第91話 <過去話>悪道善喜
悪道善喜という男は白銀イリスを愛している。
己の命を賭けるだけの価値があると言い切れるほどに。
だが、一般的に、人に限らず生物は自分の命が一番大事だ。それこそ、自分の命よりも大事と言えるものは本当に極わずか。
自分の命よりも大事なものがあると心の底から言い切れる人間は、自己評価が著しく低い人間か、誰かを心の底から愛している人間、もしくは何らかの事情を抱えている人間である。
今回の話は、初対面で白銀イリスに命を賭けられると言い切った男の物語。
普通の高校生が、自らの高校生活を捨てて一人の女性のために行動するようになるまでの物語だ。
***
子供というのは、目の前の出来事に一喜一憂してしまう。
だからこそ、その日に嫌なことがあれば、それだけで自分は不幸で可哀そうな人間だと思うし、良いことがあれば、それだけで自分が幸運で人生が楽しいと思う。
それは、勿論俺こと悪道善喜でも例外はない。
でも、俺は周りの子供と比べれば少しだけ幸せを感じることは多かったと思う。
その理由は一つ。
「「おかえりー!!」」
いつも通り、学校で自主勉強をした俺は中学校から家に帰る。
そして、リビングに入ると両親が笑顔で俺を迎え入れる。
「ただいま」
そんな両親の姿を見て、俺も笑顔を浮かべながらリビングに入る。
「もうすぐご飯出来るから、先にお風呂入っておいで」
母さんの言葉に返事を返して風呂に向かう。
風呂から上がると、テーブルの上に美味しそうなご飯が並んでいた。
「いやー、今日もママの料理は美味しそうだな! な、善喜!」
「もう、あなたったら!」
椅子に着くなり、父さんと母さんがいちゃつき始める。その様子に苦笑を浮かべつつ、手を合わせた後、並べられた料理に手を付ける。
「善喜、どうかしら?」
「うん。今日も美味しいよ」
お世辞抜きにして、母さんの料理はかなり、いや、めちゃくちゃ美味しい。
「う、美味い! 昨日よりも更に洗練されている! この調子で毎日成長していったらママはいつか世界一の料理人になってしまうんじゃないか!?」
流石に、俺の目の前で目をキラキラと輝かせている親父ほどではないが、俺も母さんの料理は好きだ。
「善喜! 俺たちは幸せ者だな! こんなにも美味しいご飯を作ってくれる人がママなんだから!」
「もう、あなたったら! あなたこそ、いつも私たちのためにお仕事頑張ってるじゃない」
「それはそうさ! だって、俺は家族を愛しているからね! 仕事なんて、ママと善喜の笑顔が見れるなら楽勝さ!」
「それを言ったら、私だって愛しているわ! 二人のために美味しいご飯を作るなんて朝飯前よ」
「何だと!? 俺の方が愛している!」
「私の方が愛しているわ!!」
ただ夕ご飯を食べていただけのはずなのに、気付けば両親がどちらが愛しているかで言い争いを始めてしまった。
その様子に呆れつつ、テーブルの上のエビチリに手を付ける。
ピリ辛で美味い。
「「善喜はどう思う!?」」
そんなことを考えていると、二人が同時に俺に顔を向ける。
「俺からしたら、どっちもどっちだな。二人とも同じくらい愛しているってことでいいじゃん」
「お、同じくらい!? それは盲点だった! 確かにそれが一番だ!」
「そうね! 私たちに無い視点を中学生にして既に持っているなんて、善喜は天才だわ! ねえ、あなた!」
「そうだね、ママ! きっと善喜は将来その名の通りたくさんの善いことをして、多くの人を喜ばせるだろうね!!」
二人で手を取り合い、俺に感動の目を向ける二人。
全く、この両親はいちいち大げさなのだ。
「……ごちそうさま。二人とも、バカなこと言ってないで、早くご飯食べろよ。折角の美味い飯が冷めるぞ」
「確かに! その通りだな! さあ、ママ! 一緒に食べよう!」
「そうね! あなた!」
イチャイチャしながらご飯を食べ始めた二人を横目に、流しに食器を持っていく。
大げさで、異常なまでに俺を褒めてくれる二人だが、俺は嫌いじゃない。
自分が愛されている実感が湧くし、紛れもなくここに俺の居場所があると言い切れるからだ。
中学生なら、反抗期を迎えるものかもしれないが、俺ももう中学三年生。反抗期も終了して、親の愛を素直に受け止めることが出来るようになってきた。
「受験も近いし、俺は先に自分の部屋戻るな」
「そうか。頑張れよ」
「頑張ってね」
両親からのエールを受け取って、自分の部屋に戻り勉強を始める。
目指すは地元でも有数の進学校。
