名残の花
koto
名残の花
私の恋人はとても優しいけれど時々どうしようもなくうつろで、何もかもから一歩引いて生きているような人だ。諦めているのか、悲しんでいるのか、それとも大きくて深い愛で世界を見ているのかよくわからない。
そんな彼が私を選んだときはとても驚いたけれど、じんわりと温かくなるような優しさが大好きだったからその気持ちを受け入れた。
でもお付き合いに至ったとき、彼が私に打ち明けてくれたことは衝撃的だった。彼は不死者で、人に殺されない限り死なない。病では死なない身体なのだという。
最初は冗談だと思った。なぜこんなときにそんな話をするのだろう、と不思議だった。でも付き合い始めて数年たって、明らかに彼は年を取らないことに嫌でも気づかされた。私ばかりが時間を早送りしているかのように変わっていく。
「本当だったの? あの話」
「信じてなかったのかあ。まあ、そうだよね」
そう言って彼が見せてくれた戸籍謄本にははるか昔の日付で出生届が出されたことが記されていた。私の祖父母よりもずっとずっと昔の生まれ。
「公にはされていないけど、俺みたいなのがごく稀に生まれるんだと。で、人に殺されない限り死なない。それも、自分が愛した人にしか殺せないんだってさ」
「何よそれ」
「さあ? 俺だって聞きたいよ。何て悪趣味な生き物を生み出したんだ、って」
彼は沢山の人を愛して、殺されることなく見送るばかりだったと笑う。そのうち人を愛する気持ちをどこかに置き忘れてきたと思っていたのに、何十年ぶりかで私を好きになった。また見送るのかと思うと怖くて不安で悲しくて仕方なかったのに、それでも抑えきれなくなった想いを告げたくなったのだと、そう言った。
「君を見送りたくない。もう嫌なんだ。だからさ、いつか俺を殺してくれない? これは君にしかできないことなんだ」
縋るように抱きしめられて、涙を浮かべて微笑む彼に何と返したらいいのかわからず、抱き返してしばし一緒に泣いた。彼の身体はちゃんとあたたかいのに、その熱を奪うなんて嫌だった。
「あのさ、泣くよ? のこされた時間を一生かけて」
涙を拭かないままのぐちゃぐちゃの顔でそう告げると、彼は眉根を寄せた。
「……やっぱりいやだなあ。君を泣かせるのは」
だから今まで誰にも殺してほしいと言えなかったのだと、時間が引き裂く前に相手に別れを告げて去っていたのだとため息をつく。彼の濡れた頬をハンカチで拭ってから、頭を撫でる。心地よさそうに目を細める彼にこちらもため息混じりに口にした。
「あなたを遺して逝って、救えないままにするのも辛いけど」
それを聞いて彼はふわりと微笑んだ。
「「困ったね」」
二人で声を上げずに笑った。私は彼の胸に顔をうずめてその鼓動をたっぷり聴く。
この音を断ち切るなんて。熱を奪い声を失わせるなんて。指を絡められなくなるなんて。
できない? ほんとうに?
ややあって私は顔をあげた。まっすぐに彼を見つめる。
「よし、私があなたを殺す。私の嘆きは有限だもの」
驚いた顔で見つめ返す彼にはっきりと、これ以上ないほど真摯に伝えた。
「死んだあと、一緒の場所に行けなくてもいい。罪を裁かれようが周りに罵られようが、あなたが笑ってくれるならそれでいい。でもね」
「でも?」
「もうしばらくは私と一緒に過ごしてほしいな。ちゃんと最後にはあなたを殺すから、安心して」
私の恋人はとても優しいけれど時々どうしようもなくうつろで、何もかもから一歩引いて生きているような人だった。でもあの日からはとてもとても幸せそうに笑って過ごしていた。
私はこれから、彼が嘆いていたよりも短い時間を嘆きつつ過ごすだろう。
名残の花 koto @ktosawa
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