第4話 初デート③
エデンの園――それは、旧約聖書の「創世記」二章八節から三章二十四節に登場する理想郷である。
そして、俺の目の前にまさしく俺の理想郷、エデンの園が広がっていた。
「ふふふ。ほら、これがいいの?」
猫の顎下を笑顔で撫でるイリス様。その頭には猫耳が付いていた!
猫耳が付いていた!!
大事なことなので2回言ったが、ここまで来ればもう皆にもこれがどういうことか分かるだろう。
猫耳×イリス様=可愛すぎて死ぬ
これがこの世界で後に教科書に載ることになる、イリス教徒殺しの方程式である。
さっきから俺はただただ見惚れていた。何も出来ず、ただ立ち尽くして見惚れていたのだ。
俺の隣にいた店員さんは涙を流して、祈りを捧げるくらいだった。
やりたいことはたくさんあった。イリス様と二人で猫を撫でるとか、猫と間違えてイリス様を撫でるとか、俺が猫になるとか。
だが、真の理想郷を前にして人は動くことなどできないのだ。
ただ、そこに至れたことに感謝し、その存在に祈りを捧げる。少なくとも俺にはそれしかできなかった。
ただ過ぎていく時間をイリス様を愛でながら過ごす。そんな中、一匹の猫が俺に強い視線を向けてきた。
や、やつは……ポチ!!
ポチは俺を敵対視している猫であった。そう。それは、俺がこの猫カフェに来て四日目のこと。
俺は遂に、この猫カフェ内の全ての猫を手なずけることに成功した。そこには当然ポチも含まれていた。
しかし、そんな中で特に俺に懐いてくれた一匹のメス猫がいた。そのメス猫はポチが惚れていた猫だったのだ。
その瞬間から、ポチの俺への敵対心はとてつもないものになった。だが、今日は大人しくしてくれていると、そう思っていたのに……!
ポチはニヤリと笑った後、イリス様の下に近づいて行った。
そして、イリス様の首に乗った。
「ひゃあ……。ど、どうしたのかしら?」
そして、ポチはイリス様の白く、清らかな肌を――
「ひゃあ!!」
――舐めた。
「ちょ、ちょっと……やめなさい! くすぐったいって!」
やめろと口で言いながらもイリス様の顔はまんざらでもなさそうだった。
ある程度イリス様の頬や首を堪能したポチが俺に視線を向けてくる。
(へっ……雑魚が)
まるで、そう言ったかのようにポチは俺を嘲笑った。
ゆ、許せねえ……!!
いいぜ! 戦争だああああ!!
理想郷がどうとかいってる場合じゃない! イリス様ほどの美貌の持ち主が人間以外に好意を抱かれるなど当たり前だった!
俺の敵は人間以外にもたくさんいる! 全ての生物を超越して、俺がイリス様の横に立つ!!
すぐに店の奥に入り、ネットで買った『これで君も猫だニャン!』セットを着用する。
猫耳! 尻尾! 髭!
完璧だ! 行くぞおおお!!
華麗に前回りをしながら、イリス様の前に寝転がる! 当然! 仰向け!
そして上目遣いで決め台詞だ。
「ニャン? 俺も遊んで欲しいニャン!」
「消えて。汚らわしい」
蔑んだ その目で見られ ドキドキと
心臓高鳴る 俺は変態?
はっ! 気付いたら短歌が出来ていた!
って違う! 俺も遊んでもらわないと!
「そ、そんにゃの酷いニャン! 俺も遊んで欲しいニャン!」
「ほら、おいで。そう。あなたはポチって言うのね。あ! こらポチ! 勝手に舐めないで」
俺をスルーし、ポチと戯れるイリス様の笑顔は本当に素敵だった。
「……ひぐっ。う゛う゛う゛……! イリス様が嬉じぞうで、よがっだ!!」
俺は上手く笑えているだろうか。幸せな彼女の今を祝福することが出来ているだろうか?
これが寝取られ、これがすれ違い。
物語がいつも俺にとって、ハッピーエンドとは限らない。でも、せめてイリス様が幸せなら……! 俺は! 俺は……!!
血涙を流し、鼻水を垂らしながらイリス様の邪魔をしないよう、その場から離れる俺。
そんな俺の肩を叩いてくれる人がいた。
「あ、あなたは……」
そこには、さっきまで分かり合えなかった店員さんがいた。
「汚い。もう少し下がってくれないとフレームに汚いあなた入っちゃうから、どいて」
全俺が泣いた。
「俺の分も……刷っておいてください!!」
そう言い残し、俺は店の端で声を押し殺して泣いた。
「はあ……。悪道、折角の猫カフェ何だからあなたもこっちで猫と触れ合いなさい」
かけられた声は女神からのお誘いだった。
「い、いいんですか!?」
「当たり前でしょ。それに、あなたのおかげで来れたんだし……」
最後の方は声が小さくなっていたがしっかりと聞こえた。
これだ……! これなんだ!
