第87話 デート②

 案内された場所は個室だった。

 猫カフェに個室なんてあるのか? と驚いたが、どうやら今回は特別らしい。

 店員さんも、俺を案内し終えると直ぐに個室を後にした。

 残ったのは、俺と数匹の猫たちだけ。


「イリス様はいつ来るんだろうな。なあ、ポチ」


 俺の膝の上であくびを一つする猫の背中を撫でる。

 この猫の名前はポチ。イリス様の清らかなる肌を舐めるというとんでもないエロ猫だが、今の俺はイリス様の頬にキスされている。

 最早、この猫さえも俺の敵ではない。


 猫たちと戯れながら待つこと数分。

 遂に個室の扉が開いた。


「イリス様、漸く来てくれましたか――」


 顔を上げた俺は言葉を失った。


「ご、ご主人様。……か、可愛がってください」


 そこにはメイド服に猫耳、猫の手がモチーフの手袋を付けた、猫耳イリニャンがいた。


「ふおおおお!! キャワイィィイイイ!!」


「い、いやああああ!!」


「ひでぶっ!」


 イリス様の可愛さに興奮した俺が飛び上がり、イリス様にダイブ。

 それを見たイリス様が俺の頬をビンタ。

 強烈なビンタにより、俺の身体が壁に叩きつけられる。

 そして、呆れた顔で俺を見る猫たち。

 ここまで僅か二秒。


 あ、あぶねえ……。

 イリス様がビンタしてくれなかったら、俺は犯罪者になっていた。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫かしら?」


 心配そうに俺の顔を覗き込むイリス様。

 イリス様に心配をかけるわけにはいかないと、素早く立ち上がる。


「大丈夫ですよ! それより、イリス様のその格好はどうしたんですか?」


「その、今までは私が貰ってばかりだったから、あなたに少しでもお返しをしてあげたいと思ったの。それをここの店員さんに相談したら、これが良いって言われたのよ。……喜んでもらえたなら嬉しいんだけど、どうかしら?」


 少し頬を赤く染めながら、自信なさげにこちらに視線を向けるイリス様。


 なにこれ。

 可愛すぎだろ。てか、俺のためにここまでしてくれるって、最早結婚じゃん。

 役所に駆け込んで、書類書くだけじゃん。

 やっべ! 指輪買わなきゃ!!

 買うのは勿論ダイヤモンドの婚約指輪だ。

 いや、待てよ。ダイヤモンドの指輪は高いと聞く。もしかすると、今の俺じゃ買えないかもしれない。

 …………臓器売るか。肺と腎臓って二つあるらしいし、一つくらいなら無くなっても生きていけるだろう。


「すいません、イリス様。俺は少し臓器売りに行ってきますね」


「ちょ、ちょっと! 急に何言ってるのよ!」


「イリス様が悪いんですよ! そんな格好で俺を誘惑して……! 結婚したくなったんだから仕方ないでしょう!!」


「け、け、結婚って……」


 顔を赤くするイリス様。

 この隙に早く臓器を売らなければ!


 そう思い、部屋を飛び出そうとするが、イリス様が俺の腕を掴む。


「い、いいから! とにかく大人しく椅子に座りなさい!!」


「はい!!」


 イリス様に命令されたなら仕方ない。臓器を売るのは後にしよう。


 俺が椅子に座って大人しくなったことを確認したイリス様が深呼吸をする。


「それじゃ、とりあえず一緒に猫と戯れましょうか」


「そうですね」


 目の前で猫たちと戯れるイリス様を見ながら、ポチの背中を撫でる。

 猫たちの様子を見て、微笑むイリス様は死ぬほど可愛かった。


 この部屋に入ってきた時イリス様が可愛がって欲しいと言っていたから、てっきりイリス様を猫の様に愛でることができるのかと思ってしまった。

 だが、イリス様の様子を見る限りそれは俺の勘違いだったようだ。


 そんなことを考えていると、あの店員が個室内に入って来た。


「お客様。よろしければ、こちらのキャンディー猫じゃらしもお使いください」


 そう言うと、女店員は、俺に棒状のキャンディーと猫じゃらしを渡してきた。


「ね、猫にキャンディー?」


「はい。そちらの椅子に座っている当店一押しの子はキャンディーが大好きなんですよ~。是非、それを使って可愛がってあげてください!」


 女店員はイリス様を指差してそう言った。


 ま、まさか……イリス様を猫として可愛がってもいいと言うのか!?


