第57話 不穏②
向かいの校舎の三階へ移動するために、階段を上る。
その階段の三階で前野さんは待っていた。
「屋上に行きましょ」
前野さんは俺の顔を見て、クスリと笑った後にそう言った。
前野さんに続いて階段を上り、屋上に出る。屋上には誰もおらず、風が強く吹いていた。
風に長い髪をなびかせながら、前野さんが俺の方を向く。
「お前の目的は何だ?」
俺は前野さんを睨みつけてそう言った。
「ふふ。そんなに私のことが知りたいの?」
「知りたいのは前野さんの目的だよ。お前を担ぎ上げる奴らの行為が白銀さんを傷つける可能性がある。そいつらに聞けば、前野さんの望んだことだって言ってた。どういうことだ?」
俺の言葉を聞いた前野さんは可笑しそうに口元を抑えて笑った。
その笑い方が、あの女と重なった。
「ごめんなさい。あなたが、イリスを白銀さんと呼ぶのが余りにも似合わないから、ついね。それで、私の目的だったわね。そうね……なら、ヒントをあげるわ」
そう言うと前野さんは俺に一歩近づく。
「一つ目。そもそも前野環という女性は存在しない」
その言葉と供に更に一歩近づく。
「二つ目。私には欲しい人がいる」
更にもう一歩近づく。
「三つ目。私の目的に白銀イリスが一番邪魔になる」
俺の目の前まで迫った前野さんが俺の頬に手を伸ばす。
「分かった? 悪津君……いえ、アークと言った方がいいかしら?」
不自然なタイミングでの転入生。タイミングよく京都に姿を現したタマモ。突然、イリス様への攻撃を始めようとするタマタマ教徒たち。
そして、前野さんの今の言葉。全てが、繋がった。
「……お前だったのか。タマモ」
「正解」
心底楽しそうに、前野環、いや、タマモは微笑んだ。
***
タマモという女を一言で表すなら独占欲の塊である。
ある時は、気に入った男の周りの人間を一人残らず廃人にして、頼れる人を自分だけにした。
またある時は、人質を取って気に入った奴を脅し、無理矢理自分の傍に置いた。そこからゆっくりと洗脳して身も心も自分のものにした。
自分が気に入ったものは何が何でも自分のものにする。
それが、俺から見たタマモという女だった。
持ち前の美貌もあり、あらゆる男を自分のものにして来たタマモだったが、そんなあいつが唯一手に入れることが出来なかった男がいる。
それが俺だ。
イヴィルダークにいた頃、タマモが俺を狙っていることは分かっていた。毎日の様に色仕掛けをされたし、貢物もたくさんあった。
だが、当時の俺はイリス様への愛だけで生きていたような男だ。当然、一つ残らず突っぱねた。
結果、どうしても俺を手に入れたいタマモはイリス様をその手にかけようとした。
しかし、当時のイリス様は部隊長の中でもトップクラスの実力者で、タマモの作戦は失敗に終わったのだ。
それからタマモの行動を問題視した兄貴と、自らの部下を何人も骨抜きになれたゲロリンによってタマモは捕らえられることになった。
***
改めて、タマモの顔を見つめる。
その頬は紅潮しており、興奮しているようだった。
「ああ……。もう、そんなに見ないで。今すぐあなたが欲しくなっちゃう」
「ふざけるなよ。俺はイリス様が好きだし、イリス様に危害を加えようとするお前を好きになることはないって言ってんだろ」
「イリスがいるからあなたはそう言うのよね。安心して。イリスはもうすぐいなくなる。そうなれば、愛する人を失ったあなたの心に隙間が出来る。私がそこに入れば全て丸く収まるわ」
人差し指を俺の胸に突き立て、タマモが俺の顔を見上げる。
本気で言ってやがる。
イリス様を襲った時と同じ、狂気に満ちた瞳だ。
タマモの思い通りにさせるわけにはいかない。
「あら」
後ろに飛び、タマモから距離を離す。
そして、タマモを人差し指で指さす。
「舐めるなよ。お前が何をしようと、必ず俺はイリス様を守り抜いてみせる」
