第114話 星川家


「あらあら、あっくん。いいのよ? 片付けなら私がするから」


「いえ、ご飯まで頂いたのにこれ以上光里さんに迷惑はかけられないですよ」


 星川の家で夕飯をご一緒させてもらった後、俺は片づけを率先して行っていた。星川家とはもう十年になる長い付き合いだが、それでもご飯を何もせずに食べさせてもらうのは気が引ける。


「そう? 可愛い義息子がそう言うなら甘えようかしら」


「いや、義息子じゃないっすよ」


「そんな冷たいこと言うなんて……お義母さん泣いちゃう……」


 わざとらしく泣いたフリをする光里さん。


 星川の母親である光里さんには幼い頃からめちゃくちゃお世話になっているが、高校一年の後半くらいからしきりに俺にお義母さん呼びを強要してくる。

 将来的に星川とそういう仲になって、光里さんをお義母さんと呼べたらいいなとは思うが、今はまだ無理だろう。


「気持ちは嬉しいですけど、流石にまだ呼べませんよ」


「つまり、近い将来呼んでくれるってことね!」


 手のひらをパンと合わせて、ニコニコとした笑みを浮かべる光里さん。


 くっ。しまった。つい口が滑った……。


 ニコニコしている光里さんはテレビに夢中になっている星川にチラリと視線を向けた後、皿洗いを始めた俺の傍にそろそろと寄って来る。


「ねえ、最近明里とどうなのよ?」


「どうもこうも、何もないですよ」


「ええ? 本当に? わざわざ私が仕事の帰りを遅くしてまであなたたちが二人きりになる時間を作ってるのに、何も無いの?」


「意図的だったんですか? それなら、星川のために早く帰ってきてあげればいいのに」


「でも、明里と二人きりで過ごせるのは嬉しいでしょ?」


「当たり前です。あんな可愛い幼馴染と二人きりでいれて嬉しくない奴なんていませんよ」


「あっくんのそういうバカ正直なところ、本当に素敵よね」


「バカにしてるんすか?」


「ええ。だって、バカだもの」


 そう言うと光里さんはクスクスと口元を抑え笑いだす。バカとは言うが、この人の言葉には悪意が無いから怒りにくい。


「それで、本当に進歩ないの? 明里の裸見ちゃって、桶投げられたりとか、誤って明里を押し倒しちゃったりしてないの?」


「桶って……。そんな古典的な恋愛漫画みたいなこと起きませんよ。それに、星川は多分俺のこと男として強く意識してないっすからね」


 流石に、数週間前に星川が何も気にせずに俺の膝を枕にして眠りだした時はびっくりした。

 一瞬だけ、全てを投げ捨てて欲望のままに星川に手を出そうかと思ったが、ここまで積み上げてきた信頼が崩れることが怖くて何も出来なかった。


「ふーん。まあ、明里も恋愛に関してはまだまだ子供だものね。距離感が近いからこそ、気持ちを言い出せないあっくんの気持ちもよく分かるわ。でもね、伝えられるうちに思いを伝えることの大切さは、あなたが誰より理解してるんじゃないの?」


