10. お脱がせしてしまってもよろしいのか?


 塩瀬との密着は、あの変態コギャルに比べて背徳感があった。普段はガッチリとガードしているためか、少し触れるだけで脳髄がハンマーでぶっ叩かれるような快感がある。香水っぽくない塩瀬の香りはどストライク。ご飯が800杯食べられる。


 そんな至福の天国であるロッカーから抜け出せなくなった。抜け出す必要があるのかと言うと、はなはだ疑問ではあるが。 


 扉のところを見てみると、塩瀬のシャツの端っこがロッカーの扉をロックするところに引っかかっている。


「びくとも動かないです」


 ちなみに乳繰り合っていたカップルは、がちゃんがちゃんと動くロッカーにびっくりしていなくなってしまった。


「くっ、逃してしまいました」


「早く出よう。ここから出よう」


「それは……無理そうです」


 暗がりの中でグイグイと塩瀬がシャツを引っ張っている。どうも見た目より複雑に絡まっているらしい。塩瀬は困った様子で言った。


「委員長。うまく手が動かせません。取って頂けますか?」


「え? 良いのか。俺が触っても?」


「構いません。緊急事態です」


「よ。ようし取っちゃうぞお」


 ぐへへへ。


 塩瀬のシャツに触れる。チラッと見えたのはおへそだろうか。うっひょー。


「委員長……は、早く」


 塩瀬が困った様に言った。そうだ、何してるんだ。ここで欲望に負けてしまってはいけない。品性を失ってしまっては、童貞である意味がなくなってしまう。


 しかしなかなか服が取れない。


「難しい。かなり複雑に絡んでいるな」


「早くしないと逃げてしまいます」


「だが服を破りかねん」


「それでは困ります」


 ふうと息を吐いた塩瀬は毅然とした口調で言葉を続けた。


「委員長、私を脱がせてください」


「えっ」


「一旦服を捨てます。そして扉を開けたのち、服を回収します」


「しかし、それでは君が……」


「大丈夫です。ここは更衣室ですから、下着姿になるのは合法行為になります」


 そう言う問題なのか?

 だが彼女が脱ぎたいと言っているのだ。俺としては脱がせてやることしかできない。


「委員長は目を閉じていてください」


 それは残念だ。


「私がボタンの場所を指示します」 


「分かった」


「他のところには絶対に触ってはいけません」


「御意」


「目をつむってくださいね」


「うん」


「つむりましたか?」


「うん?」


「つむってくださいっ!」


 いかんいかん。

 ここは言う通りにしなければいけない。彼女が脱ぎたいと言っているんだから、俺は仰せのままに彼女の服をこう。無心に無心に。今は封印されていろよ、もうひとりのぼく。


 ばぶう。


「もうちょっと右です」


「こ。こうか」


「そうです。そのまま……」


「ここかな?」


「あっ。それはっ、ちっ、違うボタンですぅ」


 違うボタン?

 俺はどこの突起物に触れているんだ?


