第111話 星川明里とアイドル事務所に来る男

「今日から新しく派遣の人が来るから、挨拶だけしてもらうわね」


 土曜日の朝、駆け出しアイドルとして朝からレッスンを受けるために事務所に来ていた私にマネージャーさんがそう告げた。


「はい! 分かりました!」


「いい返事ね。それじゃ、今日も頑張りましょう」


 マネージャーさんはそう言うと、事務所の方に戻っていった。マネージャーさんを見送った後、私は動きやすい格好に着替えてダンスルームに向かう。今日はダンスレッスンの日だ。


「はぁい! それじゃ、アカリちゃん! 今日もやっていくわよん!」


「はい!!」


 振付師の先生に従い、デビュー曲のダンスの練習をする。

 私が所属している事務所は知名度が低くて、ちょっと上手い程度のダンスや歌ではデビューしても直ぐに埋もれてしまう。

 だからこそ、テレビにバリバリ出演するようなトップアイドルにも踊りや歌で負けないレベルの技量が必要らしい。


「~♪ ストップストップ!!」


 踊っている途中で振付師の先生に止められる。


「んもう! 何度も言うけど、もっと幸せな気持ちを前面に押し出すの! この曲は恋愛ソングよ! それも、好きな人に会えて嬉しいって気持ちを表現した曲! そんなねぇ、当たり前に一緒にいた人とある日を境に会えなくなってしまって寂しいみたいな踊りじゃダメ!!」


「うっ……す、すみません……」


 練習を始めてからもうすぐ二時間が経つが、これで私が注意をされるのは今日だけで三回目だった。

 ここ数日の数も含めると数十回になる。

 原因は私でも分かってる。


「アカリちゃん。話は聞いたから分かっているつもりよん。でもね、アイドルは応援してくれるファンが待っている限り、どんな時でもステージに立たなくちゃいけない。あなたが会いたいと思ってるその人も、輝くあなたの姿を望んでるんじゃないの?」


「は、はい。それは、そうなんですけど……どうしても色々と思い出が頭の中に出てきちゃって……」


 私らしくもなく、弱気な発言が口から出る。

 

「……一回休憩にしましょう」


「そ、そんな! まだ私はできます!!」


「ダメよん。今日は新しく来た派遣の人がお昼を作ってくれてるらしいし、出来立てのお昼ご飯でも食べて気分転換してらっしゃい」


「……はい」


 振付師の先生の言葉に頷いてから、私はダンスルームを出た。


「はぁ。うぅ……どうしよう……」


 壁に寄り添い、深いため息をつく。

 かつてないほどのスランプ。

 その原因は一つだ。


「あっくん……何してるんだろ」


 あっくんロス。

 それが今の私を襲う胸の寂しさの原因だった。あっくんとイリちゃんが結ばれた時は平気だった。

 だけど、あっくんの就職が決まったとイリちゃんから聞いて暫くしてからだった。

 無性にあっくんに会いたい気持ちが湧きあがってきたのだ。でも、駆け出しアイドルとして毎日レッスンを受ける私と、新社会人としてバリバリ働いているあっくんでは空いている時間が致命的なまでに合わなかった。

 そもそも、イリちゃんとあっくんが付き合い始めた以上、私があっくんと二人きりで会うのも良くない。

 そういう訳で、私はおよそ半年もの間あっくんと会っていない状態が続いていた。

 そして、それにより胸の中にぽっかりと穴が開いたかのような喪失感が徐々に私を蝕んでいき、こうして立派なあっくんロスになってしまったというわけだ。


「たまにはあっくんから連絡してくれてもいいじゃん。私のファンだって言ってた癖に……バカ」


 真っ暗なスマホの画面を見て、ポツリと呟く。


「……いつまでも落ち込んでられないよね! ご飯食べて元気だそう!」


 軽く両頬を叩いてから、自分にそう言い聞かす。

 せめて今は、昼からのレッスンについていけるようにご飯をしっかり食べないといけない。



***


 私が所属する『SSシャイニングスタープロダクション』では、社長とマネージャーが事務所で寝泊まり出来るようにという理由で、寝室とキッチンがある。だから、今日のような一日レッスンの日は事務所内でお昼ご飯が作られる。


