第110話 新世界へ

 トイレから帰って来た後、俺とイリスは互いに缶に残った酒を飲み干し、そして歯を磨いてから寝る準備を整えた。


「じゃあ、電気切るぞ」


「ええ」


 イリスの返事を聞いてから部屋の主照明を切る。

 しかし、旅館の居間にある照明が点いていることで、居間の中は薄暗くオレンジ色に染まっていた。

 イリスが布団に入ったことを確認してから、布団の中に潜り込む。



 ……え? どうすんの?

 寝るわけにはいかない。てか、眠れる気がしない。今も心臓がドキドキと跳ねている。

 だが、どうなんだ? イリスの準備は出来ているのか?


 チラリとイリスの方に顔を向けると、イリスも俺の方を向いていた。


「善喜。そっちの布団、行ってもいい?」


「え、あ、はい!」


 イリスからの予想外の提案に思わず声が裏返る。

 俺の返事を確認したイリスはもぞもぞと動きながら俺の布団の中に入って来て、俺の肩の上に頭を置いた。


「ふふっ。温かいわね」


 イリスの顔が近い。

 イリスは少し酔っているのか、頬がほんのり赤くなっていた。


 お、お、おおおお落ち着け俺!

 添い寝くらいは、今までもしたことがある。静まれ……静ま……いや、静まらなくてもいいのか?

 ここで、思い切って攻めてもいいんじゃないか?


 その時、視界の端に俺の鞄からこぼれ出た瓶が目に入る。


 あれは……上司がくれた瓶!

 それと共に、上司の言葉が蘇る。

 そうだ。俺は、俺の想いをイリスにぶつけると決めたんだ。

 ん? でも、何で瓶が鞄から出てるんだ?

 ちゃんと鞄は閉めていたと思うんだが……。


「ねえ、善喜」


 悩んでいると、イリスに手を握られる。

 イリスは掴んだ俺の手を、静かに自分の胸に当てた。


 ふぁ!?

 な、何で!? いや、落ち着け。落ち着いて状況分析するんだ。

 まず、イリスの少し高めの体温が心地よくて、手のひらに伝わる柔らかな何かが俺の心も指も包み込んでいく……。


「分かる?」


 イリスの胸の素晴らしさのことだろうか?

 それはもう、現在進行形でこれ以上ないくらい身を以って理解している。


「私の胸、あなたの傍にいるだけでこんなにも高鳴ってる」


 あ、そっちか。

 確かに、柔らかな丘があるにも関わらず、イリスの心臓の脈動が手のひらに伝わってくる。


「そして、あなたの心音もこんなにはっきりと分かる」


 俺の胸に手をあて、イリスがそう呟く。


「イリス……?」


「……好き」


「俺も好きだ」


 イリスの呟きに即座に反応する。

 そして、イリスが俺を見つめ、俺もイリスの綺麗な瞳を見つめる。


 ここしかないっ!!


 勇気を振り絞り、顔を少しだけイリスの方に寄せる。それを見たイリスが目を閉じて、唇を突き出す。


「んっ」


 触れる唇と唇。

 今まではここで終わり。でも、ここから先へ踏み出す。


「イリス、その……したい」


「……いいわよ」


「え?」


「これ、見たの」


 そう言うイリスの手には、俺の鞄にあったはずのアレがあった。


 へ……。

 はっ! か、カバンが開いていたのはそういうことか!?

 ということは……既に俺がイリスとそういうことをしようとしていたことはバレていた!?


「今まで、我慢させててごめんなさい。私もその、あなたと……したい」


 少し恥ずかし気に視線を下げてイリスはそう言った。

 俺の行動を縛っていた枷が全て無くなり、俺の中に眠る獣が解き放たれた瞬間だった。


「うおおおお!! 好きだああああ!!」


「……優しくしてね」



***



 祇園総社の鐘の音、諸行無常の響きあり。

 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。


 有名な平家物語の最初の二文だ。凄まじい勢いを持った平家でさえも、いつかは衰えてしまうというようなことを表した文だった気がする。


「ふぅ……」


 大好きなイリスとそういうことをした後、俺は賢者タイムと世間で呼ばれる時に突入していた。

 ぶっちゃけ、凄かった。

 それはもう凄かった。イリスは滅茶苦茶に可愛かったし、とてつもない快感に意識が飛ぶかと思った。

 何度かして、漸く少し落ち着いたところである。ちなみに、イリスは俺の隣で寝転がっている


「善喜……? もう終わり……?」


 隣にいたイリスが声を漏らす。

 少しだけ寂しそうな声色だった。


 その声に、勢いを失いかけていたもう一人の俺が立ち上がる。


 ここで立たなきゃ男じゃねえっ!!


「きゃっ」


 再び、イリスの身体を抱きしめて押し倒す。


「まだだまだ足りない。もっと、もっとイリスを愛したい」


「ええ。来て」



 瞬く間に過ぎていく時間を噛みしめながら、俺は一晩中イリスと愛し合った。


 この日、俺たちはまた一つ大人になった。

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