そう言い残して、俺はタマモに背を向ける。
ここで、タマモを押さえつけることも出来るかもしれない。だが、タマモは部隊長クラスの実力者。俺一人で倒せるほど甘い相手ではない。
何より、ここで俺が手を出したとしても、タマモが前野環として俺に襲われたといえば、完全に悪者は俺になる。
停学を受けた直後に女子生徒を襲ったとなれば、二度目の停学は免れられない。下手したら退学だってあり得る。
イリス様の傍にいるためにも、それは避けなければならない。
「あなたこそ、人間の負の感情を舐めない方がいいわよ」
屋上から出て行く間際に、タマモからそんな言葉をかけられた。
そして、その言葉の意味を俺は嫌というほど思い知らされることになる。
***
一週間。
タマモと屋上で話した日から一週間が経過した。
クラス内では、イリス様、星川、愛乃さんに話しかける人はいなくなっていた。
火の無いところに煙はたたないというが、イリス様に関する噂が広がっていることを、何も知らない生徒たちも感じ始めていたのだろう。
白銀さんが面倒なことに巻き込まれている。これだけで、よっぽどイリス様と仲良い人以外は、イリス様から離れていった。
この一週間、俺たちイリス教徒はイリス様周辺の根も葉もない噂を撤退的に潰して回った。
イリス様への誹謗中傷が大量に書き込まれた手紙をイリス様の目に入らないように処分したり、イリス様の耳に悪口が届かないように努力した。
だが現状、イリス様を庇う俺たちよりもイリス様を攻撃するタマタマ教徒たちの方が圧倒的に数が多かった。
中には、イリス様を庇うイリス教徒に暴力を振るうものもいたらしい。
そうなれば、いくらイリス様への愛が強いものでも精神が擦り切れる。一人、また一人とイリス教徒を辞める人が続出し、イリス教徒はその数を三十人程度まで減らしていた。
「……くっ! 私たちの人員が減るばかりか、タマタマ教徒の人員はどんどん数を増やしている。このままでは、イリス教は……」
黒田先輩が空き教室の机を叩く。
その表情は悔し気で、影が差していた。
「……もう、無理ですよ。このままじゃ、僕たちもタマタマ教徒にボコボコにされてしまう。大人しくしましょう。……悔しいけど、イリス様の件も時間が経てばきっと落ち着くはずですよ」
教徒の一人が弱弱しい声でそう呟いた。
その言葉に、周りのイリス教徒は同意もしなかったが、否定もしなかった。
自分たちに危険が迫っている以上、そう考えることも仕方ないのだろう。皆が皆、イリス様のために身体を張れる人間ではないのだから。
「皆、ここまでありがとう」
だから、俺も全員を無理矢理付き合わせることはやめることにした。
「お前らの身体は、お前らだけじゃなくて、お前らの家族のものでもある。これ以上は付き合えないという人は無理しなくていい」
俺がそう言うと、空き教室から何人かが出て行った。
教室内に残ったのは、十五人程度。
かつては三桁もいた教徒たちが、今や何とか二桁いる程度。
タマモの言う通り、俺は暴走した人間の負の感情を舐めていた。
「善道君……これから、どうするんですか?」
不安げな表情で黒田先輩が問いかけてくる。
どうするか……か。
正直、いいアイデアは何も浮かんでいない。現状、俺たちが出来ることはイリス様を守ることだが、確実にイリス様も自分に対する悪意の存在には気付いている。
「……完全下校時間が近付いてます。明日までに、それぞれ対策を考えることにしましょう」
その場では答えが出ず、結局その日は何も出来ずに終わってしまった。
その帰り道、校門に星川がいた。
「あっくん。今日、一緒に帰らない?」
星川は、無理に作ったような笑顔を浮かべてそう言った。
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