「すいません。お昼いただきたいんですけど……」


「はい! もう直ぐ出来上がるんで適当に座って待っていてください!」


 キッチンのある部屋の扉を開けると、キッチンの方から若い男性の声が聞こえた。

 うちの事務所に若い男はいない。強いて言えば社長は男で、まだ若い方だと思うが、ここまで溌剌とした元気はない。

 それに、この声には聞き覚えがある。


 いや、でもそんな訳がない。だって、彼はどこかの会社に就職して働き始めてる……。


「あの、どうかされました?」


 入り口からいつまで経っても動かない私を不審に思ったのだろう。キッチンの奥の方から男の人がひょいっと顔を見せる。


「あ……」


「え……!?」


 その人は私がよく知る人で、今一番会いたい人だった。


 ……ずっと会いたかった。

 でも、私には私の道があって、彼には彼の道がある。残念ながらその道が重なることは無かったから、会えなくても仕方ないと思ってた。

 でも、一人で道を進んでいくほどに、寂しさを実感する。彼がどれだけ私にとって大切な存在だったかよく分かる。


 だから、イリちゃんには申し訳ないけどこれは許して欲しい。


 顔を見せた私の愛しの人に近づく。

 彼は、まだ目の前の事実に驚いていて固まっていて隙だらけだった。そんな彼の顔を見て、変わらないなと思いながら私は彼の胸に寄りかかる。


「えっ……ちょっ……星川?」


「少しだけ……もう少しだけこのままでいさせて?」


 今まで会えなかったことへの寂しさ、これまで連絡をくれなかったことへの少しの怒り、そして何より、また会えたことの喜び。

 色んな感情が混ざって、目頭が熱くなる。


 あと少しだけ、もう少ししたらいつものように笑えるから、あなたが好きだって言ってくれた明るい星川明里に戻れるから、今はこのままで。


 そんな私の思いを察してくれたのか、彼は私の頭にぽんと手を置いて、ゆっくりと私が顔を上げる時を待ってくれた。



***


「それで、何であっくんがここにいるの?」


 漸く落ち着いて、あっくんから離れた私は改めてあっくんに問いかける。


「仕事だよ。掃除とか料理とか、その他諸々雑用を請け負ってんだ。まさか、星川が所属してる事務所だとは思わなかった」


 そう言いながらあっくんはキッチンに戻り、作った料理を盛り付ける。さっきまでは気付いていなかったがキッチンからは食欲をそそるいい匂いがしていた。


「さっきのは少し驚いたけど、星川も元気そうでよかった」


 そう言いながらあっくんが私の前にカレーとサラダを運んでくる。

 あっくんが料理が出来るのは少し意外だったけど、カレーとサラダは凄くおいしそうだった。


「さ、さっきのことは忘れて! それより、あっくんって料理出来たんだね」


「元々一人暮らしだったからな。とはいえ、就職してからかなり練習したぞ。仕事だから下手な料理は出来ないしな」


「ふーん。じゃあ、早速お手並み拝見といかせてもらおうかな!」


 「いただきます」と手を合わせてからスプーンでカレーをすくい、口に入れる。

 

「……お、おいしい」


「だろ?」


 ドヤ顔を向けてくるあっくん。

 悔しいけど、かなり美味しい。最近はやってないけど、私も料理は出来る。でも、あっくんのカレーは少なくとも私が作るカレーよりも美味しい。


 少しだけ複雑な感情を抱きながらカレーを食べ進める。そんな私を見てから、あっくんはキッチンに戻り、洗い物を始めた。


「あっくんは食べないの?」


「仕事だからな。俺は最後に食べるよ。俺のことはいいから飯が冷める前に食べちゃえよ」


 あっくんはそう言って黙々と洗い物をする。

 久しぶりの再会なんだからもう少し構ってくれたっていいじゃん。そう思ってしまうのは私の我儘なんだろう。

 でも、一人で食べるカレーはさっきよりも味気なく感じた。


 カレーとサラダを食べ終えた私は、空になった皿を持ってあっくんの下へ向かう。


「あっくん、ごちそうさま!」


「おお。口に合ったなら良かった。昼からも何かあるんだろ? 頑張れよ」


 あっくんは私からお皿を受け取ると、再び洗い物を始めた。あっくんの言う通り、昼からはまたレッスンの続きだ。

 時計を見ると、もう直ぐ休憩時間の終わりが近付いていた。


「うん。行ってくるね」


 もっと話したかったな……。ううん。あっくんだって仕事しに来てるんだから、私が邪魔しちゃよくないよね。それに、もう十分甘えさせてもらったし……。

 よし! レッスン頑張ろう!!


 気合を入れ直してダンスルームに向かう。

 朝に比べると、ずっと上手く踊れそうな気がした。



***


「アカリちゃん! 昼からはすんごく良かったわよん! もうトキメキクライマックス! 私までキュンキュンしちゃうくらい良かったわ! 来週も頑張りましょうね!」


「はい! ありがとうございました!!」


 今日のレッスンが終わり、振付師の先生がダンスルームを後にする。その後、使ったダンスルームにモップをかけてから私はシャワールームに向かった。

 汗を流して、服を着替える。


 そういえば、あっくんってまだいるのかな?