「な、な、何を言ってるのよ!?」


 しかし、イリス様からするとこの発言は予想外だったようで、顔を赤くしながら女店員に反論する。


「嫌ならいいんですよ。ですが、それならこの部屋は出て行ってもらいます。この部屋は彼に可愛がられる猫しか入れません。あなたにその覚悟がないなら、早くここを出て行って下さい」


「なっ……!」


「大体、さっきから見ていれば何ですか? 猫になり切っているのなら語尾ににゃんの一つや二つ付けるの当たり前でしょう? あなたにやる気が無いことは分かりました。その程度の思いでは彼もすぐに愛想をつかしてしまうでしょうね」


 女店員は冷たい視線をイリス様に向けながら、イリス様を冷たく突き放す。

 イリス様は、唇を噛み締めて俯いてしまった。

 その瞳には、僅かに涙がにじんでいるように見えた。


(ちょ、ちょっと! 何してるんですか! また、性懲りもなくイリス様を傷つけて、何が目的なんですか!)


 女店員の下に駆け寄り、小声で話しかける。


(言っておきますが。あなたを癒す猫になることに彼女は既に了承済みです。猫に対して、私たち店員が同振舞おうとあなたには関係ありませんよ)


(だとしても、やり過ぎでしょ!)


(やり過ぎ? 知らない言葉ですねぇ。それより、見てくださいよあの顔。猫になり切るなんて恥ずかしいこと到底出来ない。でも、この部屋を追い出されることも、あなたに愛想をつかされることも嫌だ。そんな葛藤が目に見えますよね。あ、ちょっと泣きそうですよ! ふふふ。あの涙。駒込ピペットで吸い取りたいですねぇ)


 その瞬間、俺は思いだした。

 この女店員の奥底に眠る狂気を。

 そして、俺たちが決して分かり合えぬ敵同士であったことを。


(……あの時は分かりあえたと思っていた。だが、やはりお前とは分かりあえないらしい)


(おや? 歯向かうつもりですか? あの子を猫として愛でたくないのですか?)


(愛でたいに決まってる。でも、それはイリス様に涙を流させてまですることじゃない)


(やれやれ。どうやらあなたとは、何度でもやり合う運命のようですね。いいでしょう。あの日つけられなかった決着を付けましょう)


 それと同時に女店員の身体から黒いオーラが溢れだす。


(……っ! こ、これは!?)

全てを超える愛ラブ・イズ・オーバー。さあ、私の愛に勝てますか?)


 まさか、この女店員までそれを使えるとは思わなかった。

 だが、俺もその領域に到達している男だ。負けるわけにはいかない。


(……舐めるなよ。はああああ!!)


 イリス様への愛が全身からあふれ出る。


(やはり、あの時の新たな到達者はあなたでしたか)


 俺の全てを超える愛ラブ・イズ・オーバーを見た店員がポツリと呟く。

 互いにそれぞれの思いの極致へと到達した者同士。

 激突すれば、ただでは済まない。


 それでも――。


(イリス様の笑顔を守るために、お前をここで俺は超える)

(最近になって漸く到達できた若造が調子に乗らない方がいいですよ)


 ――互いに譲れないものがあるから、俺たちはぶつかるのだ。


(うおおおお!!)

(はああああ!!)


 互いの拳が交差する。

 その瞬間だった。


「……わ、分かったわよ。……ね、猫になりきるわよ……にゃん」


「「ありがとうございます!!」」


 イリス様が決めたことなら仕方ないね!

 戦ってる場合じゃない! くだらない争いより、イリス様を愛でるチャンスを逃さない方が数億倍重要だ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る