第17話 弟子と捕虜は空気を読んで俺に気を遣うが、俺はそれに気付いて困った件

 舞韻は俺にそれだけを伝えると、無言で射撃場の後片付けを始めた。

 薬莢を拾い集め、的をメンテナンスモードにして射撃台までスライドさせると、刺さっているナイフを抜き、的を外して新しい物へと替えた。


 「腕は落ちてないですよ。……ただ」

 「ただ? 」

 「恐らく、引退が決まって、フォックスの中にある緊張の糸が、ほんの少しだけ緩んだ。それだけですよ。だから、私がその緩みを締め直しますよ。安心してください」


 舞韻は、赤ん坊に語り掛けるような優しい口調で俺に言った。

 地下にやって来てからの舞韻は、いつもの口癖である『~系』が一切出てきていない事からも、マジの話をしに来ている。


 「私の引退が決まった時、最後のその日まで、フォックスは私に黙って、近くで見守ってくれましたよね? 私は、正直とても嬉しかったし、とても心強かった。引退前って、気持ちがはやってとんでもないミスを犯す。それをフォックスは一番よく知ってたじゃないですか? 」


 舞韻は静かに言った。……やはり気がついていたのか。

 舞韻の引退が決まった時、俺は経験上から胸騒ぎがした。引退前の仕事と言うのは、往々にして、もうすぐでこの重圧から逃れられるという解放感と、心の焦りから、ミスを犯しがちになる傾向があるので、俺はこっそりと舞韻の仕事現場の近くに潜んで見守りをしていたのだ。


 本人には気付かれないようにとは思っていたが、やはり舞韻もプロだ。それも、元軍人だから張ってるアンテナの感度が並外れていた。


 舞韻は、片付けを終えると、椅子に座っている俺を、立ったままの姿勢から見下ろすように抱きしめると


 「だからぁ、フォックスは、安心して仕事してくださぁい。フォックスの背中は、私が守りますからぁ」


 と、優しい声で言った。

 この姿勢だと、俺の顔に舞韻の胸が押し付けられてくるため


 「舞韻、胸が当たってるぞ」


 と訴えると、舞韻は更にぎゅうっと抱きしめて言った。


 「分かってますよぉ、分かっていて、ワザとやってるんですよぉ……えいっ! えいっ! 」

 「舞韻。俺にそんな事をするなんて、せっかくの大きな胸の無駄遣いだぞ! 」


 と俺がたしなめると、舞韻は寂しそうな表情を一瞬だけ見せた後、パッと俺を解放すると


 「そろそろ、お昼ですね」


 と言って、俺に立つよう促して射撃場を後にした。


 俺と舞韻が1階に上がると、燈梨がテーブル席の準備をしていた。


 「ちょうど良かった。準備できたところだよ」


 と言って、紅茶と食器を並べていた。

 俺は、何か手伝えるかと思って待っていたが、舞韻は、それを制して俺に座るよう促すと、燈梨はオムライスとサラダを運んできた。


 「美味そうだな」


 俺が言うと、燈梨はニコッとして


 「ここのキッチン、火力が強くて凄く手早くできるんだよ。さすが、お店のキッチンだよね! 」


 と、喜んでいた。

 舞韻と燈梨も席に着くと、食事となった。


 「いただきます」

 

 1口食べると、燈梨がこちらをまじまじと見つめて訊いた。


 「どう? 」

 「ああ、美味しいぞ」

 「どう美味しいの? 」


 ああ、これはちょっと困ったやつだ。下手な回答をすると墓穴を掘ってしまうパターンのやつだな……と思って考えていた。


 「外の卵が表面はしっかりしていながら、中はふわっとしていて、しかも若干トロミがあるのが良い系ね。そして、中のチキンライスもしっかりと作り込まれていて、全方位に手抜きのない感が良い系よ」


 舞韻がさっと答えた。

 そして、言った。


 「燈梨、気持ちは分かるけど、オーナーにそんな具体的なことを求めても、無駄系よ。オーナーは、作ることは出来ても語ることはだから」


 燈梨は、それを訊いて憮然ぶぜんとした表情になって、俺の方を見た。


 「コンさん、それは致命的だよ。女子は、せっかく作ったんだから、感想を聞いて評価してもらいたいんだからね! 」


 とダメ押しに言われたが、語彙力ごいりょくに乏しい俺に対し、瞬時に返答を求めるのはなかなかに酷な要求だな……と思った。

 ふと燈梨の『女子は』と言う言葉を思い出し、舞韻の方を見ると、舞韻はジェスチャーで


 「この年頃の娘は、色々特殊ですからね」


 というようなメッセージを送っていた。

 この年頃の娘は、色々難しいんだな……と考えて思い出したのだが、舞韻と暮らし始めたのも、彼女が17歳の頃だったということだ。


 舞韻に、そんなことあったかな?

