Prologue6

 嘘……だよね?


 脳が現実を受け入れられない。こんなの初めてだ。


 それでもリリアさんは男たち二人に目もくれずこちらへと歩を進め、目の前で立ち止まり、見下ろしてくる。


「ふふっ、良い顔しますね、ルーザーくんは」


 彼女の後ろで姿勢を正して立っている彼らには見えない。


 身体がゾッとする、馬鹿みたいに餌に食いついた哀れな獲物を可愛がる表情が。


「お口のチャックを取りましょうか」


 僕に与えている衝撃なんて気にもしないでそんなことを言う。


 リリアさんがボス? じゃあ、あの肩書きは嘘? でも、事前に聞いていた情報と違わない進行だったはず。


 一切の滞りない進行とは裏腹に、僕の脳内はぐちゃぐちゃだ。なにがどうなれば、捕らえられた僕の目の前に逃げたときとはまた別のスーツを着たリリアさんがいる事態になるんだ!


「いろいろ聞きたいことでいっぱいでしょ? 整った顔がもったいないくらいに?で覆われているもの」


 近いせいでいい香りが鼻を抜けて、そんな呑気な場面でないと分かっていても一瞬目が身体にいく。


 ハッとして目線を上げれば、リリアさんはそんな僕の反応を楽しそうに眺めていた。


 屈辱的な気分だ。僕の思考を読み取られているような。


「2年、君のことを見てきたんですよ。君自身が気付いていないことさえも、私は把握していますから」


 じゃあ、あれは本当に調査していたんだ。ただ確かめていたのが勇者になるための適正ではなく、このミッションの獲物としてのものだっただけで。


「そう表情を暗くしないで。これを取ってあげますから」


 口枷が外される。


 溜まっていたものが開放されて飛び出るように口が動く。


「どういうことなんですか!」


 垂れる涎を気にせずに叫んだ。唾が飛び、彼女の服にかかったのも今はどうでもいい。


「説明してください!」


「気持ちはわかるけど、そういきり立たないで。その役目は私じゃありませんから」


「じゃあ、なにを教えてくれるんですか!」


 抑えられない失望と軽い宥めが神経を逆撫でする。久しく声を荒げていなかったせいで喉が痛い。


 それでもリリアさんが態度を変える様子はない。仕方ありませんねと言い、絶対に反転することのない上下の立場を存分に堪能している。


「私はなにも嘘をついていないということ。恐らく、ルーザーくんが知りたいことの大方はそれで説明がつくと思います」


 その言葉を信じる根拠はない。けれど、嘘だというそれもない。

 隙があるならばと、先程の男たちに反応がなく、ただ手を後ろに静観している姿からして今のところ予定通りなんだと思う。


 つまりは、リリアさんは王族秘書で、僕を迎えるためにエリエスタまで来た。じゃあ、その送り先は?


「…………」


 一番想定したくなかった結論に至る。


 …………そうだ、国王の住む宮殿に向かうなんて一言も言ってない。


「その表情、気付いたようですね。理解が早くて助かります。これからの展望も明るいでしょうね」


 最後の一言がまた気になる。ただそれより今は本来僕を迎えるはずだった人物の方が重要だ。


 それはもう明白で、リリアさんの雇い主、それでいてこの男たちのボス――


 カツ、カツと大層な靴音がリリアさんたちの後方から聞こえてくる。


 彼女が端にはけ、二度目のドアとのご対面。


 息を飲んだ。


 カチャ……。


 ドアノブが視線の先でゆっくりと回る。


 すこしずつ、すこしずつ、開かれ、目を引かれる。


「やあ、待たせてすまないな、ルーザー」


 この国、カメリアにおいて誰もが一度は聞いたことがあるであろう、低く重い声が僕にのしかかってきた。


 そうして自然と頭を垂れていた。


「大した愛国心だ。嬉しいよ」


 どんな表情でその言葉を発したのか、僕は知り得ないが、権力の前に無意識に身体が動いてしまった僕を哀れんでいることだろう。


 でも、なんら可笑しいことはない。だって、目の前にはたしかに国王が存在しているんだ。


 誰もが謁見できるような存在ではなくて、国の象徴で、多くの国民から愛されている良心を持つ、はずの人が。


「まずは椅子に座りなさい。ほらっ、お前達」


「「はっ!」」


 男達が椅子をひとつ僕の足もとに置き、腕を掴んで立ち上がらせてくれる。それから椅子に腰を落としたはいいものの、視線は床に向けたまま。


 だってそうだろう? そんな簡単にこの状況を受け入れられるはずがないじゃないか!


 ボスが国王だった。この事実すら困惑させて動きも思考も制限させているというのに、僕にどんな理由があって捕らえたのか?


 この謎が解き明かせない。


「私も失礼しよう」


 音でもうひとつの椅子に国王がお座りになられたのはわかった。


「まずは顔をあげなさい。話はそれからだ」


 彼の命令に逆らうことは悪手だ。ゆっくりと瞬きひとつせずに国王の姿を目に焼き付ける。


 足先の尖った靴に地面に尽きそうなほど大きい赤のコート。袖は広く、その右手の中指にはレガリアである指輪がはめられている。


 御年68歳にもなられるその顔には白く整えられた髭、皺があり、目つきは優しい。

 まるで人を麻酔針で眠らせて捕え、拘束するなど想像できない柔らかい表情でいる。


「良い顔つきだ。常に何かを模索している。私が望んでいる姿だよ」


「そうですか」


 この際、話し方なんて気にしなくてもいい。適度に敬意があればいいだろう。


「まあ、思うところがあるのはよく分かる。何が、どうしてと理解が及んでいないのだろう。だが、安心しなさい。これからその説明をしてあげるから。

 ただその前に、お前達は退席してくれ。仲間たちは別室で待っているぞ。リリア、連れて行きなさい」

「はい」


 仕事を終え、約束された多額の報酬への期待に男たちは瞳を輝かせてリリアさんの後ろについていき、部屋から出ていく。


 国王と二人きり。その存在感とこれから聞かされることと、緊張に身体が縛られているような感覚だ。実際に手足は魔法で拘束されたままだけど。


「では、始めようか」


 目が合わさる。


 たしかに優しい目つきではあるが、その奥に潜む闇に吸い込まれるような恐怖を感じさせられた。

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