第5話 男なら、コーヒーはブラックでないとダメとかいう思い込みのせいで、カフェで堂々とパフェが頼めない世の中はどうかと思う
舞韻を店に残して2階へと上がった。
調査を頼んだ事もあるし、そもそも舞韻が休日に、ここに来ている理由の1つは、店の限定メニューの考案や、仕込みだからだ。
リビングのドアを開けると、ソファに座っている燈梨がビクッとすると同時に、潤んだ目でこちらを見ながら首をふるふると横に振り続けていた。
俺は、コンロにやかんが置いてあることを思い出し、棚からティーパックを出して紅茶を淹れた。
実は、俺はコーヒーが好きではない。
人からイメージと違うとよく言われるのだが、そもそも大人の男はコーヒーを好まなければならない法律などないハズだし、見た目で勝手にコーヒー派だと思われるのも心外だ。
待ち合わせした際に、勝手にコーヒーを注文された挙句、カフェオレに近いほどミルクを入れたら嫌な顔をされた事があるが、そもそも約束の時間より早く来過ぎていて、勝手に人の分を注文しておきながら、気を利かせました的な面をされた上で、俺の行動を非常識であるかのように振舞われて、酷く不愉快な思いをした。
2杯入れると、砂糖と共に燈梨の前のテーブルに1杯置いてやり、燈梨の口に貼られているガムテープをまた剥がしてやった。
「砂糖は幾つだ? 」
「どう……するの? やっぱり殺すの? 」
燈梨は質問には答えずに、全く違う質問をしてきた。
恐らく、俺と舞韻が下に降りていって、燈梨をどう始末するかについて話し合っているとでも思ったのだろう。
「おい、話の流れをぶった切るな。砂糖の数を訊いてるんだ」
「あのマインって人に言われたんでしょ、私は殺した方が良いって。……そうだよね、私がいなくなれば、全部丸く収まるんだもんね」
ダメだ。人の話を訊いていない。
というより、燈梨の頭の中は完全にパニックになっているのだと思う。
今、彼女の頭の中は、完全に殺されるという前提から逃れられない状態になっているのだ。
俺は、あまり好まないが、彼女の襟を乱暴につかんで声を荒げた。
「聞き分けが無いこと言うなら、ひっ叩くぞ! 質問に答えるんだ」
「……いらない」
なんだ、やっぱり聞こえているのではないか。
俺は、燈梨の隣に座ると、縛られた彼女に代わって、カップを燈梨の口のところまで運んでやった。
……燈梨は口を閉じたまま顔をカップから背けた。
「なんだ、よっぽどの猫舌なのか? 」
「何が入ってるの? 」
「見て分からないか? 紅茶だ。紅茶はお嫌いか? 」
すると、燈梨は突拍子も無いことを訊いてきた。
「じゃなくて、中に何を入れたのか訊いてるの! 」
「意味が分からない。紅茶にひと手間加えるような、洒落た男だと思ってるのか? 」
燈梨は、はぁ~っとため息をつくと、目をつぶって絞り出すように言った。
「どんな薬を入れたのかって、訊いたの! 」
「はあ!? 」
「毒なんでしょ? 青酸とか、それとも睡眠薬をたくさん……とかでしょ。どうせ殺されるなら、眠ってる間の方が、苦しまないから、そっちの方が良いけど」
ああ、さっきから妙な事を訊いてくると思ったら、紅茶に毒を混ぜられて殺されると思ってたのね。
ちなみにこの状況で毒殺などしない。毒殺は、混ぜたものにもよるが、大抵、対象が死ぬまでに嘔吐や失禁を伴い、もがき苦しんで、床や壁を搔きむしるので、俺の家のリビングでなど間違っても選択しないし、見ていて気持ちの良いものではない。
更に言えば、毒殺する時に紅茶なんかには混ぜない。毒物は大抵、味や匂いが強いので、それを誤魔化せるような、刺激の強いものに混ぜないと、味がおかしいと言われて飲まずに吐き出されたりする。
毒殺の王道は、酒かコーヒーに混ぜると相場が決まっている。
「アホか! 毒混ぜるなんて面倒なことするなら、さっさと絞めて殺すわ! 」
燈梨は、きょとんとした表情で俺の方を見ていたが、ようやく状況を理解したのか、体を捩って
「だったら、解いてよぉ。いつまでこんな格好にしておくつもり? 変態! 」
と、悪態をつき始めたので、懐に手を突っ込んで、銃を取り出すジェスチャーをしながら凄んだ。
「調子に乗るな! 今、殺しはしないと言ったが、縄を解くなんて言ってない。このままだとお前は、一生縛られたままだ」
「そんなぁ……一生縛られ地蔵なんて、やだよぅ」
女子高生特有の訳の分からない表現に、一瞬笑みがこぼれそうになったが、ここで笑っては、燈梨に舐められてしまうと思ってポーカーフェイスでやり過ごした。
俺は、テーブルに置いた自分の分の紅茶を一口飲むと、もう片方の手で燈梨の分のカップを持って、燈梨の前にずいっと差し出して、訊いた。
「どうするんだ。飲むのか? 飲まないのか? 」
「飲む」
燈梨は、諦めたようにカップに口をつけると、ちびちびと飲み始めた。
それを繰り返し、カップの半分ほどを飲んだ。
俺は、立ち上がると、自分の飲んだカップを片付けながら言った。
「昨夜のことを訊く。なんでお前は、あの屋上にいたんだ? 鍵がかかっていたハズだが? 」
「前に、非常階段の鍵を拾ったんだよね。それ以来、ヤバくなった時の夜明かしに使ってたんだよ」
なるほど、これで俺がチェックした後に、あの屋上に入ることが出来たことについては説明がついたが、気になったことがあったので、ぶつけてみた。
「ヤバくなった時って、どんな時だ? 」
「私、お金ないからさ、泊めてくれそうな男の人、探してさ、何日かすると追い出されて……って繰り返してるんだけど、たまに夜遅くまで次の人が見つからない時があってさ、そういう時は、あそこで夜明かしするの。誰も来ないし、寒くもないしさ」
これを聞いて、俺には分かった。
燈梨の家出は本格的なものだと。
この慣れた感じは、昨日今日始めた人間のものではないし、その上で、次の泊まり先にあぶれた時のための、緊急避難場所まで確保しているところを見るに、かなりの場数を踏んでいる様子だ。
それに何より、匂いだ。
それは、実際に臭う訳ではないし、普通に生きている人間の殆どには感じられないものだが、世の中の裏側を歩いてきた俺には、はっきりと嗅ぎ分けられる。
燈梨からは、後ろめたいものがある人間特有の匂いがプンプン感じられる。
そして、年貢の納め時が来てしまったという訳だ。
燈梨のような、行き当たりばったりで、他力本願の家出生活には、危険と期限が付きまとう。
恐らく、金がない中で続けている上に、異性の家を狙っているところから、泊まり賃は身体で払っていると見て、その危険は心配しないとしても、見知らぬ女子高生を泊めてしまうような人間だから、もっと危ない目に遭う可能性もある訳で、気がついた時にはクスリが手放せなくなっていたり、下手をすれば、数年後に白骨で発見されることもある訳だ。
そのエンディングが、昨夜来てしまったわけだ。
よりにもよって、殺し屋の仕事現場を目撃して捕まるという、確率的には宝くじの1等よりも低い可能性のエンドを引き当てたのだ。
さて、これからが本題だ。
この娘、どうしようか?
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