そこを目指す理由は特にない。
強いて言えば、両親が喜んでくれるかなと思ったからだろう。
集中力が少し切れてきた。
軽く背伸びをして時計を見ると、勉強を始めて二時間近く経っていた。
そして、タイミングよく部屋の扉がノックされる。
「善喜。入るぞ」
その声と供に、親父がココアと焼き菓子を持って部屋に入って来る。
「勉強を頑張ってくれることは凄く嬉しいけど、無理はするなよ。父さんたちはお前が元気でいてくれることが一番嬉しいからな」
そう言って、親父は俺の前にココアと焼き菓子を添える。
「ああ。分かってるよ。無理のない範囲でやってるから、安心してくれ」
そう言ってから、ココアに口を付ける。
程よい甘さと温かさが、勉強で疲れた脳を癒してくれる。
「そうか。それなら良かった。……ところで、お前恋人はいないのか?」
何の前触れもなく、唐突に親父はそう言った。
「は? 急に何言ってるんだよ」
「いや、お前もいい年だしな、そろそろ彼女の一人や二人できる頃かなと思ったんだよ」
「二人いたらやばいだろ」
「世間一般からすればそうかもな。だが、父さんはお前がその二人を絶対に幸せにする覚悟を決めているなら文句は言わないぞ」
きめ顔でそう言ってくる父さん。
正直、あまりきまってないし、そこまでカッコイイセリフには思えない。
「何言ってんだよ。常識的に考えてダメに決まってるだろ」
ため息をついて、話は終わりと再び机に向かう。
「常識に縛られ過ぎるなよ」
そんな俺に父さんが声を少し強めてそう言った。
振り返ると、そこには普段の笑顔からは想像できないほど真剣な表情をした父さんがいた。
「周りが語る常識やルールは正しい。でも、それを守ることが必ずしもお前にとって善いことに繋がるとは限らない。本当に大事なものを守るためにはな、常識を投げ捨てることが必要な時もあるのさ」
学校では、ルールを守ることの大切さを学ぶ。
それは社会に出た時にそれが必ず必要になることだからだ。だが、父さんはそれに縛られるなと言う。
可笑しなことを言うと思った。
「よく分からねえや」
子供な俺には、父さんの言葉の真意が分からなかった。
「今はそれでいいさ。お前にとって、本当に大事なものが出来た時にきっと分かる。ああ。それと言い忘れていた。仮にお前が、自らが善いと思って、人を喜ばせるために行動するなら、それが例え周りから見れば悪の道だろうと父さんたちは応援するぞ」
それだけ言うと、父さんは俺の頭を軽く撫でて部屋を出て行った。
何でもない日の、夜の出来事だった。
***
季節は流れ。
三月がやって来る。
中学校の卒業式と高校受験が迫る中、悲劇は突然起こる。
平日の夜、受験が迫っていることで俺は家で受験勉強していた。
「善喜。ちょっと父さんたちは買い物に行ってくるな」
「うん。気を付けて」
土砂降りの雨の中だった。
傘を持って、父さんと母さんは暗い中買い物に出かけた。
そして、二人が帰ってくることは無かった。
***
居眠り運転だったらしい。
スーパーからの帰り道、トラックが母さん目掛けて突っ込んできたとのことだった。
目撃者によれば、父さんはギリギリトラックを避けられる位置にいたらしい。
だが、父さんは母さんを突き飛ばして母さんを助けようとした。
漫画やアニメの世界なら助かったのだろう。
だが、現実は非情だった。
母さんを助けようとした父さんも母さんもまとめて頭を強打し、即死。
連絡を受けて駆け付けた病院で、医者と警察からそう告げられた。
二人の死体はお世辞にも綺麗な状態とは言えなかった。
だが、父さんの顔は少なくとも幸せそうに見えた。
「バカだろ……。救えたとでも、思ってんのかよ……っ! 何も救えてねえよ。母さんも、俺も……っ!! 勝手にヒーロー気取りで死んでんじゃねえよ……っ! てめえがいれば……てめえがいれば俺は一人じゃなかったんだぞ!!」
父さんの死体の横で俺はただ行き場のない怒りを抱え涙を流すことしか出来なかった。
父さんと母さんの両親、俺にとっての祖父、祖母は供に亡くなっており、俺は天涯孤独の身となった。
二人の葬式にはたくさんの参列者がいた。
生前の父さんと母さんにお世話になった木島さんという人に協力してもらい、葬式は問題なく行われた。
その後、俺の処遇と俺の実家をどうするかが問題になった。
その時、木島さんが俺の保護者になると言ってくれた。
木島さんは海外を中心に活躍する人だったらしいが、俺のために日本で暮らすと言ってくれた。