 光里さんの言葉に思わず手を止める。

 ほんの少しだけ、一年半前のことを思いだした。


「……そうですね。何も言い返せないっす」


「ふふふ。勘違いしないで。攻めてるわけじゃないの。ただ、さっさと明里とあっくんが付き合って、子供作ってくれたら孫の顔が早く見れるなって思っただけよ」


「あんた、めちゃくちゃなこと言ってんな。仮にも娘の人生に深く関わるであろうことをそんな適当に考えていていいんですか?」


「あら、あっくんは明里を悲しませるような男なの?」


「そんなわけないでしょ。何があろうと星川の笑顔だけは守りますよ」


「ほら。それを躊躇いなく言える時点で、少なくとも私からしたらあなたは娘を預けるに足る男の子よ」


 ふふん。と自慢げにドヤ顔を向けてくる光里さん。


 何というか、かなり強引だ。こういうところを見るとやはりこの人は星川のお母さんなのだと感じる。


「……期待に応えるかは分からないですけど、光里さん――「お義母さんよ」……光里さ――「お義母さんよ」……義母さんの言うことはよく頭に入れときます」


「良く言えました」


 微笑みながら俺の頭をよしよしと撫でてくる光里さん。


「あの……恥ずかしいんですけど」


「それが思春期よ」


 これはいくら言っても聞き入れてもらえないやつだ。そう思った俺は、そのまま大人しく頭を撫でられることにした。

 暫くすると光里さんは俺の頭を撫でることに飽きたのか、リビングに行き星川のお父さんの隣に腰かけた。

 星川家の夫婦仲は良好らしい。夫婦の仲が良いことは、本当に良いことだ。


 最後の皿を洗い終わり、手を拭く。

 時計を見ると、既に時刻は八時になっていた。


「あっくん」


 そろそろ帰ろうかなと考えていると、週明けに提出しなくてはならない課題プリントを手に持った星川が俺に話しかけてきた。


「週末の課題、まだ終わってなかったのか?」


「うぅ……助けてください」


 申し訳なさそうに頭を下げる星川を見て、少し考える。星川の為を思うなら、自分でやらせた方がいい。

 だが、惚れた弱みという奴だろう。星川に頼られたら力になりたいと思ってしまう。


「一時間だけな。あんまり俺も家に帰るのが遅くなるとよくないから」


「うん! ありがとう! じゃあ、私の部屋でやろっか」


 そう言うと星川はリビングを出て行く。その背中を追いかけてリビングを出て行く寸前で視線を感じ、ソファの方を向くとニヤニヤした表情で俺を見る光里さんの姿があった。


『お・し・た・お・し・て・い・い・よ』


 口パクで光里さんはそう言うと、グッと親指を突き立てた。


 全く、あの人は本当に……。


『し・ま・せ・ん』


 口パクでそう伝えてから、俺はリビングを後にした。



 星川の部屋の中は前に来たときよりかなり綺麗になっていた。以前に来たときはもう少しアイドル関連のグッズが散らばっていた印象だったんだけどな。


「あ、これ座布団ね」


 星川は渡してきた猫のようなキャラクターのクッションの上に座る。すると、星川は俺の隣に腰かけて参考書を机の上に開く。


「じゃあ、あっくん先生。よろしくお願いします」


「おう。とはいっても、最初は自分の力でやれよ」


「ええ……」


「そんな嫌そうな顔するなよ。先ずは自分でやらなきゃ意味ないだろ。分からないところがあったら手助けするか、やっていこうぜ」


「うぅ……。まあ、そうだよね」


 ため息をつきながら星川が手を動かし始める。


 カチカチと時計の針が動く音が部屋に響く。星川は真剣な表情で問題に向かっていた。


 しまった。これ、星川が考えている間、俺が暇だな。

 スマホがあればまだ良かったが、生憎とリビングに忘れてしまったらしい。わざわざ取りに行くのも面倒だし、星川が集中しているのだから、水を差すような真似はしたくない。


 チラリと視線を横に向ければ真剣な表情を浮かべる星川がいた。相変わらず整った顔立ちで可愛い。


 こうやって見ると、やっぱり今日であったあの人に似ている。ただ、星川の髪は腰まで伸びていないから流石に別人だと思う。

 それでも、同じ街にめちゃくちゃ似ている人がいるとは、中々に凄い偶然だ。


「あっくん、ここ教えてくれない?」


「ああ。ここはな――」


 星川に聞かれたことに答えていく。気付けば時間は過ぎていき、もうすぐ九時になるという頃には星川の課題も終わっていた。


「やっと終わったー!」


「おつかれ」


 星川は両手を伸ばし、机の上に上半身を投げ出す。

 時間的にもそろそろ俺は帰る頃だ。

 だが、帰る前にもう一回急用が何か聞いてみるか。今の星川は気を抜いているし、うっかり口を滑らすかもしれない。


「結局さ、星川は愛乃さんと何をしてたんだ?」


「うーん? 実はね、街を――っ!」


 途中まで喋ったところで慌てて口を閉じる星川。


 ちっ。あと少しだったのに。


「え、えっとね……街で落とし物を探してたんだよ! かのっちが落とし物しちゃって、それが全然見つからないから助けて欲しいって言われたから手伝ってたの」


 落とし物を集めるために休日にわざわざ友人を呼びだすか?

