんの車にはクラブの絵柄とQ’sというマークが付いていたので、最も販売の中心となるグレードのようだ。
クルマのグレードにクラブのクイーン……って考え方が面白いし、私個人的には、シルビアなんて女性的な名前の車なので、ジャックやキングではなく、クイーンが一番似合っているように思う。
他に、興味を惹いたのは、この車のカラーコーディネートをしたのは女性で、当初のイメージカラーとなったライムグリーンはあちこちで反対されたものの、自分としては一番イメージに合っていると、開発責任者に直談判し、その熱意を認められて、採用になった……。など、色々なドラマのある車なんだと分かり、その面白さについつい読みふけってしまった。
私は今まで車なんて移動さえできれば良くて、室内は広い方が寝そべることもできるし、屈まずに室内を移動できるから良い、という程度しか思っていなかった。
しかし、コンさんが3台の車に対して注いでいた愛情を垣間見ると、とても興味が湧いてきたし、とても楽しそうだな……と、初めて興味を持ってしまったのだ。
特に、今までの私が触れることも、興味を持つこともなかったシルビアに触れることができた。幸い、書籍やDVDがまだまだたくさん部屋にあるので、また、色々と調べてみようと思わされた。
そして、この部屋に入った時に持っていたコンさんに対する疑念は、解消したようで、まったく解消していない事に、この時の私はまだ気づいていなかった。
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