 舞韻にはいろいろ手を焼いた記憶はあるが、そのほとんどが、彼女の軍人故の勝気な性格に由来する人間トラブルで、今回の燈梨のようなケースは経験していない。

 舞韻にはこういう心情って、あるのだろうかと疑問に思ったが、取り敢えず確かめるのは次の機会にしようと思った。


 昼食が終わると、ガレージに向かった。

 すっかり忘れていたが、俺は仕事の後は、乗った車の車内を掃除を必ずしていた。それは直後に風呂に入るのと同じで、汚れを祓う儀式のようなものだった。


 サファリの全てのドアを開けると、掃除機で徹底的に中を掃除した。2列目、3列目も完全に畳んで、その下もしっかりと吸い取る。


 今度はシートを元に戻して、シートのクリーニングを行う。

 バケツの中に薄めた中性洗剤を入れて、雑巾を浸して固く絞る。

 本革のシートなので、これで軽く拭けば汚れは落ちる。


 本来、そこそこの頻度で洗車していて、その時に室内掃除もするために汚れておらず、本格的にやる必要はないが、汚れ仕事の後は、どうしてもやらないと気が済まない。


 3列目からはじめていって、運転席までやって来た時


 「コンさん」


 と声がして、燈梨が後席にやって来た。


 「手伝うよ」


 と言うので、訊いた。


 「舞韻はなんて? 」

 「コンさんの所に行くか、牢屋の掃除をして貰うかって言ってた。ただ、うっかりして牢屋の鍵がしまっちゃうかもしれないけど、その際は関知しないからって……」


 と憮然としながら言った。

 なるほど、舞韻の方ではやって貰う事もないし、俺の方で色々と煮詰まっていた件も解決したから、燈梨をこちらにやって、気を紛れさせようという考えか。


 「それじゃあ、青いバケツに雑巾が入ってるから、そいつを絞って、後ろから順にシートを拭いていって貰えるかい? 俺が洗剤染み込ませたから、それを吹き取るようなイメージで頼む」


 と言うと、燈梨はニッコリして


 「分かった」


 と言って拭き始めたので、俺はその他内装類を拭き始めた。


 「それにしても、大きいねこの車」

 「ああ、これは本格派の4WDだからな。日本でこの車に乗って不自由しないのなんて、北海道の道央より北側くらいじゃないか? 日本より海外で多く見かける車だよ」

 「なんで、コンさんはこの車に乗るの? 」


 この質問に対し、俺は考えながら答えた。

 ストレートに答えると血生臭い話も含まれるからだ。


 「海外の戦場で育った俺にとって、最も長い時間を過ごした車だからな。体に馴染むんだよ。俺が新米の頃は、この車に乗れるのが贅沢だった。下っ端は屋根もドアももないジープで、弾丸が飛び交う中を屈んで運転しなくちゃならなかったからな」

 

 燈梨は、すっかり俺の話に聞き入っていたが、俺の只ならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、話を柔らかくしなければならないと考えたのか


 「そうなんだね。でも、私は、ゴツイ外観なのに、ライトが丸くて、ゴツ可愛らしいところとか、好きだよ」


 と、ちょっと間の抜けた感想を言ってなごませようとした。


 「そうか」


 俺は思わず笑顔になった。


 恐らく、燈梨は、今日の俺が何か重い雰囲気なのを察して、色々と空気を読まない体で、それを和らげてくれようとしているのだろう。


 俺は、燈梨の悩みを解決させるための場を提供しているのに、その燈梨に気を遣われなければいけない自分を情けなく思った。

 しかし、燈梨の心情をおもんばかると、今日のところは、存分にそれに乗っておいて、燈梨に癒されておくのが一番良いのだろうと思った。

 今日の俺は大人ぶったところで、舞韻の気配は感じ逃す、燈梨に気遣わせてしまって、途中まで気づかずに過ごす……で、本当にいつもの俺らしくないのだ。だったら、この女子高生の気遣いに甘えておく……という、いつもの俺なら絶対に選択しない選択もアリだと思う。


 それからの燈梨は、俺が黙り込むと、悪い方へと考え込むのではないかと思っているのか、他愛の無いことを言っては、無言の時間を作らせないようにしてくれた。


 「この車の後ろのドアって、観音開き? でゴツイよね」

 「コンさんのお店って、どんな感じのバーだったの? 」

 「コンさんは、なんでお店やめちゃったの? 赤字だったの? 」


 等々……寝室に入るまで続いた。


 明日は、いつもの俺に戻ろう。その時、俺は強く思った。  

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