年上の彼女
koto
年上の彼女
仕事の成果を褒められて、誇らしげに、それでも少しはにかむ顔が可愛いな、と思う。お酒を飲んで赤くなった頬がきれいで、見惚れる。必死にプレゼン資料を作っているときの真剣なまなざしに震える。
ああ落ちたなこれは、と自覚する。ただのあこがれだと思ってたのに、今、とても先輩のことが恋しい。
自分の下に組み敷いて関係を逆転させたい、そんな自己中心的な思いがあるのだろうかとも疑う。
持てあました欲を誰かにぶつけたいだけではないのかと、自分を諫めてみる。手近にいた同性を求めているだけなんじゃないかと、悲しくもなる。
(それでもやっぱり、私はあなたが好きです)
そう言えたら、どんなにか幸せだろうに。
伝えるつもりのなかった想いは、やがて膨れ上がる。
金曜夜の飲み会の帰り道、なぜか話の流れで先輩の部屋にお邪魔することになった。泊まり込んで二人っきりの二次会という状況だ。コンビニでお酒とおつまみを買ってきて二人で開ける。
それだけでもう心臓がもたなくて、どうしたらいいのかとうろたえる私に、先輩はにこやかにお酒を勧めてきた。
「あれー、あんまり飲んでないけど、お酒割と強い方だったよね。体調悪いの?」
「いいえ、飲み会で少し飲みすぎたので、ペース配分してるだけです」
辛うじて出た返事に、先輩は「ふーん」と応え「まあ、無理にとはいわないけれど、遠慮はしないでね」
笑ってビールの缶を私の前に置いた。こたつの上にはビール缶とワインとおつまみのチーズにポテチ。
礼を言って受け取り、プルタブを起こすと、小さな飛沫が指にかかる。冷たいそれも私の熱を冷ますには至らなくて困る。
濡れた指をハンカチで拭っていると、差し向かいに座った先輩が缶から直にビールを飲んで、幸せそうなため息を漏らした。
のどの動きが色っぽく見えて、かなりまずい。白い肌が柔らかそうだな、おいしそうだなとか正直な感想が浮かんで離れない。
「ん、何見てるの?」
「いや、いい飲みっぷりだなと」
「ふふ、そうかな。家で飲むと帰り道を心配しなくていいからついつい、ね。それに」
彼女はそっと呟いた。
「一人じゃないって、楽しいから」
くらくらしながらこちらもビールをあおる。苦みが気にならない。むしろ甘い。どうしよう。そのまま勢いで舌が回る。
「先輩って、彼氏とかいないんですか?」
おいこら冷静になれ自分、何聞いてるんだよ。物凄く聞きたいことだけれど!
自分で尋ねておいてあわあわしていると、先輩はぴたりと動きを止めて、私を凝視した。
ああやってしまった、怒られるかも、とたじろぐ私を見つめ「知らない?」と尋ねてくる。
「何を、です?」
「私、付き合ってるひとがいたの。ちょっと前まで」
「ぜんっぜん知りませんでした」
誰ですよその幸せな相手は、と聞こうとして、彼らが別れたのだと気づく。
「そうだよねー。あんまり表ざたにできなかったし。……社内恋愛だったんだ」
「うちの社風的にタブーでしたっけ?」
吐息に乗せるように先輩は答える。
「お咎めはないと思うよ。けれど推奨もしない、ってところ。だから大丈夫だけれど」
「でも、それでも大丈夫だなんて顔してませんよ、先輩」
私の突っ込みに少しだけ泣きそうな表情を浮かべて
「うん、やっぱり別れるのはつらかったな」
……そこからはもう色々とだだ洩れだった。
仕事のことも理解しあえる相手だと思ってたのに、仕事に打ち込んでるのは可愛げがないみたいなこと言いだしてさ。
生活かかってるし、働く以上当たり前だっての。それは男も女も一緒でしょうよ。
確かに子供産んだりすると一時は休暇取らなきゃだけれど、それだって産む前後以外は旦那も休暇取ればいいじゃない。
何? 産ませといて協力できないわけ? 保育園に預けて仕事を頑張ってる同僚は結構いるよ。
それを結局冷ややかな目で見てたのねってなって。どっちが身勝手なのって責めて。
ああもうだめだ、あなたとはやってられないわ、ってなりました。
結婚、考えてたんだけれどね。だから、余計だめだった。でもだめなのはもしかして、わたしだったのかなー?
涙を浮かべた先輩がとうとううつむく。たまらなくなって立ち上がると、彼女の傍に膝をつく。それに気付いてこちらを見上げてくる彼女が殺人的にかわいらしくて、そのまま抱きしめる。
「先輩は、だめじゃないです。とても魅力的で、一生懸命で、生きることをまじめに考えていて。それのどこがだめなんですか?」
驚く彼女をしっかり抱きしめて離さないでいると、ふと、強張った肩の力が抜けて、私にしなだれかかってくる。
理性が。ああ、理性による制御が限界を迎えそうだ。
「いやほら、可愛い女って意味じゃだめなのかもよ。世の中これだけ不景気で労働力不足なのにさ、まだ働く女や母親には冷たい上に、なぜか一生懸命育ってきた女性の人材にテキトーなところで一線を退くことを、妙な理解の皮をかぶった圧力をかけて促すじゃない? 退いていった人たちを悪く言うつもりはないけれど、そうやってじわじわと押しつぶすような圧力に負けて結婚や出産を機に退職した人たちを可愛い女扱いするようじゃ、私は一生可愛くなれないわー」
話している内容は大変に深刻な社会問題というか、私たちの背負うものについてなのだが、涙ぐみながらこちらを見上げる私の腕の中の人はたいそう可愛くて、内容の重さがすべて頭から吹っ飛ぶ。
それはある意味彼女を侮辱しているのかもしれなかったと、後で反省したが、衝動とはそういうものだ。仕方ない。
「先輩は、可愛いです。誰が何といおうとも、可愛いですから! 私、先輩のことが大好きです。むしろ付き合ってください」
もう無我夢中で抱きしめて告げてから、気付いた。私ったら何をいきなり告白してるんだ、と。
彼女はあっけにとられた表情で、私を見ている。私といえば、全身の血の気が引く音が聞こえて意識が遠のきそうになっていた。
ゆっくりと、腕を離す。目を合わせるのが怖い。もう、来週は退職するしかないだろうかと、覚悟を決めたその時だった。
「そっかー。付き合っちゃおうかー」と彼女が言ったのは。
「思えばあの日が始まりだったよね。本当にまさか付き合うことになるとは思わなかったけれど」
彼女が笑う。
「言質は取りましたからね。離すつもりなんてあるわけないでしょう」
私は答える。
長い時間をかけて紆余曲折あって、私たちはお付き合いを始めた。今でも一緒に働いている。
お付き合いを周りに言いづらいけれど、それなりに幸せな毎日だ。
悩むことも多いけれど、いばらのように道をさえぎって身を傷つけてくるものも多いけれど。
もしもこれからもお互いを大切にしていけるならば、たぶん大丈夫だ。
「可愛い」という表現は時に残酷で見下した視線すら含む危険な言葉だけれど、私はあえて言う。
私の彼女は可愛い、と。死ぬまで言ってやるのだ。きっとずっと。
年上の彼女 koto @ktosawa
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