 もし、もう仕事が終わりなら一緒に帰れたら嬉しいな。


 そんなことを考えながらキッチンのある部屋に顔を出す。だが、あっくんの姿は無かった。

 あっくんが掃除とかもすると言っていたことを思いだして、事務所内を歩いて探したが、どこにもあっくんの姿は見当たらない。


「あら、明里。まだ帰ってなかったの?」


 事務所内をふらついていると、マネージャーさんに話しかけられた。


「あ、あの……今日から来たあっく――派遣の人ってもう帰っちゃいましたか?」


「ええ。用事があるって言ってたから今日は早めに上がってもらったわ。もしかして、何か彼に用があったのかしら?」


「あ、いや! 大したことじゃないので、大丈夫です」


「そう?」


「はい! それじゃ、失礼します」


 マネージャーさんに頭を下げてから荷物を持って事務所を後にする。


 やっぱり、帰ってるよね……。

 用事って何だろう? イリちゃんが大好きなあっくんのことだし、イリちゃんと何かあるんだろうな。


 そう思いながら建物の外に出ると、そこにはあっくんがいた。


「結構遅かったな。まあ、お疲れ」


 予想外の展開に驚いていると、あっくんは私に近寄り、少し大きめの袋を差し出してきた。


「……え? これは?」


「まあ、なんだ。そういや星川にアイドルになったお祝い渡してなかったって思ってな。良かったら使ってくれよ」


 あっくんが差し出した袋を受け取り、中を見る。

 中に入っていたのは運動靴だった。小さな星のマークがついた、シンプルなデザインの靴。

 でも、足裏のクッションがしっかりしていたり、軽い素材が使われていたりと使用者の足への負担を減らす工夫がされている良い靴だった。


 たまたまかもしれないが、丁度私が今ダンスレッスンで使ってる靴がボロボロになって来ていて買い替えようと思ってたところだ。


「あー、後な」


 感謝の言葉を伝えようと思ったところで、あっくんが口を開く。


「今日のダンス、滅茶苦茶良かったぞ。久々に見たら元気出てきた。結構、仕事が大変な時もあるけど、星川のおかげで頑張れそうだ。ありがとな!」


 ……あ。

 見てくれてたんだ……。

 だから、運動靴なんだ。たまたまじゃなくて、私を見て、ちゃんと考えて選んでくれたんだ。


 そのことに気付いた瞬間、胸の奥から思いがこみ上げてくる。今すぐ、あっくんに抱き着きたいという気持ちが湧きあがって来る。

 でも、それはイリちゃんに申し訳ないからグッと堪えて、今の私に出来る最高の笑顔を浮かべる。


「ありがとう! あっくん!」


 あっくんが好きだと言ってくれた笑顔で、感謝を伝える。


「お、おう」


「じゃあ、久しぶりに一緒に帰ろっか!」


「あー、そうだな。一人で帰らせて、星川が暴漢に襲われたら嫌だしな」


「……え?」


 高校時代のあっくんからは想像できない言葉に思わず足を止める。

 あっくんが私を送ってくれる理由は、何時だってイリちゃんのためだった。でも、今のあっくんの言葉じゃまるであっくんが私を心配してくれてるみたいだ。


「何でそんな驚いてるんだよ。言っただろ。星川のファンだって。ファンとして、好きなアイドルを守るのは当たり前だろ」


「あ、う、うん! ありがとう!」


 そ、そういうことか。

 ちょっぴり残念だけど、でも嬉しいな。


 あっくんの言葉は、あっくんがもうイリちゃんを通して私を見ていないことの何よりの証明だった。



 あっくんと並んで歩き始める。

 もうすぐ冬がやって来る。あっくんはイリちゃんと楽しく過ごすんだろう。

 夕陽に向かって二人で歩けば、後ろに長く伸びる影が出来る。手をあっくんの方に少しだけ近づける。すると、私の手の影とあっくんの手の影が重なる。


 ごめんね、イリちゃん。でも、これくらいは許してね。


 心の中でイリちゃんに謝りながら、あっくんの横顔を見る。

 社会人として働き始めたあっくんの顔は、少し大人っぽくなっていて、また一段とかっこよくなってる気がした。


「どうしたんだ? 笑顔でこっち見て?」


「なんでもないよ!」


 あっくんに笑顔を見せる。

 影が触れ合える距離で並んで歩く。あっくんの横顔を見る。


 今の私に出来るのはこれくらい。

 でも、十分だ。

 あっくんが私を、私だけを見てくれる時がある。

 それだけで、私は今以上に輝ける。


「あっくん! これからも見ててね!」


 近付きたいけど、これ以上は近づけない。ならせめて、どうかこれからもこの距離で。


 一番星が今日も空に輝く。

 誰より早く、あなたに見つけてもらえるように。

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