 それに、星川も友人の落とし物を拾いに行くためにあそこまで慌てて駆け出したりするものか?


 疑問点は残るが、これ以上の追及をしても星川が口を割ることはない。星川が焦る何かがあるということ、愛乃さんもそれに関わっているということ、そして、二人に正体不明の存在が関わっていること。

 今のところの情報としてはこの三つか。街で暴れていた黒タイツと戦う星川に似た人も気になるが、今は置いといていい気がする。無関係の可能性もあるしな。


「そうか。じゃあ、俺はそろそろ帰るな」


「あ、ちょっと待って!」


 帰ろうと思い、立ち上がろうとすると、星川に呼び止められた。


「今日ね、あっくんが私を追いかけたって言ってたじゃん」


「ああ、そうだな」


「心配してくれるのは嬉しいんだけど、私は平気だから! 寧ろ私を追いかけてあっくんが危ない目にあったんでしょ? 私もあっくんには無事でいて欲しいから、追いかけないって約束してくれないかな?」


 目を潤ませ、上目遣いでお願いしてくる星川。


 くっ。いつの間にこんな高等技術を身に付けたんだ? 思わず『うん』って言ってしまうところだった。

 星川のお願を断ることは心苦しくはあるが、星川が関わっていることの安全性が確保されていない以上、追いかけないわけにはいかない。


「すまん、無理」


「……むう。しつこい男の子は嫌われるんだよ? あっくんは私に嫌われてもいいの?」


 星川は可愛らしく頬を膨らませてそう言った。


 星川に嫌われる……?

 つまり、星川と一緒に登校も、星川と一緒にご飯を食べることも出来なくなるというのか……?

 それは、めちゃくちゃ嫌だ。

 いや、だがここまでして星川が隠そうとしていることは何なんだ?

 よっぽど重要なことなんじゃないのか?


「嫌われたくはない……。なら、せめて星川が俺に隠していることが危なくないことかどうかだけ教えてくれ」


「そ、それは勿論、全然危なくないよ! これっぽちも危なくない! 危なくなさ過ぎて逆にちょっとだけスリルを求めたくなっちゃうくらい危なくないよ!」


 星川の声が少しだけ大きくなる。そして、これでもかというくらいに危なくないことを主張してきた。


「そうか……。なら、悪いが星川に嫌われたとしてもお前の隠していることを俺は探る」


「え、えええ!? 危なくないんだよ!? すっごくすっごく安全なんだよ!」


 星川がしつこいくらいに何かを主張するときは大抵嘘である。

 幼馴染舐めんな。それくらい分かる。


 腕組みをして星川を真っすぐ見る。俺の態度を見て、これ以上の説得は無駄だと悟ったのか、星川はため息をついた。

 それから、俺の方をジッと見つめてこう言った。


「じゃあ、あっくんなんて嫌い! 人が知られたくないって言ってることを無理矢理探るなんて最低だよ! セクハラ! やっぱりあっくんは変態だよ! もう探りませんって約束するまで絶交だから!」


 星川はそう言うと、俺を部屋から追い出し、あっかんべーをした。

 可愛い。

 ……いや、違う!


「……え? 絶交? ちょっ! 星川!? 星川さん!?」


 閉じられた扉をノックし、星川に声をかけるが反応が返ってこない。


 こ、こいつ……まさか本気か? いや、でもあの星川だ。きっと明日には忘れているはず……。え? だよね?

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