「ここかっ」


「ああっん。それも違うボタンですよっ」


「むう。ぶふう」


「は、鼻息が荒いですっ」


 すかぽんと頭を叩かれて正気に戻る。危なかった。


「ちょっと左です。そうです。そこです」


「ここだな……よし」


「んっ……あっ、くすぐったい……」


「取れたぞ」


「ありがとうございます。そのままゆっくり上へ。そうです上手です。良い感じです」


「良い感じか?」


「はい、とても」


 プチンプチンと塩瀬のシャツのボタンを外していく。目を開けたい。すごく開けた

い。


「そこで一旦ストップしてください」


「む。位置的にはここな気がするが」


「次からは3次元的な動きが要求されます。今までは平地でしたが、今回は違います。葛飾北斎の描いた富嶽三十六景を想像してください」


 なるほどなるほど。

 そう言うことか。グッヘッヘッヘ。


「ようし3次元的な動きだなぁ」


「そうです。あっ、スピードが速いです! 速いです!」


「おーっと衝突してしまったぁ」


 ぷにっ。


「ああっ」


 塩瀬が声をあげる。


「何してるんですかっ!」


「す、すまん事故だっ」


「しっかりしてください。ああ、もう、位置がずれてしまいました。もうちょっと右です。そうです」


「こうだな」


「そうです。そして上昇してください」


「こうだな」


「あ。それは下降です!」


 ぷにっ。


「ふあん」


 塩瀬が声をあげた。


「真面目にやってるんですかっ!?」


「す、すまん。事故だ。保険は下りる」


「早くしないと逃げちゃいます。もうちょっと左です。そこ、ずらしたら殺しますからね」


「御意」


 なんとか全てのボタンを外すことに成功した。  


「脱げました」


 ふう塩瀬は深い息を吐いた。

 チラッと薄目を開けて確認した塩瀬の下着の色は鮮やかな水色だった。良いじゃないか。


「では金具から服を外していきます」


「よし。今度は上手くいきそうだな」


「どうして分かるんですか? 目を閉じていてください」


「はい」


 その時。

 彼女の生肌が俺の指先に触れてしまった。おそらく何かの拍子だったのだろう。


 温かい。

 俺の脳裏をよぎったのは豊穣の大地だった。一斉に咲き誇る花々。田植えの季節だ。秋になればたわわに稲が実るだろう。息子よ。娘よ。飯を食え。たあんと食って大きくなれ。ああ今日も良い仕事をした。


 大きいことは、良いことだ。


「ぐわあああああああ」


「委員長!? どうしましたっ」


「きおくがっ。きおくがっ」


 俺の内には別の人格が潜んでいる。

 それを目覚めさせてしまったのは、あの悪魔的ギャルの所業だった。本来は成長と共に捨て去るべきものを、あの女は墓場から呼び起こしてしまったのだ。


 おぎゃあおぎゃあ。


 遠くから赤子の声が聞こえる。ただひたすらに、おっぱいを求めている。


 俺の中のもうひとりの自分。


 3度の目覚めによって、彼はさらに純粋無垢な姿を見せていた。塩瀬の谷間に触れたことにより、その人格は真っ先にそこにむしゃぶりついた。


「ばぶう」


「ひゃんっ、だ。ダメですっ、そこはっ」


「ぶうう。ばふう」


 下着一枚など、彼にとっては裸同然だった。ぶうぶうと言いながら、好き放題にもてあそんでいる。


 もはや主導権を失ってしまった身体の本来の主人である俺は、それを外側から眺めることしかできなかった。


「おぱおぱ」


「委員長。よ、様子がおかしいですっ、ううっ」


「ままっ。ままっ」


「わ。私はお母さんではありませんっ」


「ままがわるいんだからねっ」


「何を言っているんですかぁ」


 まるで求めるもの(母乳)の抽出方法を心得ているかの様に、俺の中の赤子は塩瀬のマッサージを始めていた。身動きの取れない彼女は、俺の手に身を委ねるしかなかった。


「やーんっ」


「ままっ、ままっ」


「出ません。出ませんよ」


「おぱおぱ」


「ダメです。脱がさないでっ」


 万事休す。

 これをやってしまったら、もうおしまいだ。さらば純情ランデブー。母乳から始まる恋というのがあれば別の話。


「あらぁ。楽しそうなことしてるじゃないですかぁー?」


 助けは意外なところからやってきた。手錠を解錠したと見られる小依がロッカーを開けた。 


「小依さんっ。助けてください」


「助けるぅー? 参加するの間違いじゃないですかぁー?」


「何を言っているんですか? 委員長の様子がおかしいんですっ」


「あららぁー。たまごっち先輩、やっぱりおっぱいが好きなんですねぇー」


「ばぶう!」


「うーん。このままヤっちゃっても良いんですが。やっぱり先輩の童貞を奪うのは私なのでぇー」


 そう言って小依は俺を寝転ばせると、俺を塩瀬の膝の上に乗せた。


「塩瀬パイセン。このままよちよちしてあげてください」


「よちよち?」


「おっぱいを近づけて、頭を撫でるんですぅー」


「そんなっ。恥ずかしいですっ」


「ダメですよぉー。そうしないと珠木先輩はこのまま一生、母乳を求める怪物として暮らすことになっちゃいますよぉー」


「そ。そうなんですか……?」


「ばぶう!」


「それは……さすがに……」


 顔を真っ赤にした塩瀬は俺を見下ろすと、谷間を近づけて頭を撫でてきた。 


「よちよち~」


 ああ。


 これは


 心が。


 洗われていく——————。

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