イリス様は初対面の人からは冷たいとか厳しいとか言われがちだ。だが、本当は仲間思いの誰よりも優しい人なのだ。
「何してるのよ。ま、まあ……あなたが猫と戯れたくないなら別にいいけど」
「いえ! 行きます! 行かせていただきます!!」
俺はイリス様の近くに駆け寄り、イリス様と供に猫たちと戯れた。
***
「それじゃ、ありがとうございました」
「またのご来店をお待ちしています!」
「バイバイ」
名残惜しそうに猫たちに手を振るイリス様を連れ、俺は店を出ようとした。
「あ! こら! ポチ!!」
そんな中、店の外にポチが出てきた。ポチの隣には、彼が惚れていたメス猫の姿があった。
三秒にも満たない短い時間、その時間の中でポチと俺の視線は交差し、お互いの言いたいことを理解出来た気がした。
(醜い嫉妬して悪かったな。本当に大切な人なら、どこまでも追いかけ続けろよ)
(お前も、掴んだその場所誰にも譲るなよ。またな、ポチ)
ポチに背を向ける。友からライバルへ、そして、親友へ。俺たちの心にかけ橋が通った瞬間だった。
「ポチ! 来てくれたのね。ありがとう」
俺の隣にいたイリス様がポチに駆け寄り、ポチの頭を撫でる。撫でられたポチは気持ちよさそうに目を細めた後、俺の方に勝ち誇った顔を向けてきた。
やろう!! ぶっ殺してやる!!
殺意の衝動に駆られるが、ここでポチをやればイリス様が悲しむことは明白。ならば、せめてすぐにでもここから離れる必要があった。
「すいませんイリス様! 次の予定まで時間が結構詰まっているので急ぎましょう!」
そう言うと俺はイリス様の手を取って、次の目的地に向かった。
あのエロ猫め。今度会った時は骨抜きにしてやるからな。
怒りに震える俺は、いつの間にかイリス様と手を繋げていたということに、この時はまだ気付いていなかった。
***
「ちょ、ちょっと! 悪道! いつまで手を繋いでるの!」
「へ? ふお!?」
イリス様に言われて俺は気付いてしまった。俺の手とイリス様の美しい手が触れ合っていたということに……!
余りの恐れ多さに俺は思わず手を放してしまった。
「あ……!」
「……まあ、いいわ。今回のことは特別に許してあげる」
イリス様の慈悲深き言葉に俺は感謝しながら、さっきまでのイリス様の手の温もりを思い出す。
熱すぎず、冷たすぎず……丁度いい温もりだった。
「さて、それじゃあ用事も済んだことだし、帰るわね」
「あー! お腹空いたなー!! 甘いものが食べたいなぁ。あ、あんなところに美味しそうなスイーツ店があるー。イリス様、一緒に行きませんかー?」
あ、危ねえ。
あともう少しでプランが崩壊するところだった。
「まあ、そうね。たまにはいいわよ」
陰でガッツポーズをする。どうやら今日のイリス様は相当機嫌がいいらしい。これは、今日だけで婚約くらいまで行けると言っても過言ではないんじゃないか!
「じゃあ、行きましょう!」
ウキウキした気持ちのまま、俺はイリス様と供にスイーツ店に入り込んだ。
「いらっしゃいませー! 2名様ですね。こちらへどうぞ」
スイーツ店に入った俺とイリス様は二人席に案内された。
メニュー表を開いた俺の目に飛び込んできたのは、『カップル専用パフェ』という文字だった。
「イリス様!」
「嫌」
な、なんてことだ……! 俺が言おうとしたことを理解して先読みするなんて、そんなの……! そんなの……!
まるで熟練の夫婦みたいで最高じゃないか!!
「……何よ。ニヤニヤして」
「いや~。イリス様ってちゃんと俺のことを理解しているんだなって思って嬉しかったんですよ!」
「なっ……!? い、言っておくけどあなたみたいな単細胞の考えることくらい誰でも分かるのよ!」
慌てた様子でイリス様は否定するが、俺には分かる。
「やれやれ。そんな照れなくていいんだゼ☆(ウインク)」
「……吐き気がしてきたわね。帰ろうかしら」
席を立とうとするイリス様を必死で抑える。
「ちょ……! 調子乗ってすいませんでした! だから、一緒に甘いもの食べましょう! ほら、パンケーキとか美味しそうですよ!」
「次に変なこと言い出したら、あなたは私の部隊から外すから」
「なっ……!」
イリス様の部隊から外される……? つまり、イリス様の傍にいれなくなる? 離れ離れ? イリス様のいない生活? そこで俺はどうすればいい?
心を覆いつくす絶望。気付けば、俺の目からは雫が流れていた。
「私はパフェにしようかしら。ほら、あなたは――何で泣いてるのよ」
「イ、イリス様……! 捨でないでえええええ!!」
「ああ! もう! 別に捨てないわよ。だから泣くのはやめなさい! 人も見ているというのに……」
呆れたようなため息をつきながらも、イリス様は俺を捨てないと言ってくれた。その言葉があれば俺は強く生きていける!
「慈悲深き言葉ありがとうございます! 一生付いて行きます!!」
その後は特に変わったことは無かった。パフェを食べるイリス様を見ながらコーヒーを楽しむ。
パフェを食べる時に、髪を耳にかける仕草とかそういったあらゆるところが可愛かった。
本当は「あーん」とかしたかったし、して欲しかったけど、イリス様がパフェを美味しそうに食べる姿が見れたならそれだけで胸もお腹もいっぱいだ。
「すいません。少し席外します」
イリス様に一言伝えてから俺は席を立った。別にたいしたことはない。トイレだ。
用を済ませ、ハンカチで手を拭きながらトイレを出る。
「そんなのおかしいわよ!」
トイレから戻ってきた俺の耳に入ってきたのは、イリス様の、焦りを帯びた声だった。
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