だが、俺はそれを申し訳なく感じ、木島さんの申し出を拒否した。
それでも保護者は必要だろうということで、結果として、木島さんが俺の保護者として俺に生活に必要なお金を仕送りし、俺は一人暮らしするということに決まった。
父さんと母さんがいなくなった家は、広くて閑散としていた。
学校には行った。
周りの人からはたくさん心配された。その度に、平気なフリをした。
夕方、家に帰る。
ただいまの声はない。
家の中に明かりも点いていない。
美味しくて、温かいご飯も、一緒にご飯を食べてくれる人も、俺の話を笑顔で聞いてくれる人もいない。
それが辛くて、木島さんにお願いしてアパートの一部屋を借りた。
自分が生きている意味が分からなくなった。
進学校に行く理由は無くなった。
ガキだった俺は、この世界で一番俺が不幸だと嘆き、悲しんだ。
そして、受験に失敗した俺は滑り止めで受かっていた私立に行くことにした。
入学式から一年は学校へ通った。
だが、一年の終業式を最後に学校へ行くことをやめた。
深い理由はない。
ただ、学校へ行く意味が、俺が生きている意味が一年たっても分からないままだった。それだけだった。
***
ある日、木島さんに言われて実家の掃除をしに行った。
そして、父さんの部屋に入った時、一枚の封筒を見つけた。
不審に思いながらも、封筒を開けるとそこには二枚の紙が入っていた。片方は、父さんの字、もう片方は母さんの字で書かれた手紙があった。
それは高校生になった俺に宛てた手紙だった。
勉強を頑張れとか、一度しかない高校生活を楽しめとか、そう言ったことが書いてある中、父さんと母さんの手紙の両方に、素敵な恋をして欲しいと書いてあった。
『もし本気で好きな人が出来たら、その人が喜ぶことを、その人にとって善いことを本気で考え抜いて行動しろ! 時には悪者になってもいい、その人の幸せのために努力できる男であってくれ 父さんより』
『いつか善喜は私たちのもとを離れるし、私たちもいつかは善喜の前からいなくなってしまう。そんな時に、あなたが愛した人が、あなたを愛してくれる人がきっとあなたを支えてくれる。だから、好きな人が出来たら、いっぱい、いっぱい愛してあげて。愛されることは、誰にとってもきっと嬉しいことだから。 ママより』
両親が死んでから毎日の様に泣いていた。
いつしか涙は出なくなり、涙は枯れはてたと思っていた。
思っていたのに……。
「あれ……。何で、視界が滲んで……」
ポタ、ポタと水滴が手紙の上に落ちる。
やがて、流れる涙の量は抑えきれるようなものでは無くなり、俺は押し殺して涙を流した。
目を覚ますと、外は明るくなっていた。
どうやら、泣き疲れて寝てしまっていたらしい。
ここ最近は沈んだ気分だったが、今日は幾分かマシな日だった。
ふと思い立ち、外に散歩に出かける。
そして出会う。
俺の運命を変える人と。
「こんなところに逃げ遅れた人間がいたのね。折角だから、こいつを人質にしましょう」
目の前には黒いブーツに黒のボンテージ、黒のロンググローブで露出多めの格好をしている痴女にしか見えない美女がいた。
深い理由なんてない。
本当に何となくだ。
この人が好きだ。
そう思った。
そして、次の瞬間には――
「好きだああああああ!!」
――叫んでいた。
もしかしたら誰でも良かったのかもしれない。
両親の最後の願いでもある、誰かを好きになって恋をすることを成し遂げたかっただけかもしれない。
それでも、何となくの思いはイリス様と触れ合う度に心からの思いに変わり、イリス様を知るたびに他の何にも負けない思いとなった。
イリス様を好きになって、色を失った俺の世界に再び色が蘇った。
イリス様を本気で愛していると一切の躊躇いなく言いきれる今なら分かる。
あの日、親父は母さんを救って母さんも俺も親父も幸せになれる最高のハッピーエンドを目指したんだ。
バカだと思う。
でも、それと同時に誇らしくも思う。最後まで愛する人のための幸せを望んで行動し続けた親父を。
でも、俺は親父と同じ轍は踏まない。
俺もイリス様も幸せになれる最高のハッピーエンドを生み出して見せる。
そのために、悪の道にこの身を染めた。
俺の名前は悪道善喜。
例え、悪の道を行こうとも俺が信じる善行を成し、愛する人の喜びのために生きる男だ。
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